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第20話 拍手

駅前は、人が多い。


多いから、誰かが誰かを見ていても、目立たない。

多いから、何かが起きても、すぐ雑踏に溶ける。


それが、この街の安全で、怖さだ。


圭介は柱の陰から改札を見ていた。

スマホは胸の高さ。録画はもう回っている。

画面は見ない。見たら、表情が変わる。


少し離れた場所に生活指導の先生がいる。

さらに遠くに、スーツの男――早苗が相談した先。

そして、もっと目立たない距離に、私服の警察官が二人。


張り込みじゃない。

「また来たら通報してください」と言われたから、通報した。

その結果として、ここにいる。


それだけだ。


改札から悠斗が出てきた。

いつも通りの顔で、いつも通り歩いてくる。

その“いつも通り”のために、圭介は今日ここにいる。


「兄貴、また駅――」


悠斗が言い終わる前に、軽い声が割り込んだ。


「お、弟くん。やっと会えたじゃん」


柱の影から、男が出てきた。

今日もスマホを縦に持っている。

撮る角度が手慣れている。


「宮坂ぁ。逃げないんだ?偉いじゃん。正義ごっこ続ける?」


圭介は半歩前に出た。

悠斗の視界から男を消すだけの距離。

押さない。掴まない。殴らない。

線を引くだけ。


「近づくな」


男が笑う。


「こわ。てか今日なに?取り巻き?ダサ。……弟くん、兄ちゃんさ、ゾンビって呼ばれてるの知ってる?」


悠斗が息を吸った。

圭介はその息の音で、次の手順に進む。


(弟に接触)


圭介は悠斗の肩を軽く押した。

背中側へ。先生の方へ。

「こっち」とだけ言う。


そして男を見たまま、淡々と言った。


「録ってる。今の発言も。接触も」


男の笑いが一瞬止まり、すぐに悪態に変わる。


「は?接触してねーし。言葉狩り乙。お前ら――」


「警察です。動かないでください」


背後から低い声。


私服の警察官が一瞬だけ手帳を見せ、もう一人が男の腕を取った。

男は反射で腕を振りほどこうとする。


「は!?なにこれ、やばっ、え、ちょ、やめろって!」


周囲の視線が集まる。

スマホが何台もこちらを向く。

男はそれでも、“撮られる側”になることを理解できない顔をしていた。


「抵抗しないでください」


「触んな!俺は!俺はただ――!」


男が身をよじり、声を張り上げる。


「世の中の正義を!お前らの学校が隠蔽してるから!俺が――!」


「未成年に接触しています。警告の後も繰り返していますね」


警察官の言葉は淡々としていて、だからこそ強い。

男の言葉が詰まる。

詰まった代わりに、みっともない声が出る。


「は?警告?知らねーし!てかお前ら、こいつが――!」


圭介は動かない。

目だけで見ている。


殴らなくていい。

勝つって、こういうことだと分かった。


男は最後まで喚いていた。


「大学あるんだよ!俺、忙しいんだよ!ふざけんな!撮るな!おい、やめ――!」


声が少しずつ遠ざかる。

両腕を押さえられ、人波の向こうに引かれていく。


喚き声は、雑踏に溶けていった。


――フェードアウト。


圭介はそこでようやく録画を止めた。

手が震えていないことに、少し驚く。


悠斗が、呆然とした顔で言った。


「……え、なに、今の……?」


生活指導の先生が悠斗の前にしゃがみ、穏やかに言う。


「大丈夫。もう、こっちで対応するからね」


圭介は弟に触れたい衝動を抑えた。

冷たさを悟られたくない。


代わりに、言葉だけで弟の肩を支える。


「終わった。……もう大丈夫」


遠くから早苗が走ってきた。息を切らしているのに、声は整っている。


「悠斗、大丈夫?……圭介」


圭介は頷く。


「相手、大学生だった。……身元、これで確認できる」


悠斗が唇を噛む。


「……なんで、あんなことするんだよ」


圭介は少し考えてから答えた。


「簡単に気持ちよくなれるから。……でも、簡単なやり方は、簡単に終わる」


悠斗は黙った。

黙って、頷いた。


駅前の空気は、すぐ“いつも通り”に戻っていく。

戻り方が、少し不気味なくらい自然だった。


圭介はポケットに冷たい指先を押し込み、弟の隣に立った。


「帰ろう」


「……うん」


その「うん」が、生活の音に戻っていく。

それでいい。


それから季節はいくつも巡り、黒川ミオの名前は、教室の誰も口にしなくなった。

篠原のことも、話題にならなくなった。

“話題にならない”は、忘却じゃない。境界線の定着だ。


圭介は高校を卒業した。

悠斗も、いつの間にか背が伸びた。


早苗は、相変わらず忙しそうだった。

でも以前みたいに、一人で全部を背負わなくなった。

相談先が増えたからだ。


あの男のことは、誰も家で詳しく語らなかった。

ただ、早苗が一度だけ言った。


「大学も、処分が出たらしいよ」


圭介は「そう」とだけ返した。

それ以上は、要らなかった。


裁くことは、圭介の役割じゃない。

守るために線を引く。

それで十分だ。


今日は結婚式だった。


会場の扉の前で、悠斗が深呼吸をしている。

スーツが似合う。

笑うと、昔の面影が残っている。


「兄貴、緊張するわ」


悠斗が言って、照れたように笑う。


圭介は「お前が?」と返した。

軽口が出るのが、自分でも少し不思議だった。


悠斗は笑って、圭介の腕を叩いた。


「兄貴は?……相変わらず、落ち着いてんな」


圭介は答えない。

落ち着いているのか、温度がないのか。

区別がつかない。


鏡に映る自分は、痩せていた。

昔の削れ方とは違う。

研ぎ澄まされたような痩せ方。

不健康なのに、姿勢は崩れていない。


顔は、少しだけ男前になっていた。

それがまた、変だった。


早苗が近づいてきて、圭介の襟を整えた。


「……ちゃんと食べてる?」


圭介は「食べてる」と答えた。

嘘ではない。

ただ、満たされ方が他の人と違うだけだ。


早苗は目を細める。


「手、冷たい?」


圭介は一瞬だけ迷ってから、笑顔だけを作った。


「会場、冷房きいてる」


早苗はそれ以上言わなかった。

言わないことも、手順の一つになっていた。


“知らないまま守る”

家族は、その形を選んだ。


扉が開く。


拍手が起きる。

音が波のように押し寄せる。


新郎として歩く悠斗は、真っすぐ前を見ていた。

隣には新婦。

二人の周りに、たくさんの笑顔。


圭介は最後列に立ち、拍手をした。


パン、パン、と手を叩く音。

自分の掌は冷たい。

冷たい掌同士が触れて、乾いた音が出る。


周りの人の拍手は、もっと温かい音がする。

空気が揺れる。

熱がある。


圭介は、その熱を眺めるように手を叩いた。


羨ましい、とは思わない。

悲しい、とも思わない。

ただ、見ている。


“生者の熱”が、ここにある。


悠斗が誓いの言葉を言う。

声が震えているのに、強い。

それが、生きているってことだ。


圭介は、拍手を続けた。


いつ死ぬかわからない。

でも、なぜか今も立っている。


心臓の音を意識すると、何も聞こえない。

だから、拍手の音を聞く。


拍手の中で、圭介は静かに思った。


(守れた)


それだけでいい。


拍手は続く。

人の熱は続く。

圭介の掌は冷たいまま、同じリズムで鳴っていた。

最終話です。ここまで読んでくださってありがとうございます。

感想などいただけると大変うれしいです。

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