第七章 王女、初めてのお買い物
頭がとてつもなく痛い。
シルビアが眠りから覚醒し始めたとき、まず初めに感じたのは身体の違和感だった。
頭はぐわんぐわんと軋むように痛み、まるで頭の中でシンバルを叩かれているよう。そして、なぜだかそれとは別に額にも鈍痛を感じていた。
「な、なんなの……」
今までに感じた事のない激しい痛み。
その痛みに気が遠くなり、再び眠りの世界に逃げ出したくなった。
「うう……う」
「大丈夫か?」
起き上がる事も出来ず、頭を押さえて呻いていると上から静かな声が降ってきた。
「……っア、アル?」
痛みのためか痺れる瞳をなんとかそちらに向けると、上から覆い被さるようにシルビアを見下ろすアルミレッドがいた。
「ん、な、な」
なぜ、アルがこんな至近距離に居るのだろう。そう声に出して尋ねたかったが、声を出す度に頭が割れるように痛むので、口を開くことを諦めた。
「お前の聞きたいことは分かるが、今は安静にしていることだ」
溜め息交じりにそう言うと、アルミレッドはそっとシルビアから離れ、室内にある浴室に向かっていった。そして、すぐに水を入れたコップと濡れたタオルを持って戻ってくる。
「さぁ、これを飲め」
「……み、ず?」
「ああ、ただの二日酔いだからな。水を多めに飲んで安静にしていれば昼前には回復するだろう」
「……」
二日酔い。
確か、城の交流の記録書にその記述があったはずだ。シルビアは必死で頭の中の記憶を手繰り寄せる。
エトワールの何代か前の国王が、その時まであまり親交の無かったある国を訪問した。その際、新たな親交の証しにと盛大な宴が開かれた。お酒が大好きであった当時のエトワール国王はそれに気を良くしてそれこそ浴びるように飲んだという。その後、当時の宰相が書き記したであろう交流記録書には、几帳面そうにすごく丁寧な文字で一行こう書いてあった。
《二日酔いの為、半日公務延期》
こ、これがその二日酔いか。
城で交流書を読んだ当時はその言葉の意味が分からず、公務を延期するなんてどれだけ大変な事なのだろうと不思議に思ったものだ。
しかし、シルビアは今、身を持ってそれを体験し、その恐ろしさをまざまざと感じさせられていた。
そんな事を考えながら痛みに必死で堪えていると、アルミレッドがシルビアの肩を支え優しく助け起こしてくれた。そして、そのままグッタリとした身体を支えられながら、何とかコップの水を飲む。喉の奥に上手く水が通らず目が白黒するくらい辛かったが、ゆっくり時間を掛けてなんとか飲み干す事が出来た。
その後、静かに横たえられると額に濡らしたタオルを掛けられた。
大きめに折り畳まれたタオルは目元まで覆い被さり、ひんやりと気持ちが良かった。
「……はぁ」
やっと一息つけたシルビアはアルミレッドにとても感謝した。
お酒の飲みすぎは危険だ……。
シルビアは身を持ってまた一つ大切な事を学んだ。
安静に過ごした後。
不思議なもので、アルミレッドの言葉通り昼頃になるとすっかり頭痛は無くなり気分も持ち直していた。
額は痛み続け、鏡を見るとなぜか赤く腫れ上がってはいたが。
「うーん、私、なぜ額が赤いのかしら……」
部屋の姿見を見ながら不思議そうに呟く。
そんなシルビアをじろっと横目で見やりながら、アルミレッドは思った。
そりゃ、あれだけ盛大に机に突っ伏したんだからな。額の一つや二つ、赤くもなろう。
アルミレッドは昨日の苦労を思い浮かべる。結局、ゆっくり眠ることも出来ず、ベッドに腰かけたまま目を瞑って休むしかなかった。そのせいか少し肩が凝っている。無理な姿勢を続けたので、少し疲労が溜まっているのかもしれない。
まあ、一番の忍耐を必要としたのは精神的な部分だったが……。
「あ、そういえば、なぜアルは私の近くに居たの?」
「知らん」
「えっ、でも」
「知らんものは知らん」
アルミレッドは、応える気も失せてシルビアに背を向けると、わざと大きな音をたてて宿を離れるための荷造りを始めた。その背中をみて諦めたのか、シルビアは鏡に目線を戻すと、少し赤くなった額を何とか前髪で隠そうと奮闘し続けたのであった。
太陽が高く昇った昼過ぎ、二人は食堂で昼食を済ませ宿屋を後にした。
人々が賑やかに行き交い、混み合う通りに出た二人は人の流れに合わせて足早に歩く。
アルミレッドはシルビアの歩調に合わせるよう意識しながら口を開いた。
「これから、乗り合い馬車を使う」
