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ヨアケマエ外伝・零号震電  作者: うにシルフ
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第九章 邂逅

第九章 邂逅



 夕刻と言うにはまだ早いが、半分以上傾いた陽の光の中、翔子を乗せた『震電』は房総半島を南に向かい飛んでいた。審査試験中を示すオレンジ色の機体は太陽の光を浴びて煌めき、うっすらと霞む青空の中、不思議を違和感ない存在感を放ちながら飛翔している。眩しさに目を細めながら右手下方に目をやると、房総半島やその向こうの東京湾、関東平野などが見えた。

 房総半島の丘陵地帯にある最高峰は今『震電』が飛んでいる1/10程の高さしかない。

 翔子はその最高峰である愛宕山を見つけると、改めて自分のいる場所の高さを実感させられた。

 人間が自力でこの高さの山に登ろうとすれば相当な労力が必要とされるが、飛行機さえ使えば誰でも簡単に到達できてしまう。世界最高峰であるエベレストを下に見る事だってできるのだ。翔子は飛行機のすばらしさを再認識すると、「明日はそこまで行ってみようね」と『震電』に語りかける。と同時に4000mという高さが酸素マスク着用高度だと思い出し、慌てて酸素マスクを付けたのだった。

『震電』は房総半島の海岸線に沿って飛んでいる。ので御宿・勝浦沖あたりから西寄りに進路をとり、ついには半島の最南端である野島崎に達した。

 ここまで来ると房総半島一周散歩の折り返し地点であり、今度は北に機首を向ける。するとすぐ眼下に海軍館山基地があるのを見つけた。

 館山基地の航空隊は飛行艇がメインなので、翔子は立ち寄った事がない。滑走路はあるが少し短めで、着速の早い『震電』が降りるには不安を覚える程だった。

 が2年前の【房総沖迎撃戦】の際、32機もの『B-25』の編隊に単機攻撃を仕掛け、1機目の撃墜をした『0式戦闘飛行艇』の所属する基地である。その時の撃墜を見届けた翔子は、あのパイロットはまだこの基地にいるのだろうかと、少し思い出に浸っていた。

 と同時に異様な機体が目に飛び込んでくる。【房総沖迎撃戦】にて大戦果をあげた『地面効果試験機』の生き残りだ。

 この機体は当時館山基地に配備されていた4機の内、唯一出撃しなかったために今も館山基地でその翼を休めている。上空から見下ろすとその最大の特徴である大きな主翼がはっきりと分かり、米軍が非公式ながら『フライング・マンタ』と呼んでその量産化を恐れている事が理解できると翔子は思った。

 もっともその有効性(被害に見合うだけの戦果をあげた事)が分かっていながら、その取り扱いが難しい事やコストが掛かりすぎるために量産化は見送られたらしいが。

 館山基地に目をとられていたしばしの間、当然の事ながらその他への注意は疎かになる。翔子が再び試験飛行に専念すべく意識を集中させて正面に向き直すと、周囲を複数の飛行機、いや戦闘機で取り囲まれている事に気がついた。

「! 油断したっ!」

 戦闘機の群れは既に1㎞程度まで近付いていた。空戦となれば致命的なまでに反応が遅れた事になる。翔子は目も良いし集中している時の感覚はそれ以上に優れていた。そのため模擬空戦の際、敵機役に後れを取った事はないし、そもそも飛行機に乗っている時、ここまで気を弛めた事もない。たとえ乗っているだけで楽しくなってくる機体に出会い、舞い上がりながら操縦していても、締める所は締めていたのだ。

 しかし今回は翔子としては手遅れと思える程油断していて、これだけの編隊が接近する事に一切気付かなかった。

 それでも戦闘機乗りとしての本能がすぐさま戦闘機動をとらせようと筋肉を動かそうとする。がすんでの所で実際の行動には移らなかった。相手の動きが空戦や模擬空戦のそれとは明らかに違っている事に気付いたから。

