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追放された悪役令嬢は前世コンサルだったので、亡命先で国家運営を始めました  作者: しずか


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第三話 父が正しいのに、父は負ける

その朝は、珍しく霧が出ていた。


 馬車の窓から見える王都の石畳が、白くぼんやりとかすんでいる。父と母が同じ日に王宮へ向かうのは珍しいことではないが、こんな景色の中を三人で出かけるのは、何かが違う朝のように感じられた。


 父は財政会議。母は貴族夫人たちとの社交の集まり。レイナは母に同行する形で馬車に乗り込んでいた。


 出発前、父が一度だけレイナを見た。何か言いかけて、やめた。


 それだけで十分だった。今日の会議が簡単ではないことは、その顔で分かる。父は政治を知っている。正論が通らない場所があることも知っている。それでも出席する。叩き上げの官僚とはそういうものだ、とレイナは思った。


 馬車の中でエレナは、今日の集まりに来る夫人たちの話をしていた。誰それの娘が最近社交界に出始めた、誰それの家が新しい屋敷を建てたらしい。父は窓の外の霧を眺めたまま、静かに相槌を打っていた。王宮の手前で馬車が止まり、父は先にゆっくりと降りる。


 社交の集まりは、王宮の一角にある小さな広間で開かれていた。


 石造りの廊下を母の後ろについて歩くと、暖かな灯りの漏れる扉の前に出た。中からは話し声と、かすかな香の匂いがしていた。エレナが扉を開けると、先に来ていた夫人たちがいっせいに顔を向けた。


「まあ、エレナ様」


 声をかけてきた夫人に、母の表情がほぐれた。声が少し高くなり、足取りが軽くなる。執務室の父とは違う種類の、この場所に慣れた人間の動き方だった。


 レイナは母の隣の席に落ち着いて、当たり障りのない笑顔を作った。夫人たちの話に相槌を打ちながら、視線だけは部屋の中を静かに動かしていた。誰が誰と話しているか。どの夫人とどの夫人の間に微妙な距離があるか。社交の場は情報の場でもある。それは前世からの習慣だった。


 ふと、視線を感じた。


 部屋の隅に、同じくらいの年頃の少年が座っていた。母親と思われる夫人の隣で背筋を伸ばし、社交の作法を完璧にこなしている。ただ、目が退屈していた。


 目が合った。少年が微かに眉を上げた。レイナも微かに肩をすくめた。それだけで、同じ種類の退屈を抱えていることが伝わった。


 少しして、エレナが少年の母親と話し始めたのを機に、二人は部屋の端へ移動した。


「ローラン・ベルモンと申します」


 丁寧に頭を下げた。九歳で、中堅貴族の嫡男だという。今日は母親の社交に同行してきたのだと、どこか面倒くさそうな顔で言った。


「レイナ・アシュフォードです」


「財務卿のお嬢さんですね」


 ローランはそれだけ言って、少し考えるような間を置いた。それから独り言に近い口調で続けた。


「今日、お父上は財政会議に出ておられるんでしょう。大変な日を選びましたね」


「大変な日、ですか」


「ドラクロワ侯爵が今日の議題を仕切ると聞きました。あの方が仕切る会議は、大抵最初から結論が決まっています」


 レイナは相槌を打ちながら、頭の中で情報を整理していた。ローランは特に意図して話しているわけではない。宮廷の空気を読むことが、この少年にとって呼吸と同じくらい自然な習慣になっているのだ。


「ドラクロワ侯爵は、いつもそうなのですか」


「貴族院では一番強い方ですから。財務卿が何かを提案されても、侯爵が首を縦に振らなければ通らない。それがこの国の仕組みです」


 淡々とした口調だった。批判でも賞賛でもない。ただ、そういうものだと知っている人間の話し方だ。


「ローラン様は、それでいいと思いますか」


 少し踏み込んだ問いだった。ローランが初めてレイナを正面から見た。


「いいとか悪いとかではなく、そういうものです。宮廷というのはそういう場所ですから」


 そう言いながら、ローランの目は少し別のことを考えているように見えた。そういうものだと言いながら、本音では馴染めていない。その隙間がわずかに見えた。


 レイナは微笑んだ。


「そうですね」


 それ以上は聞かなかった。


 部屋に戻ると、母が大柄な夫人と話しているところだった。夫人は華やかな装いで、周囲への影響力を自然に漂わせている。


 レイナはローランに小声で聞いた。


「あの夫人はどなたですか」


「ドラクロワ侯爵夫人です」


 レイナは母を見た。エレナは笑顔で、子供の話をしていた。今度一緒にお茶をと夫人が言い、エレナが嬉しそうに頷く。政治の話は一切出ていない。


 しかしレイナには分かった。父が今日の会議で対立している相手の妻と、母は友好的な関係を保っている。エレナに政治的な意図はない。ただ社交をしているだけだ。しかしその社交が、会議室では得られない何かを作っている。


 まだ確信はなかった。しかし何かが見えかけていた。


 会議が終わる頃合いに広間を出て、廊下でヴィクトルと合流した。


 父は何も言わなかった。


 レイナも何も聞かなず、じっとただ父の顔を見た。怒りではなく、疲労でもなく、想定の範囲内だった、という顔だ。最初から負けると分かっていて、それでも出席した人間の顔だ。


 叩き上げの官僚は、正論が通らないことを知っている。それでも正論を言い続ける。なぜか。レイナにはまだその答えが見えなかった。


 馬車が到着し、三人で乗り込んだ。


 霧はいくらか晴れていたが、空はまだ白く重い。エレナが今日の社交の話をしていた。ドラクロワ侯爵夫人がとても感じのいい方で、今度お茶に呼んでいただけることになった。他にも何人かの夫人と話ができて充実した一日だったと、少し弾んだ声で話し続けた。


 ヴィクトルは窓の外を向いたまま、妻の話に耳を傾けていた。相槌の打ち方が、行きの馬車とは少し違う。


 レイナはその横顔を見ていた。会議室から出てきたときの顔と、今の顔はどこか違う。妻の話を聞くヴィクトルの目に、安堵に近い何かがあった。


 ドラクロワ侯爵夫人と、次のお茶の約束ができた。


 それが何を意味するか、エレナは知らない。しかしヴィクトルは知っている。そしてレイナも、今日初めて、その構造の輪郭を見た。


 屋敷に戻った夜、父の書斎の前を通ると、扉の隙間から灯りが漏れていた。


 会議で負けた夜に、父はまた帳簿を広げている。今日失った分を数字の上で取り返そうとしているのか。それとも、次の手を考えているのか。


 レイナは扉の前で少しだけ立ち止まった。


 叩かなかった。


 今日はまだ、聞くべき言葉が自分の中にない。そう思った。


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