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第4回

 そんな中、とある兄妹の二人が、夕飯時だというのに広場に人だかりがしているのを遠くから見つけ、興味をひかれて群集の輪に近寄ってきた。彼らは家族と一緒の旅の途中で、宿から街中まで買い物に来た帰り道に、この騒動を見つけたのだ。兄の方が、最後列にいた中年の女に騒動の理由を問いただした。

「ああ、これはね――ほら、ごらん! 決闘だよ!」

 興奮した面持ちで、女は自分の体を少しどかし、二人に前で起こっている光景を見えるようにしてやった。

「あの背の高い赤毛の方は、この辺でも有名な貴族のバカ息子さ。あの小さい方が――何とかっていう誰かの甥っ子でね。さっきから決闘しているんだよ!」

「こんな街の真ん中で決闘を?」

「そうさね! だけど、ほうら、あんたにもわかるだろう? あんなに体格差があるってのに……あの子の方が断然に有利なんだよ! まだ十かそこらの子だろうのに、大したもんだ! あのバカ息子もいい気味だよ!」

 彼女に促される形で兄は妹の手を引き、決闘の様子をのぞき見た。

 赤毛の少年は顔色も悪く、気の毒なくらいに肩を上下に動かして、ぜいぜいと息をついていた。腕には、小さな切り傷のような血の筋もいくつか見える。一方の相手、小柄な少年は大きな動きをすることなく、ふわふわと軽やかに相手の剣をかわしているだけだ。

 決闘とはいうものの、その少年は年長の彼を疲れさせようとはしているが、彼を刺そうという気迫や意思がないように見えた。


 決闘を見る野次馬が徐々に増えていき、群集の輪に囲まれてしまったことで、シヴィルは、自分の身の上がばれない前にこの場から去らなければいけない、と感じていた。

 決闘を始めてしまったのは軽率だった。どこにどんな刺客がひそんでいるかもしれない。こんなに目立つのは、いい状況ではない。

 自分の剣に伝わってくるドノヴァンの力の重みをはかりつつ、シヴィルは、できるだけ効果的に、早く決着を終わらせる算段をずっと考えていた。決闘の最後にはどちらかの死を欲しがるものだが、シヴィルには彼を殺す気はなかった。彼を少しだけ懲らしめてやりたかっただけだ。だが反対に、ドノヴァンはシヴィルを憎悪の目で見つめ、その身に殺意をみなぎらせている。

 シヴィルはすり抜けざま、自分の顔に降りかかってくるドノヴァンの汗をよけて、彼に低い声で言った。

「……まだ降参する気はないのか?」

「――誰がするか!」

 激高して叫ぶドノヴァンは、明らかに負け試合だというのにいつまでもあきらめない。年少のシヴィルに煽られて、ますます意地を張ってしまったようだ。

 シヴィルはがっかりして、彼をどう穏便に抑えようかと冷静に考えを組み立て始めた。


 もう、誰が見ても、ドノヴァンに勝ち目がない。

 正確な剣さばき、上下・左右・前後への身軽な身のこなし、相手の力をうまく利用して先に相手を疲れさせるという戦略。今や、群集はシヴィルの虜だった。

「すごいよ、あの子は! あのドノヴァンはこの辺りじゃあ、一番の名手なんだからね! それをあんなふうに、ねぇ……!」

 女が感心して言うのを、兄は同意して聞いていた。つい夢中になって見入ってしまったその彼の手を、下から誰かがぐいっと力強く引く。

「ねえ、私には何にも見えないわ」

「ああ、ごめん、ごめん。待ってごらん、今見せてあげるよ」

「おや、あんたの妹さんかい? まあまあ、かわいい子だこと」

 彼が妹の体を持ち上げかけた時のこと、急に群集がざわめき、彼は妹からつい手を離して振り返った。

 すると、なんということか、一人の男が群集の中から飛び出して、決闘をしている二人の傍にかけよっていくではないか。そして、その手には剣が光っている。

「シヴィル、危ない!」

 男の声がどこかから怒鳴り、シヴィルが群衆に向かって叫んだ。

「来るな、アドレー!」

 ドノヴァンの右後方から、誰かがシヴィルめがけて走り寄っている。


 シヴィルの体が地面に倒れた。と思うと、シヴィルの足がドノヴァンの足元をすくい、彼が転倒した。彼が倒れている間に、シヴィルは地面から跳ね起き、向かってくる男の剣の中間をたたき切るかのように剣ではたく。剣が男の手から弾き飛ばされ、回転しながら群集の方へ滑っていった。そして間髪いれずに、シヴィルはうつ伏せで倒れているドノヴァンの方へ走り寄り、足でドノヴァンの剣を踏んで押さえつけた。

