いろ いろ なにいろ?
【苺花】
六月に入って梅雨に入った。
来週に私は退院することになっている。
家の近くの岡山の病院へ転院することも一度は考えたが、お母さんが電話で「苺花の好きなようにすればいい」と言ってくれたので、結局半年間兵庫の病院にいた。慣れた先生やカウンセラーの方がよかったからだ。
境界性パーソナリティ障害と診断されてから、体のリハビリだけでなく、生き方や自分への考え方に対する治療を行ってきた。
最初は、自分が心の病気である、ということをなかなか認められなかったが、古川さんに「心もケガをするんです。ケガをすれば治療するでしょう。それと同じです」と言われて、あっさりと認めることができた。
自分を病気だと思うと、案外楽な気持ちになれた。自分の本質からは逃げられないけれど、この苦しさが病気なら、いつかこの辛さから解放されるときが来るかもしれないからだ。終わりが見える。
やはり私は終わりが見えるものが好きだった。
「苺花さん。随分いい顔になりましたね」
朝食を食べていると、古川さんがやってきた。いつもよりも幾分早い時間だ。そのうえ、いつも着ている白衣を着ていない。
「そうですか? 最近、理学療法士の人に『君は無愛想だね』と言われますよ」
無愛想。そうならないように気を付けることもなくなった。人に愛想よくする分だけ、自分が消耗するだけだから、本当に楽しいときや、面白いときにだけ笑うようになった。
「いいじゃないですか。僕と一緒ですね」
「それはなんだか嬉しくないです」
古川さんがぶっと唾を吹き出すかのように笑い出す。この人が人間らしく笑うのは珍しい。
古川さんが笑いながらこちらへと近づいてくる。そして、手紙を差し出してきた。
「これ、あなたに渡してくださいと言われました」
私はお箸を置いて、出された手紙を恐る恐る受け取った。『苺花さんへ』と書いてある。
「手紙を届けてくれたあなたへのメッセージじゃないですか?」
私と茉那さんを繋ぐ架け橋となっている古川さんは、「知らないですけど」と呟いた。
花ちゃんのアカウントを凍結した日、花ちゃんの最新の投稿が変わっていたことに私は気付いた。だから手紙を書いた。
『お姉ちゃんに、結婚おめでとうって言えなかったなぁ』
それが最後の投稿だった。
二人で行ったコンビニで、私がトイレに行っていた時間に投稿されたものだった。
私は、私しか知らない、咲いていた花ちゃんを手紙の中に押し花のように閉じ込めた。私の中で記憶だった花ちゃんを、記録にして残した。
花ちゃんは一度電話で、「死ぬときはお姉ちゃんの中からも消えたい」と言っていたけど、その言葉は本心ではなかったと思う。
言葉は見る角度によって色が変わる。
私と花ちゃんは、ものごとを同じ角度から見ることができた。だからきっと、私は花ちゃんが伝えたかったことをちゃんと茉那さんに伝えられたと思う。
そう信じたい。
先日私は、花ちゃんのことを手紙に閉じ込めた手紙を、カウンセラーの古川さんに「花ちゃんからの手紙だと言って渡してください」と渡した。
本当は、私が書いたんだけどね。
そっと受け取った手紙の封を切る。便せんが一枚。入っていた。
何と書いてあるだろう。
仮に私が書いたのがバレていたとしても、あの優しい茉那さんなら『届けてくれてありがとう』と私のために偽善を払うだろうか。
なんて考えながら手紙を開く。
大きな文字で一文だけ書いてあった。
はっと息を呑む。
私は思わず目を見開いて古川さんの目を見た。古川さんは私を見下す形でこちらを見ていたから、手紙の内容は見えたはずだ。
「見ました? 中身」
「見てないですけど」
言い訳をする子供のように、古川さんはわかりやすくそっぽを向いた。
「嘘つき」
「人間誰しも嘘つきですから」
「認めるんですね」
ハハハと二人して声を上げて笑う。
「あの手紙、ちゃんと花ちゃんからって言って渡してくれました?」
「ええ、もちろん。患者であるあなたのお願いでしたから」
そこで正直に、患者だからしょうがなくお願いを聞いたと言ってしまうんだ、と鼻で笑う。
「花ちゃん、多分私のことそんなに好きじゃなかったと思うんですよね」
私はポツリと呟いた。
「どうしてそう思うんですか?」
