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第2話「クズ婚約者を攻略する」

 豪華な庭園で行われるお茶会の席に、真奈美(セレーナ)は悠然と現れた。


 目の前には麗しい貴公子——いや、クズ中のクズ、アルト・デュラハンが座っている。

 優雅に笑みを浮かべ、彼女に向かって手を伸ばしている姿は、外見だけなら確かに誰もが憧れる存在だ。


「セレーナ、今日も君は美しい。こうして君と会えるなんて、僕は幸せだよ」


 甘い言葉。


 だが——目が、笑っていない。


 真奈美(セレーナ)はカップに手を伸ばしながら、その一瞬の違和感を見逃さなかった。


 口元だけが弧を描いているのに、眉間にわずかな緊張が走っている。瞳孔がほんの少し開いていた。緊張の証拠。瞬きの頻度がやけに多い。


 ——自信があるふりをしている人間特有の、あの癖だ。

 嘘つきの呼吸。嘘つきの目。嘘つきの声。三拍揃って、全部演技ね。


 真奈美(セレーナ)には、嘘の全てが見えていた。


 彼の右手がカップの取っ手に添えられている。人差し指だけが不自然に伸びて、爪の先が白い。無意識の力み。余裕のある人間はこんな握り方をしない。


 ——この男、何かに焦っている。しかも、それを私に悟られまいと必死。


 真奈美(セレーナ)は右手の中指でそっと眉間を押さえた。集中。分析。カウンセリングルームで千人の嘘を聞き分けてきた感覚が、異世界の庭園でも鋭く研ぎ澄まされている。


 ——クズね。しかもプロの嘘つきじゃない。アマチュアの、下手くそな嘘つき。


「……そう。ありがとう」


 彼女は冷静に微笑んで返した。従来のセレーナなら、ここで彼に舞い上がり、そのまま破滅に向かって一直線だっただろう。


 しかし、今の彼女は違う。この婚約は——単なる罠だと知っている。


「君との結婚も、きっと祝福されるだろうね」


 アルトがそう言った瞬間、真奈美(セレーナ)の耳がもう一つの情報を拾った。


「祝福される」——受動態。


 ——他人任せの言い回し。この男は結婚そのものに興味がない。

この男にとって結婚は、自分が幸せを作るものではない。周囲から与えられるものだと思っている。


欲しいのは結婚がもたらす「資産」ってことだ。


「そうね……でも、その前に一つ、確認したいことがあるの」


 真奈美(セレーナ)は、優雅にカップを両手で包みながら、にっこりと微笑んだ。紅茶の温もりが掌に伝わる。その温かさとは裏腹に、頭の中では冷徹な計算が走っている。


 ——さて、ここからが本番。


 アルトの仕草を、彼女は会話の冒頭からずっと観察し続けていた。彼が椅子に座る角度。背もたれに体重を預ける深さ。足を組み替える頻度。すべてが情報源だ。


 ——面白い。分かりやすいわね。


 セレーナは観察した。アルトは椅子に深く座っている—— 一見リラックスを示すが、腕の位置が違う。アルトは腕を組んでいる。防御姿勢。つまり、リラックスを「演じている」ということ。


 ——さて……どこまで隠し通せるかしらね。


「アルト様、実は最近……あなたのお屋敷が少し賑やかになっていると耳にしましたが、何か特別な理由でも?」


「……セレーナ、なぜそんな話を?」


 声のトーンが変わった。


 真奈美(セレーナ)はその変化を、まるで精密機器のように測定していた。

 呼吸が浅くなってる。鎖骨の上の窪みがわずかに動いている——呼吸数が上がっている証拠だ。


 そして、目。一瞬だけ、視線が左上に動いた。


 ——左上。記憶を辿る方向ではなく、構築する方向。

 つまりこの男、今まさに「言い訳」を作ろうとしている。



「いえ、あまり贅沢をされると、結婚前に妙なウワサが立つのも困りますから」


 わざと柔らかく、心配する婚約者のふりをして言葉を紡ぐ。


 その質問に、アルトの仮面がさらにひび割れた。頬の筋肉がわずかに引きつる—— そしてテーブルの下で、彼の手が膝を握っているのが、テーブルクロスの微かな引きつりで分かった。


