第11話 伝説の聖剣と、五人の修羅場
第11話 伝説の聖剣と、五人の修羅場
――そこは、世界の底だった。
フォルトック地下迷宮。
その最下層。
冒険者たちの間で、畏敬と恐怖を込めてそう呼ばれている場所がある。
通称――《星の揺りかご》。
そこへ至るまでに、正春たちは幾度となく死線を越えてきた。
灼熱の階層。
凍結した水路。
無数の魔物が徘徊する骨の回廊。
そして、かつての魔導文明が残した罠の数々。
普通の冒険者なら、一つの階層を突破するだけでも命懸けだ。
しかし。
五人のパーティは、そのすべてを突破してきた。
先頭を歩く正春は、足を止めた。
「……ここが、最下層か」
声が、静かな空間へと吸い込まれていく。
返事はない。
いや。
正確には、返事をすることのできる者がいなかった。
五人全員が、目の前に広がる光景に言葉を失っていたからだ。
「……綺麗」
最初に呟いたのはレンカだった。
彼女の赤茶色の瞳に、無数の光が映り込んでいる。
そこは、これまでの地下迷宮とはまるで違っていた。
岩肌。
土。
苔。
腐敗した死体。
そんな迷宮にありがちなものは、どこにもない。
代わりに存在していたのは、巨大な円形の空間だった。
天井は遥か彼方。
まるで地下に小さな宇宙を作り出したかのように、暗闇の中には無数の光点が浮かんでいる。
星。
そう表現するしかなかった。
壁から、天井から、床から。
淡い青白い光が粒子となって舞い落ちてくる。
それは雪のようにも見えた。
だが、雪ではない。
正春には、それが何なのか分かっていた。
「……マナの結晶粒子」
「分かるの?」
レンカが隣から尋ねる。
「ああ」
正春は頷いた。
「ゲームでも、この場所は特殊だった」
ゲーム。
クロニクル・オブ・エターナル。
正春がかつて夢中になって遊んでいたゲーム。
その中で、フォルトック地下迷宮は中盤から終盤にかけて攻略する大型ダンジョンだった。
だが。
ゲームの中では、ここは単なる高難易度ダンジョンに過ぎなかった。
少なくとも、正春の記憶では。
「……こんな場所だったか?」
正春は小さく呟く。
ゲーム画面で見た景色とは、明らかに違う。
もっと簡素だった。
もっと無機質だった。
ここまで美しくも神秘的ではなかった。
何より――。
「星なんて、なかった」
「星?」
モイラが首を傾げる。
「天井に浮かんでいる光のことですか?」
「ああ」
正春は空を見上げた。
「俺が知っているゲームでは、こんな演出はなかった」
「……また?」
スティレットが呟いた。
「また、ゲームと違うんですね」
その言葉に、正春は黙った。
最近。
何度も感じていた違和感。
この世界は、確かにゲームの世界に似ている。
地名。
魔物。
武器。
魔法。
クエスト。
迷宮。
その多くが正春の記憶と一致する。
しかし。
完全には一致しない。
まるで――。
ゲームを基礎にして、別の世界が作られているようだった。
「……考えても仕方ない」
正春は頭を振った。
「まずは、目的を確認する」
彼は正面を見た。
そこには巨大な祭壇があった。
数段の階段。
円形の床。
そして、その中央。
一本の剣が突き刺さっている。
「……あれ」
レンカが息を呑んだ。
「剣……?」
モイラも目を見開く。
「なんて……神々しい」
スティレットは無言で剣を見つめていた。
キルケーだけは違った。
彼女は眼鏡の奥の瞳を細める。
