第50話
学園での騒がしい日々が続き、エリシアは「聖女」などという呼び名に頭を抱えていた。
護衛の騎士や神官たちが影のように付きまとい、教室で少しでも周囲の空気が鋭く自分へ向けられる気配を見せると即座に剣や杖を抜かれる。
一件以降、レオノーラはエリシアの隣の席を陣取り、まるで忠犬のように見守っている。
他の生徒たちも遠巻きに畏敬の念を向け、気軽に話しかけてくる者はいなくなっていた。
そんな日々が続き、あっという間に週末の休日に入った。
朝、エリシアはセレナに肩を揺さぶられて目を覚ました。
「お嬢様、おはようございます。急なお知らせですが……」
エリシアは寝ぼけ眼で体を起こし、欠伸を噛み殺しながら聞いた。
「……どうしたの?」
セレナは少し困ったように答えた。
「それが……王宮より先触れが参りまして。午後にセレスティア王女殿下とユーリアン王子殿下が、お遊びにお越しになりたいとのご伝言でございます」
「……遊びに来たい?」
「はい。ですが、王宮から既に何人もの使いが参っており、他のメイドたちと共にお茶会の準備を進めております。警護の手配も済んでおり、今この国で王宮の次に最も安全な屋敷となっております」
エリシアはベッドに座ったまま、背中を丸めて額を押さえた。
「……好きにさせなさい」
セレナは体を低くして応じた。
「かしこまりました」
エリシアは朝食を済ませ、午後を待った。
屋敷の中は既に慌ただしく、王宮からのメイドたちが追加で派遣され、庭園のテーブルが飾られていく。
花々が運び込まれ、特別な紅茶の葉が用意され、菓子職人まで呼ばれていた。
そして、ティータイム頃。
屋敷の玄関ホールに、馬車の車輪の音が響いた。
エリシアはセレナに促され、扉の前で待っていた。
淡い銀灰色のドレスに着替え、髪をアップにまとめている。
婚約者の証である王家のピンが、胸元で輝いていた。
扉が開き、セレスティア王女とユーリアン王子が現れた。
セレスティアは明るい白銀のドレス姿で、無垢な喜びの気配を輝かせている。
ユーリアンは少し大きめの正装で、後ろに控えていた。
「エリシア! 急にごめんね! でも、どうしても遊びに来たくて!」
セレスティアが元気に手を振る。
ユーリアンは上体を前へ傾けた。
「……お邪魔、します……エリシア」
エリシアは二人を迎え入れた。
「ようこそ。お越しくださって嬉しいです、王女殿下、王子殿下」
簡単な挨拶を終えると――
ユーリアンが、後ろ手に隠していたものを差し出した。
丁寧に束ねられた花束。
淡い青と白の花々が、可憐に揺れている。
「……これ、エリシアに……」
エリシアは一瞬驚いた。
この世界では、本来女性から男性へ花束を贈るのが習わしだ。
男性が女性に花を贈るなど、極めて珍しい――いや、ほとんど前例がない行為。
(……女王陛下の入り知恵ね、きっと)
内心で確信しつつ、エリシアは受け取った。
「ありがとうございます、王子殿下。とても綺麗です」
ユーリアンの顔が、明るくなった。
セレスティアが笑いながら、肘で弟を突つく。
「ふふ、ユーリアンは朝から花屋さん巡りしてたんだから」
「セ、セレスティア……!」
三人で庭園へと向かう道中、エリシアは花束を近くの侍女に渡した。
「これをお茶会のテーブルに飾ってください」
侍女は丁寧に体を折って受け取った。
庭園のテーブルは、午後の日差しに照らされていた。
白いテーブルクロスに銀のティーセットが並び、淡い青と白の花束が中央で可憐に飾られている。
エリシア、セレスティア、ユーリアンの三人は、円形のテーブルを囲んで座っていた。
侍女たちが紅茶を注ぎ、ケーキやサンドイッチを並べ終え下がる。
風が木の葉を揺らし、甘い花の香りと紅茶の香りが混じり合っていた。
最初に口を開いたのは、ユーリアンだった。
カップを持ち、瞳を輝かせてエリシアを見つめる。
「エリシアの髪、今日もすごく綺麗……陽に当たると、まるで星の光みたい」
突然の褒め言葉に、エリシアはカップを持つ手を止めた。
「え……ありがとうございます、王子殿下」
ユーリアンはさらに勢いづいた。
言葉が止まらない。
「それに、ドレスもすごく似合ってる……エリシアはいつも素敵で、強くて……デビュタントのときから、ずっと……僕、エリシアのこと……」
エリシアは困り果てた。
(わ、分かるけど……こんなに一方的に褒められると、どう返せばいいのよ……!)
顔が火照り、視線の置き場を失って彷徨わせる。
セレスティアは隣で笑いを堪えていたが、ようやく助け舟を出した。
「ユーリアン、花は咲いているから美しいのよ」
ユーリアンが口を閉じた。
「……そ、そうだね……ごめん、エリシア……」
エリシアはほっと胸を撫で下ろした。
「いえ、私も嬉しいです。王子殿下」
空気が少し和らいだところで、セレスティアが紅茶を一口飲んだ。
「あーあ、私の婚約者もこれくらいかわいらしければいいのだけれど」
エリシアはカップを置く手を止めた。
「えっ……それって」
セレスティアは口元を手で覆った。
「あ……内緒ね」
指を唇に当ててみせる。
その仕草は悪戯っぽく、でもどこか本気味で――
エリシアの胸に、波紋が広がった。
(王女殿下の……婚約者か)
庭園の風が、少しだけ強く吹いた。
花びらが一枚、テーブルに舞い落ちる。
三人の間に、一波乱の予感が漂っていた。




