第43話 魔王との対談
魔王軍の黒鉄の城。
「……すごいな、本当に来ちゃった」
矢田が城門を見上げて呟いた。
「お前、ついて来るって言ったのは自分だろうが」
神宮寺が苦笑する。
「だって面白そうじゃん。魔王の城だぞ?」
帝体大からの使者は、結局五人になっていた。土屋学生会長、狩野、神宮寺、久遠、そして無理やりついてきた矢田。久遠が広げた地図を片手に、城門前で魔王軍の取次を待っていた。
数分後、城門が音を立てて開いた。
「よく来た、人間ども」
迎えに出てきたのはガルドだった。サッカー、野球と二度戦った男だ。今は鎧ではなく、城内用の簡素な装いをしている。
「ガルド、世話になる」
土屋が頭を下げる。
「いや、こちらこそ。協定の使者がいきなり来ると聞いて驚いたが、魔王様も話を聞くと仰っている」
「ありがたい」
「ついて来い。謁見の間に案内する」
ガルドの後ろを五人が続いた。城内は黒い石材で組まれ、天井が高く、独特の静謐さに満ちていた。すれ違う魔族たちが、人間の一行を物珍しそうに見ている。だが、敵意は感じられない。
「魔王様、人間どもが何を伝えに来たのか、すごく興味津々だぞ」
ガルドが歩きながら振り返った。
「協定締結のすぐ後の訪問だ。気を遣ってくれているようでもある」
「そうかい」
狩野が静かに頷いた。
謁見の間は、想像していたよりも質素だった。
黒い石の床、高い天井、奥に魔王が座る玉座。ただそれだけだ。装飾も、過剰な威圧もない。代わりに、空間そのものが静かな圧を放っている。
玉座には、すでに魔王が座っていた。
漆黒のマントを翻し、紅い瞳で五人を見据えている。協定式の時のような正装ではなく、普段の装いに近い。だが、その存在感は何も変わらなかった。
「来たか」
低い声が響いた。
「友よ。何を伝えに参った」
「お時間をいただき感謝します、魔王様」
土屋が深く頭を下げた。狩野たちもそれに続く。
「楽にせよ。協定を結んだ仲だ。形式的な挨拶は不要だ」
「は」
「で、何があった」
魔王の問いは率直だった。回りくどい挨拶を求めない、その姿勢に土屋は内心で安堵した。
「お耳に入れたい情報があります。我々の身内の者が、外で得てきた情報です」
土屋は久遠を促した。
「久遠さん、頼みます」
「はい」
久遠が一歩前に出て、玉座の前に羊皮紙の地図を広げた。魔王の視線がそれに落ちる。
「私は外で大陸の地理を調べておりました、久遠絵里と申します」
「ふむ」
「単刀直入に申し上げます。エルフィリアが、軍を動かし始めています」
その瞬間、謁見の間の空気が、わずかに重くなった。
魔王の紅い瞳が、わずかに細められた。
「……エルフ、か」
低く、地を這うような声だった。
「ええ。この森の境界での偵察活動が活発化しており、戦争準備の兆候が見られます」
「具体的な動きは」
「この辺りで兵と兵糧の輸送が確認されています。エルフィリア東部――つまり、魔王軍領域に最も近い側に集結しつつあります」
「ふむ」
魔王はしばらく無言で地図を見ていた。
久遠が続ける。
「そしてもう一つ、重要な情報があります。エルフィリアが、ノームと手を組んだという噂です」
「ノーム……あのドワーフ共か」
魔王の声に、わずかに苛立ちが混じった。
「あいつらは、エルフとは犬猿の仲だったはずだ。数百年、口も利かなかったほどに」
「ええ。ですが、最近接近している兆候が複数のルートから確認されています。武器の流通、技術者の往来、外交使節の動き……断片的ですが、確度は高いと判断しています」
魔王はゆっくりと玉座の肘掛けに手を置いた。
その手に、わずかに力が入る。
「エルフ如きが」