「……間違いないわ」
「何が?」
正春が尋ねる。
「純度の高いマナ結晶を刀身へ固定している。しかも、ただの魔法金属じゃない」
キルケーは杖を握り直した。
「魔力を吸収しているんじゃない。周囲のマナそのものを循環させている」
「つまり?」
「生きている剣よ」
その言葉に、正春は目を細めた。
そして。
祭壇の中央にある剣へ視線を向ける。
白銀の刀身。
柄には青い宝石。
刃を覆う光は、炎ではない。
聖なる光。
見るだけで分かる。
あれは――。
「アロンダイト……」
正春の口から、自然と名前が漏れた。
伝説の聖剣。
ゲーム内における最終装備候補。
正春が、何百時間もかけて強化した武器。
最終決戦で何度も振るった剣。
その性能はもちろんだが、正春にとっては思い入れのある武器だった。
ゲームの中で。
何度も自分を助けてくれた。
何度も勝利をもたらしてくれた。
そして。
今。
それが現実に存在している。
「……本物」
正春は呟いた。
「本物のアロンダイトだ」
「知ってる剣なの?」
レンカが尋ねる。
「ああ」
正春は苦笑した。
「昔、俺が使っていた」
「昔?」
「……いや」
言い直す。
「ゲームの中で、だけどな」
レンカは少し不思議そうな顔をした。
だが、深く追及はしなかった。
その代わり。
彼女は正春の顔を見つめる。
正春の表情は、これまでに見たことがないほど柔らかかった。
嬉しい。
懐かしい。
それだけではない。
そこには、再会したような感情があった。
「……嬉しそう」
「え?」
「その剣を見ているときの正春、すごく嬉しそう」
正春は少し照れた。
「まあ……な」
「じゃあ、絶対に取ろう」
レンカが笑った。
「正春がそこまで欲しそうにしてるなら、私も手伝う」
「レンカ……」
「だって」
レンカは盾を構える。
「正春の欲しいものなら、私が守るから」
その言葉に。
後ろの三人が反応した。
「……」
「……」
「……」
モイラの笑顔が固まる。
スティレットの眉が僅かに動く。
キルケーは眼鏡を押し上げた。
「……なるほど」
キルケーが呟いた。
「そういうことね」
「何がですか?」
モイラが振り返る。
「いえ」
キルケーは微笑んだ。
「別に?」
その笑顔は、妙に怖かった。
正春は気づかなかった。
祭壇の剣に意識を集中していたからだ。
「まず、障壁を解除する」
キルケーが前へ出る。
「任せて」
彼女は杖を掲げた。
瞬間。
周囲のマナが渦を巻き始めた。
青白い光がキルケーの杖先へ集まっていく。
「……すごい」
スティレットが呟く。
「何をしてるんですか?」
「聖剣を保護している結界の解析よ」
キルケーは答える。
「この結界、単純な防御魔法じゃない」
「どういう意味?」
「触れた者の魔力を吸収し、侵入者の魔力波長を記録する」
「つまり?」
「無理やり壊せば、聖剣そのものが拒絶反応を起こす」
正春は頷いた。
「ゲームでもそうだった」
「でしょうね」
「だから解除する必要がある」
「その通り」
キルケーが杖を振った。
光の輪が広がる。
一つ。
二つ。
三つ。
複雑な魔法陣が空中に展開された。
「第一層、解除」
カチッ。
どこかで何かが外れる音がした。
「第二層、解除」
カチッ。
「第三層――」
キルケーの声が止まる。
「……これは」
「どうした?」
正春が尋ねる。
「第四層だけ、構造が違う」
「罠か?」
