彼らの仕事3
イヴァンはしばらくメリッサの顔をじっと眺めた後、首を横に振った。
「メリッサ殿の言う意図がわかりかねますな」
そういいながら皮肉気に笑うイヴァンをメリッサは相変わらず何の感情も浮かんでいない瞳で見つめ返した。
「騎士イヴァン、貴方の与えられた任務は私をここに置き去りにして魔獣の餌にすることでしょう。そうなら彼らを神の御許に返すことが貴方の目的ではないはずです。剣を握る貴方であろうとも、不要な殺生は避けたいのではないですか」
メリッサは目線を後方で警備と雑務に取り掛かっている5人の騎士に向けた。
彼らはこちらに注意はしているものの、己の職務を全うするべき目の前のことに集中しているようで、こちらの話を聞いている様子はない。
「滅相なことを言うものではありませんよ、メリッサ殿。それではまるで、私があなたと、彼らを殺そうとしているようではないですか」
イヴァンは声を落として鋭い目線でメリッサを刺した。
イヴァンの視線の強さなど歯牙にもかけないような仕草で、メリッサはゆっくりと顔を横に振った。
「事実でしょう。あなたがユニ神殿に組み込まれていることは知っています。理由についても、ある程度推測はしています。
だた、一つ勘違いしていただきたくないのは、私は私の処遇について反抗も主張するつもりもないということです。私がお願いすることは、私をここまで運んでくれたあなたと彼らの無事だけです」
メリッサはそういって、目線を遠くに投げた。
イヴァンはメリッサの視線につられるように緊張感はあるものの、まだある程度リラックスして職務に就く騎士らの姿を見て、苦く笑った。
「それは、神からの神託ですか?」
「予言のようなものです。私の先はこれより後は示されていませんでしたから」
「……本当に、いい加減何者なのか教えてもらえませんかね。神託の巫女とはいえ見習い程度に予言が与えられるはずないでしょう」
「あなたに説明する義務も責任もありませんから黙秘します」
予言は高位の聖職者、もしくは偉業に挑むもの、そして各国の王族は必ず受けることができるが、それ以外の者については高額な寄付金を支払わない限り受けることはできない。
神託は神からの直接のメッセンジャーであり、人はそれを唯々諾々と受け入れるだけである。しかし予言はあくまで人が望むものである。知るときに神の御力を借りることになるが、それだけだ。そこに神の意思はない。ただの未来に起こりうる可能性の高い事実なだけである。
メリッサは神子であるのだから、神から勝手に予言なら神託なり雑談なり望めばどれだけでも受けることができる。だが、今回は身分を偽った旅である。正直に言うことは許されていないし、言うつもりもない。だからメリッサはイヴァンの追及を容易く切り捨てた。
「予言の件はまぁ、色々な事情やらなんやらあるんでしょうからわかります。しかし、この後がないということは、メリッサ殿は死ぬ気ですか」
予言は事細かに乗っているわけではない。最初の日(誕生)と途中の主だった出来事と、最後の日(死没)について書かれているのみだ。メリッサのいうことが本当であるのならば、メリッサはこの祭壇で死ぬ確率が高い。
道中で知ったということはないだろう。であったとするならば、事前にわかっていた出来事を避けることもせずこの場に来たということだ。おまけに見習いとはいえども、クーベルトが直々に目をかける巫女であるというのだから、その力は得てして図るべきだろう。そこまで思い至って、イヴァンはメリッサを凝視するが、その表情は頑なに動かない。
「私の運命なんて、誰にもわからないわ。予言なんて、いくつかある道の一つに過ぎないのだから。でも、彼らはそうではないでしょう。普通に生きて、普通に死ねることが許された人たちでしょう?生き残る可能性があるのに私を理由に死んでほしくないだけ」
しかもここ、祭壇でしょう。
神獣が直接血をまき散らすのであれば許されるのだろうけれども、それ以外の私用で血を流すことは避けたい。
個人的に言えば、メリッサはこの森にきたのは初めてなのだが、どうにも嫌いにはなれなかった。それは1か月前まで主神殿という有数の清められた場所にいたせいかもしれないし、神の御使いが降りる場所と定められているからか澄んだ土地の気配のせいかはわからないけれども。生き物にとってはそこにいるだけで忌むようなイグの木に囲われているのに、メリッサはいつになく落ち着いていた。そんな場所を穢したくないというのが本音だった。
「私が死んだ証が必要なら、この後いくらでも“拾える”でしょう。それに、魔獣が神獣であったものなら、私が帰還しなくてもいい訳は立つでしょう」
「…本当に、俺たちはあんたが何を考えているのかさっぱりだ」
面倒になったのか、イヴァンは頭をかきながら深々と溜息を吐いた。
幾分か口調が砕けているのは、メリッサの主張を受け入れたからか。
メリッサはララから「可愛い!」と褒められた小首をかしげてみせた。
「理解を求めていないからかしら?」
「だろうな。なぁ、そういう年相応のなりふりできるならついでにその無表情もちょっとは取り繕った方がいいんじゃないか」
「楽しくもないのに笑えますか」
「違いねぇ」
鼻で笑うように同意して、イヴァンは馬車で荷卸しをしている騎士から黒い鎖をいくつか持ってきた。
「メリッサ殿。最後の晩餐を済ませたら俺たちはここにあんたを縛り付けてこの森から逃げる。その時にメリッサ殿の髪を一房もらうがいいか」
「好きにしてください。逃げるならまだ日のあるうちの方がいいでしょう。暗くなって馬がイグと接触するのは可哀そうだわ」
全うな騎士であれば、メリッサの護衛という名目で同行してきたというのに危険な場所で身動きの取れない状態で置き去りにするなど、職業騎士どころか人として許される行為ではない。彼らの説得については双方から言うこともなかったので、メリッサは気が付かないふりをした。
ただ、せっかく薄くなった手枷の跡が死ぬ時にはまたついているというのは少し、残念に思った。