低く、静かに、しかし確実に怒りを孕んだ声だった。
「我が軍が三国協定を結び、人間どもとも友好を深めたこの時期に、軍を動かすか」
「……」
謁見の間が、静まり返る。
「数百年の宿敵が、ドワーフ共と手を組んだとな」
魔王はそっと息を吐いた。怒りを爆発させるのではなく、内側に沈める。その方が、かえって不気味だった。
「奴らの考えは読める」
ガルドが横から口を挟んだ。
「我々が三国協定で『弱体化』したと見ているのでしょう。スポーツなどに興じる魔王軍に、もはや戦闘力はないと」
「侮りおって」
魔王の声が、わずかに低くなった。
しばし、誰も口を開かなかった。
矢田は普段の軽口を完全に封じている。神宮寺と狩野も、緊張した面持ちで魔王を見ていた。
やがて、魔王が顔を上げた。
「礼を言う」
その言葉に、土屋たちが少し驚いた表情を浮かべた。
「お主たちが、この情報をわざわざ伝えに来てくれたこと。我は、その意味を理解している」
「魔王様……」
「協定を結んだばかりで、まだ互いを牽制しあっている段階かもしれぬ。だが、お主たちは、我らが知らぬ情報を真っ先に届けに来てくれた」
魔王の視線が、五人を順に見ていく。
「これは、協定の枠を超えた行いだ。感謝する」
「俺たちはもう、友人ですから」
神宮寺が静かに言った。
「サッカーで、野球で、本気で戦い合った仲です。あの試合の後、酒を酌み交わした仲です」
「そうだな」
魔王の口元に、わずかに笑みが浮かんだ。だが、それはすぐに消えた。
「で、どうする」
魔王が、ゆっくりと五人を見た。
「我が軍は、エルフィリアに対する備えを始める。それは確実だ。だが、お主たち帝体大は、どうしたい」
「と、おっしゃいますと?」
土屋が問い返した。
「お主たちは、戦士の集団ではない。スポーツのエリートだ。本来、戦争に首を突っ込む立場ではない」
魔王の言葉は、率直だった。
「だが、こうして情報を届けに来てくれた。しかし、エルフィリアからすると、お主たちも我らの仲間、つまり敵とみなされる。それを理解したうえで来たのだろう?これからどう動くつもりか」
土屋が、狩野と神宮寺を見た。二人とも、すでに答えを決めている顔だった。
「我々は、直接戦闘には参加できないが、この戦争を平和的に解決できるように尽力するつもりです」
土屋が告げた。
「ほう」
「友好協定を結んだ三国のうち、一国が戦火にさらされる。それを見過ごすつもりはありません」
「だが、奴らは魔族の存在を許していない。平和的解決なんて無謀にもほどがある」
魔王が静かに言った。
「エルフは長命種で、精霊魔法を扱う。ノームと組めば、その武装は最新かつ強力なものになるだろう。奴らはプライドを捨ててまで、我が軍を壊滅する気だ。それを止めるなんて不可能だ」
「でも、私たち三国は協定を結ぶことができた」
狩野が口を開いた。
「必ず血を流さない道があるはずです。その為に、俺たちは、まず情報を集めます。マジーナ王国にも知らせて、三国で対応を考える。それでも避けられないなら――」
狩野は少し言葉を切った。
「その時は、俺たちもできる限りのことをする」
「ふむ」
魔王はしばらく狩野を見ていた。
「……変わった連中だ」
「よく言われます」
神宮寺が苦笑した。
「お主たちは戦士ではない。だが、戦士以上に頼もしいかもしれぬ」
魔王はゆっくりと立ち上がった。
「では、こうしよう」
謁見の間の空気が、再び引き締まる。
「我が軍は、エルフィリアへの備えを進める。情報収集も強化する。お主たちには、引き続き外部からの情報を頼みたい」
「承知しました」
「マジーナ王国にはこれから行くのか?」