「違う」
キルケーは目を細めた。
「認証システムよ」
「認証?」
「誰でも剣を抜けるわけじゃない」
キルケーは正春を見る。
「この剣は、持ち主を選ぶ」
「……」
正春はアロンダイトを見る。
「なら、俺が行く」
「待って」
キルケーが手を伸ばす。
「まだよ」
「?」
「認証条件を確認する」
彼女は術式を解析していく。
数秒。
十秒。
一分。
やがて。
「……面白い」
「何が?」
「魔力じゃない」
キルケーは言った。
「血筋でもない。職業でもない。レベルでもない」
「じゃあ、何だ?」
「意志」
その言葉に、正春は黙った。
「この剣は、持ち主の意志を見ている」
「……」
「何のために剣を振るうのか」
キルケーは正春を見つめる。
「それを問うているわ」
正春は祭壇を見る。
アロンダイト。
ゲームの中では、ただの装備品だった。
攻撃力。
属性。
スキル。
強化値。
耐久値。
それらの数字で評価するものだった。
しかし。
この世界では違う。
武器は。
人間と同じように存在している。
意志を持つ可能性がある。
正春はゆっくりと歩き出した。
「正春」
レンカが声をかける。
「大丈夫」
正春は笑った。
「行ってくる」
祭壇の階段を上る。
一段。
二段。
三段。
足音だけが響く。
アロンダイトまで、あと数歩。
その瞬間だった。
――ゴォン。
巨大な音が響いた。
「……!」
床が震える。
壁面の星が、一斉に消えた。
「何!?」
モイラが叫ぶ。
キルケーが振り返る。
「結界が変化した……?」
「どういうことだ!」
「聖剣の認証に反応してる!」
次の瞬間。
祭壇の床から黒い煙が噴き出した。
それは霧のように広がる。
そして。
人の形になった。
巨大な鎧。
漆黒の装甲。
空洞の兜。
その奥には、二つの赤い光。
手には巨大な剣。
五人を見下ろす存在が立っていた。
「……エインヘリアル」
正春の表情が変わる。
「シャドウ……」
ゲームで何度も見た。
聖剣を守る古代の守護者。
ゲーム内では、最終装備を入手するための門番。
しかし。
現実となったその姿は、ゲームより遥かに巨大だった。
身長三メートル。
黒い鎧はマナそのもの。
剣を引きずるだけで床が削れる。
モイラが震えた。
「こ、こんなの……聞いてません……」
「ゲームより強いな」
正春は青銅の剣を抜く。
「でも」
レンカが盾を構える。
「五人なら勝てる」
スティレットが短剣を逆手に持つ。
「もちろん」
キルケーが杖を構える。
「異論はないわ」
モイラは涙を拭った。
「……正春さんが怪我をしないなら」
「それ、無理じゃない?」
「嫌ですぅ!」
「……」
正春は苦笑した。
だが。
次の瞬間。
エインヘリアル・シャドウが動いた。
轟音。
巨大な剣が振り下ろされる。
「レンカ!」
「任せて!」
レンカが飛び出した。
盾を正面に構える。
「アイギス・ミスリル・シールド!」
巨大な盾が光を放つ。
直撃。
――ドゴォン!!
「くっ……!」
レンカの身体が数メートル後退する。
足元の床が砕ける。
「レンカ!」
「大丈夫!」
レンカは歯を食いしばった。
「このくらい……!」
守る。
正春を。
仲間を。
その意思が盾へ力を与える。
「次!」
スティレットが消えた。
いや。
消えたように見えた。
彼女は守護者の背後へ回っている。
「――そこ」
短剣が装甲の隙間へ突き刺さる。
ガキン!
