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ようこそ、夢の牢獄へ  作者: 看守長と囚人たち
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Chapter1-木染蘭:過去の呪縛

委員長さんによる投稿です。

声が聞こえる。

何の声かはすぐに解った。母の声だ。今にも喉が潰れる程に声を荒らげ、娘を殴る。蹴る。叩く。怒鳴る。

娘が何度許しを乞うても、それは母の燃え上がる怒りの炎に油を注ぐだけだった。

母が叫ぶ侮蔑の意味を娘は理解する事が出来ない。ただし、時折聞こえる「使えない子」という言葉だけは何となく理解していた。

母は娘をよく「使えない」と言って罵る。この言葉は大抵娘が何かをしくじった時に使われるため、恐らく「役に立たない」という事を意味するのだろう。

すると側で煙草をくわえていた父も立ち上がり、娘の側に寄る。かといって娘を庇う訳ではない。寧ろその逆だった。

父は娘の右手を掴み「使えない手はもう使う必要なんかないよな?」と理屈の通りにくい言葉と共に娘の手のひらに煙草の先をがむしゃらに擦り付けた。

右手に感じる強烈な痛みに泣き叫びながら、娘は声を絞り出す。


「許して…ください…!」



・・・・・・・・・・・・



「…木染さん!?木染さん!?大丈夫ですか!?」


看護師の声が聞こえ、娘ははっと我に帰った。

右手を見ると、古い火傷の痕しか残っていなかった。

つまりは、夢を見ていた訳である。

それも当然、娘の両親は1ヶ月前、娘を家に放置してパチンコ店に入り浸りしていた頃に謎の奇病を発症し、突然死したのだ。

「昏睡病」。今まで元気であったはずの人間が突然倒れ、意識が戻らぬまま一週間以内の内には必ず死ぬという正体不明の奇病。という話を両親が死んだ後に医師から聞いた事がある。