 現在世界中、中でも太平洋は【海軍休暇(ネイヴァル・ヴァカンス)】と呼ばれる特殊な休戦中である。

 詳細は言及しないが昨年6月に起こった【第2次ミッドウェイ海戦】の結果、日米が海軍戦力の回復を図るために結んだ休戦条約で、海軍兵力を用いた作戦を一時的に中止し、偶発的な戦闘も極力避けるというものだった。

 期間は当初1年間だったが、英独仏などが相乗りしてきて44年末まで延長された。この条約はあくまで海軍のためのものであるため陸空軍は自由に戦闘できるのだが、下手に陸空軍の航空機で艦船を攻撃すれば条約は破綻してしまうかもと恐れ何もできなかったし、太平洋を挟んだ両国が海軍を用いずに戦争をするなんてできないので、自然と太平洋は一時的とはいえその名の通り平和で穏やかな海になった。

 おかげで日本は資源地帯から自由に石油などを運び込む事ができたし、アメリカも壊滅した機動部隊の再建を存分に行う事ができた。

 そこまでするならいっそ停戦にまで持ち込めればいいのに、そう大多数の者は考えたが一部の戦争狂、戦場殺人鬼、死の商人達の声により、戦争自体をやめる事はできなかった。そして海軍が暴れられない反動が大陸での激戦につながったが、それはまた別の話である。

 であるなら自分を取り囲んでいる機体が敵機であるはずがない。既に東京湾の入口であるこの場所まで単発機が空母に頼らず到達できる訳がないからだ。ならば友軍機であり攻撃してくる事はない、翔子はそう結論づけた。

 実際距離が縮まってくるとまずは日本軍機である事を示す緑系の塗装と真っ赤な国籍マークが目に入り、次いで機種、更には部隊識別番号までが見えてくるようになる。

「あれは横須賀空の『烈風』に『雷電改』、こっちは木更津空の『99式局戦』と『零戦』の43型かな? あの形状だと。それにあの無塗装の子は羽田空の『鍾馗』だね。まるで航空際か飛行機の見本市みたい」

 翔子が楽しげに独り言を言うと、彼らが何故自分を取り囲むように飛んでいるのかが気になった。

 見慣れない機体が飛んできたから迎撃に上がってみたけど味方だったってオチ? それが一番無難な考えだが、翔子はすぐに頭を振って否定する。迎撃に上がるにしたってレーダーと連携するのだから、その航跡から逆算すれば余所からやってきた機体ではない事くらい分かるだろうし、第一敵味方識別装置は問題なく作動している。

 味方と分かっていながら迎撃に上がるバカはいない、と思うが、訓練の一環として基地近くに飛来する機体を敵機に見立ててスクランブルをかけるのはよくある話だ。

 そう納得しかけた瞬間、周囲を取り囲んでいる内の1機、横須賀空所属の『烈風』がスーッと『震電』の側へ滑り込んできた。

「やっぱり何らかの指令受けてた!?」

 翔子はなるべく考えないようにしていた考えの方が当たりだったのかと、再び体を強張らせる。しかしどんな命令を彼らが受けていたとしても、彼らの愛機と『震電』の性能差及び自分の腕があれば何とか逃げ切れる。そう自信を持って言い切れる程『震電』の事が分かってきたし、信頼もしていた。

『震電』もそれに応えるかのようにエンジンが今まで以上に快調な音をあげ始める。

後は彼らが次に取る行動を待つだけ。それまではなるべく刺激しないよう真っ直ぐに飛び続けるだけと翔子が腹をくくったら、その表情が分かるくらいにまで接近していた『烈風』のパイロットが、無線を入れるようハンドサインを送ってきた。

 翔子はその時初めて気がついた。岩和田少佐とのやりとりが面倒くさくて成田基地主管制とのチャンネルだけを切ったつもりだったのだが、完全に無線封鎖の状態になっていた事に。

