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01.魔女と少年

 魔女にしては善良、錬金術師にしては邪悪。

 暗い工房で怪しげな術を使う女性は、そんな装いをしていた。


「――よし」


 小さな言葉のあと、闇色の光が目の前の少年を包み込む。作業台で仰向けに眠っていた少年は、小さく指を動かし、身体全体を揺らし、ゆっくりと目を開けていく。


「おはよう。喋れる?」

「……はい。あなたは、誰ですか?」


 少年の顔はあどけなく、身体には華奢さも残っている。子供以上、大人未満といった印象だ。彼は少しだけ不思議そうな表情を浮かべて、上半身を何とか起こす。身体には何も着けておらず、簡単な布だけが掛けられている。


「私の名前はリディア。あなたを創造した者よ。……ふふっ、賢い子ね。目覚めたばかりで、しっかり話せるなんて」


 リディアは笑いながら、少年の額を人差し指でつついた。


「僕を創造した方……。僕は、一体?」

「あなたの名前は、シオンよ」

「……シオン。わかりました、ご主人様」

「少し固いわね。名前で呼んでくれる?」

「わかりました。……リディア様」


 リディアは微笑みながら、シオンに手を差し伸べた。


「それじゃ、上に行きましょうか。着るものを着て、食べるものを食べて。まずは人間らしく、整えましょう」

「はい、リディア様。……あの、何を?」


 シオンが作業台から下りると、リディアは彼の身体を両腕で持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。


「ずっと眠っていたんだから、筋力が弱いでしょう? だから、最初のうちは私が世話をしてあげる」

「そんな、申し訳ないです」

「いいのよ。すぐに大変になるんだから」


 シオンはリディアの笑みに押されて、そのまま身体を預けた。ただ、この些細なやり取りは……彼の胸に、深く刻まれることになった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 先ほどまでの工房は地下にあり、長い階段を経て、ようやく明るい部屋に出ることができた。出入口である魔法の鏡の前には、それを隠すように移動式の本棚がある。リディアは本棚を元の位置に戻してから、慌ただしく諸々の準備を進めていった。


 シオンはまず、風呂に入れられた。そして服を着せられ、髪を整えられていく。何か動こうとすればリディアに制され、止められ、座っていることを余儀なくされる。


 金色の長い髪に、銀灰色の瞳のリディア。

 シオンはそんな彼女を目で追ってから、近くの鏡を覗いてみると……薄紫色の短い髪に、赤色の瞳の少年が映っていた。


「……あの、リディア様」

「もうすぐご飯だからね。初めての食事だもの。どーん、っと豪華に――……いや、それはダメか」

「そうなんですか?」

「起きたばかりじゃ、胃が受け付けないわよね。残念だけど、まずはスープにしましょう。今日はスープ祭りよ!」

「ご迷惑をお掛けします……」

「ふふっ、何てことはないから!」


 リディアはキッチンに立ち、シオンはその傍らの食卓の席から眺めている。地下の工房とは違い、陽が差し込む明るい部屋だ。シオンは初めて見るはずなのに、どこか懐かしさを覚えていた。


「――さて、できたわよ! 今回はスープだけだけど、胃が受け付けるようになったら、ご馳走を用意するからね」

「ありがとうございます。それでは……えっと、お祈りがいるんでしたっけ?」

「そんなことも、最初から知ってるの? ……興味深いわね。でも大丈夫よ。いただきます、くらいで良いから」

「わかりました。いただきます」

「はい、召し上がれ♪」


 シオンはテーブルの上のスプーンを手に取り、少し震えながらスープをすくい、ゆっくりと口に運んでいく。温かなものが口に入り、喉を伝い、胃に落ちていく。そこでようやく、人心地がついた気がした。


「……美味しい、です」

「ふふっ、ありがとう。しばらくはあまり動けないだろうから、ゆっくり、ゆっくり……ね」

「わかりました。ところで、リディア様は食べないのですか?」

「え? ああ、そうね。シオンが食べているのを見て、つい嬉しくなっちゃって」

「はぁ……」

「最初の食事ですもの。私も一緒に食べるわね」


 そう言うと、リディアは軽い足取りでキッチンに戻っていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 食事が終わると、シオンは歯ブラシを手渡された。リディアが歯磨きするのを見ながら、その動きを真似ていく。


「……ふむ。歯ブラシは初体験……と」

「はい。僕は、生まれたばかりなので……初めてで、良いんですよね?」

「ふふっ、そうよね。ごめんなさい」

「いえ」


 リディアの笑顔がどうにも眩しく、シオンはついつい目を逸らしてしまう。しかし歯磨きの時間はすぐに終わり、次は外へと連れ出されていく。



 外は――……寒々しい光景だった。


 空はどこまでも曇り、地面はどこまでも黒く、遥か先では闇色の森が地平線を隠している。まるで閉ざされた世界。今までいた丸太小屋と、近くにある畑と井戸……生活感を感じられるのは、その狭い空間だけだった。


