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花丸



「あの日、花ちゃんと落ちたとき、私、死にたくなくて花ちゃんにしがみついたんです。花ちゃんはそんな私を思いっきり抱きしめてくれました。だから私だけが生き残ったんです」



 いきなり降ってくる雨のように、言葉をこぼした。

 

 これにはさすがにみんな固まって、何も言わなくなった。

 

 花ちゃんの最後の瞬間が走馬灯のように頭に巡る。

 

 花ちゃんの腕の柔らかさ。

 花ちゃんのかすかな汗の匂い。

 花ちゃんの荒い息づかい。


「私は花ちゃんを犠牲にして生き残ったんです」



 花ちゃんのぬくもりを思い出して、じわじわと私の背中に汗が流れるのを感じた。



「だから、こんな私が、花ちゃんの死を悲しむなんて許されない」


 感情は溢れ出して止まらない。誰も蓋をしてくれない。

 お前が悪いんだからお前は悲しむな、なんて言ってくれない。

 誰も私を止めてくれない。

 

 私の心臓の奥底からは這い上がるように、言語化された気持ちがやってくる。

 こんな気持ち、言ってはダメだ。こんなこと、最愛の妹を失った人の前で言ってはダメだ。

 そうわかっているのに、目の前にいる三人は私の気持ちを置く底から引っ張り出すかのように、柔らかな視線を向けてくる。まるで、「おいで」と言っているような視線を私に向ける。


「花ちゃんと、『死にたいね』って言いながら生きていたかったなんて、言っちゃいけない」


 私の思いはいとも簡単に、宙を舞って飛んでいく。

 

 言ってはいけないこの気持ちに蓋をするためにずっと嘘をついてきたのに、あっけなく口にしてしまった。

 それと同時に、とめどなく涙が溢れた。

 

 本当は、言いたかった。花ちゃんと死にたいねって笑い合いながら、一緒に生きていたかった。

 

 約束なんて建前で、本当はただ誰かと繋がりたかっただけなのかもしれない。

 

 私を映す鏡のような花ちゃんを愛して、自分を愛そうとしていただけなのかもしれない。


「嘘をついてごめんなさい」

 涙混じりに謝った。


 田中さんの鼻を啜る音と、茉那さんの息を呑む音が聞こえた。


「いえ。苺花さんは僕たちには悪いことをしていないので、謝る必要はありません。ですが一つ悪いことしました」

 古川さんの表情だけはずっと変わらない。ブラックコーヒーのような瞳は揺らぐことがない。


「何ですか」


 私の悪いところ。そんなの一つじゃ収まりきらない。

 人に嫌われるところ。ブサイクなところ。容量が悪いところ。すぐ嘘でごまかすところ。他人の気持ちに寄り添えないところ。

 

 古川さんは見ていたメモをしまい、深呼吸をした。


「あなたの悪いところは人に嘘をつくところではありません。嘘をついて、自分の心を誤魔化そうとするところです。辛いと叫ぶ自分を殺そうとし、辛いという気持ちをかき消そうと嘘をついたんでしょう。それがあなたの罪です。他人に嘘をついたことが罪なのではありません」


 古川さんの目が、私を通して私の心の中にいる何かにナイフを突き立てるかのような鋭いものになった。脅されているかのような視線に動けなくなり、勝手に流れていく涙を拭うことができなかった。

 

 動けずにいると、茉那さんに急に抱きしめられた。

 流れていた涙が、一瞬驚きで止まる。途端に、ひどい罪悪感に苛まれた。

 

 私は死のうとする花ちゃんを止められなかった。

 花ちゃんに抱きついて生きのびようとした。

 花ちゃんを忘れたくて記憶喪失のフリをした。

 そして私は、花ちゃんと繋がりを隠すために、花ちゃんのSNSアカウントを凍結させた。

 今ではもう花ちゃんの投稿していたものは誰も見ることができない。

 

 花ちゃんという存在はもう新しく生まれることも、見つけられることもなく、忘れられていくことしかできない。

 私を抱きしめている人は、もう二度と咲いている花ちゃんを見ることができない。花ちゃんの本当の気持ちを知ることができない。

 

 次にまた涙が流れ出したとき、耳元でゆるやかな川が流れるような速度で、茉那さんが喋り出した。


「あなたにはたくさんの寄り道をしてたくさんの人と出会ってほしい。いろいろな困難があるはずだし、その困難を乗り越えられたとしても、またすぐに次の困難に阻まれるかもしれない。それに立ち向かえないこともあるかもしれない。でもそのとき、一人で死んでしまおうなんて考えないでほしい。生きていけば必ず、自分より自分を理解してくれる人に出会えるし、きっとまた、一緒に死にたいと思えるような人に出会える。私はあなたの気持ち、わかるよ」


 茉那さんは私の肩をつかんで、じっとこちらを見つめた。


「私もね、ずっと自分の抱えている気持ち。許されないものだと思ってた。おかしいものだと思ってた。でも私の気持ちをおかしくないと言ってくれる人がいたの。本当はずっと隣にいたのに、ずっと気付けずにいたの。私、すごく嬉しかった。だから、きっと茉梨もあなたに『死にたい』って言う気持ちが認めてもらえて嬉しかったと思う」


 そうして再び茉那さんにぎゅっと強く抱きしめられる。


「茉梨の気持ちを肯定してくれて、ありがとう」


 花ちゃんの死にたいという気持ちに、花丸を付けた私の行為は、間違っていなかったのだろうか。


 ある一つのネットニュースを思い浮かべる。あの担任教師は、誰かに自分の行為を肯定されたかったのではないだろうか。今の私みたいに、一人でもいいから自分の行為に花丸を付けてもらいたかったのではないだろうか。

 

 たった一人だけでもいいから。


「逸くんには言えなかったけど、やっぱりたまには、茉莉のこと思い出して泣いてほしいかなぁ・・・・・・」


 言うことを迷っているような茉那さんの口ぶりに、それが本音であることを悟った。茉那さんの顔を見ようとしたけれど、さらに強く抱きしめられて首が固定され動けなくなった。

 

 抱きしめてくれた茉那さんのぬくもりが、花ちゃんの体温を私に思い出させる。

 

 

 この人に許してもらえるなら、私はもう何も蓋をする必要なんてない。

 


 私はその日ずっと、花の水を枯らすかのように涙を流した。殺しきれなかった気持ちが、溢れた。

 花ちゃんの死を、初めて心から悲しめた。

 悲しむ私を認めてくれる人がいなかったのではなかった。

 

 本当はずっとここにいたのに、私がずっと、そのことに気付いていなかっただけだった。



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