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タン、タン──と、タータントラックを叩く規則正しい音が響く。荒い呼吸の音がそれに混じり合い、独特なリズムを作り出す。それらを後ろへと置き去りにするように、体は風を切り、前へ、前へと進む。
一瞬、体の軸がぶれる。それで速度を落としかけるが、すぐに持ち直して前進を続ける。コンマ1秒でも速く。1ミリメートルでも前へ。強固なその意志に、肉体は追い付こうと必死になっている。
ひたすらに足を踏み出して、がむしゃらに両腕を振る、単調な作業の繰り返し。だがしかしその行為は、自身との戦いと呼んで差支えないものだった。
──だからこそ自分は、走る事が好きだった。どんな形であれ、走っている瞬間だけは、自分自身という存在と、向き合えている気がしていたのだ。
将来、未来。そういった、漠然とした大きなものに対する不安を、振り切るように。「やりたい事」と「やるべき事」の両方が分からないもどかしさを、払うように。高校生活という、二度と戻らない日常を無碍に消費している感覚を、耐え忍ぶように──自分はただ、ひた走った。
爪先が、ゴールラインを超える。その瞬間脱力し、半ば崩れるようにして両膝に手をついた。酸素を求める肺は熱を帯び、髪の先では汗が滴になって零れていく。しかしそれでも、脱力に勝る達成感があった。疲労に勝る快さがあった。一つの目標を成し遂げた事に対する、手応えのような感覚に浸っていると、今の100メートルのタイムが──自己ベストを更新した事が、告げられた。
思わず両腕を突き上げながら、快哉を上げる。それを聞いて駆け寄ってきた部員達が、無理やりに肩を組んでくる。ふざけて、スポーツドリンクをぶちまけてくる奴もいた。汗と糖分でみんなベタベタになりながらじゃれ合う。みんなして、馬鹿みたいに笑い合った。
そんな青春の一場面を、大事な記憶として保存する。しかし一方で自分は悟っていた。この喜びはきっと、期間限定だ。何にも縛られず、好きな事だけに全力で挑んで、目標を達成して仲間と喜び合っていられるのは、この瞬間だけだ。高校生の間にだけ許された、一時だ。
きっといつか、自分もこのランニングシューズを置く時がくるだろう。忙殺され、好きな事にも時間を割けないような将来がやってくるのだろう。そんな、薄ら寒いような不安が背筋を撫ぜる度に、自分はまた、それを振り払いたくて、スタートブロックへと足を運ぶのだ。