「硬っ……!」
「浅い!」
正春が叫ぶ。
「関節を狙え!」
「了解!」
スティレットは一瞬で移動した。
足。
膝。
脇。
首。
装甲の隙間だけを正確に狙っていく。
だが。
守護者の身体から黒い霧が噴き出す。
「危ない!」
正春が叫ぶ。
スティレットが飛び退く。
直後。
黒い霧が床を腐食させた。
「毒……?」
「違う」
キルケーが叫ぶ。
「魔力侵食よ!」
「魔力侵食?」
「触れた魔力を逆流させて破壊する!」
キルケーは杖を振る。
「なら、これで!」
炎。
氷。
雷。
風。
四属性の魔法が同時に放たれる。
轟音が響く。
しかし。
エインヘリアル・シャドウは動かない。
「効いてない!?」
モイラが叫ぶ。
「魔法耐性が高すぎる!」
キルケーが舌打ちする。
「正春!」
「分かってる!」
正春が走る。
青銅の剣を構える。
「――煉獄斬り!」
炎の斬撃が走る。
直撃。
黒い鎧が裂けた。
しかし。
浅い。
「まだか!」
守護者が振り向く。
巨大な拳が飛んでくる。
正春は避けた。
拳が床を砕く。
「正春さん!」
モイラが叫ぶ。
「大丈夫!」
正春は走り続ける。
ゲームなら。
ここで一定のパターンがある。
攻撃。
防御。
魔法。
弱点。
そして。
一定時間ごとに特殊攻撃。
「……同じだ」
正春は守護者の動きを読む。
「右腕を上げた!」
「え?」
「次に範囲攻撃が来る!」
「全員、下がって!」
レンカが叫ぶ。
五人が散開する。
次の瞬間。
守護者の剣が横薙ぎに振られた。
衝撃波。
床が一気に吹き飛ぶ。
「……正春」
レンカが呟く。
「本当に、未来が見えてるみたい」
正春は答えなかった。
見えているわけではない。
知っているだけだ。
この敵を。
何度も倒した。
何度も挑んだ。
何度も敗北した。
だから分かる。
「……ゲームで培った知識」
正春は剣を握る。
「こんなところで役に立つとはな」
しかし。
その瞬間。
守護者の動きが変わった。
「……え?」
正春の目が見開かれる。
知らない。
この動きは知らない。
守護者が剣を逆手に持った。
「そんな攻撃……」
ゲームには存在しない。
黒い光が集まる。
「まずい!」
キルケーが叫んだ。
「全員、防御!」
闇の斬撃が放たれた。
レンカが盾を構える。
「うああああああっ!」
スティレットが飛び退く。
モイラが祈りを捧げる。
「聖なる光よ!」
キルケーが結界を展開する。
だが。
闇の斬撃は結界を貫いた。
「きゃあっ!」
モイラが吹き飛ばされる。
「モイラ!」
正春が走る。
彼女を抱き止める。
「正春さん……」
「大丈夫か?」
「……はい」
モイラは涙目で頷いた。
だが。
正春の腕に血が流れていた。
「……正春さん」
「これくらい平気だ」
「平気じゃありません!」
モイラの目から涙が溢れた。
「怪我してるじゃないですか!」
「浅いって」
「ダメです!」
モイラが両手を正春の腕へ当てる。
「治癒します!」
「いや、戦闘中――」
「関係ありません!」
眩い光が広がる。
傷が瞬時に塞がっていく。
「……よし」
モイラが鼻をすすった。
「これで大丈夫です」
「ありがとう」
「もう一度怪我したら、もっと泣きますからね」
「それは困る」
正春が苦笑する。
その瞬間。
「……正春」
レンカが低い声を出した。
「はい?」
「なんでモイラとそんなに近いの?」
「……」
正春が固まる。
モイラも固まる。
スティレットがじっと見る。
キルケーは笑っている。
ただし。
目が笑っていない。
「今、戦闘中よ?」
キルケーが言った。
「え、ええ」
「なら、敵を見なさい」
「そうだな」
「私もそう思います」
スティレットが頷く。
「リーダーは敵だけ見ていればいいと思います」
「お前ら……」
正春は頭を抱えた。
だが。
守護者は待ってくれない。
巨大な剣が再び振り上げられた。
「来る!」
レンカが叫ぶ。
「全員、戦闘に集中!」
正春が指示を飛ばす。
「レンカ、正面!」
「了解!」
「スティレット、右脚!」
「はい!」
「キルケー、耐性を削ってくれ!」
「任せて!」
「モイラ!」
「はい!」
「回復を!」
「はい!」
五人が一斉に動く。
レンカが正面を抑える。
スティレットが背後へ回る。
キルケーが魔法を撃ち込む。
モイラが回復する。
そして。
正春が攻撃する。
完璧な連携。
五人がパーティとして一つになっていく。
「今!」
キルケーが叫ぶ。
「耐性、落ちた!」
正春は走った。
青銅の剣を逆手に構える。
足元から魔力が噴き上がる。
「――煉獄斬り!」
炎が爆発する。
しかし。
守護者は倒れない。
「まだ!」
正春が叫ぶ。
「レンカ!」
「任せて!」
レンカが盾を構える。
守護者の攻撃を受け止める。
「今度は――私が止める!」
盾が光る。
衝撃が散る。
守護者の動きが止まった。
「スティレット!」
「はい!」
短剣が装甲の隙間へ突き刺さる。
「――ここ!」
ガキン!