 ——よし、効いている。


 真奈美(セレーナ)は紅茶に口をつけた。ダージリンの清涼な香りが鼻腔を抜ける。そのわずかな動作の間にも、アルトの表情筋の変化を、視界の端で捉え続けている。


 これが真奈美(セレーナ)にとっての最初の一手。まだ詰めない。まだ追い込まない。獲物が自ら尻尾を出すまで、ゆっくりと網を狭めていく。


 ——ざまぁフラグ? そんなもの、絶対に私は回避してみせる。

 いや——回避するだけじゃない。このクズには、相応の対価を払ってもらう。



   * * *



 アルトの動揺は表情から明らかだった。先ほどまでの余裕ある笑みは影を潜め、テーブルの下で指が組み直されるのが三度目だ。


「……セレーナ、君は何も心配することはないよ。僕の家のことは万全だ。それに、君の家に恥をかかせるようなことは絶対にないからね」


 アルトは低い声で囁きながら、そっとセレーナの手を握った。


 ——来た。スキンシップへの移行。話題を逸らす典型パターン。


 真奈美(セレーナ)はその手の温度を感じ取りながら、同時に別の情報を読んでいた。握力。彼の手は優しいふりをしているが、力の入れ方が均一すぎる。


 アルトの握り方は、握手のそれだ。ビジネスライクで、感情がない。


 彼は今までこうして多くの女性を手玉に取ってきた。セレーナも例外ではない——そう確信している。


「アルト様がそうおっしゃるのでしたら……でも、私も初めての婚約で、色々と心配なのです……」


 ——愚策よ、アルト。

 都合が悪くなるとスキンシップで誤魔化す。男の逃げパターン。

 しかも色仕掛けで私を落とせると思ってるのね。笑える。


 セレーナは内心の冷笑を完璧に隠し、あえて少し頬を赤らめたように見せた。頬に血を集めるのは、実は意識すればできる。かつてカウンセリングで「共感的傾聴」の演技を磨いた技術が、こんなところで役に立つとは。


「セレーナ、君は本当に美しい。まるで、僕に与えられた神の贈り物だよ」


(どうせこの女は顔が良いだけで思慮が浅い。とりあえず容姿を褒めておけば……)


 アルト・デュラハンは、庭園の席で低く甘い声を響かせながら、セレーナの細い手に自分の指を絡める。その手の動きには、彼なりの自信が溢れている。


 だが——今のセレーナは、百戦錬磨の婚活カウンセラーだ。


 ——「神の贈り物」ですって?

 外見への褒め落とし。相手の内面に一切触れず、容姿だけを持ち上げる。つまりこの男が私に見ているのは「顔」だけ。


 そう、言葉の選び方一つで、人間の本性は丸裸になる。


「まあ、アルト様ったら……そんなに褒められると、照れちゃいますわ」


 ——そもそも婚活でスキンシップはNG。

 今時じゃ、外見の褒め落としもコンプラ違反。神の贈り物だとか歯の浮くセリフは、この時代のテンプレなのか知らないけど……引き出しが浅すぎる。


 セレーナは微笑みを浮かべたまま、右手の中指でそっとこめかみに触れた。指先に伝わる自分の脈拍。落ち着いている。冷静だ。


 アルトの顔には、まるで勝利を確信したかのような表情が浮かんでいる。口角の上がり方が左右対称。


——これは「本物の喜び」の表情だ。

つまりこの男、今この瞬間、心の底から「自分が勝っている」と感じている。

本当に単純な男ね。


「僕は素直な人間だからね、この目に見えている真実は……隠せないよ」


(やっぱり簡単だな。ちょっと褒めただけですぐに上機嫌だ。こりゃ楽勝。彼女の心は、もう俺の手の中だ)



 ——ここまで単純だと、心の声まで聴こえるわ。

 素直な人間は、わざわざ自分を「素直だ」とは言わない。自己申告する美徳は、十中八九、嘘。これ、カウンセラー一年目で学ぶ基礎の基礎なのよね。


 アルトは、さらに自信を深めたのか、もう一段階甘さを増して声を低める。


「君が僕の婚約者になってくれたこと、それが僕にとっての幸運だ。君と一緒なら、僕の人生は完璧になる。すべてが君で満たされるよ」


 彼の言葉は甘く、誘惑的だった。だがセレーナは微笑を崩さず、その甘い声の裏に潜む構造を冷静に解体し続けている。


 ——主語が全部「僕」。

 「君と一緒に幸せを作りたい」じゃなくて「君がいれば僕が完璧になる」。この男の言う「愛」は、全部自分のためのもの。相手への関心がゼロ。ほんと浅い。


「アルト様……なんて素敵なお言葉でしょう」


 ——()()()()()でしょ。笑わせる。こいつ、絶対私を下に見てる。

 でも、いいわ。ここは泳がせる。泳がせて、泳がせて——最後に網を引く。


 セレーナは、一転して柔らかくも冷静な目でアルトを見つめた。その瞳の奥に、先ほどまでの無邪気さとは異なる光が宿ったことに、アルトは気づかない。


「本当にそう思ってくださっているのですね? でも……まだお互いをよく知らない気がしますわ」


目線をわずかに落とす。

これこそ「不安な女」の完璧な演技。——ミラーリングとペーシングの応用だ。


 案の定、アルトは即座に食いついた。彼女が自分の言葉に夢中になっていると確信し、さらに言葉を続ける。


「そうだね、これから一緒に過ごす時間が僕たちをもっと結びつけてくれるだろう。君のすべてを僕は知りたいし、君にも僕を知ってほしい。僕は君にすべてを捧げるつもりだよ」


