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終章 過ぎ行く日々へ

 午前九時、式典まではまだ余裕がある。イヴから大切なものをすべて奪い去ったあの戦争から既に数百年、町は再び新しい時代を迎えようとしている。イヴが屋敷に戻って三年後、エルブライト王国はバラケを含む領土の一部を割譲し終戦を迎えた。バラケの町はカークバンドに取り込まれ、復興が急速に進められた。酒場のマクシム・ルイーズ夫妻が真っ先に戻り、徐々に集まる街の復興に携わる元町民の拠点となった。復興の旗振り役になったのはルイだった。新聞の情報伝達力を活用し、バラケだけでなくカークバンドまでその商圏を広げ、復興資金を援助した。一方で復興に伴い古い町は失われ、真新しいバラケの街が誕生した。ここに、イヴの知るバラケの街は夢の中へと消え失せた。それからさらに数百年、各国が幾度となく戦争を繰り返し、多くの命が失われ、イヴが味わったような悲劇が数えきれないほど生み出された。戦争が度重なり次第に国力の衰えが各国に見られるようになり、平和的解決が模索されるようになる。そして今日、あの日戦争を繰り広げた国々が一つの国として統一される。バラケの町にかつての面影はない。長い時を経てあの田舎町は都会と呼ぶにふさわしいまでに成長した。しかしこの町は、いつまでにイヴの雇用であり続ける。この町で、記念すべき式典を歴史の生き証人として見届けたい。僕のさらに前を知る人とともに。すでにイヴを知る人は誰もいない。でも、それで十分。ゆっくりと悠久の時の中で、自分の愛する町がどうなってゆくのかを見届けることが、僕の使命なのだ。

 宝石を持つものは、その宝石に縛られる。彼女が口癖のように言っていたその言葉が、宝石を受け継いだ今なら痛いほど理解できる。彼女が僕に宝石を触らせなかったのも、なぜ僕に宝石を託したのかも。この宝石は、エマリー・リオンとシャール・リオンという二人の女性の記憶を、僕に見せてくれた。

 三百年前、ある貴族の娘とその屋敷に出入りしていた木工職人が恋に落ちた。もちろんそれは身分差を考えれば受け入れられることはない、禁断の恋だった。普通なら成立しない。それでも、二人の心は世の常識を押し返すほどに固く結ばれていた。互いの両親は子を勘当した。唯一手元に残った者は、女の親が押し付けた辺境の屋敷。白亜の壁を抱き、町にそぐわない荘厳さを持った屋敷を。当時屋敷の周りに森はない。でも、言うまでもない。それが今、イヴが立つこの屋敷。その女の名は、シャール・リオン、男の名は、ユリウス・リオンという。当時この宝石はユリウスのものだった。彼は生れた時に母と死別しており、この宝石は母の形見だった。

 二人は身分を捨て、一介の平民となって古いバラケの町で暮らし始めた。貴族の中で変わり者だったシャールも、平民の中では人当たり良く、思いやりがあり、誰よりも町や友に住まう仲間のの為に奔走した。夫ユリウスもともに、この町に歓迎された。そんな二人を引き裂くかのように始まったのが、三百年前のエルブライト統一戦争。夫は徴兵された。シャールも引き止めたい気持ちを押し殺し、「絶対に帰ってくる」という夫の言葉を信じ、夫を戦地へ送り出した。

「その宝石をお守りにくれないかしら」

エマリーは言った。しかしユリウスは首を縦に振らなかった。「絶対帰ってくる」そう言って戦場へと向かっていった。

 戦争が始まった。財政難のザルマ王国が援軍など出すはずがない。町を守るのはユリウスもいる徴兵隊のみ。勝敗は火を見るより明らかだった。徴兵隊は人の足を前にした蟻のように敗走し、エルブライト王国軍はバラケ市街に進行する。町に残った住民たちの最後の拠点になったのがこの屋敷。貴族の出であり変わり者で会ったシャールは兵法を心得ていた。そして何より、町の人々を導く芯の強さと、人望を兼ね備えた人物であった。

 屋敷を舞台に必死の攻防が繰り広げられる。屋敷一つで、襲い来るエルブライト王国軍を迎え撃った。

ここは決して通さない。身分違いの私を受け入れてくれたこの町を、誰にも渡さない。彼が帰ってくるこの町を、私が守るんだ!

その強い思いが敵軍を押し返し、のちに戦場の女神とエルブライトから忌み嫌われ、歴史から消させることになる存在を生み出した。美しい黒髪を爆風にたなびかせ、人々を導く勝利の女神。誰もが彼女を信じ、彼女のために戦った。そこに敗走した徴兵隊も合流し、最後の抵抗が繰り広げられる。ユリウスもシャールと再会を果たしたが、しびれを切らしたエルブライト王国軍は火砲を持ち出した。これを境に戦況は一転する。降り注ぐ砲弾に人々はなす術もない。物陰に隠れ頭を抱えて怯えるしかない。次第に抵抗は止み、敵軍の一方的な蹂躙が始まろうとしていた。

 一発の砲弾が、屋敷の二階に玄関に張り出すように設けられたバルコニーを直撃した。柱が折れ、バルコニーが落ちてくる。真下にいたのはシャール・リオン。足がすくみ動くことができない。次の瞬間、彼女の体は宙を舞い、崩落したバルコニーのすぐ端へと放り出された。もうもうと立ちのぼる土煙。風に流され、視界が明瞭になる。シャールは悲劇を目にした。瓦礫に駆け寄り、必死に彼を押しつぶす残骸を押しのけようと力を籠める。しかし瓦礫はビクともしない。砲弾は降り注ぐ。ユリウスがシャールの腕をつかんだ。彼の下半身は瓦礫に埋もれている。