「ええ。次は、王女のもとへ向かう予定です」
「ならば、我が軍からも幹部を同行させよう」
「ありがとうございます」
土屋が深く頭を下げた。
「そして――」
魔王が少し間を置いた。
「もし戦になっても、お主たち帝体大は前線に出る必要はない。我らが盾となる。お主たちには、指一本触れさせぬ」
「魔王様…神か…」
矢田が思わず声を漏らした。
魔王が、わずかに笑った。
「そんな崇高な存在ではない」
魔王は笑いながら話を続けた。
「それにだ…お主らには絶対に成功させなければならないことがもう一つあるだろう?」
「もう一つ?」
「オリンピックだ」
謁見の間の全員が、わずかに目を見開いた。
「戦争が起ころうとしている時こそ、平和の象徴は重要だ。お主たちは、オリンピックの準備を進めろ。我らはできるだけ時間を稼ぐ」
「魔王様……」
ガルドが、わずかに動揺した声を漏らした。だが、魔王は静かに続けた。
「我々はスポーツを知った。戦いだけが世界の全てではないと知った。それは、お主たちが教えてくれたことだ」
魔王の紅い瞳が、深い光を放っていた。
「ならば、その教えを守るために、我は戦う。お主たちは、その教えを広げるために、平和の祭典の準備を続けろ。この戦争が無事終わった時に祝杯と共に、祭典を始めようじゃないか」
謁見の間が、静まり返った。
土屋が、深く頭を下げた。
「必ず最高の舞台を整えておきます」
狩野も、神宮寺も、矢田も、久遠も、深々と頭を下げた。
魔王が頷いた。
「ガルド、客人を案内しろ。今夜はゆっくり休んでもらえ」
「は」
ガルドが応えた。
謁見の間を出た五人は、ガルドの案内で客間へ向かっていた。
廊下を歩きながら、矢田が小声で呟いた。
「魔王、すげぇカッコよかったな……」
「お前、そっち方向で感心するのかよ」
神宮寺が苦笑した。
「だってよ、敵国だった俺たちに指一本触れさせぬって、なかなか言えるセリフじゃねぇぞ」
「確かにな」
狩野も頷いた。
「想像してた魔王像と、全然違うな」
土屋が呟いた。
「以前なら、エルフが攻めてくると聞いたら、即座に殲滅戦の準備を始めたでしょう。それが、こうして我々と相談し、役割分担まで考えてくれている」
「スポーツが、魔王を変えたのね」
久遠が静かに言った。
「いえ、魔王様だけじゃない。我々全員を変えた」
「ハハ、それは間違いない」
ガルドが豪快に笑った。
「俺も、人間どもとこんな風に廊下を歩く日が来るとは思わなかったぞ」
「俺たちもだ」
神宮寺が笑った。
客間に到着し、夕食が運ばれてくるまでの間、五人はしばし窓辺で休んでいた。
魔王軍の城は、高台に建っている。窓からは、魔族が住む城下町と、その向こうに広がる荒野が見えた。
「明日、何を相談されるんだろうな」
矢田が呟いた。
「具体的な情報共有の体制と、今後の動き方だろう」
土屋が答えた。
「マジーナ王国にどう伝えるか、エルフィリアの動きをどう見守るか、戦が起こった場合の役割分担……決めることは山ほどある」
「忙しくなるな」
「ああ」
狩野が窓の外を見ながら言った。
「でも、これが俺たちの選んだ道だ。やるしかない」
久遠が静かに頷いた。
「帝体大は、もう一介の大学じゃないのね」
「ああ。一つの国であり、世界を動かす力の一部だ」
土屋が、地図を眺めながら呟いた。
「……重いな」
「ハハ、らしくないこと言うじゃん、土屋」
矢田が笑った。
「重さを受け入れた上で、軽くやろうぜ。それが帝体大だろ?」
「……そうだな」
土屋もつられて笑った。
窓の外、魔王軍の城下町に、夕日が差し始めていた。
帝体大の戦いは、新しい局面を迎えていた。