「馬車?」
「ああ、城下町にはもちろん馬でも行けるが。お前、馬には乗れないだろう?」
「そ、そうね」
確かにシルビアは馬に乗れないどころか、馬車にも乗った事がない。
「この港町から城下町までは馬車を乗り継いで四日、馬でも二日ほどは掛かる。とりあえず、次の町まで馬車に乗ろう」
「えっ、ええ……」
なぜかシルビアの歯切れが悪い。アルミレッドはそれが気になって、隣のシルビアを見下ろしながら尋ねる。
「どうした?」
「え?」
「なにか、気になることでもあるのか?」
「……あ、あの、ね」
シルビアは少し赤らめた顔でモジモジしながら気まずそうに口を開く。
「私、船にすごく酔ってしまったじゃない?だから、馬車にも酔うんじゃないかと心配で……」
「そうか……」
確かに、シルビアの船酔いは激しかった。乗り物全般に酔いやすいのならば、馬車でも酔うかもしれない。本当ならば急ぐ旅でもないし、リトグラ国内に慣れるために歩いて向かうのも良いかもしれない。
だが、城下町付近の町ならまだしも、ここでそれはできない。アルミレッドは真剣な表情で進む方向を眺め、少し遠くにある港町の入り口の門へと目を向けた。
港町を出て、少し行った先に広がる森には狂暴で決して人には馴れない獣が多い。太古の昔には、獣の姿をした神が住んでいたとされる森だった。その名を『レイリーンの森』という。
昼間ならまだしも夜の野宿は、この小さくか弱い王女には耐えられないだろう。
アルミレッドはそう考え、気の毒だとは思ったが馬車に乗ることを勧めるしかなかった。
「少し長くはなるが、城下町まで歩く方法もあるにはある。……だが、城の中で大半を過ごし、長く歩いた経験のないお前では難しいだろう」
「……そ、そうよね」
少し言い方がキツかっただろうか。
アルミレッドは不安になり、シルビアを再び見つめた。だが、元来前向きなシルビアは新たに決意をしてシャッキリと顔をあげていた。
「そうよね!馬車が不安だなんて言っていたら、この先どこにも行けなくなってしまうもの。私は仕事を探しに来たのだから、このくらいの事で諦めるわけには行かないわ!」
そんな風に鼻息を荒くしている。そして「絶対に馬車を克服してみせるわ!」と意気込んで拳を握っていた。
シルビアの横顔を眺めながら、一見、小さくか弱いこの王女が、実はとても頼もしく勇気に溢れていることをアルミレッドは嬉しく思った。
「あっ、あら?あれは何かしら?」
人で賑わう港町らしく、道の両端には様々な店が並んでいる。その中の一つにシルビアは興味を覚えたらしい。
「あれは……お花屋さんかしら。あっ、あちらはお魚を売っているのね!」
歩くごとに好奇心が溢れだしていく。
「ああ……本当にすべてが素晴らしいわ!」
アルミレッドからしてみれば何の変哲もない普通の町並みである。しかし、自国の町を褒められたとあって、内心とても嬉しく言葉には出さなかったが上機嫌であった。
そして、ふと思いつく。
「……乗り合い馬車の出発まで時間がある。なにか買い物をして行くか?」
「い、良いのっ?!」
それまで、周囲の店に釘付けになっていたシルビアはすごい勢いでアルミレッドの方を振り返った。
アルミレッドは微笑みながら頷く。
「ああ、もちろんだ。本来はリトグラ王国の見学も兼ねているからな。時間が許す限り、好きなところに寄ると良い」
「……」
喜びのあまりブルブルと震えるシルビア。一拍おくと大きく頷いた。
「そういえば」
アルミレッドは気になっていた事を提案する。
「お前、服を買ったらどうだ?」
「え?」
シルビアは自分の服を見下ろす。
今、来ているのは比較的動きやすいシンプルなワンピースドレスだ。瞳の色に合わせて薄い緑色の生地を城の裁縫士に縫ってもらった。
「何か、変かしら……?」
外に出ると言うことで、簡素で動きやすい物にしたつもりだったが、逆にシンプルすぎただろうか。
「いや、変ではない。むしろ良く似合っている。ただな……」
アルミレッドは辺りを見回す。
「民の服装を見てみろ。皆、お前よりもさらに質素な格好をしているだろう?城の中ではそれでも充分質素だろうが、町中ではまだ目立つのだ」
「……」
言われてみれば。
シルビアは昨日話しかけてきたハンナの言葉を思い返していた。ハンナはシルビアの格好を見て「上等なもの」と言っていた。ならば、やはり民の中では浮いているのだろう。
