会いたいと思っている人に、会えないと知った時
楽しいひとときに、舞い込んできたのはとても悲しい知らせだった。
歌って踊ったマスターのお料理教室は、混迷を極めたもののなんとか形になってきた。メインはミートボール! 最初、ハンバーグが良いと言うしぃちゃんと、押し問答になったけれど、最終的には講師役のマスターの鶴の一声……いやドラゴンの一声で決まった。
さあ、仕上げに入ろう。そんな時だった。窓からコツン、コツンと音がした。今度は一体何だろうと思いつつ、カーテンを開けると大きな漆黒がベランダの手すりに佇んでいた。
ドクンと心臓が嫌に大きな音を立てた。
――まさか、そんな……。
震える手で窓を開けると、それに気がついたワタリガラスがふわりと舞い降り、口に加えていた一輪の花を私の前に置いた。薄青色の小さなその花は「勿忘草」花言葉は「私を忘れないで」。
「彼女は、逝ってしまったの?」
私の言葉を理解しているのか、ワタリガラスは無言でうなずくと依頼は済んだというように、飛び去っていった。その後姿にあわててお礼を言う。
「ありがとう。知らせてくれて、本当にありがとう!」
その花を手に取ろうと少しかがむと、ぽろりと涙が零れた。一度こぼれ落ちるとあとはとめどなくそれに続くばかり。全身にベッタリと悲しみが張り付くように、私の身体から蔦がザワザワと這うように伸びてきた。
とっさに、マスターに抱きしめられる。自分自身の蔦で首を締め付けてしまう前に、気道を確保してくれたんだろう。以前も同じような事あったから。深い悲しみに陥り、蔦で全身をぐるぐる巻きにして、それはまるで繭のように、悲しみから守るように。
けれど、それはただ殻に閉じこもっているだけだった。だって、一人で何日も蔦にくるまれた所で、本当の悲しみは癒えなかった。
しかも、その時は一人きりで、コントロールできず自分を締め付けた状態で、光合成でなんとか生命だけは維持されていたものの、それを発見して蔦から開放してくれた、しぃちゃんとマスターにはものすごい心配と悲しい思いをさせてしまった。
――だめ。やめて。
以前のようにならないために、必死でそう願っても、焦れば焦るほど蔦は伸びて行き、今にも二人を飲み込むような勢いだ。マスターの身体から骨が軋む嫌な音がして、息をするのも苦しそうなのに、私を安心させようと微笑みを崩さない。どうすればいいのか分からなくなったその時。
「バンちゃん! 私も一緒に!」
しぃちゃんの割れんばかりの大声に、一瞬パニックから気がそれたかと思えば、脇腹あたりに強烈タックル。今までにない衝撃に、マスターも私も思わず「うっ!」と声にならない呻きをもらす。
「一人じゃないからね。私もいるからね。だから、閉じこもるなら私も一緒に。てか、マスター! 何抜け駆けしているんですか? バンちゃんは……、バンちゃんの……」
こんな状況で、抜け駆けも何もあったもんじゃないけど、自分でも何を言っているのか、分からなくなっているしぃちゃん。けれど、その必死な様子があれほど囚われていた悲しみから、掬い上げてくれるように、嬉しさを呼び込んでくれた。
それと同時に、蔦の力が緩まった。それを感じたマスターが絡まった蔦を解いていく。しぃちゃんは、私にしがみついたまま、マリリンはどうしたら良いのか分からないと、オロオロしているだけだった。
「マスター、しぃちゃん、マリリン。心配させてごめんね」
私が誤ると、マスターは「大丈夫」と言ってくれるように、やっぱり微笑んでくれて、しぃちゃんにはよっぽど心配をさせてしまったのか、これはちょっとやそっとでは、離してくれそうにない。困ったな。でも、嬉しいな。
「とりあえず、おフロ沸かすから、入るんだお! しぃちゃん、バンちゃんの残りの蔦の事お願いだお!」
どうしたもんかと思っていたら、マリリンがそう提案してくれた。たぶん今のはマスターの言葉だと思う。
「しぃちゃん、お風呂で残りの蔦取り除いてくれる?」
返事はなかったけれど、その代わり大きく頷いてくれた。じゃあ行こうと、しぃちゃんを立ち上がらせるため手を貸そうとしたら、もの凄い勢いでお姫様抱っこされて、そのままお風呂場に連れ込まれた。
あれ、デジャブ?
確か苔を生やした時も、こんな感じだったなと思い出しているうちに、あれよあれよという間に素っ裸にされ浴室の椅子に座らされる。けれど前と違って今回は不気味なほど静かに、でもやっぱり丁寧に肌を傷つけないように優しく蔦を取ってくれる。
ただ、やっぱり以前同様それを大事そうに集めているのはもしかして。
「ねえ、しぃちゃん。その蔦どうするの?」
「……」
「しぃちゃん?」
「ガーデニングに活用して、バンちゃんの変わりに愛でるの……」
うん。有効活用して貰えるなら蔦も本望だろう。ありがとう。
綺麗にとってもらった後も口数少なく、しばらく大人しく洗われていた。そして湯船に浸かると、おそるおそる、しぃちゃんが口を開く。
「バンちゃん、さっきの……」
「うん。お風呂から上がったら聞いてくれる?」
「でも」
「大丈夫。今日はしぃちゃんが、そばにいてくれるから」
お風呂から上がると、何もかもしぃちゃんに世話を焼かれて、すっかり落ち着きを取り戻した私はリビングに向かう。すると、マスターが片付けを済ませた上に、お茶の用意までしてくれていた。
ソファに座るとすぐ横にしぃちゃん。反対側の隣にマスター。膝の上にはマリリン。お茶を飲むどころか、身動きすらとれない。すると、マスターがマリリンを自分の肩に移動してくれた。
テーブルには、さっきワタリガラスが届けてくれた勿忘草と、私が生やした蔦の一部が、一緒にグラスに注いだ水に挿されていた。