 確かにそれじゃあどこからも邪魔が入らない訳だと、翔子は心の中で舌を出しながら自分の凡ミスを反省し、「了解」の旨を返して『烈風』のパイロットから指示された編隊内用チャンネルを開いて、取り囲んでいる機体と通信できる状況を作った。

「すみません。成田との専用回線だけ切ったつもりだったのですが、操作を誤って全部遮断していたみたいです。お手間を掛けさせてしまいましたね」

 翔子はお詫びの気持ちと多分初対面かつ相手の階級が分からなかったため、なるべく丁寧な言葉遣いで声をかける。すると『烈風』のパイロットから明るい声が返ってきた。

「良かった。意図して無視されてるのかと思いかけてたところだ。このまま何の反応もなかったらどうすべきか悩んでいたものでね。応じてくれて助かったよ。俺は海軍横須賀基地所属の小田島治人大尉。キミの一番近くにいる『烈風』に乗っている。分かるかい?」

 そう言われて『烈風』のコクピットに目をやると、ゴーグルと酸素マスクを外した、まあ美男子の部類に入るパイロットが見えた。爽やかな笑顔を浮かべているのも分かる。決して悪い印象は受けないが、キザっぽいというか女性慣れしているように翔子は感じた。ので翔子は別の意味でも警戒しないとと思い、気を引き締めたまま、しかしくだけた感じで尋ねてみた。

「本っ当にすみません。でももし私が応答とかしなかったら、一体どうするつもりだったんです? もっとも無線が通じたところで何かが変わるとも思いませんけど」

 まだ確証は持てないが神経を研ぎ澄ましてみると小田島大尉や周囲の機体からは、敵意とか悪意は感じられない。だからそれを確かなものにするために、気を許した感じで聞いてみたのだ。すると小田島大尉から、まさかね、な答えが返ったきた。

「なんだ。お嬢さんは我々が暴走した貴女を撃墜しに来たとでも思っているのかい? だったらそれは大きな誤解だ。我々はただ散歩中の新型機がどういうものか見るためだけに上がってきただけさ」

「へっ!?」

 あまりに単純、しかも身勝手な理由で彼らはわざわざ4000mの高さまで上がってきたというのか。その答えに翔子は思わずマヌケな声をあげてしまう。がそんな事はお構いなしに小田島大尉は続けた。

「先程成田基地から連絡があってね。審査中の新型機が半島一周の散歩に出たから、見慣れない機体が通っても気にしないでくれってね。だからウチの基地でも南方から単機で飛んでくる小型機は放っておけと命令が出たのさ。しかしそんな事を言われたらかえって見たくなるじゃないか、新型機ってヤツをね。そんな物好きが数機集まってキミ達を出迎えたという訳さ。キミ達をどうこうしようなんてつもりは毛頭ない。逆にそんな命令が出てたって素直には従わない。ここに集まっている連中はそんな奴ばかりさ」

 その言葉に周囲の機体からも同意の声があがる。それを聞いた翔子は、みんなどれだけヒマなのよ、と苦笑しそうになる。

 小田島大尉は第一印象通りキザな口調ではあるが好青年のようだ。海軍の士官は伝統的にそのような感じの者が多いと聞いた事がある。彼もきっとその口なのだろう。周囲の機に乗っているパイロット達だって話せばきっと気のいい人達ばかりのはずだ。そう思えるようになると一時なりとも彼らを疑った自分を恥じ入る翔子だったりする。ので翔子は自らの非礼を素直に詫びた。

「ごめんなさい。試験中勝手に飛び出してきちゃったものだから、怒った審査主任が手を回して、どこかの基地に強制着陸させられるのかな、って思って。でもそんな感じじゃないんですよね?」