「だってあの日、私は明日も花ちゃんと一緒にいたいと思ったのに、花ちゃんは何の躊躇もなく飛び降りたんです」
花ちゃんには私よりも大事な人がいて、大事な思いがあった。その大事な人を妬ましく思うけれど、花ちゃんがそう思うに値する人だとわかるから、複雑な気持ちになる。
「悔しいなぁ」
行き場のない気持ちを、正直にため息と共にそこら中にまき散らす。古川さんが、「わかりますよ」と言ったけれど、古川さんのそれは共感ではなく理解だとわかった。
私の気持ちなど、この人に共感できるわけがない。
ただ、この人は、理解を示してくれる。
「どうして僕には正直に話してくれるんですか?」
「だって古川さん、カウンセラーっていう職業柄、絶対に私の話他人にできないし、私の意志を尊重せざるを得ないじゃないですか。古川さんに手紙を頼んだのも同じ理由です」
古川さんは絶対に嘘をつくことができないはずだし、守秘義務があるから、私の情報を勝手に第三者に伝えたりしない。
古川さんのことを信用はしてないけれど、この人の仕事に対する姿勢は割と信用している。
「信頼してもらえているわけじゃないんですね。・・・・・・まぁでも、僕、苺花さんのことは結構好きですよ」
「なんですかそれ」
私のこと『は』好き、ということは他に苦手な人がいるのだろうか。
確かに、男好きそうな女の看護師には嫌そうな顔していたな、なんて思い出し笑いを浮かべる。
「嘘をつくあなたのこと、僕は好きですよ」
古川さんもまた、手紙をくれた茉那さんと同じように私を認めてくれた。もう一度茉那さんからもらった手紙を読み返す。
予想外の返事に思わず笑ってしまう。
『茉梨のことを教えてくれてありがとう』
大きな文字でその一文だけが書かれた便せんをもう一度眺める。
たとえ私の言葉が嘘だと知っても、笑って許してくれるような人がいることを、花ちゃんのおかげで知った。
きっとこれからも、嘘をつかずにはいられない。
自分の気持ちを、世界中のみんなにありのまま伝えるなんてきっとできない。
でも、それでもたまには、本当のこと言おうと思う。
花ちゃんに対してできたように、誰かにはちゃんと伝えて、鏡を見るみたいに自分の気持ちを確認しようと思う。
そして、それができる誰かを本気で愛したい。
その先にきっと、私は私を本気で愛せるようになる。
これから、その誰かを探す旅を始めてみようと思う。嘘を飼い慣らす私の一番の理解者は、私でありたいから。
便せんを封筒にしまい、ベッドから体を伸ばして窓の前にある棚の上に置いた。
逸さんがいたから、私は花ちゃんとわかり合うことができたのかもしれない。
そして、花ちゃんに抱きしめられたからこそ、今一人でいることを『さみしい』と感じることができるのかもしれない。
そう思えば、人との関わりに無駄なことなんて一つもないのかもしれない。どれだけ傷つけられようが、きっとその先で何か綺麗なものが待っているはずだ。
私はその先が見たい。
終わりを探し続けながら、これからゆっくり歩いて行こう。
お箸を持ち、食事の続きに入ろうとする。でも、大事なことを言い忘れていたのを思い出して、「あっ」と声を漏らした。
「どうしました?」
「さっき古川さん、どうして正直に話してくれるのかって言いましたけど・・・・・・」
大きく深呼吸をして目を見開く。古川さんの目をまっすぐに見た。
「これまでの話、ぜーんぶ、フィクションなんですよね」
ぜーんぶ。嘘だよ。
ぜーんぶ。嘘だよ。
私嘘つきだから。
嘘だからね。
笑顔を意識したわけではないけれど、多分私は笑っていた。
古川さんはポカンと口を開けてしばらく固まってから、珍しく大声を上げて笑いながら外へと出て行った。
窓から風が吹いてきて、棚に置いてある手紙がひらひらと舞った。
まるで、花みたいに。
最終話まで読んでくださった方々、ありがとうございました。
後日、あとがきとちょっとした解説をつけて投稿する予定です。伏線や裏設定など、私の考えを投稿します。
拙い文章でしたが、ここまで本当にありがとうございました。評価ポイント、ブックマーク等付けてくださった方、励みになりました。評価まだのかたは、ぜひお待ちしております。
よければ最後までお楽しみください。
【朝土 玲唯】




