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文学少年の劣情

 

 わたしは期末テストの答案数枚をにぎりしめたまま、施設長の田中さんに怒られていました。


「乙葉、どの点数もひどいが……。特に英語の29点はあんまりだよ……」


 田中さんは、白い口ひげを英国紳士風にそろえたダンディーなお方です。

 かつてはさぞ美男子だったであろう――今でも、充分美老人ですが――その、お顔がくもっていらっしゃいました。


 自然と、わたしの頭が下がっていきます。

 このままでは、地面にめり込むのではないか、という勢いです。


「……どうしてこんな点数を?」


 田中さんの言葉に、わたしは自分が情けなさ過ぎて涙が出そうになりました。


「わ、わかりません……」


 ――それ以外、何と言えたでしょうか。

 だって、わたしはこう見えても毎日勉強をがんばっていました。

 テスト準備期間中はきちんと時間をつくって、夜遅くまで机にむかって励んでいたのです。

 わたしの方こそ、この点数に”Why?”です……。


 田中さんは、大きなため息を落としました。


「――涼に、勉強を見てもらいなさい」


「え……? 涼くんに、ですか……?」


 わたしは困惑してしまいました。

 ――我が幼馴染である涼くんは、とても頭がよいです。

 何といっても、学年一位。つねに一位です。そこから転落したおすがたを見たことはありません。

 高校生になってからは、これまでより部活のバスケに力をいれるようになり、いつも帰りは遅いというのに――なぜ、そんなに高得点をとれるのでしょう。

 わたしの脳みそを分けて差し上げたいくらいです。

 ……いや、だめですね。ただでさえ少ない脳みそを分けたら、テストの点がさらに下がってしまいます。

 わたしは途方にくれたような気持ちで、田中さんを見上げました。


「でも……、涼くんは……」


 どうやって、言い逃れようか――と、わたしは、知恵をしぼりました。

 幼馴染とは、数年前から険悪になっています。

 ……とても勉強を見てほしいとは、頼みにくい状況なのです。


 田中さんは厳しい眼差しで、わたしを見つめます。


「乙葉、ぜったいに追試で合格点をとること。――でなければ、留年だぞ!」


 わたしは、「ひぃぃっ」と頭を抱えました。

 ――やはり、それだけは避けねばなりません。

 幼馴染に対して気まずいとか、言っている場合じゃないのです。

 この短期間で勉強して、ぜったいに追試で合格点をとらなければなりません……!



 * * *



 追試は一週間後です。

 ……なんだか、自分でもとうてい無理な気がしてきました。

 わたしは答案用紙を手にして、しょんぼりと階段をのぼっていきます。古びた木の段差は、ふみつけるたびにギシギシ鳴ります……。わたしの心のありさまのようです。


「ああ……」


 ――嫌すぎます。

 自分の馬鹿さ加減を学年一位に知らせるというのも苦行ですが……、最近すっかり遊ばなくなってしまった涼くん相手に頼み事をするはめになるとは……。


 わたしは、涼くんとアラタくんの部屋の前で、本日、何度目かになるため息を落としました。

 けれど気合いを入れなおして、扉をノックします。

 テストが終了したばかりということで――涼くんも、今日の部活は休みのようです。

 すぐに中からすがたを現してくれました。


「……なに?」


「あ、あのですね……」


 わたしは、答案用紙を盾のようにかまえて――事情を話しました。

 会話などほとんどなくなってしまった、わたしたちです。

 てっきり断られてしまうだろうと思っていたのに、涼くんはため息をついて「……いいよ」と了承してくれました。


「部活もあるから、時間のあるときだけだけどな」


「ほ、本当ですか!? それでもかまいません……! ありがとうございます!」


 わたしは胸をなで下ろしました。

 学年一位さまが勉強を見てくれれば――テストの要点などを、うまく教えてもらえるに違いありません。

 涼くんは、まさに我が救世主――。メシアです……!


「……ただし、乙葉の言うことを一回聞くんだから、俺の言うことも一回聞くこと」


「ええ! なんでも聞きますとも!」


「……何でも、聞くのか……」


 涼くんはそうぽつりとつぶやいて――わたしを上から下まで見おろしました。

 なぜか、その視線が居心地わるく感じて、わたしは身じろぎします。

 視線をそらしながら、気まずさを押し殺して言いました。


「――ええ。涼くんのお好きな晩御飯のメニューをそろえることだってできますし」


 自分の好物しか出てこない晩ご飯――。

 それは、施設の子供たちならば、泣いて喜ぶほどのことです。

 でも、わたしは意地悪という名の親心で、ニンジンやらピーマンやら、子供たちが青ざめるものを入れて差し上げるのですけどね。ふはははは!