装甲が砕けた。
「核が見えた!」
「キルケー!」
「了解!」
魔法陣が展開する。
「正春!」
「分かってる!」
正春は走る。
青銅の剣を握る。
そして。
守護者の胸部へ突き立てる。
「これで――!」
だが。
刃が止まった。
「な……!」
黒い手が正春の腕を掴む。
尋常ではない力。
「ぐっ……!」
骨が軋む。
「正春!」
レンカが叫ぶ。
「離せ!」
守護者の兜の奥。
二つの赤い光が正春を見つめる。
その瞬間。
正春の頭の中に声が響いた。
――資格を示せ。
「……!」
幻聴。
いや。
違う。
これは。
聖剣からの声だ。
――汝は何のために剣を取る。
正春は答えられなかった。
何のため。
ゲームの世界だから。
生き残るため。
仲間を守るため。
元の世界へ戻るため。
答えは、いくつもあった。
だが。
どれも本当ではない気がした。
正春は、自分の周囲を見る。
レンカ。
スティレット。
モイラ。
キルケー。
五人でここまで来た。
彼女たちは。
ゲームのキャラクターではない。
数字でもない。
設定でもない。
生きている。
笑う。
怒る。
泣く。
そして。
正春を心配してくれる。
なら。
答えは一つだった。
「……俺は」
正春は剣を握り直す。
「守りたいから、剣を取る」
赤い光が揺れた。
「仲間を」
腕に力を込める。
「この世界を」
さらに力を込める。
「そして――」
正春は仲間を見る。
「俺自身も」
瞬間。
祭壇のアロンダイトが輝いた。
眩い光が空間を満たす。
「なっ……!」
守護者の腕が弾き飛ばされる。
正春の身体が光に包まれる。
そして。
彼の手元にあった青銅の剣が砕け散った。
「正春!」
レンカが叫ぶ。
だが。
正春は倒れなかった。
光の中。
一本の剣が浮かんでいた。
白銀の刀身。
青い宝石。
黄金の装飾。
そして。
聖なる光。
「……アロンダイト」
正春が手を伸ばす。
柄を握った。
その瞬間。
世界が静止したように感じた。
音が消える。
時間が止まる。
そして。
剣が応えた。
――認証。
――完了。
――所有者を確認。
正春の手に。
伝説の聖剣が収まった。
「……」
正春は言葉を失う。
重い。
だが。
不思議なほど手に馴染む。
まるで。
ずっと昔から使っていたようだった。
懐かしい。
その感覚に、正春は微笑んだ。
「……帰ってきたな」
その呟きが聞こえたわけではない。
それでも。
アロンダイトは淡く輝いた。
まるで応えるように。
守護者が吠えた。
空間が震える。
「正春!」
レンカが叫ぶ。
「最後よ!」
「分かってる!」
正春は聖剣を構えた。
身体の奥から力が溢れてくる。
ミスリル・エイル・メイルが反応する。
装甲の魔力補助機構が一斉に起動。
聖剣の力が鎧へ流れ込む。
光と炎が混ざる。
「これが……」
キルケーが息を呑んだ。
「聖剣とミスリル装備の共鳴……?」
正春は踏み込んだ。
一歩。
二歩。
三歩。
「終わりだ」
アロンダイトを振る。
「――煉獄斬り!!」
炎と光が交差した。
巨大な斬撃が走る。
エインヘリアル・シャドウの身体が、真っ二つに裂けた。
黒い霧が吹き飛ぶ。
守護者が膝をつく。
そして。
静かに消えていった。
長い戦いが。
終わった。
「……勝った?」
モイラが呟く。
「勝った……のよね?」
スティレットが確認する。
キルケーが杖を下ろす。
「魔力反応、消失」
レンカが盾を下ろした。
「……やった」
そして。
「正春!」
レンカが走った。
「無事!?」
「大丈夫」
「本当に?」
「ああ」
「怪我してない?」
「ない」
「なら――」
レンカが正春の腕を掴む。