(ほら簡単だ、もう俺に夢中だな。やはり、ちょろい女だ。もう少し踏み込めば、完全に落ちるはず)


 ——「すべてを捧げる」。

 本気でそう思っている人間は、こんなに早い段階でこの言葉を使わない。


 アルトの指がセレーナの手にさらに深く絡んでいく。


「それにしても……アルト様は本当に素敵ですね。あなたと一緒にいると、私も安心してしまいます」


 ——自信満々。

 婚活現場じゃ自分の容姿に自信があるタイプが一番めんどくさい。

 成婚率が最も低いのもこのタイプ。外見で女を落とせると信じて疑わないから、中身を磨く気がない。まあ、もっと泳がせるか。


 セレーナは甘い言葉を返しながら、さりげなく彼の手を軽く握り返した。

 ただし——握り返す力を、ほんの少しだけ強くした。計算された力加減。


「あなたに心を許し始めている」というメッセージを、言葉ではなく指先で送る。


 アルトの顔に、勝ち誇った笑みが浮かんだ。瞳孔がわずかに開く。快楽の反応だ。


 ——やっぱり単純ね。

 想定通りの反応。この男の心理パターンはもう完全に読めたわ。


 外見への称賛で高揚し、身体的接触で支配欲が満たされ、相手の「従順さ」で優越感を得る。典型的なナルシシストだと断定した。


 アルトはさらに顔を近づけると、手を絡ませながら甘い言葉をささやいた。


「君には僕のすべてを見せるつもりだよ、セレーナ。君さえそばにいてくれれば、他には何もいらない」


「嬉しい……私も同じ気持ちですわ」


 ——「何もいらない」? 財産全部持ち逃げする気の男がよく言う。

 あなたは軽いのよ、言葉が。すべてが軽い。


 するとセレーナはアルトの指をゆっくりと引き離した。急にではない。名残惜しそうに、一本ずつ、指の腹で撫でるようにして離す。そしてその甲に、自分の手のひらをそっと置いた。


 ——主導権の移行。握られる側から、触れる側へ。この微細な変化に、この男は気づかない。気づかないからこそ、利用できる。


 ——さて、そろそろ仕掛けようかしら。


「それにしても……アルト様、あなたのお屋敷についてもっとお聞きしたいですわ。いつかお招きいただけるかしら? あなたのことをもっと知りたいですもの」


 その一言に、アルトの表情が凍った。


 真奈美(セレーナ)はその「凍結」の瞬間を観察していた。一瞬だけ、視線が右下に落ちる——自分の感情を処理しようとしている動作。


 アルトの家の実情は破産寸前で、家財の多くが売却されている。それはセレーナに絶対に知られたくないことだった。


「……え、ええ、もちろん。君を歓迎するよ。ただ、少し準備が必要で……ね」


 ——「準備が必要」。言い訳としては最も汎用的で、最も中身がない。準備に「何が」必要なのか具体的に言えない時点で、嘘は確定。


「そうなのですね。少しでも早く、アルト様のお屋敷にもご挨拶に伺いたいのですが……」


 ——ヒット。やっぱり何か隠している。


 おおかた家財も処分されてるってパターンね。空っぽの屋敷を婚約者に見せるわけにはいかない。この男が私を欲しがっているのは愛じゃない。フォレスター家の財産。それだけ。


 セレーナはあくまで微笑みながら、アルトの反応を観察し続けた。彼の左手が、テーブルの縁を無意識に叩いている。焦燥のサイン。もはや隠しきれていない。


 ——推理の裏付けは十分。でも、情報は集めるだけ集めて、切り札は最後まで温存する。それが婚活カウンセラーの鉄則——。


「あの、お嬢様、アルト様の家は大きいですから……準備には少し時間がかかるのかもしれませんよ」


 突然、メイドのアリサが控えめに口を開いた。純朴な彼女は、アルトの困惑を素直に解釈しているようだ。


 真奈美(セレーナ)は一瞬驚いたが、すぐにそれを利用するアイデアが浮かんだ。アルトの表情が、アリサの言葉でわずかに緩んだのを見逃さない。

 彼はアリサの善意に救われたと感じている。肩の力が抜け、呼吸が深くなった。


 ——アリサの純粋さ。

 アルトにとっては「味方」に見えたでしょうね。でも私にとっては——もう一枚のカード。この子の無垢な証言は、いずれアルトの嘘を暴く最も鋭い刃になる。純粋な人間の言葉ほど、嘘つきを追い詰めるものはないのよ。


 真奈美(セレーナ)は微笑んで頷いた。


「そうですわね、アリサの言う通り。急かしてしまってごめんなさい、アルト様」


 その笑顔は完璧だった。無邪気で、従順で、少し照れくさそうで——そして、その裏側で、真奈美(セレーナ)の頭脳は既に三手先を読んでいた。


(つづく)

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