予言
翌日、メリッサが目覚めるとそこにはララがいつものように控えており、メリッサが目覚めたことに気が付くとグラスに水を注ぎ差し出した。
「おはようございます、メリッサ様。今日はお体の具合はいかがですか?」
「おはよう、ララ。いつもよりも寝てしまったような気がするのですが、体調は変わりませんよ」
「それならよかったです。昨日は色々ありましたから」
ララはほっとしたように微笑んで、そのまま食事の準備をしてくると部屋を出て行った。
メリッサはそれを寝床から上半身を起こしたまま見送った。
何か口から吐き出しそうになった言葉を飲み込むようにメリッサはぬるい水を口に含ませ、昨日のことを思い返した。
その時点で自分ができることはした。
この先の自分を待ち受ける悲劇とも喜劇ともいえない将来のための布石は打てたと。
メリッサが憂いているのは彼の禍福の巫女のことではなかった。純粋に自分の将来についてである。メリッサはララが思うほど他者への慈しみの感情はない。あったとしてもそれは自分の世話をしてくれるララと自分を保護する筆頭であるクーベルトぐらいなのだ。
神託”ごっご”により刺客が送り出されたと知った時点で、その者の命はないということはある程度予測がついていた。歴史を見ても、ある一定の立場を持つ人間は決まって暗殺の危機があるということは学んでいたので、あの継母の性格上ありうるとは思っていた。
メリッサは刺客である彼女を亡き者にしようなどとは思ってはいない。むしろ反射魔法でひっくり返してから拘束魔法で捕獲しようと思っていたのだ。だが、メリッサの監禁部屋へ入った時に彼女を見て手遅れだとすぐにわかった。彼女を取り巻く死の影が幾重にも重なっており、その禍々しさにメリッサは手を差し伸べることに躊躇した。その躊躇がなければもしかしたら、彼女の命ぐらいは救えたかもしれない。それは事実だ。
自分の周りをうろうろしている神々はメリッサに直接かかわること以外は「そんな些細なこと」という程度で、本質的なところでメリッサの心情を慮ることはない。彼らにとってメリッサと自分が加護を与えた人間以外はひとくくりに「人間」というだけで識別などしない。多少減ったところで別段気にしないし、信者とそうでないものの区別も神にもよるがそこまで大きな差は付けない。だから彼らがメリッサの意思を察して名も知れない禍福の巫女を助けるなどということはまず有り得ないことであった。彼らはそこまで人に優しくはない。
メリッサの魂はその加護の強さが人間離れしているが、それでもその魂を包むのは人間の体である以上、彼女は人間への慈悲がそこまで持てないとしても、神と同じぐらいに割り切ることはできなかった。それは元々クーベルトがララをつけた目的である。狙い通りではある。
その状態が続けば、いずれはもっと広い範囲で慈しみを覚えた少女になっていたかもしれない。だが、ここにきて継母以外に露骨なまでの悪意に晒されたことなどなかったメリッサは初めて殺意を向けられた。
基本的に平坦な生活を繰り返すメリッサであるから感情が揺れることなどほとんどない。そんなメリッサにとって、彼女の死は予想していたよりもずっと衝撃が強かった。
本能的な死の恐怖を禍福の巫女の死体を前に初めて感じた。
何事も仕方がないと諦めがちであったメリッサであったが、明確な己の命を奪おうとする他者がいるということを目の当たりにすることで認識したのだ。
ララは演技といったが、あの瞬間、間違いなくメリッサは生まれて初めて怒りを覚えたのだ。
理不尽に自分の命を搾取されることに対して、そしてそれを許してきた人間に。
その怒りは当人とその根本を向けた人間に向けられた。
何かをするまでもなく、メリッサの運命はある程度先まで決められてしまっている。それもまた策略であることをメリッサは知っている。それは自分に力も神子としての権限もまだ認められていない頃だったからだ。今の現状はその時の自分が弱者である為だとメリッサは理解している。たとえそれが当時、ようやく一人で歩ける程度の2歳児だとしても。