「よかった……」
小さな声。
正春は微笑んだ。
「心配してくれたのか?」
「当たり前でしょ」
レンカは顔を赤くする。
「……正春は私たちのリーダーなんだから」
「ありがとう」
「……それだけ?」
「え?」
「……なんでもない!」
レンカは顔を背けた。
しかし。
その瞬間。
「正春さん!」
モイラが飛び込んできた。
「怪我がないか、もう一度確認します!」
「いや、大丈夫だって」
「ダメです!」
「モイラ……」
「聖剣を持ったことで身体に負担が――」
モイラが正春の腕を掴む。
「……ありませんね」
「だから言っただろ」
「でも心配なんです!」
「……ありがとう」
正春が笑う。
モイラは顔を赤くした。
そこへ。
「リーダー」
スティレットが近づく。
「聖剣、見せて」
「ああ」
正春がアロンダイトを差し出す。
スティレットはじっと見る。
「綺麗」
「そうだな」
「高そう」
「……そこ?」
「売ったら、フォルトックの宿屋を何軒買えるかな」
「お前な……」
正春が苦笑する。
すると。
「触らないで」
キルケーが割って入った。
「これは解析対象よ」
「解析?」
「ええ」
キルケーの瞳が輝いている。
「聖剣アロンダイト」
彼女は指先で刀身をなぞる。
「伝説級の魔力循環機構。魔法構造は私の知識にも存在しない」
「そんなにすごいのか?」
「ええ」
キルケーは微笑んだ。
「今夜、一晩かけて調べたいくらい」
「一晩?」
レンカが反応する。
「二人きりで?」
「そうだけど?」
「……」
「……」
「……」
空気が変わった。
正春が嫌な予感を覚える。
「待て」
レンカがキルケーを見る。
「なんで二人きりなの?」
「研究だから」
「私もいる」
「あなたは魔法研究の邪魔になるわ」
「なんですって?」
「まあまあ」
正春が止めようとする。
しかし。
「正春の隣は私だから!」
レンカが言った。
「聖剣を振るうなら、前衛の私が一番近くにいる!」
「でしたら私は聖剣の管理をします!」
モイラが叫ぶ。
「毎晩、お祈りして、磨いて、聖なる油で手入れします!」
「私は鑑定」
スティレットが手を挙げる。
「売却価値も調べます」
「売るな」
「冗談」
スティレットは笑った。
「……たぶん」
「たぶん!?」
正春が頭を抱える。
キルケーが一歩前へ出る。
「私は研究」
レンカが一歩前へ出る。
「私は護衛」
モイラが一歩前へ出る。
「私は聖剣のお手入れ」
スティレットも一歩前へ出る。
「私はリーダーの監視」
「監視?」
「はい」
四人の視線が正春に集まる。
「……」
正春は一歩後退した。
「どうしてこうなった?」
「正春」
レンカが微笑む。
「あなたが聖剣なんて取るからでしょ」
「俺のせいなのか?」
「もちろん」
「理不尽だ……」
その時。
アロンダイトが震えた。
「……?」
正春が視線を落とす。
刀身が。
小刻みに震えている。
「どうした?」
キルケーの表情が変わった。
「待って」
「何?」
「動かさないで」
彼女が近づく。
アロンダイトの光が、徐々に弱くなる。
代わりに。
刀身の根元。
ほんの僅かな場所が。
黒く染まっていた。
「……黒い」
モイラが震える。
「聖剣なのに……」
キルケーが触れようとする。
「待て!」
正春が止める。
「危険かもしれない」
「分かってる」
キルケーは杖を構える。
「でも、これは……」
彼女の顔から余裕が消えていた。
「ただの闇属性じゃない」
「……」
「もっと深い」
黒いマナ。
それは生き物のように蠢いていた。
聖剣の光を食らっている。
まるで。
内部から侵食しているように。
「ゲームでは……」
