光と闇の真実 1
客人に挨拶をと言われて連れて行かれた先は、普段生活している王宮の小さな一室だった。
いつもならば中央にある大きな部屋に連れて行かれる筈なのに。
幼いカレナはそう不思議に思ったものの目の前の扉が開かれた為、すぐに考えることを止めて促されるまま大人しく部屋に入った。
そこには既に父親と、弟を腕に抱いた母親、姉と兄がいた。
父親に手招きされて、カレナは足早に駆け寄り伸ばされた手にしがみ付く。そうして父親の顔を見上げると、こちらを見下ろすその目元がほんのりと赤く染まっていた。不思議に思って隣に立つ母親の顔を見上げると、その瞳も同じように色付き潤んでいた。
カレナはいつもと違う両親の様子に訳が分からず首を傾げる。そんなカレナの頭を母親は優しく撫でた。
「カレナ、お父さまの妹君ですよ。あなたにとっては叔母上にあたる方です。御挨拶なさい」
母親に言われてカレナが視線を移すと、目の前には黒髪に不思議な色の瞳を持った小柄な女性が立っていた。
姉や兄は既に挨拶を済ませた後なのか、促されたのはカレナだけだった。カレナは父と母の顔を交互に見た後、頷いてから一歩前へと歩み出た。
「はじめまして。カレナです。おあいできてこうえいです」
いつも教えられている通りに、カレナは淡いブルーのドレスを少しだけ摘まんで可愛らしい仕草で淑女の礼をとった。
幼いカレナのたどたどしい言葉に、その女性は優しげな微笑みを湛えて同じような仕草をした。
「はじめまして、カレナさま。カロリーネ・アンと申します。わたくしこそ、お会いできて光栄ですわ。仲良くして下さいね」
そう言ったカロリーネ・アンの瞳も、両親同様に赤く潤んでいた。
なんとなく落ち着かない気分になりながらもカレナが頷くと、カロリーネ・アンは嬉しそうに笑った後、顔を後ろに向けた。
「さあ、ルードヴィヒさま。御挨拶なさって下さいな」
ドレスの陰に隠れていたのか、カロリーネ・アンに促されて少年が一歩前に出てきた。
その姿を見て、カレナはとても驚いた。
年は三つ年上の兄と同じくらいだろうか。
俯いているため顔はまったく見えない。
けれども、何よりカレナの目を引いたのは、少年が見たこともない茶の混じった金色の髪を持っていた事だ。
この国にはその色彩を持った人間はいない。国交の少ないラヴィーナに異国の使者が訪れることは少なく、更には幼すぎるカレナが公の場に出ることは稀で、遠い異国の人間を見たことがなかったのだ。
カレナは初めて目にする鮮やかな色に目を輝かせた。
少年はカロリーネ・アンの斜め前に立つと、ぺこりと小さく頭を下げた。そして、そのまま動く事も声を発する気配はない。
「申し訳ございません、カレナさま。ルードヴィヒさまは御病気でお声を出すことが出来ません。けれどカレナさまのお声は聞こえておりますから、お気になさらずにお声を掛けて差し上げて下さいね」
見兼ねて出たカロリーネ・アンの言葉は、目の前の人物に釘付けになっているカレナの耳には届いていなかった。
カレナはその美しいその色をもっと近くで見たいという欲求に逆らえず、思わず少年の元へと駆け寄った。
再びカロリーネ・アンの後ろに引っ込もうとしていた少年は、自分よりも幼い少女に突然近寄られてびくりと身体を震わす。
カレナは大胆にも、そんな少年の腰の辺りに両腕を回して抱き付きながら口を開いた。
「ルー……ルー…ド……」
「カレナさまの言い易いようにお呼びになってもよろしいかと思いますわ」
カロリーネ・アンの幾分笑いを含んだ言葉に、カレナは少年に抱き付いたままでにこりと笑うと上を見上げた。そして視界に入ってきたのは、またしても初めて見る美しい色。
カレナは興奮気味に口を開いた。
「わあ!ルウおにいさまのおめめ、とってもきれいね!」
俯いていた少年を下から見上げると、少年の見開かれた瞳は金と銀の二つの色を放っていた。髪の色と同じく、ラヴィーナでは見ることが難しい美しい色。
カレナの視線はその不思議な色に釘付けになる。
目を見開いて固まるルードヴィヒをまったく気にせず、より近くで見ようとカレナは背伸びをした。当然、逃がさないとばかりに、腕はルードヴィヒの腰に巻き付いたままだった。
カレナのその行動に、流石の父親も苦笑いしながら嗜めた。
「カレナ、ルードヴィヒさまが困っていらっしゃるぞ。こちらにこい」
「いや!カレナ、ルウおにいさまともっといっしょにいたいの!カレナもきんとぎんのおめめがほしいです!」
一般には異端とされるものでも、それは世間の常識を知らない幼い少女を魅了するには十分すぎるものだった。
カレナの言葉に、事情を知る大人たちは一様に苦笑を浮かべる。
しかしカレナはそんな大人たちを意に介さず、今度はルードヴィヒの胸元に顔を擦り付ける。絶対に離れないというカレナの精一杯の意思表示だった。
その行動に三人の大人たちは微笑み合い、カレナに妥協案を提案した。
「カレナ。お兄さまとルードヴィヒさまと三人で、お外で遊んでいらっしゃい」
その言葉に、カレナは目を輝かせてルードヴィヒに抱き付いたまま首だけ後ろに向ける。
期待の籠った瞳で兄を見ると、兄は笑いながらカレナに近寄り手を差し出した。