 本当に、誰もが目を見張るような展開だった。

 やっとのことで顔をあげたドノヴァンの眉間には、シヴィルの剣先が突きつけられていた。一呼吸おいた沈黙の後、感嘆と大歓声で広場はわっとどよめいた。


 鋭い剣先の光に、ドノヴァンが恐怖に顔をゆがませ、シヴィルを地面から見上げる。

「さあ」

 群衆を味方につけたシヴィルは、ドノヴァンに笑いかけた。手を出すな、と伝える意味でも、シヴィルは間に割って入ろうとした少年にも一瞥を投げる。

「どうする、ドノヴァン? 私に負けを認めるか?」

 殺せ、殺せ、という合唱にも似た人々の声があったが、シヴィルはそれを一切無視する。

 ドノヴァンは心底悔しそうに歯軋りしていた。こんな屈辱を、彼は今までに味わったことがないのだろう。だが、友人の加勢さえはねつけられ、見物人が大勢いるこの状況下では、ドノヴァンが彼に反抗できるはずもない。

 シヴィルはドノヴァンの返答を待った。ドノヴァンは口惜しさに唇を震わせながらも、気落ちしたように目を閉じ、やがて小さく頷いた。

「……わかった。降参する」

 オォーッと地面が割れるような轟音が群衆から湧き上がり、シヴィルはようやく安堵の息をついた。そして、群集の中にいたアドレーに笑いかける。

「アドレー、こちらへ」

 突然に名を呼ばれたアドレーは、困惑顔でシヴィルとドノヴァンを見た。すると、ドノヴァンが怒りで顔を真っ赤にして叫んだ。

「おまえ――まさか、まさか、とどめを刺す役目をアドレーに渡すんじゃないだろうな! 俺はあいつにやられるなんて……そんなの、俺は絶対に許さんぞ!」

 シヴィルは彼の往生際の悪さにかっとなったが、どうにか怒りを抑え、剣をわずかに動かしてドノヴァンの眉に当てた。その牽制にひるみ、ドノヴァンはようやく口を閉じる。

「自分の置かれた立場がわかってないようだな、ドノヴァン。私に負けたおまえには何の選択権もないぞ?」

「……なら、そうなら、さっさと俺を殺せばいいじゃないか!」

 アドレーが群集に押し出されるように前へ出てきた。彼は、シヴィルを困ったように見つめている。シヴィルは、彼を自分の近くに来るように手招きした。

「もっと近くに、アドレー」

 ゆっくりと歩み寄るアドレーに、ドノヴァンの顔色が青ざめていく。群集たちのざわめきも、いつのまにか静かな沈黙と変わっていた。

「シヴィル、おまえ……」

 ドノヴァンよりずっと背が高いアドレーを見上げ、シヴィルは笑顔を見せた。そして、アドレーの不安げな顔とドノヴァンのせっぱつまった顔を交互に見比べ、シヴィルはおどけたように肩をすくめた。

「ドノヴァン、私はおまえの命など欲しくない。ただ、彼を侮辱したことをここで謝罪し、今後は繰り返さないと約束すればいい。それで、私の気は済む」

「なにっ?」

 群集たちに落胆したようなどよめきが起きた。ドノヴァンは口惜しそうにシヴィルを睨みつけ、唇の間から唸り声を発している。群集の一部では不満そうな呟きが渦巻いていたが、シヴィルは全く相手にせず、ドノヴァンに返答を迫った。