正春は呟いた。
「こんなものはなかった」
キルケーが振り返る。
「また、ゲームと違う?」
「ああ」
正春はアロンダイトを握る。
すると。
黒いマナが一瞬だけ強く反応した。
――ズキン。
頭に鋭い痛みが走る。
「っ……!」
「正春!?」
レンカが支える。
「大丈夫か!」
「ああ……」
正春は額を押さえた。
頭の中に。
一瞬だけ映像が浮かんだ。
黒い空。
崩壊する都市。
燃える大地。
そして。
一人の巨大な影。
その手に。
アロンダイトがあった。
「……何だ、今の」
正春の呼吸が荒くなる。
「未来?」
分からない。
だが。
確かなことが一つだけある。
この世界は。
もうゲームのシナリオ通りには進んでいない。
いや。
最初から。
違っていたのかもしれない。
「女神様が言っていた……」
正春は呟く。
「知っている物語と、同じとは限らない」
その言葉に。
誰も答えなかった。
やがて。
キルケーが静かに口を開く。
「帰りましょう」
「……ああ」
「この場所には、まだ何かいる」
「分かるのか?」
「ええ」
キルケーは背後を見る。
先ほどまで星のように輝いていた壁。
その一部に。
黒い亀裂が入っている。
「守護者が消えたことで、何かが目覚めた」
「……」
「それも」
キルケーは目を細める。
「私たちが知っている魔法体系の外側にあるもの」
正春は聖剣を鞘へ収めた。
その瞬間。
迷宮全体が震えた。
ゴゴゴゴゴゴ――。
「な、何!?」
モイラが叫ぶ。
「崩れるの!?」
「違う!」
正春が叫ぶ。
「音が……下からだ!」
五人が床を見る。
祭壇の中央。
アロンダイトが刺さっていた場所。
そこから。
黒い光が漏れ出している。
「……封印?」
キルケーが呟く。
「聖剣は……封印の鍵だった?」
「ゲームでは、そんな設定なかった」
「なら」
キルケーは正春を見る。
「ゲームでは存在しなかった何かが、ここに封じられていた」
沈黙。
レンカが盾を握る。
「じゃあ……」
スティレットが短剣を構える。
「私たちは、聖剣を抜いたことで……」
モイラの顔が青ざめる。
「何かを解放してしまった……?」
正春は答えなかった。
ただ。
迷宮の奥を見つめていた。
黒い霧。
その向こう。
何かが。
こちらを見ている。
赤い光。
一つ。
二つ。
三つ。
そして。
無数。
「……全員、撤退する」
正春が言った。
「でも!」
「今は戦わない」
いつになく厳しい声。
「俺たちが知らない敵だ」
四人が頷く。
正春は最後に祭壇を見る。
そこには。
もう聖剣はない。
代わりに。
黒い亀裂が残っていた。
――ピシッ。
亀裂が広がる。
その向こうから。
低い声が聞こえた。
『――器が、目覚めた』
「……!」
正春の背筋が凍る。
『――鍵は、再び人の手へ』
黒い霧が噴き出す。
『――ならば、物語もまた……始めよう』
正春はアロンダイトを握り締めた。
「……何者だ」
返事はなかった。
ただ。
闇の中で。
何かが笑った。
その笑い声は。
人間のものではなかった。
「行くぞ!」
正春が叫ぶ。
五人は走り出した。
最下層。
星の揺りかご。
伝説の聖剣を手に入れた彼らは。
勝利した。
確かに。
それは間違いなく勝利だった。
しかし。
その勝利が。
世界に新たな歪みを生み出したことを。
彼らはまだ知らない。
◇
迷宮を脱出する。
その途中。
誰も口を開かなかった。
ただ。
五人の足音だけが響いている。
正春はアロンダイトを腰に下げている。
何度見ても。
信じられない。
本物だ。
伝説の聖剣。
かつてゲームで愛用した武器。
それが今。
自分の腰にある。
