第4話:首筋の印は語る
「これが……王女殿下の寝所、ですか」
エナは湿った空気に眉をしかめながら、襖を潜った。
思ったより質素だった。金屏風の代わりに布のついたて、香炉も燻っていない。だが、それがむしろ異様な静けさを空間に与えていた。
──ただ、寝台だけが場違いに豪奢だった。
「昨日の深夜、王女殿下はこの場所で倒れているのを侍女に発見されました。衣服を乱し、息も絶え絶えで。唇は紫色、爪も黒ずんでいたと」
案内役の近衛がそう説明した。武官らしく無駄に大声だ。
エナは寝台の脇にしゃがみ込んだ。枕の下に手を差し入れ、ざらついた感触を確かめる。
「……誰か、ここに異物を差し込んだ痕がありますね。木片か紙片。いまは回収されてますか?」
「いや、何も。枕元には薬草の香を焚いていた器しかなかったとの報告で──」
「では、抜かれたのです」
エナはさりげなく視線を左右に走らせた。部屋の隅、木製の香炉台の下に、小さく折れた紙の断片が見える。
「これは……薬方、でしょうか?」
拾い上げて広げると、微かに文字が残っていた。『夜半』『根皮』『一分』──。
「誰か、王女に“何かを飲ませよう”としたようですね。夜中に、ひとに気づかれずに」
「だが毒なら、口の中から出るだろう。殿下の口には異物は残っていなかったという」
「毒とは限りませんよ」
エナは寝台の上を軽く押し、ある一点で“きゅ”と沈む感触を指先に確かめる。
「──この寝台、中心部だけが沈みますね。中が抜かれてる構造だ。仕込み物が可能です」
「何を言いたい?」
「王女殿下は、“毒を盛られた”のではなく、“毒のあるものの上に寝かされた”可能性があります」
「……!」
それを聞いた近衛の顔に、初めて真剣味が浮かぶ。
「この寝台の中に、毒草や薬剤を仕込んでいたなら、皮膚からじわじわ吸収されます。特に汗腺の多い背中、あるいは──」
エナは自らの首筋に触れた。
「──後頸部からなら、神経に直結するルートもありますね」
そして何より、それは“意識が混濁しても気づかれにくい”。
服毒と違って、異臭や異物も残らない。睡眠中に作用し、症状が出たころには犯人は遠くにいる。
「……だが、なぜそんなまどろっこしい手段を?」
「皮膚吸収毒は“毒殺”の中でも最も証拠が残りにくい手法のひとつです。しかも寝台に仕込んだとなれば、使用人や侍女の出入りではなく、“寝具を整える立場”の者の犯行となる」
近衛は思わず振り返り、寝所の外に待機していた女官たちの方を睨んだ。
「下手に騒げば、真犯人は隠れる。静かに、内側から調べましょう」
エナはひとつ頷き、そっと部屋を出た。
王宮医務局に戻る途中、エナはナシルと合流した。
「まさか、寝台が毒の供給源だったとはな。皮膚からの吸収……その発想はなかった」
「不自然なものを“削る”より、自然すぎるものに“着目”する方が、案外真相に近いのよ」
「……なるほど、“水平思考”というやつだな」
エナは肩をすくめた。だが、その表情に緩みはない。
「この毒、症状から察するに──サビル草の絞り液を乾燥させたものが混ざってた可能性があります。神経麻痺、幻覚、意識混濁、そして微かな心臓の攪乱作用」
「サビル草って、貴族の間で使われる媚薬じゃないか?」
「だからこそ、痕跡が残らない。……もし“色香に惑わされて自滅した”と思わせれば、誰も詳しく調べない」
「……くっ。卑劣な」
ナシルが吐き捨てるように言った時、後方で静かな足音が近づいてきた。
「異端医殿。陛下がお呼びです。王女殿下の容態に関し、直々に問われると」
ふたたび、あの不吉な黒衣の宦官だった。
王に呼ばれるというのは、つまり──
「調べた内容の“説明”だけでは済まない、ということですね」
エナは小さく息を吐き、頷いた。
これから先は、“誰がどこで仕込んだか”を突き止める必要がある。王女の命を脅かした毒と、宮廷内の見えぬ敵。その手がかりは、あの“寝具の下”と“紙片”にあるはずだった。