そして恋になるまで
「さあ、次の方どうぞ~」
法廷のなかに、司命の声がひびく。
その声に導かれるようにして入ってきたのは、怯えたように身を縮ませている十代後半ほどの、少女霊だった。
彼女の後ろには、死霊の逃亡をふせぐために牛頭がついている。
牛頭は筋骨隆々の大男で、頭部だけが牛の頭をしている。
獄卒のなかでも、馬頭と双璧をなす、獄丁のリーダーだ。
獄卒にはさまざまな役割があるが――死者を法廷の中央台に連れてくるというのも、そのひとつである。
ただ、その日の牛頭は、いつもと少し様子が違っていた。
上半身裸体で、しなる鞭を持ち――つねに周囲を睨み据えて、威圧感を漂わせていた牛頭が――どこか途方がくれたように、閻魔王である自分を見つめている。
おそらくはその元凶であろう、その少女に目を向ける。
彼女は好奇心満載といった眼差しで、法廷内を見まわしていた。
「わぁ……なんて、見事な地獄絵図でしょう……っ」
彼女は、目をきらきらさせながら、法廷の天井に描かれた八大地獄を見上げている。
俺のとなりにいた司命が、耳打ちしてきた。
「なあ、閻魔。もしかして、あの子……ちょっと頭が弱い子かな」
周囲に視線を飛ばしていた少女は、ようやくこちらに気付いたらしく、顔を向けてきた。
その直後――、花が咲くように表情をほころばせる。
「まあ、なんて素敵なお人形さん」
彼女は俺のところまで、軽やかな足取りでやってきた。
ぎょっとしたのは、司命と司録であったようだ。
下座の卓に腰かけていた司録が、驚いたように立ち上がる。
少女は俺の間近までやってくると、俺の顔をじっと覗き込んできた。手を伸ばせば届く距離だ。
――どれくらい、見つめ合っていただろうか。
目の前の少女を見つめること以外にすることもないので、こちらも、つい観察してしまう。
まとっている衣装からすると日本人なのだろう。おそらくは地毛なのだろうが――髪と瞳は、やわらかな色をしている。
容姿の美醜については、よくわからない。こんなことを言うと、司命から『唐変木め』と、怒られそうな気もしたが。
「きれい……」
少女が伸ばした手が、俺の頬にふれた。
うっとりとしていた彼女の表情が、すぐに驚きに染まる。
「あ、あたたかいです……っ! なんて、高性能なお人形さんなのでしょう……。日本の技術力も、ついにここまで……。技術革新ですね!」
少女は、「ねえ、そう思いませんか?」と、まるで同意を求めるかのように、司命を見やった。
司命は、めずらしくどうするべきか、迷っているようだった。
「あー、もしかして……きみ、まだ死んだことに気付いていない……?」
「え……?」
司命の言葉に、彼女は目を大きく瞬かせた。
ついに耐えきれなくなり、怒声を発したのは弟であった。
「無礼者! 兄上から手を離しなさい……! 兄上は、人間の女が、やすやすと触ってよい存在ではありません……! 牢屋に連れて行かれたいのですか!」
弟の顔面は、怒りで紅潮していた。
すぐに止めに入らなかったのは、彼女の行動に度肝を抜かれていたからのようだ。
法廷に入るなり、嬉々として俺を触りにきたのは、目の前の少女が初めてである。
司録に怒鳴られて、ようやく――その少女も、自分が何かおかしな行動をしていることに気づいたらしい。
俺の頬にふれていた指先が、わずかに震える。
「え……? この世界って、わたしの夢とかではないのですか……? で、でなければ、大掛かりなドッキリとか……」
少女は困惑しているようだ。
司命があきれ顔で、俺にむかって言った。
「おいおい、閻魔もなにか言えって。お前が無表情すぎるから、人形だと勘違いされているんだろうに……」
「え……?」
彼女が凍りついた。
ものすごく緊張しているのか――音が鳴りそうなほど、ぎこちない動きで、彼女は俺と視線を合わせる。
「あ、あなたは……?」
俺は、ため息を落とす。
彼女の手をとり、己の頬から引きはがした。
「第199代――閻魔王、と呼ばれている」
そう答えるなり、少女が悲鳴をあげた。
* * *
彼女については、すべてが前代未聞だった。
視史にも、彼女の生前の映像を見ることができないのだという。つまり、罪の重さをはかる指針がない。そして天命録にも記録がないという。