けれど。
喜びだけではなかった。
不安。
疑問。
そして。
嫌な予感。
それらが胸の中で渦巻いている。
「……正春」
レンカが隣に並んだ。
「何だ?」
「怖い?」
「……少し」
正春は正直に答えた。
「そう」
レンカは笑う。
「なら、私も怖がる」
「え?」
「一人で怖がるより、二人で怖がった方がいいでしょ」
「……それは違うだろ」
「いいの」
レンカは歩きながら笑った。
「私は正春の隣にいる」
「レンカ……」
「絶対に離れない」
正春は少しだけ笑った。
「ありがとう」
「うん」
その会話を。
後ろの三人が聞いていた。
「……」
モイラは唇を尖らせる。
「……ずるい」
「何が?」
スティレットが聞く。
「レンカさんだけ……」
モイラが俯く。
「私だって……正春さんの隣にいたいです」
「なら言えば?」
「……言えません」
「どうして?」
「恥ずかしいからです!」
スティレットは少し考えた。
「なるほど」
そして。
「じゃあ、私が言う」
「え?」
スティレットが正春の前へ出る。
「リーダー」
「ん?」
「私はあなたの隣にいたい」
「……」
正春が固まる。
レンカも固まる。
モイラも固まる。
キルケーだけが笑った。
「なるほど」
「キルケーさん!」
モイラが抗議する。
「私も……!」
「なら、言えばいいじゃない」
「……!」
モイラは顔を真っ赤にする。
「正春さん!」
「はい!」
「わ、私も……」
そこで言葉が止まる。
正春が待つ。
「……」
「……」
「……?」
「……その」
モイラは顔を真っ赤にして。
「正春さんの……隣が……いいです」
「……」
正春は絶句した。
レンカが頭を抱える。
「ちょっと待って」
キルケーが笑う。
「五人パーティになった途端、これ?」
「何よ!」
レンカが振り返る。
「私だって譲らないから!」
「私もです!」
「私も」
「……」
正春は空を見上げた。
迷宮の天井。
星の光。
そして。
「……五人の修羅場って、こういう意味だったのか」
正春は遠い目をした。
「誰が修羅場にしたのよ!」
レンカの声が響く。
「正春さんが悪いんです!」
モイラも続く。
「リーダー、責任取って」
スティレットが言う。
「……俺が?」
「当然」
キルケーが笑う。
「聖剣を手に入れた代償ね」
「そんな代償、聞いてない!」
五人の声が。
迷宮に響き渡った。
だが。
その騒がしさの裏側で。
アロンダイトは。
誰にも気づかれないほど僅かに。
黒く光った。
――世界のどこか。
遠い場所。
誰も知らない地下深く。
一つの瞳が開く。
赤い瞳。
その視線の先には。
巨大な壁画があった。
そこに描かれているのは。
五人の冒険者。
そして。
その中央に立つ一人の少年。
彼が持っているのは。
白銀の聖剣。
しかし。
壁画の端には。
ゲームにも。
歴史書にも。
存在しなかった黒い影が描かれている。
影は。
聖剣へ手を伸ばしていた。
『……ようやく』
声が響く。
『物語の主人公が、舞台へ上がった』
黒い瞳が笑う。
『ならば――』
壁画に亀裂が走った。
『ここから先は、私の物語だ』
――その夜。
フォルトックの街では。
誰も知らないところで。
一つの異変が始まった。
地下迷宮から。
黒いマナが流れ出した。
地面の下を進み。
街の外へ。
森へ。
山へ。
そして。
世界へ。
正春たちは知らない。
アロンダイトを手に入れたことが。
新たな冒険の始まりであると同時に。
世界そのものを変える引き金になったことを。
そして。
自分たち五人が。
やがて世界の運命を左右する存在になることを。
まだ。