当然、そんな都市伝説じみた内容を信じる事など出来なかったが、ニュースや新聞でも取り上げられるようになってくると信じざるを得なくなっていった。

娘は両親が怖かった。だからと言って両親が死んだ事を嬉しがる事はなかった。


「あの…看護師さん」


「はい、何でしょう?」


「ご飯、作りましょうか?」


娘、木染蘭(らん)は今でもなお両親の「教育」の爪痕が残っているのだから。


「な、何を言っているんですか木染さん!?それは私達の仕事ですよ!」

看護師の困惑しながらの返答は、逆に蘭までも困惑させてしまう。


「えっと…何か間違った事、言いましたか?」


「…はいっ?」


看護師は蘭の言う事が理解出来なかった。

普通患者は看護師が世話をするものである。それをさも当たり前のように否定されるとこちら側も何と返事すればいいのか解らなくなってしまうのは明らかだ。

だが、看護師は気付いた。蘭の手の甲に未だ消えずに残る火傷の痕に。そして、両親が火傷と共に刻みつけた蘭の思考に。

蘭は物心がついた頃から虐待を受け続け、他人に従順であることをただひたすらに植え付けられ続けた。

両親が死んだ今でも、その心に、頭に植え付けられた思考は蘭を蝕み続けた。


「…木染さん、もうご両親はいないの。だから…もう無理はしちゃダメなの」


「無理…と言われても、私はこれしか出来ないから…やらなきゃならないんです」


使命とは異なる呪縛。彼女は今でも、過去に捕らわれ続けていた…。






時は経ち、1ヶ月後。蘭に友達が出来た。

カーテンで仕切られているため顔は見えず、名前すら聞いていないが、同じ病室だったため話をしてみた所、なんと同い年なんだと言う。

出会いは偶然、しかし仲良くなるのは必然であった。彼女もまた、過去に捕らわれし者であったから。


「私、学校でいじめられてたの…それで…耐えられなくなって…」


彼女の話を要約すると、こうだ。

彼女はいじめを受けていたことを教師や両親に話さなかったと言う。恐らく脅迫、否、無意識に脅迫を受けた気分になっていたのだろう。

そして、耐えきれなくなった彼女は…壊れた。

昼休みの教室で突如錯乱し、椅子を投げつけ、机を蹴飛ばし、教室を見るも無惨な姿に変貌させた。

いじめを知らない教師や両親にとっては精神障害と判断され、この病院に入院させられ、現在に至った。


「…私達、似た者同士だね」


蘭の場合、耐えきれず壊れはしなかったものの、壊れる寸前まで陥っていたから、彼女の思ったこと、感じたことは蘭の胸に痛い程突き刺さった。

彼女を慰めてやりたかった。頭を撫でてやりたかった。

しかし、カーテンという薄く脆い境界を超えることは、蘭には叶わなかった。

他者の境界に踏み込むことが、恐ろしかった。話しかけるだけでも胸が張り裂けそうな気分だったのに、触れられるはずがなかった。

彼女は、泣いていた。自らの愚かさと不甲斐なさと後悔に怯え、泣いていた。

そして蘭も、つられて泣いてしまった。






それから毎日、蘭はカーテンの奥の友達とお喋りを楽しんだ。

そして二人は、互いの名前をようやく交換した。

彼女は「(たちばな)永禄(えいる)」と名乗った。素直に「変わった名前だね」と返すと、永禄も笑いながら「よく言われるよ」と返してくれた。

永禄と話すことは楽しかった。彼女と話す時だけは、両親のことは忘れていられた。

最近は両親の夢も見なくなった。看護士の女性も蘭の様子を見ると非常に安心するようになっていた。


―――だが、運命とはあまりにも残酷なものだった。

ある日を境に、カーテン越しの永禄の声が全く聞こえなくなってしまったのだ。

何度声をかけても返事はなく、代わりに震えるような呻き声が聞こえるようになっていた。

何があったのかと看護士に尋ねても、何も答えてくれなかった。

蘭は日を重ねる毎に弱っていく永禄の呻き声に耳を傾けることしか出来なかった……。




遂に、永禄の声は聞こえなくなってしまった。

蘭は意を決してカーテンを開くことにした。

恐る恐る手を伸ばし、あまりの震えようでカーテンが破いてしまいそうなのを必死に堪え、少しずつ、少しずつ確実に開いた。


「永禄…ちゃん…?」


カーテンの先に、永禄はいなかった。代わりにベッドの上には大きなクマのぬいぐるみと、花束が添えられていた。

永禄は…もうこの世にはいなかった。


「…え?なんで…どうしていないの?どうしてお花とクマさんしかいないの…?」


ついこの間までは元気に笑っていたのに、一緒に話していたのに…彼女はいなくなっていた。ふと「昏睡病」という単語が頭の中をよぎった。


「でも…あれは…ただの都市…伝説じゃ…」


疑問に思ったその時、カーテンを開いたことで何かが流れ込んでくるかのように、蘭に耐えきれないほどの睡魔が襲いかかってきた。

ベッドから身を乗り出そうとしていた蘭は自然とベッドから落ちた。しかし、痛みは感じず、意識はベッドから奈落の底へと落ちていった―――――――






目が覚めると、視界は赤で染まっていた。ランプの赤、レンガの赤、そして…血の赤。


「ここは…?…血!?」


辺りをもう一度見渡すと、ここはまるで地下牢獄のようだった。

目の前には鍵の外れた鉄格子、その先には細く延びる通路が見えた。

眠っている間に拉致でもされたのだろうかと思った。しかし、その予想はすぐに外れている事がわかった。

部屋の隅にポツンと立て掛けられたモニターが視界に入ったからだ。


[ようこそ、夢の牢獄へ]と表記されているモニターに近づいてみると、モニターは新たな文章を表示した。


[あなたはこの夢の牢獄『夢之塔』に捕らわれた哀れな囚人です]


「しゅ…囚人!?どうして…?」


[逃げ出したければどうぞ構いません。ただし、番像(ばんぞう)にはご注意を]


訳がわからなかった。逃げるって言ったってどこに…!?出口は?道のりは…?番像って何…?

疑問ばかりが脳裏を掠める中、通路の方から非常に大きな悲鳴が響いてきた。


「な…何?」


「嫌だ!止めてくれ!助けて!助けて!死にたくない…!!」


通路の先にサラリーマンらしき男の姿が見えた。腰を抜かし、『何か』に対して助けを求めていた。

男の奧には、鎧を纏った騎士の像が見えた。しかもその騎士は『動いていた』。


「何…あれ…!?」


蘭はその有り得ない光景に驚愕した。そして…


「あ、あぁ…お願いだ…助けてくれ…助けてくれぇ…!!」


男と眼があってしまった。

鉄格子というカーテンよりも遥かに固い境界から響いてくる男の声。

だが、その声に反応する前に、像は手に持つ巨大な槍を男の背中に突き刺していた。

言葉では言い表せられない程の断末魔と血飛沫(ちしぶき)が飛び散る。

しばらく、男の体は痙攣を繰り返していた。しかし、像が槍を引き抜き、去っていった時には男の動きはピタリと静止していた。


「い…嫌、嫌あぁぁ…!」


見るも無惨なその姿を目の当たりにしてしまった蘭は半狂乱に陥りながら牢屋の壁に倒れかかった。

彼女を待つ恐怖はこれだけではなかった。彼女がもたれかかった壁には「たすけて」という文字が無数に書き込まれていた。

最初は何か尖った道具を使っていたのだろう。正確に彫られていた。しかし、途中から爪で彫りだしたのか、字が粗くなり、最終的には爪が全て剥げたのか、血文字で延々と書き連ねられていた。

そんな狂気じみた壁を見て恐怖しないものがいるだろうか、否、断じていない。

蘭は怯えるあまり、牢屋から飛び出していた。

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