「弱者」であるメリッサが、この件についてこれ以上関わるのはよくない。メリッサが表舞台に出れば出るほどこの手の輩は増えてしまうことは理解している。この怒りに身を任せて自分の死を願う人間へ報復を願ってもそれはきっと上手くいかない。メリッサが禍福の巫女の死を利用してこの部屋から出たとしても、それは罪人の扱いである。弱者のままで外に出たところで無意味に自分の命を失うことになるだけなのだから。
メリッサはまだララが戻らないことをララの神力が離れていることで確認した。
左手に神力を寄せて何もない宙から引き抜くように取り出したのは一枚の薄い水色の石版であった。水色は知恵と時を司るタール神の象徴色である。ララはそれを指でなぞった。
「タール神の予言の通りならば、私がこの神殿を出るまで残り7年か」
12歳を迎えるまであと何度同じ光景を見なければならないのだろうか。
メリッサは再び寝床に転がった。ふかふかの枕は多少強めにメリッサがぶつかったところで難なく衝撃を吸収してくれる。抱きつくように枕に顔を埋めた。
ララが必死になって作った綿を詰め込んだ布の塊に突き刺さったナイフとその横に転がる死体を思い出して、メリッサは枕を抱きしめる力を強めた。
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クーベルトは言葉をなくしていた。
年のせいで言葉が出てこないというわけではない。死んだわけでもない。
クーベルトは今メリッサがいる部屋の隣、つまりいつもメリッサがいる監禁部屋にいる。
隣室と面している壁の一部は至極小さな穴が開いている。
クーベルトはその穴のうちの一つから水をレンズの要領で隣室を覗き見ていた。別に幼女の着替えが見たいとかいう趣味は断じてない。
ララが部屋から離れた以上、メリッサか部屋から出ないように監視する必要があるので、別にクーベルトがその大義名分によりメリッサを視ることは問題ではない。ただその姿勢は問題だが。
クーベルトはメリッサが石版を取り出し、そしてメリッサの声を聴いていたのだ。
わが目と耳を疑うが、メリッサが無造作に投げ捨てた石版はタール神が予言を与える際に残す石版と同じように見えた。文字までは見えないが、メリッサの言葉が予言のことに関するのであれば、7年後、何かしらの理由によってメリッサは神殿を出ることになる。
7年後といえばメリッサは12歳。ララがメリッサの下に来た年齢よりもまだ若い。
そんな年齢で神殿を出る理由はそこまで多くはない。喜ばしくない理由で出されるとすれば、可能性として高いのは彼女が今ここにいる存在理由によるものだろう。
それについては供物であることをメリッサは受け入れてしまっていることから、神への贄として命を捧げることは彼女にとって恐らく問題はない。であれば、神殿を出る理由としては供物として出るのだろうか。それか、情勢が変わって神子の力が必要になって出るのかもしれない。
少なくとも運命に逆らわなければ、メリッサはその時点まで生きることができる。
だが、今回のようなことが続き、「最悪」が起こればその予言は成就されることはない。
予言を絶対などというつもりはない。悪しき予言が下されたのであれば、それを妨げるために人は必死に戦うこともあるのだから、一律に予言がすべて成就するとは思わないし、かといって予言そのものを否定するつもりもない。だが、メリッサをここから出すとなればメリッサの神子の位が取り上げられるか、それか神子の身を捧げるような神の異変があるか、その力が要るほどの凶事が起こった時である。
メリッサはその7年後のためにここにいることを受け入れ、そしてその予言を邪魔する者へ怒りを抱いたのかもしれない。神の意思に沿うべく、ここにいるのだとすれば自分は何をするべきか。
クーベルトはララが戻ってくる足音を聞いて壁から音を立てずに離れた。
あと1刻ほどしたらカルプ神官と昨日の打ち合わせになる。第三上級神官ともなればヴェレ神殿内でも伝手はいくらもあるだろう。
忌まわしいナイフを布で包み、クーベルトは部屋を出た。