「もちろん。それともそれはお嬢さんの方からデートに誘っていると受け取っていいのかな?」

「違いますぅ。私はそんなに軽くありません!」

 小田島大尉のキザな冗談を真に受けた翔子は真っ赤になって否定する。その初々しい反応に大尉は余裕ある感じで返した。

「だろうね。天下の立花翔子大尉、いや少佐が想い人を地上に残して、他の男と密会なんてらしくないからねえ」

「ふぁああああぁっ!?」

 小田島大尉の先程より強烈な言葉に思いっきり動揺する翔子。今まで安定して真っ直ぐ飛んでいた『震電』が急にブレた事からも、心の乱れっぷりが見て取れる程に。

「な、な、な、何言ってるんですかっ!? わ、私に『おもいびと』な、なんていませんからっ。それに私は『天下の』なんて言われるような事はしてませんしっ」

「フフッ、よく言う」

 大尉はキザな笑みを浮かべながら思った。陸海空問わず戦闘機パイロットからは都市伝説のように語り継がれている翔子の武勇伝──【房総沖迎撃戦】にて単独5機+仲間の援護をして複数の『B-25』を撃墜して、1回の空戦でエースの仲間入りをした事やその他諸々──からすれば、充分『天下の』と言われても(冗談レベルでは全く)差し支えはないだろうに、本人はそれを否定する。武勇伝を自分で語る事自体は問題ないが、それを鼻にかける奴はムカついて仕方ない小田島大尉だったが、謙遜のレベルを超えて否定するのも珍しいと思う。

 もっとも今の精神状態じゃ正常な判断もできるはずもないか、大尉は翔子が思った以上にウブだった事に少々驚いていた。

 数々の武勇伝からすればもっと大胆であっても不思議ではないのに。がそういうのは嫌いじゃない、翔子の過剰な反応は大尉のいたずら心に火をつけてしまった。

 大尉は女性を口説く時、ちょっと意地悪な事を言う癖がある。別に翔子を口説くつもりではないが、面白いオモチャを見つけたとばかりに口撃を続けてみる事にした。

「我々パイロットの仲間内では1回の空戦でエースになった立花少佐は、整備士によって墜とされたという話が広まっているのだが、違ったのかな?」

「べっ、べっつに大地とはそういう関係じゃあありませぬしっ!」

 反論する翔子の顔は極限まで赤くなっていた。もう少し血流が増えたらどこかの毛細血管が切れそうなくらいに。それに言葉遣いも微妙におかしくなっていた。今くらい心が乱れていれば、誰でも簡単に彼女を墜とせるだろう。もちろん空戦的な意味でだが。

 翔子の精神的スタミナは限りなくゼロに近い。それは大尉も感じ取っていたが、あと一言だけとトドメを刺そうとする。

「ほう、大地君と言うのか、噂のカレは。これは他の連中にも教えてやらなくてはな」

「もぅ~~っ、小田島大尉のバカーっ!」

 翔子は『震電』の中で絶叫した。吼えたと言ってもいいくらいに。酸素マスクを着けているから多少くぐもってはいたが、その無線を聞いていた者=『震電』を取り囲んでいたパイロット達が、耳を押さえずにはいられない程の大音声であった。

 流石にこれには参った大尉は、翔子イジりをこれで終わりにする。

「ゴメンな少佐。少佐の反応があまりに可愛かったものだから、つい意地悪をしてしまった。それと片思いのライバル心からかな。今後この手のからかいは一切しないから、できる事なら許して欲しい」

「ライバル心?」

 本当は絶対に許してやらないくらいの気持ちでいた翔子だったが、大尉の発した思いがけない単語に引っかかり、つい気になって聞き返してしまった。

「ああ、実は俺のスコアも単独5機+共同数機でキミとほぼ同じなんだ。もっとも俺は1日5機墜とした訳じゃないがね。それでも同スコアの相手に対しては親近感と同時に対抗心も芽生える訳で。それに俺達みたいな普通のパイロットの個人記録は基本公表されないからさ。1回の空戦でエースになって、新聞なんかでも大きく取り扱われていた少佐が正直羨ましくってね、勝手にライバル視していつか追い抜いてやる、ってずっと思っていたんだよ」

