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同士

 夕方になり、こたとお母さんたちが帰ったあと、ぼくはスマホとにらめっこしていた。

 お母さんたちに『マリ』という名前を伝えても、だれかわからないと言っていた。

 

 マリちゃんは今どこにいるのだろうか。

 ぼくたちはどうしてケンカをしてしまったのだろうか。

 ぼくは何か悪いことをしてしまったのだろうか。

 それっていったいどんなことだろうか。

 マリちゃんは、電車を乗り換えるみたいに、ひょいとどこかちがう人のところへ行ってしまったのだろうか。

 

 頭の中で、もわもわと白いけむりが広がって、ぼくの視界をジャマしてくる。

 

 そもそもぼくはマリちゃんのことをどう思っているのだろうか。それすらわからない。

 でも大事なのは、忘れているということを自覚することだと古川先生は言っていた。マリちゃんを忘れていることをわかっていればいいんだ。ぼくは目が見えないのではない。目の前に大きなけむりがわいているだけ。今、自分の力で手に取れているものもあるし、だれかにさしのべられて持てているものだってある。


「ご飯ですよー」

 再度通知が来ていないかスマホを確認していると、看護師の田中さんが食事の乗ったトレイを持ってやってきた。

 

 おはしを持って手を合わせる。

 

 あとで苺花ちゃんに会いに行ってみよう。こたは「やめろ」なんて言っていたけれど、友達ができることが悪いことのわけがない。どうすれば記憶がもどるのか、一人で考えるより二人で考える方がいいに決まっている。二人でいろいろな案を出せば、このモヤモヤを晴らせるかもしれない。

 

 白米に口を付け、もちゃもちゃとかむ。

 苺花ちゃんに恋人はいるのだろうか。ぼくにとってのこたみたいに、自分のことについて話してくれる友達はいるのだろうか。あの大ケガの理由は何だろうか。あとで聞いてみよう。

 

 今日のこたの話を思い出しながら、みそ汁をすする。ファミレスでのアルバイト。ぼくが店員さんだなんて、全然想像できない。


「いらしゃいませー」


 一人の部屋でつぶやいてみる。意外とすらすら言えるし、様になっている気がした。

 あとはどんなことを言うのだろう。


「おまたせしましたー。かしこまりました。少々お待ちくださいませ。ご注文をお伺いします。ご注文は以上でおそろいでしょうか。お済みのお皿をおさげしてよろしいでしょうか。ありがとうございます、またお待ちしております」


 自分の口から考えなくても言葉がもれていく。驚いて思わず目を見開いた。身に染みている挨拶。考えなくても言うことができた。


 うれしくなって、思わずこたに『アルバイトしていたときの挨拶、思い出せたよ』とラインを送った。

 みそ汁を全部飲み干して、おはしをトレイに置く。

 お母さんのみそ汁はもう少し味が濃かった気がする。


 これも記憶だ。

 

 自覚していないだけで、ぼくの頭に残っているものはたくさんあるんだ。きっとその中に、マリちゃんとの記憶も残っているはずだ。

 

 ぼくは立ち上がり、苺花ちゃんのいる『四二八号室』へ、スキップをしながら向かった。

「苺花ちゃん!」

 部屋に入ると苺花ちゃんは、さっきまでぼくが食べていたメニューと全く同じご飯を食べていた。苺花ちゃんはこちらを見てからペコリと頭を下げる。


「お話しにきた!」

「こんにちは」


 苺花ちゃんは口の中にあるものを飲み込んでから、ぼくに挨拶をした。

 ぼくは苺花ちゃんの座っているベッドのとなりに置いてあった丸イスに座った。


「苺花ちゃんはさ、どうしてここに入院してるの?」

「私、事故にあったんです」

「へぇー。どんな事故? 車とぶつかったとか?」

「いえ、人と」

「人?」


 人とぶつかってこんなにひどいケガをするものだろうか。どんなに早いスピードでぶつかったんだろうか。


「飛び降りてきた人とぶつかってしまったみたいです」

 苺花ちゃんは他人ごとみたいな言い方をした。苺花ちゃんの言っていることを想像すると、ゾクリと寒気がする。


「覚えてないの?」

「事故のことは外科の先生から教えてもらいました」

 苺花ちゃんは人から聞いた話をしているだけで、実体験を話しているわけではないみたいだ。


「そうなんだ。生きててよかったね」

「そうですよね」

 苺花ちゃんが笑う。口が三日月形になって、歯がよく見えた。


 ぼくは続けて質問をした。

「苺花ちゃんはどうして記憶喪失になったの?」

「事故での頭の負傷が原因です。……あなたは?」


 苺花ちゃんはぼくに聞き返すまでに、モゴモゴと口を動かした。それを見て、自分が二十歳とだけ伝えて名前を伝え忘れていることに気が付いた。


「純浦逸。ぼくの名前、純浦逸」

「純浦さん」

「逸でいいよ」

「逸さん」

「うん。ぼくはね、しんいんせい? 心のことが原因なんだって。ちゃんとした理由がないから困っちゃうよね」

「逸さんは何も覚えていないんですか?」

「うーんとね、小学一年生までのことはわりと正確に覚えてるよ。でもそれ以降のことはあいまい。読めない漢字が多いけど、九九もひっ算もできるし、中学生で習った国語の内容はちゃんと覚えているんだよね」