「ふ~ん。じゃ、さっそく始めよう」


 涼くんの部屋はアラタくんとの相部屋あいべやなので、わたしの部屋に行くことになりました。

 わたしの部屋はちょっと事情があって、いまはわたしだけが使っています。

 ――ここでなら、他の子供たちに邪魔されずに勉強に専念できそうです。

 わたしが両手をにぎりしめて気合いを入れ直していると、涼くんはなんだか複雑そうな表情でわたしをご覧になっていました。



 * * *



 それから、みっちり一週間です。

 ……がんばりました。

 かつてないほど、詰め込みました。意外と涼くんは鬼教師でした……。

 

 そして、わたしは――奇跡的に合格点をとることができたのです。

 私は嬉々として、涼くんにお礼とその報告をしようとしました。

 

 学校の休み時間です。

 もうすぐ夏休みということで、校内にいる生徒たちの雰囲気は晴れやかです。夏休みの予定をたてているのか――どこか、みんな浮足立っているように感じられました。


 わたしは涼くんのクラスの教室まで足を運びました。

 そして、ちらりと扉から教室内を覗くと、涼くんが窓辺で女の子たちに囲まれていました。


 ……さすがに、モテる方は違います。


 じっと見つめてしまったせいか、涼くんがわたしの存在に気付きました。

 涼くんが何か言うより先に――涼くんを囲んでいた女子のリーダーらしき方が、わたしの方に視線をなげてきました。

 ……なぜか、睨まれているように感じます。

 わたしは身をすくませました。

 

 わたしは、涼くんに何も伝えることなく――そのまま、おとなしく自分の教室に戻ることにしました。

 ……考えてみれば、帰宅すればいつでも涼くんには報告できるのです。

 いま言う必要はありませんでした。


 ですが、なぜか……胸の奥が、もやもやとします。

 この一週間で――涼くんに対して、かつてのように近しい距離に戻ったような錯覚が生まれてしまっていたのかもしれません。

 むずかしい試合に勝ったときに、仲間とハイタッチをしたいような心境だった――と言えばいいのでしょうか……。

 ……ただ一緒に、喜びを分かち合いたかったです。

 けれど、この数年で築かれた互いの距離間は、そう簡単に埋まるものではなく――。

 わたしは、そのみぞの深さを思い知らされました。


 ああ、そもそも――何がきっかけで、わたしたちはぎこちなくなったのでしたっけ……?


 そう――ほんのすこしずつ、男女の性差があらわれるにつれて……涼くんの方が、離れていったのです。

 喧嘩をしたとか、はっきりとした理由なんてありませんでした。

 けれど、喧嘩をしたというほうがよっぽど良かったのです。だって、それなら仲直りすればいいだけなのですから。


 ……わたしの方は、あの頃と何も変わっていないはずです。

 ――けれど、ぎくしゃくされると、こちらも同じ態度をとらざるを得なくなってしまって……もはや、蜘蛛の糸にとらわれたように、互いにその立場で雁字搦がんじがらめになってしまっているのかもしれません。