 大尉は照れくさそうに頭をかきながら言った。その本心であろう言葉を聞いていたら、翔子はからかわれていた時の気持ちが随分和らいでしまった。

 自分は別にエースになりたくてなった訳じゃない。敵の物とはいえ好きな飛行機を壊さなければ得られない称号だから。でも自分が戦う事で守られる存在があるのであれば、これからも戦い続けるだろう。

 幸いあの【房総沖迎撃戦】以来、敵はやって来ないのでその腕を振るう事もなく、矛盾する自分の気持ちを無理矢理抑え込まずに済み、割と心穏やかに過ごせているのだけど、そこに撃墜数において自分をライバル視する者が現れた。単純にそれを受け取ればありがた迷惑な話なのだけど、果たしてそれは彼の真意なのだろうか。短い時間の接触だったが、翔子は小田島大尉が名誉とか出世のためだけに、スコアにこだわっている訳ではないと感じている。ましてやただ戦いに悦びを覚えるようなタイプでは決してない。自分達と同じように守りたい存在があるから戦っているのだ、と思う。

 もっとも大尉はその他大勢のパイロット達と同じように、モチベーションを高めるための何かが必要だったのだろう。だからたまたま同スコアであった自分をライバルとして張り合う事により戦う意味を見出して、恐怖とか苦悩に打ち勝っているのだ、と翔子はそう受け取った。

 であればライバル視されるのも決して悪い事じゃない。元々自分達701飛行隊はそういう目的も与えられて結成された訳だし、それがこのケースのように正しく機能しているのであれば、自分も少しは役に立てているのだろうと実感できる翔子であった。

 そこまで思えるようになると、逆に大尉の事が心配になってくる。功を焦ってムリをするのではないかと。だから先程の事は脇に置いて、翔子は大尉に言葉をかけた。

「小田島大尉はまた前線に行かれるのですか?」

「んっ!?」

 大尉は一瞬何を言われているのか分からなかったが、すぐにライバル心≒スコア数の事を気にして言っているのだと思い至り返答する。

「そうだねえ、休戦期間が終わればどこかに行くかも知れないね」

 そういった大尉の声は悟りきったかのように晴れやかだった。

「元々母艦乗り組みだったから、なにがしかの空母に配属されるかも知れないし、どこかの基地航空隊に送り込まれるかも知れない。ただ今は横須賀空の審査部に属してしまったから、このまま現役を終えるかも知れないけどね」

「そうなんですか。てっきり原隊に戻るのかと……」

「原隊も何も、俺がいた『捷龍』は【第2次ミッドウェイ海戦】で沈められて、同時に消耗が激しかった所属飛行隊も一旦解散になってしまってね。だから原隊に戻ろうと思ったら、飛行隊が再建される事が前提で、更に新造の空母が割り当てられるのを待つしかないのさ」

 翔子の言葉に食い気味に入ってきた大尉の言葉は、少し淋しさを含んでいた。

 が実戦部隊への復帰を諦めている様子はなく、休戦が明けたら横須賀空の審査部で引き留めない限りは、どんな部隊であっても戦いを求めて飛んでいってしまうだろう。

 そんな大尉の考えを否定する事は翔子にはできないし権利もない。自分だって好き勝手やらせてもらっているので、言葉に説得力を持たせられないから。

 しかし一部の嫌な相手を除き、見知った人と会えなくなる事を極端に淋しいと感じる翔子だから、こんな風に言うのが精一杯だった。

「……まあ大尉なら私を抜く機会なんていくらでもありますよ。だって私は敵が攻めてこない限り、戦う事のない部隊にいますからね。もっとも本土まで攻め込まれるようじゃあ、日本もかなり危ない状態でしょうけど。でも決してムリはしちゃダメですよ。でないと大尉の口から直接増えたスコアが聞けないかも知れないので」