官吏たちはやむをえず、閻魔王である自分の采配を仰ぐために、こちらに連れてくることにしたらしい。
俺は、裁判を無期限の――延期とする、判決を下した。
少女は落胆したような――それでいて、安堵したような感情を面に表した。
「では……わたしはどうしたらいいんでしょう?」
途方にくれたような、つぶやきだった。
彼女の質問に答えるように、淡々と告げたのは司録だった。
「裁判を延期にする以上は――やはり、拘留ということになりますね。庁舎の敷地内にも拘置所もありますし、問題はないでしょう」
「拘留……」
少女の顔が青ざめている。
何やら、おそろしい想像をしているようだ。
弟の言葉に、司命が首をふった。
「いやー、さすがにそれは駄目でしょう。こんな事例は初めてのことだ。何日……もしかしたら何年もかかるかもしれないわけだし……。さすがに、あんな寒々しいところに、女の子をずっと閉じ込めておくのは可哀想じゃないか?」
弟は、大げさな身振りで肩をすくませた。
「しかし、そうは言っても得体がしれない者を野放しにもできませんし……。拘置所が一番安全ではありませんか。あそこならば結界もありますし、我々が目を光らせておけます」
「いやー、それを言うならさぁ。俺たちの屋敷でもいいわけでしょ?」
「……は?」
司命の言葉に、弟が怪訝そうな顔をする。
――司命が突飛な発言をするのは、いつものことだ。
ちっちっち、と司命は人差し指をふる。
「俺たちの誰かの屋敷に、彼女を居候させてあげればいいじゃん! いいねぇ、ひとつ屋根の下の男女……! これは期待できるっ!」
「……死んでください、メイさん」
弟の冷たい返答にも、まったく司命は気にするそぶりがない。
当事者である死霊の少女は、司命の発言に免疫がないためか――真っ赤な顔をして、身をよろめかせた。
おそらくは彼女の脳裏で、ひとつ屋根の下の男女の物語が展開されているのだろう。
俺は彼女に、「……司命の発言は本気にとらえたら、苦労する。話半分――いや、話十分の一くらいの受け取り方で良い……」と、忠告してやりたくなった。
もはや、慣れである。
何百年もそばにいれば、司命のどんな発言にも動じなくなってしまう。
最近では、どんなに卑猥な話を持ちだされても「……そうだな」と、流せるくらいになってしまった。
しかしながら、司命と付き合いの浅い弟は、やつの発言をすぐに真に受けてしまう。
純情な弟は、顔を真っ赤にさせて、身を震わせていた。
「常識はずれにも、ほどがありますよ! メイさん……っ」
俺は、ため息を落とした。
「……俺が、預かろう」
ぎょっとしたような顔をしたのは弟だった。
「えっ、兄上のお屋敷に!? そ……っ、それはいけません! あんな得体のしれない者を、兄上のおそばに置いておくわけには……」
――確かに、彼女には不明瞭な点が多い。
しかし、たとえ何者であれ――ここの幽世にいる以上は、閻魔王としての自分には死者に対する責任がある。
本来ならば、わざわざ自分が請け負わずとも、腹心に預けてもいいのだが――司命と弟は、それぞれに問題をかかえている。
一方は多情であり、一方は鉄壁の倫理観というやつだ。
司命に預けたら彼女の貞操が危険にさらされてしまうし、かといって、弟は決して異性を自身の屋敷に預かることはしないだろう。
つまり、適任は自分しかいない。
こちらの意思がかたいことを察したのか――弟は震える拳をにぎりしめて、俺にむかって言った。
「……わかりました。ならば、彼女が兄上のおそばにいるあいだ――ぼくも、兄上のお屋敷に泊まります! あの女が、おかしな行動をしないように、見張っています!」
「おいおい、過保護ぉ……。いい加減、兄離れの時期だと思うぞ、うん……。お兄さん、さすがに引いちゃう……」
司命の言葉に、弟はむきになってしまったようだ。
「うるさいですよ、メイさん! ぼくは兄上をお護りしなければならないのです……っ」
口論をはじめたふたりを無視して――俺は、呆然と立ち尽くしている少女にむかって言った。
「……そういう結論になった。お前の身は、しばらく俺が預かる」
