第六章 国王、致命的なミスをする~宵闇編~
衝撃的な事実を知った夕刻の後。
シルビアは波立つ自分の感情とも何とか折り合いをつけ、夕食を済ませる為にアルミレッドと共に宿屋の部屋を後にした。
アルミレッドに聞いた所、この宿屋の繁盛理由の一つに食事の美味しさが挙げられるのだという。
確かに、宿屋と繋がった隣の建物にある食堂は、入った瞬間から喧騒と人でごった返していた。
「二名だ」
アルミレッドは宿屋の鍵を見せ、端的に店員に告げる。なんでも、宿泊客ならば待つことなく優先的に席を用意してくれるらしい。
なるほど、だからこれほどまでに宿屋も繁盛しているのか。
シルビアは納得しながら、案内された奥にある小さなテーブルにアルミレッドと共に座った。
「さて、何を食べようか」
いそいそとメニューを広げるアルミレッドにシルビアは尋ねた。
「ここの、お薦めは何なのかしら?私、宿屋はもちろん、このような食堂も初めてだから……。アル、あなたにお任せするわ」
「……そうか」
なにかを思案している様子のアルミレッド。
「……アル?」
「ああ、いや、すまない。実は俺もここの食堂は初めてなんだ。だからお薦めと言われても分からなくてな……」
そう言うと、またメニューと睨み合いを始めた。実はこの宿屋は騎士団長のグランに紹介された場所だった。女性の扱いに長けている友は、アルミレッドの計画を聞いたときここを薦めてきた。女性と泊まるなら、絶対にこの宿が良いと。
まさか、本当に同じ部屋にまでなるとは思ってもみなかったが……。
そんな事を考えながらも、夕刻の名誉を挽回するために美味しい料理を検討する。
そうして「よし、決めた」と呟き、店員に向かって合図を送った。
「この、グーヌースの香草焼きと……」
「……」
アルミレッドはてきぱきと店員に料理の注文をしている。その様子はなぜかどことなく楽しそうで、シルビアには良くわからない名前のメニューだったが、そのまま静かにその光景を眺める事にした。
「おい」
「はい?」
「ドリンクはどうする?お前は果実のジュースで良いのだろう?」
「あっ、ああ、そうね。ええ、お願い」
「うむ」
そう言うと、また店員になにやら注文を始めた。
……とんでもない事になったものだわ……。
シルビアはこれまでに起こった事を思い返していた。
エトワールの城に閉じ籠っていたら分からなかった経験。右も左も判らず、世界にはこんなに多くの人々が居るのだと、本ではなく現実として見せつけられた旅であった。
その中でも、異彩を放っているのは、やはり目の前に座るこの騎士だろう。
アルとは、一体何者なのだろうか。
思えば、おかしな所は山のようにあった。ここまでは気にしないように過ごしてきたが、やはり変わりすぎている。さすがのシルビアも問わずには居られない。
「ねえ、アル」
「なんだ」
注文が終わったのであろう。目の前のアルミレッドはとてもくつろいだように椅子にもたれ掛かっている。
「あなた……本当は何者なの?」
ズバリの直球だ。
「……」
思わず、アルミレッドも黙り込んでしまう。
「あなたは、普通の騎士ではない。……そうでしょう?」
騎士どころか、この国の国王で、未来のお前の夫である。
今、この場で言ってやろうか。アルミレッドは、愉悦を抱えてそんなことを思った。
しかし。
「……俺は、確かに普通の騎士ではないな。……国王とは非常に親しい……友のような間柄だからな」
と、言葉を濁すことにした。
今、身分を明かすのは容易い。シルビアは基本素直な人間だ。最初は驚くかもしれないが、その後は受け入れてくれるだろう。
だが。
アルミレッドは、シルビアを眺める。
初めてエトワールの城で会ったとき、自分に手紙を送った未来の花嫁はこの女だと、すぐに判った。髪や瞳の色彩が他の王族と比べ濃いからではない。
なぜだか輝いて見えたのだ。その全てが。
少し自信無さげだったが、濃い緑色をした美しい瞳でアルミレッドをじっと見つめ、漆黒の豊かな髪は艶やかで、墨を溢したように波打っていた。
見つめあっているうちに、そのまま目が離せなくなった。
……一目惚れとはこのような気持ちを指すのだろうか。
アルミレッドは、今まで経験の無いことだったので大いに戸惑っていた。
自分には縁の無いことだろうと思っていた感情。自分は大国を預かる国王であり、いずれは国の為、そして民の為に政略結婚をするのが当たり前。そこに愛などは必要ない。
ずっと当たり前のようにそう思ってきた。
だが、シルビアを見た瞬間、もう他の人間を妻とすることは出来ないと確かに感じたのだ。
そして考えた。