「……世界は、こんな感じでしたっけ?」


 シオンの言葉に、リディアは少しだけ言葉を考えた。目の前に広がるのは『こんな世界』だが、シオンに見せたいのは全く別の世界なのだ。


「ええ……。この場所には、私とシオンのふたりだけ」

「……僕が生まれるまでは、リディア様はひとりだったんですか?」

「ふふっ。だから……シオンがいてくれて、私は嬉しいの」


 リディアはそっと、シオンを後ろから抱きしめた。シオンは背中と頭から、温かいものを感じた。優しさと、頼りがいと、そして……寂しさ。


「他には……。例えば、あの森の先には……誰かいないんですか?」

「あら、もうここから出ていく話?」

「す、すいません。そうではなくて……」


 シオンの言葉に、リディアは悪戯な笑顔を向ける。


「ふふっ、冗談よ。……あの森の向こうには、たくさんの人がいるわ」

「そうなんですか? でも、リディア様はここで……ひとりで暮らしているんですよね?」

「ええ。シオンには、これが見えるかしら」


 そう言うと、リディアは自身の右足を指差した。ローブから覗く彼女の足に、シオンはどこか緊張をしてしまう。


「これ……と言いますと? ……いえ、何か薄っすらと……鎖のようなものが……?」

「シオンは魔力も優れているのね、誇らしいわ」

「あ、ありがとうございます……。それよりも、これは?」

「この鎖は、私の封印よ。私、この場所に縛られているの」


 リディアは遠くを眺めながら、諦めたような笑みを浮かべた。シオンは透明な鎖に手を伸ばすが、何も無いかのようにすり抜けてしまう。


「封印……ですか? リディア様が? どうして……」

「私はね、神に捨てられたのよ。お城からも追放されて、こんな場所に連れてこられて」

「……酷いです。何でリディア様に、そんなことを? 何か、悪いことでもしたって言うんですか?」

「悪いこと――」


 リディアは曇った空を見上げて、思考を巡らせた。嘘偽りなく、丁寧に答えるために、何回も昔を思い出すように。


「――していない、かな?」

「それなら……そんなのは……、悲しいです……」


 シオンは目を伏せ、リディアの心情に想いを馳せた。


「ふふっ、ありがとう」

「……僕にできることは、何かありますか?」

「ええ、たくさん。それがあなたを生み出した、2番目の目的だもの」

「わかりました。リディア様の命令には全て従います。何でも仰ってください」


 力強く言うシオンに、リディアは優しい微笑みを向けた。


「でも、あなたは知識も経験も無い。だから、まずは勉強と特訓よ」

「はい。何をすれば良いのか分からないので、ご指示をください」

「ふふっ。そんなにやる気を出してくれると、教え甲斐もあるわね」


 シオンは、自分の表情が豊かではないことを自覚していた。それでもリディアに向けて、頬に力を込めて……精一杯の笑顔を作り出した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――それから半年が経過した。


 シオンは文字を覚え、一般的な常識を学び、錬金術の実験に振り回され、戦闘術も叩き込まれた。リディアとの共同生活は厳しい面もあったが、それ以上に優しい日々だった。



「さて、それでは……そろそろ動き始めましょうか」


 ふたりは丸太小屋から離れ、近くの高台にやって来た。ここからは遠くを見渡すことができるものの、見える光景――曇り空、黒い大地、闇色の森……というのは変わらない。


「リディア様、ここで何を?」

「これから、シオンには外の世界に行ってもらうの。だから、この土地と外界を隔離していた結界を……解除するわ」


 リディアは長い呪文を詠唱し始めた。闇色のオーラが辺りを満たし、徐々に空に向かって吸い込まれていく。雷が低い音で鳴り始め、地面を微かに揺らしていく。それと同時に、冷たい風が吹きすさぶ。



「――汝の役目は終わった。滅びの魔女が、ここに終わりの刻を告げる」



 ひときわ強い風――もはや暴風のようなものが巻き起こり、空に広がる雲を取り払っていく。やがて空からは太陽が現れ、彼方に広がる森も、光を浴びながら緑色を取り戻していった。


「わぁ……。リディア様、凄いです!」

「……ふぅ。これで、あなたは外の世界に出られるようになったわ」


 リディアの言葉に、シオンは彼女の足を見た。透明な鎖は未だに残っている。……だから、リディアはまだ外の世界に出られないはずだ。


「それではまず、僕は何をすれば良いでしょう」


 シオンの額に、リディアは人差し指を当てた。軽く……まじないのように、短く詠唱を行う。


「まずは北西……森のすぐ外。そこに巣食っている連中を始末しましょう」

「え? もしかして、見えるんですか?」

「森のすぐ外側まではね。シオンがここから出ていけるってことは、外からも入って来られるってことだから――」

「わかりました、僕たちの敵がいるんですね。……それで、そこには何がいるんですか?」


 シオンの言葉に、リディアは目を細めて笑った。


「――人間よ。全員、ひとり残らず……消してきなさい」

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