 翔子は努めて明るく言ったが、やはり声には涙の成分が混じってしまう。

 翔子達701飛行隊がアグレッサーとして訪れた部隊のパイロット達の中には、戦場から二度と帰ってくる事がなかった者が多くいる事を思いだし、その姿と大尉を重ねてしまったから。

 そんな翔子の心の内を感じ取った小田島大尉は、冗談っぽく返す事で翔子の心を軽くしようとする。

「そっちこそ。テストパイロットの事故率は、実戦パイロットの比じゃないって聞くぞ。少佐殿の無理や無茶の噂は我々の耳にも入ってるから、俺からすれば少佐の方が危なっかしい気がするけどね」

「何よそれ」

 小田島大尉の気遣いに気付いたのか、翔子は思わず吹き出してしまう。そしてちょっと強がって、一段と明るく話を続けた。もう声に涙は感じられない。

「司令達が言うには私は規格外らしいから、心配していただかなくていいですよーっだ。それより大尉、今度701と横空の審査部で模擬空戦やりません? 横空の審査部って選ばれた人しか入れないんでしょ? 私まだ直接横空の人とは模擬空戦した事がないんで、その実力の程ってものを知りたいんで。どうです?」

 思いがけない翔子の提案に途惑う大尉。審査部所属の大尉と言っても、そういう事を勝手に決められる立場ではない。翔子を励まそうと思ったら、とんだヤブヘビを突いてしまったものだ。

「俺の一存じゃそんな事は決められないさ。成田か茂原に帰った後、上を通して言って欲しい」

 翔子のような特別な存在ではない一介の大尉としては、そう言うのが限界だった。が大尉自身としては面白い提案だと思った。

 1つには直に翔子に会って話ができると思ったからだが、もう1つ女子だけで構成された701飛行隊の実力に興味を持ったからだ。

 小田島大尉はその時『天城』に乗り込んでいたため参加していないが、【房総沖迎撃戦】の際701飛行隊はかなりの数『B-25』を墜としたと聞いている。そんな彼女達の実力というものを知りたいし、もしその実力が確かなものなら自分達横須賀空審査部のパイロットとしても、得られるものがありそうだと思ったからだ。

 まあ単純に若い女の子と知り合えるのが楽しみというのもあるのだけど。

 そして疑問が1つ浮かんできた。

「それより少佐はその機体で参加するつもりなのかい? だとしたら少々自分にハンデを付けすぎじゃないかな」

 それは当然の疑問というかクレームだった。大尉の乗機「3式艦上戦闘機『烈風』」は昨年初めに採用され、以来同世代の米軍機に対し優位に戦う事ができている。がその開発経緯から中途半端な所も残している機体だった。おかげで『零戦』の時程は優位に立ててないらしい。その事は航空畑の人間なら誰でも知っている事だった。

 対して翔子が乗っている『試製震電』は審査中故にその実力を知っている者はごく少数だ。と言うより正直な話全くいないのではないだろうか。

 初号機が完成して約3ヶ月。全力試験などは行われているが、未だ発展途上なためまだ底は計り知れず、模擬空戦どころか本格的な空戦機動すら公式にはとれてないと思う。

 翔子ですら今日出会ったばかりで、『震電』の事は(翔子としては)全然理解してないと思っているくらいだ。

 が大尉など『震電』に関わってない者からすればそんな事は知った事ではなく、当然自分が『烈風』を扱う感覚で操縦していると考えている。更にはそのスタイルから高性能である事は容易に想像する事ができた。特に最高速度なら『烈風』より50㎞/hは速いと考えている(実際には100㎞/h、量産型の推定値で70㎞/hは速いのだけど)。