自分が一目で惚れてしまった相手にも、自分と同じくらいの気持ちを持って欲しい、と。
今、王としての身分を明かせばその瞬間からシルビアは自分の妻になる。しかし、それだけでは嫌だった。
シルビアも自分に心酔し、心から共に生きて行きたいと思って欲しい。
……その為なら、多少の嘘はつこう。
アルミレッドは、そう心に決めていた。
「国王と親しい友……」
目の前の愛しい王女は驚いたように固まっている。
本当に純粋で、意外な才能に溢れ、少し危なっかしいが素直な良い娘である。
未来の花嫁がシルビアで良かった。
アルミレッドは、心からそう思っていた。
そう思っていたのだが。
「おい、お前何を飲んでいる?」
「えっ?これ?アルが頼んでくれた果実のジュースでしょ?これ、美味しいわねぇ……。少しツンとした匂いで変わった味だけれど……。甘酸っぱくてとっても美味しいわぁ」
酒だった。
アルミレッドが物思いに耽っている間、店員が置いていったのであろう、彼用の酒を何故かシルビアが飲んでいる。
「はぁー美味しい!これだったら沢山飲めるわぁ」
「……」
リトグラ王国発祥の酒。
名前を『ウメウメの酒』という。
ウメウメの酒は確かに飲みやすい。……飲みやすいのだが。
「うふふふ。アルってばどうしたの?顔が変よ」
「……」
変なのはお前の顔だろう。
シルビアの顔は全体的に真っ赤で、首までもが朱色に染まっていた。
アルミレッドは頭を抱えたくなった。ウメウメの酒は、飲みやすいがとても強い酒なのだ。
アルミレッドとて普段は飲まないほどに。
今日はいつもとは違う状況だったので、その緊張を解すために珍しく頼んだのだ。
強い酒なので、飲みすぎないよう用心しようと心に決めて。
それなのに。
「おい、それは酒だ。そんなに急いで飲んだら……!」
止める間もなく、ぐびーっと飲み干すシルビア。
「お、おい!」
そのまま、ニッコリと微笑んだかと思うと次の瞬間。
バターン!
顔から机に向かって盛大に突っ伏してしまった。
「シ、シルビア!」
急いで、椅子を立ち確認すると。
「スースー……」
見事に寝息を立てて、眠っていた……。
その後。
眠りこけるシルビアを抱え、アルミレッドは自分達の部屋まで戻ってきていた。
「ふぅー……」
部屋に備え付けられた簡易的な浴室で軽く湯浴みを終えると、アルミレッドは濡れた髪をタオルで拭きながら、ベッドに横たわるシルビアを覗き込んだ。
「……おいしい、わぁ。むしゃ」
何かを食べているらしい。
「呑気なやつだ……」
アルミレッドは、自分の妻になる女の顔を良く見る為、シルビアにさらに近づきベッドの端に腰かけた。
「……」
不思議な気持ちだった。
男として、征服したいという気持ちはもちろん確かにあるのだが。
今は何より彼女が安心して自分の側で眠ってくれているという事に喜びを感じていた。
穏やかに、幸せそうに微笑む顔。
その顔を見ているだけで、満たされるのだ。
「お前は、既に王妃としての資質を満たしている……」
シルビアは王であるアルミレッドの心を楽しませ、和ませ、癒してくれる。
それが王妃として、妻として何よりも大切な事なのではないだろうか。
アルミレッドはそう思った。
が、しかし。
「…………」
シルビアの寝顔を存分に堪能したアルミレッドは、そろそろ自分も就寝しようと腰を上げようとした。しかし、いつの間に伸ばされたのか、服の端を掴んだシルビアの手はしっかりと握り拳を作っており、アルミレッドの服も一緒にぎゅっと握り締めていたのだ。
「おいおい……」
最初は軽く引っ張ってみた。シルビアの子供のような行動が愛しい、とも思っていた。
が、そんな考えは甘かったとすぐに思い知った。この細い身体のどこにそんな力がこもっているのか。そう思えるほどにシルビアの手の力は一向に緩まないのだ。
「……勘弁してくれ……」
これは、一体何の修行なのだろうか。ベッドに横たわる愛しい女の側で、一夜を過ごせというのか。
何もせず、手をこまねいて。
「……」
こんな事なら、自分の身分などすぐに白状しておけば良かった。
アルミレッドは、もう今日は何度目かも分からない溜め息を盛大に吐いた。
前言を撤回しよう。
「お前が王妃になるのなら、もう少し世の中の理を知ってくれ……」
そんな言葉を呟いて、アルミレッドは暗くなってしまった窓の外を眺めながら、波の音を聞くことに意識を集中させた。
今夜は長い夜になる……。
もう二度と宿屋の手配は間違えない。
アルミレッドは固く決意をした。
ウメウメ酒の由来は、梅酒から取りました。とても安易ですみません。