カレナはルードヴィヒの腰に回していた腕を放し兄の手を握ると、もう片方の手をルードヴィヒの手に絡めて強く握る。
やはり、逃げられないようにというカレナの意思の表れだった。
兄とルードヴィヒに挟まれて、カレナは満面の笑みを浮かべながら部屋の外に向かって走り出す。半ばルードヴィヒを引き摺るようにして。
「カレナ、走ると転ぶわよ」
後ろから聞こえる母の声も、カレナの耳には届いていなかった。
カレナは、大好きな兄と宝物のような色を持つルードヴィヒの手を取り、懸命に後宮の庭園へと向かった。
ルードヴィヒがラヴィーナの王宮にカロリーネ・アンと滞在し始めてかなりの日数が経過した。カレナの中ではルードヴィヒは既にこの王宮の住人で、当たり前の存在として確立されていた。
半ば押しかけるようにして、足繁くルードヴィヒの滞在している部屋へと毎日足を運んだ。少しでもあの美しい色を間近で見ていたかったのだ。幼いカレナには、まだ人の外見の美醜は判断がつかない。それでもあの色彩を持つルードヴィヒは常人とは違う存在であるということはなんとなく理解していた。
ルードヴィヒを連れ回すカレナを、はじめは両親も世話係である乳母も窘めてはいたものの、そんなことで諦めるカレナではなかった。そうするうちに逆に大人たちの方が諦め、誰もがカレナの行動に口出ししなくなっていった。
幼すぎて僅かな時間しか教師が付けられていないカレナと、何もすることのないルードヴィヒ。
いつしか二人一緒に居る姿が当たり前となっていた。
時にはカレナの兄が勉学の時間の後に合流し、三人で他愛もない遊びに夢中になった。
表情の一切なかったルードヴィヒも、カレナと兄に対しては僅かに笑顔を見せるようになっていた。
そして、ある日を境にルードヴィヒが声を出すようになった。
幼いカレナはその理由が理解出来なかったが、カロリーネ・アンは涙を浮かべながらも嬉しそうにカレナに礼を述べた。
そんなある日のことだった。
「カレナ、ルードヴィヒさまは明日お帰りになるのですよ。寂しいでしょうけれど、笑顔でお見送りして差し上げましょうね」
「かえる?」
あまりに幼いカレナには、ルードヴィヒが限られた期間で後宮に滞在していることが理解出来なかった。大人たちに期限付きの滞在だと知らされていなかったカレナは、当然のようにルードヴィヒとはこの先もずっと一緒にいられるものだと思い込んでいたからだ。
「そうよ。ルードヴィヒさまはこの国の方ではないの。だから本当のおうちに帰るのですよ」
「カレナ、いやです!ルウおにいさまといっしょにいる!カレナもいく!」
「カレナ。カレナのおうちはここでしょう?でもルウお兄さまのおうちはここではないのよ」
「いや!カレナのおうちかえる!ルウおにいさまといっしょのおうちにする!」
ぼろぼろと涙を零しながら首を横に振るカレナを、母親はぎゅっと胸に抱き締めた。
「そしたら、カレナの大好きなお兄さまにもお姉さまにも、わたくしにもお父さまにも会えなくなるのよ。それでもいいの?」
「いやです!みんなといっしょにいる!ルウおにいさまもいっしょにいる!」
「それでは、ルウお兄さまが家族に会えなくなるわ。ルウお兄さまのお父さまもお母さまもおじいさまも、みんなルードヴィヒさまに会えなくなるのよ。ルウお兄さまが悲しい思いをしてカレナは平気なの?カレナはそれでも良いと思う?」
母親のその言葉に、カレナは泣きながら首を振った。
「じゃあ、カレナは笑顔でルウお兄さまをお見送りしましょうね。大丈夫、一生会えない訳ではないわ。あなたが願っていれば、きっといつかまた会える日が来るでしょう」
優しく諭す母親にカレナは渋々小さく頷くと、部屋から駆け出してルードヴィヒの滞在する部屋へと向かった。
取り次ぎをする侍女を待てず、僅かに開いた扉の隙間から部屋へと潜り込む。入室許可を出す前に姿を現したカレナの顔を見て驚いたものの、ルードヴィヒは何も言わずに椅子へと促した。
涙で濡れた顔を、隣に座ったルードヴィヒの胸に押し付けて無言のまま力一杯抱き付くカレナ。そしてルードヴィヒは、そんなカレナが落ち着くまで優しく頭を撫で続けた。
「ルウおにいさま、またカレナにあいにきてくれる?」
暫くして少しだけ落ち着きを取り戻したカレナは、滲む涙の残る目で縋るように少年を見上げて言った。
そんな愛らしい懇願に、頭を撫でる手を止めてルードヴィヒはこくりと頷いた。
「ほんとに?」
出会った時と同じように、カレナはぎゅっとしがみついたままルードヴィヒの金と銀の瞳を見つめる。
「約束するよ。だからその時までいい子で待っていてくれる?」
「うん!カレナまってる!ぜったいにきてね!」
ルードヴィヒはカレナの言葉にもう一度頷くと、愛らしい笑顔の浮かんだ額に軽く口づけを落とした。
こうして、宝石のような瞳を持った大好きな少年はカレナの前から去って行った。
必ず会いに来ると約束をして。
カレナはその言葉を信じて待ち続けた。
けれど、カレナの望みは叶う事はなく。
少年はいつまで経っても再びカレナの前に姿を見せる事はなかった。
そうして、カレナの中にあった少年の存在の記憶も徐々に色褪せていった。