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第5話:《鍵》を握る“未処置の小瓶”

 王宮に立ちこめた薬草の匂いは、どこかしら生乾きの洗濯物を思わせる湿った香りを帯びていた。

 診療室の窓辺に座したセツカは、掌の上の小瓶を見つめたまま眉根を寄せる。


 ——これは、なぜ未使用のまま保管されていた?


 毒見役の侍女・カナエの遺体に残された“解毒の痕跡”と、毒そのものの検出されなさ。そしてあの《灰色の水痘》のような斑点。

 そのどれもが一見すると一致しないように見えていた。


「セツカ様……、その小瓶、何か——?」


 そっと声をかけてきたのは、監察医の男、ヨウだった。彼もまた、かすかな違和感を嗅ぎ取っていたらしい。

 セツカは視線を上げず、答えた。


「解毒薬だ。いや、正確には“そう見えるようにラベルを貼り替えられた”何かだ」


「……偽物、ですか?」


「中身まではまだ不明だが、どうにも気になる。ラベルは丁寧に写筆されていたが、封蝋にわずかな剥離跡がある」


 それはつまり、一度開封され、中身が入れ替えられたかもしれないということだ。

 セツカは掌の上の小瓶をそっと手のひらに包んだ。


「王宮で扱われる薬物には、処方と保管の記録が必ず残る。だが、これは“帳簿にない”」


「つまり非公式に——?」


「そういうことだ。だが、ここで一つ、おかしな点がある」


 セツカは立ち上がり、棚にあった別の瓶をいくつか引き出す。それは、いずれも“使われたはず”の、解毒薬の空瓶だった。

 そして、その一つひとつの封蝋には、わずかに異なる特徴があった。


「この未処置の瓶……他のどれとも、封の形式が違う。製造年代が違うのではなく、用途そのものが違うように見える」


 ヨウが口を開こうとした瞬間、扉が軽くノックされた。


「……失礼いたします。セツカ様、陛下の命により、侍医アリセ殿がお越しになっております」


 先王の侍医であり、王宮内でも最古参の薬術師、アリセ——。

 その名が出た瞬間、セツカはわずかに表情を引き締めた。



 アリセの姿は、まるで王宮そのものが形を取ったような老成の象徴だった。

 白衣の裾にまで細かい刺繍が施され、歩みには一切の無駄がない。


「……私に、何か?」


 アリセの声は静かであるが、低く響き、自然とこちらに“試されている”という感覚を呼び起こす。

 セツカは手にしていた瓶を示す。


「この瓶について、少し教えていただきたいのです」


 アリセはその瓶に視線を落とし、僅かに目を細めた。


「……その封蝋は、旧制式だ。十年以上前の処方にしか見られない。だが、それが何か?」


「問題はそこです。“十年以上前の制式の薬瓶”が、“最近の帳簿に存在しないまま”保管されていた」


 アリセは何も言わず、ただ視線をそらした。

 その沈黙が、すべてを物語っていた。



 夜半、セツカは城内の調薬室へ忍び込むように足を運んだ。

 目的は一つ、《瓶の中身》の成分を、精密に分析すること。


 火を起こし、蒸留器に薬液を滴下する。

 しばらくして——薄い蒸気が漏れたその瞬間、彼女は目を細めた。


「やはり……これは、解毒薬じゃない」


 成分の中に含まれていたのは、微量の麻痺性アルカロイド。

 服用すれば、脈が弱まり、体温が下がる。だが、解毒薬として処方されれば、誰もがそれを“治療の一環”と誤認するだろう。


 ——つまり、“毒殺を治療に見せかける”偽装が可能になる。


 カナエの遺体に“解毒の痕跡”があったというのも、見せかけの処置だったのだ。

 逆に、“それを投与されたこと”こそが、死の原因である可能性すらある。



 翌朝、セツカは再びアリセと対面した。

 彼女の手には、一通の記録帳と、証拠品の瓶がある。


「アリセ様。この瓶の封蝋、成分、帳簿との照合結果。すべてが一致しません」


 老侍医はしばらく無言のまま、しかし確かに、微かに肩を落とした。


「……我が師が、残したものだ。先王に仕えた頃、ある“毒”を隠すために製造された、偽薬だった」


 毒ではなく、“毒を解毒薬と偽って用いる”ことで、“王の毒殺未遂を偽装した”ということか。


「なぜ、今も保管されていたのですか?」


「——私にも、わからぬ。ただ、あの瓶がこの事件に再び姿を見せたということは……。誰かが、“同じやり方で誰かを殺そうとした”」


 そうしてアリセは、静かに語った。


「……そして、おそらくそれは、王太子の周辺だ。王位継承が近い今、再び“毒”が蠢き出している」


 セツカは静かに頷いた。


「——この件、私が調べます。王宮の中枢に近づくには、手足が必要です。手配していただけますか、監察医殿」


 ヨウは一礼した。


 毒と解毒、虚と実、偽りと真実が交錯する王宮。

 その中で、異端の医者が踏み込んだのは、決して“病”だけではなかった。

書き溜めた話の掲載が終わったので、一度完結済みにします。


明日以降執筆が終わり次第、再開します。

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