「なるほど。でも、記憶が戻るときって昔のことから思い出すこともあるみたいです。だから、逸さんは思い出している途中なのかもしれませんね」

「そうなんだ!」


 苺花ちゃんは記憶についていろいろ勉強しているみたいだ。ぼくも寝る前に、スマホでいろいろ調べてみよう。何かわかることがあるかもしれない。


「苺花ちゃんはいつのことを忘れちゃったの?」

 ぼくがたずねると、苺花ちゃんは湯気の立っていないみそ汁をゴクリと飲み込んでから口を開いた。

「私は事故周辺の記憶だけです。落ちてきた人とぶつかった、って言われたんですけどそのときの記憶がないし、どうして事故現場にいたかもわかりません」

 そんなこともあるのか、とぼくは天井を見上げた。


「でも、私の場合、あんまり困ることがないんです。中学校や高校で学んだ知識はちゃんと身についたままなので、何も困っていません。だから、思い出したとしても思い出さなかったとしても何も変わらないんです」

「思い出したくないの?」

 なんだか、自分の失った記憶はどうでもいいと言っているような口ぶりをしているので疑問に思った。 

 思い出せるなら思い出せた方がいいに決まっている。

 

 苺花ちゃんは、静かにおはしをおいた。


「そうですね……。私がもし、殺人未遂の被害者だったら思い出したいと思うはずです。でも今回はそうじゃないです。実際飛び降りてきた人はもう亡くなっているので、飛び降りた人は悪意があって私の上に飛び降りたわけではないはずです。だから、今から何を思い出そうと何も変わらないと思うんですよね」


「思い出したくないの?」

 なんだか同じことを二回聞いた気がする。


「そうですね。逸さんは思い出したいですか?」

「うん。ぼくは思い出したい! だから今日来てくれた友達に、ぼくについていろいろ教えてもらったんだ」

 あまり子供っぽくならないように、語尾に気を付けながら話す。


 ぼくは大学生。大学生らしく話そう。


「その友達と話したときにね、ぼくの恋人の話になったんだけど、ぼく、恋人について何も思い出せなかったんだ。アルバイトや友達のことは思い出せたのに、恋人のことは全然思い出せない。それがすごく悲しかった。だから思い出したい。そして、恋人に会いたい」

「その恋人には会えないんですか?」

「連絡はしてるんだけどね……」


 ポケットに入っているスマホを見る。夕食前と変わらず返信は来ていない。


 苺花ちゃんは下を向いたぼくを、「きっと大丈夫ですよ」とはげましてくれた。やっぱり苺花ちゃんは温かい人だ。

「苺花ちゃんは優しいね」

「どうしてそう思うんですか。私たち、知り合いでしたっけ?」

「それはわからない。もしかしたら、どこかで会ったことがあるかもしれない。ぼくの記憶の中に苺花ちゃんはいない。でも、苺花ちゃんは優しい目をしているから、優しい人だってわかる」

 ぼくは苺花ちゃんにうったえかけた。


 ぼくが病室でお母さんたちをたたいたとき、病室の外でぼくを見ていた人はみな、おかしいものを見るようなゆがんだ目でぼくを見ていた。

 でも苺花ちゃんだけはちがった。


「苺花ちゃんは優しい人だよ。雰囲気からにじみ出てる」

「雰囲気ってなんですか。私そんな優しい人間じゃないですよ。誤解です」

「ぼくが今言ってるのは、ぼくが見た苺花ちゃんのことだから事実も何も本当のことだよ。苺花ちゃんは優しい」

 苺花ちゃんはうつむいて、上下に肩を揺らした。いろいろな笑い方をする子だ。

 

 ぼくと同じ記憶喪失の女の子。なやみを打ち明けられる女の子。同じ目標に向かって二人でがんばりたい。苺花ちゃんが失った記憶も取りもどしてあげたい。きっと大切なものだから。


「一緒に協力して二人で記憶を取りもどそうよ」

 じっと苺花ちゃんを見つめ、右手をさし出した。

 ぼくの意思が伝わったのか、苺花ちゃんはゆっくりとケガのしていない左手をのばしてくれた。

 苺花ちゃんの手の甲に触れる。苺花ちゃんの手は小さくて、冷たかった。手の冷たい人は心が温かい、そんな話を聞いたことがある。

 やっぱり苺花ちゃんは、温かい優しい子なんだ。

 

 不格好な握手を交わし、ぼくたちは友達になった。


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