「は、はい……」
あまりに素直にうなずかれて、こちらの方がすこし困惑してしまう。
「……もしも気にいらなければ、別の屋敷を用意しよう。衣食住の心配はしなくても良い」
「兄上、そこまでせずとも……!」
弟は文句を言おうとしたが、少女は場違いに嬉しそうな笑みを浮かべて首をふった。
「ありがとうございます。充分すぎるほどです……!」
* * *
そうして、彼女との奇妙な同居生活が始まった。
最初こそ、恐縮しきりだった彼女も――数日もすれば、慣れてきたらしい。
あくる日に、乙葉は俺にむかって、こう訊ねてきた。
「閻魔さま、わたしに何かできることはありませんか……?」
「……特にない」
そう答えながらも、俺はすこしばかり落胆していた。
――彼女も他の者と同じなのだ。
誰しも、死を目前にすれば、閻魔王である自分に媚を売る。そして命乞いをしようとするのだ。
――官吏たちとて、同じことだ。
本当の意味で俺に忠誠を誓っている者などいない。
誰しも、生きているかぎり欲があり、もっと上を求めてしまうのだ。
彼らのこちらにむけてくる笑顔の裏に見える――権力への欲望に、反吐が出そうになる。
――これが本当に良い地位か?
王と呼ばれていても、実際にはただの囚われの身の上だ。
死霊から助けてくれと、どんなに乞われても――俺には彼らに、救いの手を差し伸べてやることもできない。
「閻魔さま……! 子猫をひろいました!」
あるとき、乙葉が大事そうに何かをつつんで、廊下の端からこちらにむかって走ってきた。
彼女の両手のなかを見おろすと、そこには生まれたばかりらしい――まだ目も開けていない、鵺がいた。
小さいながらも、尾は立派にヘビのようなうろこを持っている。
どこをどう見て、彼女が猫と判断したのか不明だ。
「……乙葉、これは猫じゃない。鵺だ」
「……ぬえ? へえ、鵺さんというのですか」
乙葉はしまりのない顔で、手のなかの子鵺を見つめている。
「……どこにいた?」
「お屋敷のお庭にいらっしゃいましたよ。わたしがぶらぶらと散歩をしていたら、ドサッと何かが落ちるような音がして――木の根元に、この子がいたのです……」
彼女の表情は、痛ましいものを見るように強張っていた。
その言葉で、だいたいのことは察しがついてしまう。
――親から捨てられたのだ。
妖怪の世界ではよくあることだが。
おそらく人間である彼女は、完全には理解していないだろうが――地獄では、力こそがすべてだ。
敗者は勝者にすべてを、むしり取られて当然という意識がいまだに根強い。
この幽世では、人間世界のように『法律』などは、あってもほとんど機能していない。
ただ、頂点に君臨する者がすべてを押さえつけ、従わせる。
――だからこそ、閻魔王は恐れられる。
――だからこそ、閻魔王は最強でなければならない。
かつて、先代閻魔王である義父の口から、語られた言葉だった。
「どうぞ、閻魔さまも触ってみてください」
乙葉はそう言って、こちらにむかって子鵺を押し付けてきた。
丸くて、綿のような産毛が生えていて――妖怪としては、あまりに頼りない。たとえ子供でも、小さな雷くらい出さなければ、この年の頃としては失格である。
乙葉は、嬉しそうに笑っている。
「生きていますね」
「……ああ」
その小さな重さとぬくもりが、妙に心地よく感じた。
手のなかの子鵺は、まるで俺のことを親だとでも勘違いしているのか――すりすりと、頭を親指にこすりつけてくる。
まだ目も開けていないというのに。
――俺が、閻魔王だということにも、気づいていないだろうに。
「きっと、閻魔さまがお優しい方だって、この子も気づいてしまったのですね」
「……優しい?」
「ええ。だって、住所不定のわたしを、閻魔さまが保護してくれたではありませんか。おかげで、わたしは家なし子にならずに済みました」
彼女は、他意のない――本当に感謝しか感じられない笑みを浮かべていた。
俺の心に襲いかかってきたのは、冷えた感情と苛立ちだった。
「……俺は、閻魔王だ。裁判が終わるまでは、死霊に対する責任がある」
「ええ。……けれど、わたしを哀れに思ってくださったのでしょう? それは、間違いないはずです。でなければ、牢屋にでも入れておけば良いだけなのですから」