「気付いたか?……この先、少し危ない森にも入る。何もないとは思うが、さらに動きやすい格好にした方が良いだろう」
そう言うと、近くにあった女性物の服を置いている店を示す。
「とりあえず、あそこに入ろうか。気に入った物があれば購入しよう」
「え、ええ」
まさか、町中で服を買う事になるとは。
シルビアは初めての体験に心を踊らせた。
その店はとてもお洒落だった。
女性物の服や小物が店内に所狭しと並んでいるが、きちんと整理して置かれている為か、とても見やすい。お薦めのセレクトなのか、木製の人形に服やアクセサリーを着けて『フルコーディネート』と書かれ売られたりもしていた。
「わあ……」
シルビアは感心して、思わず手を叩いて歓声をあげてしまう。そして「あ、これ……」と目の前にあった物を手に取った。
「気に入った物があったのか?」
「え、ええ……」
シルビアが手にした物は、今来ているものと同じ薄い緑色の物だったが、洗いやすい綿で出来ており、透かし模様で縫い付けられた草花の紋様が可愛らしい物だった。
「これ、とても可愛らしいわ」
シルビアは頬を染めてその品物を凝視している。そんなシルビアが愛らしくてアルミレッドもつい微笑んでしまった。
「良いのではないか?お前の瞳と同じ色でとても美しい」
「えっ……」
アルミレッドは正直に感じた言葉を呟いたつもりだったが、シルビアはとても驚いたらしい。さらに顔を真っ赤にして急にアタフタしだした。
二人がそんなやり取りをしていると「いらっしゃいませ~」と奥から声が掛けられた。
そちらの方を向くと、とても色っぽい女性が満面の笑顔でやってきた。
「なにか、お探しですか~?当店は品揃えが豊富ですよ~」
そう言うと、二人に向けてウインクした。
その色っぽい仕草を平然と見ているアルを意識して、なぜか無性にイラッとしたシルビアは努めて冷静な声を出した。
「あの、これ綺麗だと思いまして」
先程の緑色の服を見せる。
「あらっ、お目が高~い!これは当店でも売れ筋の商品なんですよ。残りはなんと、これ一枚!」
そう言うと、女性は揉み手でさらに近付いてきた。動く度に豊満な胸がこぼれ落ちそうだ。
同じ女性ながらドキマギする。すると、側に来た女性はシルビアの全身を眺め、目を光らせた。
「あらっ、とても上質な物を着ておられますね~。こちらの商品を気に入ったのなら、他にもこちらに合うアクセサリー等がありますけど、お試しになりますか~?」
上客は絶対に逃さない。女性の笑顔からはそんな意気込みが感じられて、思わず後ずさるシルビアであったが、アルミレッドと女性は当の本人には構わず話を進めている。
「では、全身を軽くて動きやすい服装に整えてくれ」
「ぜっ、全身?!」
そこまで、変えるつもりだったのか。シルビアは上着だけ変えるつもりだったので、その言葉に驚いた。
しかし、
「かしこまりました~」
と、上機嫌な女性に引きずられるようにして連れ去られて行った。
結局、店員の女性が満足するまで着せ替え人形のようにあーでもない、こーでもないと見繕われたシルビアは、気に入った上着の他に、下に履く物で裾がキュッと絞れて長さを調節出来る物、さらには美しい蜜のような色合いの髪止めまで購入することになってしまった。
試着の疲れから、げっそりしながら支払いをしようとするシルビアをアルミレッドが止める。
「支払いは済ませてある」
「えっ?」
「そろそろ、馬車の出発時刻だ。急ごう」
そう言うと、さっさと店から出ていってしまった。
いつの間に会計を済ませたのだろう。シルビアもエトワールから与えられた金貨は持ってきているのに。
シルビアが予想もしなかったことに戸惑っていると側で微かに笑う声が聞こえてきた。
「とっても素敵な彼ね~。あなたを愛しているのがすごく伝わってくるわ~」
店員の女性はニヤニヤと頬を緩ませている。
「あ、あい?!」
その言葉にシルビアは自分の心臓が飛び足すような動揺を覚える。
「だぁって~。あなたの新しい服装を見たときの彼、デレッデレだったわよ~。無表情だから、逆に分かりやすかったわ~」
「……」
そんな事を言いながら楽しそうにしている女性に見送られ、二人は店を後にした。
シルビアは動揺の為かフラフラ歩く。
反対に横を歩くアルミレッドは良い買い物をしたと上機嫌で意気揚々としている。
実に対照的な二人である。
二人の心の距離はゆっくりと少しずつ接近しているようだ。




