【第一章】出会い
規制線の向こう側は慌ただしく、何人もの捜査員が動いている。
その中心で指示を飛ばしている男。長身で肩幅が広く、スーツの上からでも筋肉の盛り上がりがわかる。目が合った瞬間、保田は無意識に背筋を伸ばした。
「君が、初動対応をした巡査部長だな」
こちらに歩み寄ってきて声をかけられ、「はっ」と敬礼して答える。
「七時三十二分、住民から通報を受けて現着。遺体の鎖骨上に刺し傷があったため、尾堂署へ報告しました」
「通報者から初めに話を聞いたのも君だな」
「はい。比野さんはここから二百メートル先にある畑へ行くために、あの道を毎日のように通るんです」
保田は所狭しと並んだ警察車両の間に見える坂道を指した。
「狭い道なので、この空き地は待避所として使われています。比野さんも対向車を避けるためにここへ入って、遺体を発見したそうです」
「その対向車のナンバーは覚えていないということだったな」
「はい。でも、この辺りでは見かけない車だったそうです」
保田は「あの車が怪しい! 絶対に犯人だ!」とわめいていた比野の顔を思い浮かべながら答える。
「車種は不明ですが黒いワンボックスカーで、後部座席の窓にはカーテンが引かれていたそうです。運転手はマスクを着けていたので人相もわからないそうです」
「比野さんの軽トラにドライブレコーダーは付いていなかったな」
「はい」
これらの情報はすでに尾堂署の刑事から聞いているはずだが、念のために確認しているのだろうか。
こちらをじっと見下ろしてくる男の顔立ちは、間近で見るとやけに整っている。だからこそ表情の無さが怖い。体格も相まって威圧感すらある。保田は居心地の悪さを感じながら次の質問を待つ。
男は深みのある低い声で言った。
「俺と付き合ってくれ」
保田は三十三年間の人生でもっとも間の抜けた表情でフリーズした。数秒後、ようやく回り出した頭で考える。
片耳に付けた受令機から入ってくる無線のせいで聞き間違ったかと疑うも、非常に聞き取りやすい声質なのでその線は薄いだろう。だとすれば、これは聞き込みなどの補助をしろという意味だろうか。しかしなぜ自分が?
戸惑いながらも本部の指示かもしれないので従うことにする。
「わかりました」
男は小さくうなずくと「少し待て」と言い置いて規制線の中へ戻り、尾堂署の刑事たちに何事か話して、すぐにまたこちらへやってくる。
なんとなく逃げたくなったのは、彼の後ろに見える刑事たちの困惑した顔のせいだろうか。
「ではまず駐在所へ行こう」
そう言って、男は返事も待たずに端に駐まっている車両に乗り込んだ。
保田は眉を下げながらバイクにまたがる。
狭い坂道を下りながら、車が付いてきているかバックミラーで確認する。いくつかの分岐を過ぎると、道沿いにこじんまりとした駐在所が見えてくる。
熊堂県の東に位置する尾堂市。その北部にある山合いの一帯が、保田が勤務するこの尾堂北駐在所の受け持ち区域だ。その中の赤蔵町で、今朝遺体が見つかった。
「のどかな風景だな」
運転席から出てきた男が、道の横を流れる川と対岸に広がる田畑を眺めてつぶやいた。その語調から嫌味は感じられない。
「バイクはここに置いてくれ。この車で移動する」
保田はうなずいて駐在所横のガレージにバイクを駐める。
「助手席に乗ってくれ」と言ってまた運転席に座った男に、保田は慌てた。
「灰々津警部補、運転は私がします」
「……たしかに土地勘がある君のほうが適しているな」
灰々津と入れ替わりに運転席に収まり、問いかける。
「どちらへ向かわれますか?」
助手席でシートベルトを締めた灰々津は、高い鼻の頭を指先でひと撫でした。
「君のことは尾堂署の者から聞いた。真面目な勤務態度で住民に慕われているそうだな。比野さんが通報ではなく直接君を呼びに行ったことも信頼の表れだろう。君でなければ聞き出せない言葉があるはずだ」
「比野さんからはすでに話を聞いておりますが」
「事件発生直後は気が動転しており子細が抜け落ちているものだ」
灰々津の口調は淡々としているが有無を言わせぬ圧がある。
保田はちらりと駐在所のガラス戸へ目を向ける。そこには「ただいま巡回中です」という文字の下に尾堂署の連絡先が書かれた不在案内板を掲示している。本来あまり留守にはできないが、捜査協力も重要な仕事なので致し方ない。
けれど、胸の奥に小さなざわめきがある。
先ほど現場にいた尾堂署の刑事が「相変わらずだな」と苦笑したあと耳打ちで教えてくれた。
灰々津は、二ヶ月前まで警視庁捜査一課に所属していたそうだ。三十一歳という若さからして順風満帆な道を歩んでいた彼が、東京から遠く離れた熊堂県警捜査一課へ異動となった。どうやら上に嫌われて左遷されたらしい。
爪はじきされた厄介な新参者はただでさえ冷遇されるというのに、歓迎会を断るなど社交的な態度も見せなかったらしく、県警本部でも腫れ物扱いされているという。
保田はバックミラー越しに灰々津の表情をうかがう。