 * * *



 その帰り道でのことです。

 わたしの足取りは、重くなっていました。

 これから田中さんに明るい報告をするはずなのに――この気分の落ち込みようは、自分でも笑ってしまうほどです。


 川沿いの土手の上を、わたしは黙々と歩いて行きます。

 傾きはじめた夏の太陽が、容赦なくわたしの肌を突き刺していきます。


「暑いです……」


 わたしは、その場に立ちどまり――片手を目の上にかざして、太陽を見上げました。

 ミンミンと、遠くから蝉の声が聞こえています。

 汗ばむ肌に、制服がはりつくようでした。


 視界にコンビニエンスストアを見つけたので、わたしは速足でそこに向かうことにします。


 ――こんな気分のときには、アイスしかありません。

 お店に入った瞬間、冷えた空気が肌を撫でていきます。

 何にしようかな、と考えて、ソーダ味の棒アイスを手にとりました。レジに向かおうときびすをかえして、その場で立ちどまりました。


 ……そういえば、涼くんに何かお礼をしなければならないのでした。


 ここから、施設までの距離はわりと近いです。

 そう――走っていけば、溶けるまえに冷凍庫にアイスを入れられるくらいの時間はあります。

 わたしは、ソーダ味を二個買いました。

 施設の他の子たちには、内緒です……。


 わたしは急いで帰ろうと、アスファルトの土手の道を走っていました。


「――乙葉」


 急に背後から呼びかけられて、わたしは飛び上がりました。

 振りかえると、そこにいたのは涼くんでした。

 彼はどこかむすっとしたような――不機嫌な顔をなさっています。


「あれ……涼くん!? 部活はどうなさったのです?」


「――しばらく休むことは伝えてあるから、問題ない」


 涼くんはそうおっしゃると、わたしに近づいてきました。

 どこか不穏ふおんな雰囲気をまとっていらっしゃいます。

 わたしは困惑しつつも、手にしていたアイスを思い出して、ひとつを涼くんに押しつけました。

 涼くんはそれを見おろして、おっしゃいます。


「……何これ?」


「――アイスですね」


「それは見ればわかるな」


 涼くんは、にこりともしません。

 ――むしろ、眉間のしわが深くなってしまったようです。

 せっかく眉目秀麗びもくしゅうれい眼福がんぷくなのですから、皆さんの前でしているように――わたしにも、笑いかけてくださったらいいのに……。

 

 ――そう思うのは、わがままでしょうか。


 わたしは、アイスのパッケージを破きました。

 その青い表面には、薄い結晶が浮かんでいます。

 棒アイスを遠慮なく口にふくんで、その冷たさに――わたしは思わず顔をしかめました。


「……どうした?」


「アイスを食べると、頭がキーンとしませんか?」


 とてもおいしいのに、意地悪をされているような気分になります。

 涼くんのアイスの封は、まだ開けられていません。

 わたしはそれが溶けてしまうのが、気にかかりました。


「涼くん、食べないのですか? 嫌いでしたか、ソーダ味?」


 記憶の中では、涼くんはその味を好んで食べていたように思うのですが……これは選択ミスだったのかもしれません。


「――食べるよ」


 けれど、涼くんはアイスの袋を開けることなく――わたしの方に近づいてきました。

 アイスをにぎっていたわたしの手をつかみ、涼くんはわたしのアイスに噛みつきます。

 

 ぎょっとしてしまいました。

 みるみるうちに、アイスが半分になります……。


「ひぃぃ……っ、わたしのアイスがぁ……!」


 心で涙しました。

 こ、これは横暴ではありませんか……!

 アイスは……! アイスは、平等に分け合うべきです……っ!


「……あげる」


 涼くんは、自分が持っていた分を――わたしに手渡しました。


「え?」


「……もう、食べる気が失せた」


「そ、そんなぁ……」


 わたしは慌てました。

 だって、わたしが持っているむきだしのアイスは――半分は消えているとはいえ、照りつけてくる日差しをあびて、溶けかかっているのです。

 間違いなく、涼くんの分だって、溶け気味になっているでしょう。

 のんびりと会話をしていたせいで、もはや施設に戻るまでに間に合いそうにありません。


 つまり、わたしがここで二つ分も、食べなければならないということです……。


 両手にアイス……。

 通りがかった人から、間違いなく――『食いしんぼう』のレッテルを貼られてしまうでしょう。


「――きみなんて……『僕』の言動を、ちくいち気にしていたらいいんだ」


 涼くんは、そう吐き捨てました。


「……え?」


 わたしは――戸惑いがちに、涼くんを見つめます。

 その、ガラスのような亜麻色の瞳を。


「……昔は、そんなにたやすく『僕』に触らせなかったくせに……」


 なぜか、涼くんは不満げなご様子でした。

 涼くんは、わたしに背中をむけて、歩きだしてしまいました。


「ちょ……涼くん! 何のことです!?」


「――知らない。悩めば?」


「もう……っ」


 一瞬、近づいたかと思えば、もう不愛想な幼馴染に戻ってしまいました。


 ――でも、わたしは、本当は涼くんが優しい方だということを知っています。


 だって、テスト勉強中の一週間――。

 部活をしていない時間だけという約束だったにも関わらず、涼くんはいつもすぐに帰宅して、わたしの勉強をずっと見てくれていたのですから。


 だから、たとえ居心地がわるくても――わたしはこの、涼くんに与えられた距離間を、甘受かんじゅするのです。




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