日常、ただいま火災準備中。
昼休みが終わり、教室に戻ると、担任が黒板の前で腕を組んでいた。
カツカツ……
担任が黒板に”全校防災訓練について”と書く。
「えー……次回の全校防災訓練についてだが」
ざわついていた教室が静まる。
「今年は初等部の各クラスからも“避難誘導リーダー”を出すことになった。
誰かやってみたいという人はいるかな?」
一瞬、空気が止まった。クラスの子達の視線が一斉にアルトを向く。
アルトは手を挙げて言った。
「……私がやりたいです。」
「そうか。お前なら落ち着いて動けるだろう。中等部や高等部の学生とも交流があるから、できる限り手助けしよう。」
後ろの席でユナが「すごいよ、アルト」と目を輝かせる。
アルトは胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じながら、静かに返事をした。
◇
昼休みの鐘が鳴り終わり、校庭のざわめきが少し落ち着いた頃。
アルトは、いつものように裏庭へ向かって歩いていた。
風が弱く、木々の葉がほとんど揺れない。
その静けさの中で──ふと、違和感があった。
校舎の影のあたりに、見慣れない制服が二つ。
高等部の紺色の上着。
その二人は、周囲を気にするように視線を泳がせていた。
(……探し物?)
足を止めたアルトは、しばらく様子を見た。
二人は何度も同じ場所を行き来し、ひそひそと話している。
初等部の生徒が近づくと、なぜか視線をそらす。
怪しい、というより──目的がある動き。
アルトは小さく息を吸い、歩み寄った。
「……あの、何か探しているんですか」
声をかけると、高等部の二人は驚いたように振り向いた。
年上のはずなのに、どこか気まずそうに目をそらす。
「え、……いや、その……」
「今、人を探しててね……」
言いにくそうにしていたが、やがて一人が口を開いた。
「“安全な範囲で火災の再現をしたい”って言ってた方をご存知ないか?」
アルトは瞬きをした。
(あ、それ……)
「……それ、私です」
二人の目が一気に丸くなる。
「えっ、あなたが?」
「いや、その……初等部の女の子だとは思わなくて」
アルトはこくりと頷いた。
高等部の二人は顔を見合わせ、困惑と興味が入り混じったような表情を浮かべる。
「いや、てっきり貴族の誰かだと思って……」
「初等部のリオン経由で聞いたから、まさかこんなおとなしそうな女の子とは……」
その時だった。
「やっぱり、ここにいたんだね」
落ち着いた声が背後から届く。
振り返ると、リオルが歩いてきていた。
いつもの無表情に近い顔だが、どこか安心したような気配がある。
「二人とも、アルトを探してただろう?
話は僕が通しておいたんだよ。この子はアルト・オフィーリウス。
アルト、こちらの2人は高等部のマーティン・クロイツとハリス・ウェイメスだ。」
高等部の二人はホッとしたように肩を下ろした。
アルトは、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
リオルが紹介を終えると、マーティンとハリスは改めてアルトの方へ向き直った。
その視線には、先ほどまでの戸惑いよりも、「この子は何を求めているんだ?」という興味が強くなっていた。
「それで……火災の再現って、どの程度を想定してる?」
マーティンが問いかける。
アルトは迷わず答えた。
「できる限り、本物に近いものをお願いします」
二人の眉がわずかに動く。
「本物に……?」
「訓練ですよね?」
アルトはこくりと頷いた。
「はい。でも、ただの形だけの訓練では意味がありません。
“火事が起きた時にどう動くか”を体で覚えるには、
できるだけリアルな状況が必要です」
その言い方は静かで丁寧なのに、どこか揺るぎない。
マーティンが腕を組む。
「具体的には、どんな再現を?」
アルトは少し考え、言葉を選んだ。
「煙は……廊下の奥が見えなくなるくらい。
ただし、近くの人の姿はわかる程度で。
“煙が迫ってくる”感覚がほしいんです」
ハリスが目を見開いた。
「それ、結構濃いぞ……?」
「はい。お願いします」
即答だった。
二人は思わず顔を見合わせる。
アルトは続けた。
「炎も幻影で構いません。
ただ、光の揺らぎや影の動きは本物に近づけてほしいです。
“燃えている場所がどこか”が直感でわかるように
想定としては、下から上に向かって火の手が上がり、煙が上の方に行くにつれて充満していいます。」
マーティンが息を吐いた。
「……初等部の子が言うレベルじゃないな」
「誰にそんな訓練を教わったんだ?」
ハリスが思わず聞く。
アルトは首を横に振った。
「誰にも。
ただ……“どうすれば本当に避難できるか”を考えただけです」
その言葉に、二人の表情が変わった。
驚きと、わずかな敬意。
リオルが静かに言う。
「だから言っただろう? この子は本気なんだ」
マーティンはゆっくり頷いた。
「……わかった。
煙の幻影は濃く、炎の幻影は本物に近づける。
できる限り“本物の火事”に寄せてみるよ」
ハリスも笑った。
「面白くなってきたな。
訓練でここまで求められたの、初めてだ」
アルトは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
自分の言葉が、ちゃんと届いた。
そして──
訓練は、ただの行事ではなく“本物の体験”へと変わり始めていた。
アルトたちは、パニックになった瞬間の先生たちの言動に驚愕することになる。