「シャール……逃げろ」

「嫌よ!あなたがここにいるのに逃げるなんて……できるわけがないじゃない!」

「このままじゃ君も死んでしまう。君にだけは生きていた欲しいんだ!」

「せっかく一緒になれたのに……。貴方がいない人生なんて、価値なんてない!」

涙ながらに叫ぶ彼女の姿に、共に戦う町の住民たちが立ち上がる。

「彼女たちの時間を稼ごう」

「彼女たちは何度も私たちを助けてくれた。今度は……」

「二人の最後の別れに、邪魔をさせるな!」

「シャールを連れ出せ!壁は俺たちが作る!」

生き残った徴兵隊が、生き残っていた町の男たちが、敵軍に最後の抵抗を始める。女たちはシャールだけでも連れ出そうと脱出の準備を進める。その陰で、みんなに守られるように二人の最後の時が訪れる。

「君だけは……生きて……」

ユリウスは胸元に仕舞っていたブローチを差し出した。血に染まり、青かった煌めきはべたついた赤に変貌している。彼の思いを乗せて、宝石はユリウスからシャールへと、掌を移動する。この瞬間に、宝石は魔力を宿した。ユリウスの願いが血に滲み、彼の祈りは祝福となる。「生きろ」という祝福に。その願いが血と共に宝石に汲み取られ、宝石は永遠の命を与える魔力を宿した。いや、正確にはずっと死んでいるのかもしれない。身体はまるで死んでいるかのように冷たく、食事をとる必要も、眠る必要もない、それでも、心だけは生きている。物を感じ心地よさに浸ることも、悲しみに暮れることもできる。彼女は耐えられなかった。彼がいないことに。

 町の仲間がシャールをユリウスから引きはがす。彼女を抱え、言葉のごとく壁となる男たちとは逆に走り出す。彼女は何度も名前を呼んだ。動くことのない、その体に。

 戦後、シャールは自らにかかった呪いに気づいていた。気づいていたからこそ、誰にも言わず避難先から町に戻った。屋敷に眠る夫を弔うため。自らの盾となって死んでいった仲間たちを弔うために。夫の墓は屋敷の横、彼が好きだった花壇に決めた。死んでいった仲間たちは屋敷の周囲に埋めた。屋敷の周りはすぐに墓標の海と化した。そして彼女は、ユリウスと共に死んだ。シャールという名を、シャールという歴史を捨て、エマリーという新しい人間になった。

 月日は流れ、戦争の記憶は風化する。それと比例するように屋敷の周りには木々が芽生えた。そこに埋められた人々の魂を吸収したかのように、森は彼女に語り掛けた。言葉はない。それでもわかる。森が彼女と屋敷にかけられた呪いを、見守っているようだった。

 同じ悲しみはもう味わわない。そのために心を閉ざした。誰と会うこともなく、一人死んでいった仲間たちと共に過ごすことにした。そんな生活がある日一変した。木工屋の一人息子がやってきた。好奇心旺盛で、私のことを好いていると隠し切れない少年。記憶の中の亡き夫とよく似ていた。この人と出会うために、私は三百年もの長い間生きてきたのではないか。そう思うほどだった。でも人間は死ぬ。私に比べて圧倒的に短い時間で、成長し、死んでいく。死別の悲しみはもういらない。そんなものを味わうくらいなら、最初から出会わないほうが良い。そう思って何度も拒絶した。それでも、彼が成長して戻ってきたときは嬉しかった。これでもう一度、私は生きていると思うことができる。そう思った。だから、あなたが死にかけた時は、もう考えるまでもなかった。私はあなたに生きていてほしい。あなたにあげるのは呪いではない。祈りと祝福。私からあなたへの、生きていてほしいという願い。いつか私に変わる大切な人が現れたその時、どうか今度こそあなたが報われますように。

彼女の記憶も、宝石も、運命とは数奇なものだ。この時間の理を超える宝石が、屋敷を守り、本を守り、僕とエマリーを繋いだのだ。呪いと評されたこの宝石も、今やエマリーの記憶と、彼女の願いとともに僕の胸元で輝いている。呪いは祝福に変わった。美しい祝福に。宝石を身につける者は、宝石に縛られる。今ではそれが、心地よい祈りに感じられた。いま彼女は玄関横の花壇に眠っている。元々そこにあった古い石碑、エマリーが欠かさず手を合わせていた石碑は、二人の墓標だった。イヴが掃除し、ようやく表れた名前は「ユリウス・リオン」と「シャール・リオン」丁寧に彫られたユリウスの名と対照的にシャールの名は素人が彫ったように乱れている。エマリーはユリウスの死後、シャールであった自分を、ユリウスと共に殺したのだ。そして新しい「エマリー・リオン」としての長い生を迎えたのだ。そして今、彼女は僕と共にある。この愛おしいまでに美しい、青い宝石と共に。こうして僕は、永遠の恋をしたのだ。

 二人の横にはエマリーの墓碑、その横にさらに新しい墓碑がある。イヴの両親、トマ、リュカの墓碑。イヴの大切な人たちは皆、この屋敷を守る森の木々から零れ落ちる暖かな日差しの中で、森に守られ、花に囲まれ、眠っている。失ったものは数知れない。これからも失い続けるのかもしれない。それでも僕は、彼女の祈りに応えよう。新しい人と出会い、大切なものを増やしていこう。それが、大切な人たちへの、恩返しなのだ。

 不意に部屋の窓から屋敷に向かってくる人影が見えた。美しい黒髪を携えた少女。あの日エマリーも、僕のことをこうやって見ていたのだろうか。だとすれば僕の使命は、もしかしてあの子を未来へと託すことかもしれない。祝福は受け継がれる。祈りと共に。ノックされた扉を開け、イヴは新しい時代に繰り出した。

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