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孤ノ影斗記 \ Anti-Dreams  作者: 鰓鰐
第α章 青嵐―Into the Blue ―
5/14

〈4〉

―4―



「……そろそろ、帰ろうか。俺が、送っていくから」


日が完全に落ちる頃になって、八神七斗はようやく切り出す事が出来た。美原はその言葉におずおずと頷くと、恥ずかしそうに目を伏せる。


「……八神くんには、恥ずかしいところ見られちゃったね」


「そんな事ない。俺こそ、情けなかったしさ」


八神七斗は立ち上がると、美原に向かって手を差し出す。それに向かって微笑を返しながら、彼女はその手を借りて立ち上がった。


「……あ」


その時、美原が自らの手を見つめながら、何かに気づいたような声をあげる。そこに、赤黒く乾いた血の跡がついているのを見ると、八神七斗は申し訳なさそうに顔をしかめた。


「あ、悪い!俺、頭打った時に咄嗟に手で押さえてたから、それが着いちゃったんだな……待ってて、今ハンカチを……」


「……血……八神、くんの……」


八神七斗がハンカチを取り出そうとしている一方で、美原はボンヤリとした表情で呟きながら、現の抜けたような顔で自らの手を眺めている。それに気づかず、八神七斗が彼女にハンカチを渡そうとしたその時、美原はよろめくようにして、八神七斗の胸にもたれかかった。


「美原さん!?もしかして、具合が……」


「ううん、違うの。あのね、私……さっきから、ちょっとおかしくて……」


八神七斗の事を見上げる美原の目が、熱でもあるように潤んでいる。まるで蕩けたような、うっとりとしたその表情に、八神七斗は思わず息を呑んでいた。


「私、八神くんの……」


彼女の呼吸が、わずかに荒い。どうすればいいのか分からず、八神七斗が戸惑っていたその時、美原は彼の頬に手を添えながら言った。



「──血が、飲みたいの」



その言葉が耳に届くのと、首筋に痛みが走るのは、ほとんど同時だった。


「なっ……!?」


噛まれている、という事実に気づいたのは、それからさらに数秒が経った後だ。彼女の顔が自分のすぐ横にあるのを見るまで、八神七斗は強烈な痛みのあまり、そんな事にすら考えが及ばなかったのだ。否、噛まれている、という表現では生温(ぬる)いかもしれない。まるで、首の奥深くまで刃物を突き刺され、力任せに引き裂かれたかのような激痛だ。


直後、八神七斗は美原に押し倒される。ちょうどそれは、先刻美原が村山にされていたのと同じような位置関係だった。美原は八神七斗の上に覆い被さるような姿勢で、彼の首から溢れ出る血液を、ピチャピチャと音を立てながら舐めている。それは、想像以上の不快感をもたらすものだった。


「……ッ、美原、さ……」


どうにか押し返そうとするも、彼女の体はピクリとも動かない。大きく体格差があるはずの八神七斗の体を、美原は力だけで強引に押さえ込んでいたのだ。


「……く……ぁ……」


ほとんど抵抗らしい抵抗も出来ず、次第に体から血液が抜けていく。その速度もまた、異常なものだった。数分と経たずに、意識を保つのが困難になる。それは彼に、明確な死の予感を覚えさせた。どれほどの間、そうされていたのか分からない。視界が霞み始め、いよいよ自分の体の感覚が曖昧になってきた頃、彼がとうとう死を覚悟した、その瞬間だった。それまで八神七斗に馬乗りになっていた美原の姿が、あまりに唐突に、彼の視界から消えたのだ。


「……え?」


直後、川の方から水を跳ねる音が響く。朦朧とした意識の中、軽くなった体を音の方に向けると、腰まで川の水に浸かりながら、美原がこちらに怯えたような目を向けていた。だが、八神七斗はすぐに気づいた。彼女の目が向けられているのは、八神七斗ではない。それは、彼の横にいつの間にか立っていた、大きな図体をした男に向けられたものだったのだ。筋肉質な体に、短く整えられた髪の男は、圧倒的な存在感を放ちながらも、二人に気取られる事なく唐突に姿を現し、美原の事を川面へと放り投げていたのだ。


「……災難になぁ」


何が起きたのかまるで理解出来ず、戸惑っている八神七斗に向かって、男はチラリと視線を向けながら呟く。その時、彼の背後から足音が聞こえてきたかと思うと、息を切らした一人の若い女性が、慌てた様子で駆け寄ってくる。


「っと、大丈夫!?」


八神七斗の姿を見るや否や、女性はその隣に屈み込む。八神七斗が無理に体を起こそうと呻いているのを見ると、彼女はその背に手を当てて、それを助けた。


「……っ、美原……美原さん、は……」


ぼやけた視界のまま、川原の方に目を向ける。だが、その目が美原を捉えるより先に、八神七斗の体は大きくよろめいた。それを予期していたように、女性が彼の事を抱きとめる。


「無茶しちゃダメだよ。後は、おねーさん達に任せなさい」


その言葉を耳にしたのを最後に、とうとう血が頭まで回らなくなったのか、八神七斗はそれで意識を失った。様子を横目で窺っていた男は、それを見た後で腰の辺りから短刀のような物を抜き取る。


「モロボシちゃん、わしがやるが、構わんな?」


女性が頷くのを見てから、男はゆっくりと歩き出す。


「悪いが、そうなりゃもう、どうにも……な」


申し訳なさそうに呟きながら、その足が川面へと踏み出される。その、直後の事だった。水を盛大に跳ね上げながら、男の巨躯が美原に向かって、突進するように駆け出したのだ。


「……っ!」


咄嗟に後退しようとした美原の足が、川に取られる。そのまま彼女がバランスを崩し、倒れそうになった、その時だった。


「すまんの」


タンッ、という音とともに、何かが彼女の首を通過する。半円を描くように振られた銀の刃に遅れて、黒色の血液がその軌跡を辿る。それが、自分の頚椎を断たれた音だと気づいた時にはすでに、美原の意識は掻き消えていた。膝から崩れ落ちそうになる美原の体を、男が受け止める。そのまま彼女の体を抱え上げると、男は再び岸の方へと戻ってきて、それを地面に横たえた。


「……さて」


亡骸となった少女に向かって数秒目を閉じた後で、男は短刀を握りなおし、八神七斗の方へと視線を向ける。


「モロボシちゃん、どいときんさい。モロボシちゃんが手を汚さんでもええ」


「サメさん、それがさ……」


八神七斗を抱えていた女性が、困ったように顔をしかめる。彼の首元を押さえていた手をどけると、その下から痛々しい傷跡が現れる。


「それが何か……」


「傷口が治ってないんだよ、この子。吸血鬼化が始まれば、これくらいの傷はすぐに治るはずなのに」


女性の言葉を聞いて、状況が飲み込めたというように、男が眉をひそめた。


「つまり、そりゃぁ……」


「うん。サメさんと……同じ、って事だよね」


「医療班は呼んである」と付け加えながら、女性は不安そうに八神七斗の顔を覗き込む。その隣で、男は後頭を掻きながら、居心地が悪そうな、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。




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