 旋回性能などは判然としないが、後ろを取ったって容易に逃げられてしまうだろうし、その速度差からこちらが旋回性能で勝っていたって簡単に追いつかれてしまうだろう。

 それが敵機であればどれだけ性能差があろうとも、泣き言なんて言わずに戦う事ができる。しかしいくら真に迫っていても模擬空戦であるのなら、極端な性能差は勘弁して欲しい。流石に負けてばかりでは技術的に得るものがあったとしても、気持ちが萎えてしまうので逆効果になるかも、と本気で思う大尉であった。

 が翔子は実にあっけらかんと、

「その点ならご心配なく。この子──名前を言っちゃうと流石にマズいと思うので、今はこの子と呼びますが、この子はあくまで成田基地の持ち物ですからね。採用されて茂原基地に配属されない限り、私は自由に使えませんよ。それに701での私の愛機は『飛燕』ですから。もっとも私専用にチューンしているから、この子程じゃないにしても強いですけどね」

 そう言って大尉の不安・不満を払拭しようとした。

 大尉の方はそういう事ならと胸をなで下ろしたが、黙っていなかったのが『震電』である。ヤキモチでも妬いたかのように機体を震わせ、絶対自分の方が上だと主張していた。「ハハッ、その子の方もキミの事を気に入っているみたいだねえ」

 急に『震電』がブレたのを見て、大尉は冗談のつもりで言った。飛行機が感情を持ったり、ましてや乗り手に対してヤキモチを妬くなんて経験がなかったから、冗談以上のものではなかった。

 が翔子から言わせてもらえば飛行機だって感情は持つし心は通じ合う、と信じているため、先程の挙動は『震電』の本心だと分かっていた。

 しかしそんな事を他の人に言っても普通は信じてもらえない。自分がおかしいと思われるか、そんな能力はないと飛行機がバカにされるだけ。だからごく一部の信頼できる者にしかそんな話はしていない。小田島大尉はだいぶ信用できると思えてきたが、まだ自分をさらけ出せる程ではない。ので大尉の「冗談」は流す事にした。

「おっと、もう千葉を通り過ぎてしまったか。じゃあそろそろ潮時だな」

 地上の街並みを見て小田島大尉が唐突に切り出した。もう審査中の新型機、そして翔子とのお喋りを堪能する時間は終わったのだと。そう割り切ってしまえば後は自分達の基地に帰るだけである。名残は惜しいが、勝手に上がってきてしまったのであまり長い時間帰投しなければ、帰ってからの叱責・懲罰が重くなるだけだ。

 大尉はもう一度翔子の方をじっと見ると、

「それじゃあお嬢さん、この辺でお別れだ。また次に会える事を期待しているよ」

 と言って『烈風』を左旋回させ、海軍横須賀基地の方へ帰っていった。そして後に続けと他の機も一斉に『震電』から離れていく。

「またなー」「俺達とも模擬戦しようぜ」「その機体を一日も早くモノにしてくれ。私も乗ってみたいし、本土防衛のために役立ちそうだしな」などの言葉を残しながら。

 その中でただ1機、羽田基地の『鍾馗』だけが立ち去るのを躊躇っているようにも見えたが、それも数瞬の事ですぐに機体を翻し、羽田のある北へと帰っていった。

「みんなもまたねー。ホントにいつか集まって、みんなで模擬空戦やろーっ!」

 翔子もまた取り囲んでいた機体が去っていくのを見送りながら、精一杯の声で別れの挨拶をする。試験中勝手に飛び出しておきながら、こんなに楽しい思いができるとは想像もしていなかったので、せめて明るくお別れする事で、感謝の意を伝えようとしたのだ。

 そして『震電』の風防を内側からそっと撫でながら、

「それじゃあ私達も帰ろっか。みんなの待つ成田へ」

 と言って成田基地のある右手の方へ機首を向ける。飛び立った時よりも陽が傾き、空は少しずつオレンジ色を強めていた。


次話へ続く──

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