第38章 大会後の夜
夜の帝体大は、不思議な賑わいに包まれていた。
優勝こそ逃したものの、グラウンドに張り出された仮設の宴会場では、選手たちと学生たちが入り混じって肉を焼き、酒を酌み交わしている。負けたチームの打ち上げにしては、空気が明るすぎた。
「いやー、惜しかったなぁ!あと1点だったのに!」
矢田が串焼きを片手に、大げさに天を仰ぐ。
「お前、ずっとそれ言ってるじゃねぇか」
神宮寺が苦笑しながら、隣の席にどっかりと腰を下ろした。
「だってよ、悔しいじゃん。最後の狩野の打球、あと1メートル伸びてれば……」
「言うな。本人が一番悔しがってる」
神宮寺の視線の先で、狩野は囲まれていた。労いの言葉をかけられるたびに、軽く手を挙げて応えている。表情に悲壮感はない。むしろ、どこか吹っ切れたような顔をしていた。
その輪が解けたタイミングで、狩野はビールジョッキ片手に矢田たちのテーブルへやってきた。
「お疲れさん」
「お疲れ。座れよ」
神宮寺が場所を空ける。狩野は腰を下ろすと、ジョッキを軽く掲げた。
「悪かったな、最後打てなくて」
「いや、お前は十分やった」
矢田が即座に返す。
「9回まで投げ抜いて、最後に打席まで回ってきて、外野の頭を越えるかってあたりまで運んだんだぞ。文句なんかあるかよ」
「ああ。それに、野球部はバラバラだったしな。全員うちに残ってたら圧勝だ」
神宮寺の言葉に、狩野は小さく笑った。
「それじゃあ、向こうがかわいそうだろ」
「間違いない」と矢田が肩を上げて笑う。
「まぁ、スポーツの楽しさが伝われば、目的は達成だ」
狩野の言葉に全員が頷き、ジョッキを傾けた。
雑談をしていると、宴会場の入り口がにわかに騒がしくなった。
「おーい、戻ったぞー!」
聞き慣れた声に、狩野は弾かれたように顔を上げた。
入り口から、四つの人影がぞろぞろと入ってきた。大賀、米倉、速水、井戸川――派遣されていた野球部の四人だ。
「ただいまー」
速水が軽く手を振る。井戸川は帽子を斜めにかぶり直しながら、宴会場をぐるりと見回した。
「派手にやってんなぁ。負けたチームとは思えねぇ」
「うるせぇ!」
矢田が立ち上がり、四人に駆け寄った。
「お前らのせいで負けたんだぞ!」
「いやいや、俺たちのおかげで、いい試合になったんだろ?」
速水がへらへらと笑う。井戸川も同調するように頷いた。
「そうそう。ノーゲームだったら、こんなに盛り上がってねぇって」
「言うじゃねぇか……!」
矢田と速水が額を突き合わせる。だがその表情は、二人とも笑っていた。
狩野はゆっくりと立ち上がり、四人の前に歩み寄った。
「おかえり」
「ただいま」
四人がほぼ同時に答える。
狩野は、まず大賀の前に立った。かつてのチームメイト。今日まで敵として戦った相手。
「お前の球、最後まで打てなかったな」
「ああ」
大賀は短く答える。相変わらず無表情に近いが、その目には、わずかに穏やかな光があった。
「次は必ず打つ」
狩野が拳を差し出す。大賀は静かに頷き、その拳に自分の拳を合わせた。
「待ってる」
それだけで、二人の間にあった「敵としての時間」は閉じた。
米倉が肩をすくめる。
「大賀、お前まだ表情堅ぇよ。打ち上げだぞ」
「……俺はいつもこうだ」
「だからお前は会話に色気がねぇんだ」
「うるさい」
その軽口の応酬に、周囲がどっと笑った。
宴は深まっていった。
テーブルの一角では、白石がタブレットを片手に、データの整理をしていた。打ち上げの最中だというのに、その手は止まらない。
「白石、お前まだ仕事してんのかよ」
狩野が呆れたように声をかける。
「仕事じゃない。ただの楽しみ」
白石は顔も上げずに答えた。
「全試合のデータをまとめてる。打率、防御率、配球パターン、走塁の判断基準……細かく分析すると、見えてくるものがあるのよ」
「真面目だな…」
宴の隅では、神宮寺が大江山と肩を組んで歌っていた。何の歌かもわからない、即興のラグビー部応援歌らしきものを。
「おーい、神宮寺、音外れてんぞ!」
「うるせぇ!魂で歌ってんだ!」
「じゃあ、魂が歪んでんだな!」
矢田が突っ込む。
大江山が「どすこい!」と無関係な合いの手を入れて、また笑いが起きる。
その光景を、狩野は少し離れたところから眺めていた。
「狩野」
声をかけてきたのは大賀だった。手にはジョッキを二つ持っている。
「お前の分」
「ああ、悪い」
ジョッキを受け取り、二人は少し離れた手すりに並んで肘をついた。
「マジーナ王国、強かったか?」
「強かった」
大賀は頷く。
「最初は、軍隊式の規律しかなかった。それを野球に応用しようとしたら、ぎくしゃくしてな。米倉と二人で、何度も方向修正した」
「真面目に楽しむ、ってやつか」
「そうだ。あいつらは真面目すぎて、楽しむことを忘れていた。だが、楽しさを覚えてからは、伸び方が桁違いだった」
「指導者として、お前は優秀だな」
「……どうかな。教える立場になって初めて、自分が野球をどう理解していたかがわかった。それも収穫だ」
大賀はジョッキを傾ける。狩野も口をつけた。
狩野は小さく笑った。
「これからが楽しみだな」
「ああ」
宴の喧騒が、夜風に流れていく。グラウンドの端の方では、矢田と速水が再び額を突き合わせて何やら言い合っているのが見えた。神宮寺の歌はますます音程を外し、白石はそれでもタブレットから目を離さない。
帝体大の夜は、賑やかに更けていった。
負けたはずなのに、誰もそう感じていない。
それは、この大会で得たものが、勝敗以上に大きかったからだ。
そして、この夜が終われば、次の挑戦が始まる。
帝体大の戦いは、まだまだ終わらない。