つい、彼女を凝視してしまう。
「……地獄に落とされるのは、怖くないと?」
無意識にしてしまった、意地の悪い質問だった。
その問いに、彼女は大きく瞬きする。
「う~ん……そうですねぇ。すこし怖いです。見たことがないので、そこがどんな世界なのかも想像がつきませんが。……あっ、ご心配なさらないでください! わたしは、ちゃんと……身の程をわきまえておりますので……っ。こうして、わたしにお情けをくださったということだけで、充分なのです!」
彼女は慌てたように弁明する。
その言葉に、嘘は感じられなかった。
目の前に己の命運を決定する閻魔王がいるというのに――彼女には、こちらへ媚びる気配すらない。
ただ、愚かにも本心をさらけだしているだけのようだ。
深い意図も、こちらに対する期待すらなく。
――急速に、興味を惹かれていくのがわかった。
かつて、司命は俺にむかってこう言った。
『誰かに対して怒りが湧くのも、落胆するのも――そいつに、期待してしまったからだ』
――と。
期待なんてしなければ、最初からそんな感情など抱かない。
けれど、何者にも頼らず、孤高でいられるほど強い精神の持ち主など、そうそういるものでもない。
――彼女は何者なのだろうか。
人間らしい『生』への欲望を捨てているふうでもないのに、閻魔王である自分を目の前にして慈悲も乞わない。
もしも、そんな人物がいるとしたら――。
それは貴人のように誇り高き心の持ち主か、
あるいは愚者か、
……そのどちらかだ。
じっと彼女を見下ろしていると、乙葉は恥ずかしそうに身じろぎした。
「え、閻魔さま……?」
気づけば、俺は彼女の頭に手を置いていた。
――自分でも、なぜこんなことをしてしまったのか理解できない。
とにかく置いてしまった以上、所在なくそのままにしておくわけにもいかないので――前後に動かしてみる。
とりあえず、撫でているという体裁をとりつくろった。
最初こそ、ふしぎそうに首を傾げていた彼女も――どうやら、ただ撫でられているだけらしい、ということに気付いて、嬉しそうに微笑む。
その笑みに視線を奪われたように、魅入ってしまう。
先ほどまでの荒々しい感情が、嘘のように消えていた。
目の前の少女が、まだ目も開けていないのに自分を慕う――子鵺と重なってみえた。
――それがどうしようもなく哀れで、愛おしくて、心を揺さぶる。
「……確かに、生きているな」
俺はそうつぶやくと、「え……?」と、乙葉は戸惑ったように顔をあげた。
ふと、目を閉じて、自分が生きていることを痛感する。
ただ日々の業務を死んだようにこなしてきたが――それは自分がそうでありたい、と願っていただけなのかもしれない。
――俺は、確かにこの幽世に存在している。
あらゆることに期待し、死者を救うことができない己に落胆しながらも、生きている。
閻魔王と呼ばれても、ただの俗物なのだ。
己の欲望からは、どうしても逃れられない。
ただ周囲のものから隔絶したように、外面では装っているだけだ。
「……生きるとは、何なのだろうな」
気付けば、俺は、そうつぶやいていた。
乙葉は、ぽかんとしたような表情をしていた。
「閻魔さまって、難しいことをお考えになるのですねぇ。わたしには、そういうことはわかりませんが……ただ生きているというだけで宜しいのでは? 楽しく過ごせるのなら、それで充分だと思います」
――ゆるい……。
だが、彼女ならば、どこの地獄でもそれなりに、やり過ごせそうである。
ある意味、これほど『閻魔王泣かせ』な人物も、そうはいないだろう。
そして、こんなに自分が安心して近づける相手も――司命や司録を除けば、なかなかいないのだ。
――何だか、危険なところに足を踏み入れ始めているような気配を感じたが、俺は己の自制心に自信を持っている。
……愚かな決断は、しないだろう。おそらくは。
ただ、ひととき――彼女が己のそばにいる間だけ、ともに語らい、新しい考え方にふれてみるのも良いのかもしれない。
そう自分に対して何やら言い訳じみたことを考えるほどには、彼女に興味を惹かれてしまっていた。




