再会
保田も、拳銃を奪われはしたが不可抗力が認められ、お咎めなしだった。
それでもさすがに駐在所からは異動させられるだろうと思っていたが、住民たちが一丸となって自分を引き留めようと動いてくれたことと、駐在所を希望する単身者がいなかったため、今もこうして駐在所勤務を続けられている。
バイクを駐在所横のガレージに駐めた保田は、ガラス戸を開けた。
外気と変わらぬ温度になっている執務室へ入り、冷房をつけて水を飲む。
ふと、指先にわずかに残る傷痕が目に入った。何針も縫ったが、もうほとんど目立たなくなった。汚れた床に傷口を押し付けていたのに、よく破傷風にならなかったものだ。
大きなたんこぶができていた後頭部も、頭部CTを撮ったところ異常はなく、数日後には元通りになった。
頑丈で良かったと思いつつ、椅子に座り、パソコンを取り出して書類仕事を始める。
マウスを動かしながら、来週末の夏祭りの警備について考えていたら、私用のスマホに通知が入った。その文面を見て、思わず「えぇ……」と声が出る。
灰々津は、今年の一月、警視庁捜査一課に呼び戻された。
彼を左遷させた上司は、不祥事を起こして異動していたそうで、以前と比べて格段に動きやすくなったと聞いていた。
少しばかり寂しさはあったが、よかったと思っていた。
灰々津は、彼の居るべき場所に帰ったのだ、と。
なのに……
「守男」
ガラッと戸を開けて入ってきた大きな男を、保田は困惑して見上げる。
「なんで、また来たんですか?」
「またなと言っただろう」
「いやいや、そういうことじゃなくて」
「溜まった休みの消化で、今日から二週間休暇を取った。賃貸の下見も兼ねて」
「……灰々津さん、さっきのメッセージ、本当なんですか?」
「なぜ嘘をつく必要がある。喉が渇いた。麦茶をくれ」
スチール机の向かいの椅子にどっかりと座った灰々津に、保田は眉根を寄せつつも奥の住居スペースから麦茶を注いで持ってきた。
灰々津は礼を言って受け取ると、一気に飲み干して空のグラスを机に置いた。
「合格したと電話しただろう。聞いてなかったのか」
「ああ、はい。それは聞きましたが」
灰々津は、今年の春に行われた昇任試験に合格した。三十三歳で警部はかなり早いが、彼の実績を考えれば不思議ではない。
しかし警視庁のポストはなかなか空かないと聞く。灰々津も昇任保留のままポストが空くまで待つのだろうと思っていたのだが、
「なんでこの県に来るんですか?」
「他県警の管理職として出向することを提案されたからだ」
「だからってなんでわざわざこんな地方に」
「どこに行きたい? と訊かれて、思い浮かんだのがここだった」
灰々津は汗ばんだ額に貼りついていた髪をきっちりと撫でつけてから続けた。
「管理官としての正式な異動は十月一日だが、その前に住居を決めて手続きを済ませておくことにした。お盆以降はまた忙しくなって時間が取れないからな」
「はぁ……、じゃあ、これから下見に行くんですか?」
「いや、もう下見をして契約を済ませてきた。尾堂市犬塚町の借家だ」
「は!?」
犬塚町は、保田の受け持ち区域の西端、市街地側にある町だ。
「なんで尾堂市に、しかもうちの区域に住むんですか? 本部がある熊堂市に住んだほうが便利でしょうに」
「通勤時間が片道一時間以内であればどこに住もうが咎められはしない。今日借りた家から本部まで五十五分で着く。問題ない」
「いや、遠いでしょう、それ」
「この駐在所からは近いぞ」
平然と言われ、保田はため息をつく。
このひとには何を言っても無駄だと、これまでの関わりの中でわかっている。
「ここに来る前に、もちろん本部へ挨拶に行ったんですよね?」
「いや、行っていない」
「なんでですか。せめて直属の上司になる課長には挨拶しておいたほうがいいですよ」
「課長に電話をしたら、『せっかく厄介払いできたのに戻って来やがって。異動当日まで顔見せるんじゃない』と言われた」
相変わらずの無表情でそう話す灰々津に、保田は心配のまなざしを向ける。
「それ、かなり嫌われているように思うんですが、大丈夫なんですか?」
「心配ない。課長は言葉はきついが態度は柔軟だ。なんだかんだ言うことを聞いてくれる」
「……そういうところだと思いますよ」
「なにがだ」
「いえ……」
保田は目をそらし、自分の麦茶を口に含んだ。
「守男」
なれなれしく呼び捨ててくる男のことは無視して、書類仕事の続きをしようとキーボードを叩く。
「守男」
「……なんですか、灰々津警部」
「正式にはまだ警部ではない。それと、もうそろそろ貴希と呼べ」
「はいはい」
そこで、ピーピーと無線機が鳴った。
「本部から尾堂北駐在所。管内、朱鷺山キャンプ場河川敷にて、キャンプ客から遺体発見の通報あり。至急現場に向かい確認せよ」
「こちら尾堂北駐在所、了解しました。ただちに現場へ向かいます。到着後、詳細報告します。以上」
そう返答して立ち上がると、灰々津も立ち上がって外に出た。
保田は急いで支度をして、戸に不在案内板を掲げて施錠し、バイクにまたがる。
「行ってこい」
片手を上げる灰々津の姿が、バックミラーの中で小さくなっていく。
保田はさらにアクセルを回す。
「お帰りなさい」
ぼそっと言った自分の声は、エンジン音に掻き消された。