「どうする、ドノヴァン? この民衆の前でおまえの非を認め、約束できるか?」

 しばらく、ドノヴァンは無駄な抵抗を試みていた。彼の唸り声は永遠にでも続きそうに思えた。

 だが、ついにあきらめたのか、ドノヴァンは二人の前で唇を閉じ、唸り声を消した。

「わかった。……悪かった。おまえを侮辱することは、もう、金輪際しない」

 そのときの悔しそうで恨めしそうなドノヴァンの顔を、シヴィルは、たぶんアドレーも、生涯忘れることはないだろう。


 謝罪が本心であってもなくても、観衆の前で謝罪を受けたという事実に納得し、シヴィルとアドレーは二人で肩を組んで去ろうとしていた。これ以上の展開が望めないのを見てとって、人々の半数は失望し、半数は満足した面持ちで、帰途につこうとしていた。

「おい、おまえ」

 二人の背後に、ドノヴァンの困惑めいた声が届いた。シヴィルが振り向くと、ドノヴァンがまだ地面に座った格好で、ふてくされたように言った。

「おまえ……なぜ俺を殺さないんだ? 決闘の上での死なら、殺人罪には問われないんだぞ?」

 シヴィルはまたもや肩をすくめ、アドレーと顔を見合わせて笑った。

「殺すって、何の為に? 私は無益な殺しはしない主義だ」

 ドノヴァンは不可解な顔をしたまま黙り、アドレーは誇らしげにシヴィルを力強く抱きしめた。二人は、シヴィルを英雄扱いしようと待ち構えている人々の間に歩み寄っていこうとした。

 シヴィルは剣を腰に差そうとして、そこにあるべき鞘がないことに気づく。

「ああ、待って! 鞘が向こうに置いたままだ、取ってくる!」

 シヴィルは彼の上掛けと鞘の置かれた石段に目をやった。すると、どこから現れたのか、小さな少女が彼の服を引きずりおろし、鞘に手を伸ばそうとしている。焦ったシヴィルは小走りに彼女の元に急いだ。

「待て、それはわたしの物だ、触るな!」

 走り寄ったシヴィルの目の前で、鞘が石段の上から地面に滑り落ちて、鈍い音をたてた。少女はなおもそれを拾いかけ、シヴィルはその脇から自分の剣の鞘を素早くかすめ取った。

「これは遊び道具ではない。わかるな?」

 びっくりして彼をまっすぐに見つめる、明るい茶色の大きな瞳。伸ばしかけた手をどこにしまったらよいかわからず、少女は体を硬直させてシヴィルを見つめていた。

 その少女の反応を見て、シヴィルは微笑んだ。

「……怒ったのではない。そんなに驚かせるつもりはなかったのだが」

 そのとき、彼女を庇うように、二人の間に少年が滑り込んだ。少女と同じ髪の色で、よく似た特徴の顔つきの少年だ。

「すいません! 妹が何か失礼をやらかしましたか?」

「私、何にもしてないわ! 鞘が見たかっただけなのよ!」

 シヴィルは少年に、少女が何もしていないことを告げる。


 ほほえましい兄妹の情愛を見続ける間もなく、シヴィルは二人の後ろにいつのまにか立っていた男の姿をみとめて、がっくりとうなだれた。おまけに、自分の背後には、体格のよい数人の男たちまで控えている。

 失礼、と若い男が兄妹とシヴィルの間に割って入り、シヴィルは短い庶民生活の終わりを悟った。元の世界に戻る覚悟を決め、剣を鞘に収める。

「……ゴーティス様!」

 押し殺した小声で、シヴィルの本来の名が呼ばれた。声には抑えた怒りが含まれていて、彼らの様子から察するに、シヴィルを求めて城下町を捜索しまくったと思われる。男は近衛兵の一人で、シヴィルもよく知った男だった。

「ライアン。それに、おまえたち……」

 シヴィルはいつのまにか周りを三人に警護される形となっていて、決まり悪そうに一人一人を見上げた。

「もう、勝手なことをなさって! 心配しましたよ! 城では王子が行方不明だ、誘拐ではないかと大騒ぎです。早急に戻りましょう!」

「そうですよ! しかも、あんな危険な、あんな目立つことまでなさって! 本当に命が縮みましたよ! されど、ご無事で何よりです。さあ、一刻も早く、ご身分が知られないうちに城に戻りましょう!」

「ああ、だが……」

 シヴィルは近衛兵たちの体の合間から小さくのぞく、アドレーの背中をながめた。

 一言の別れも、礼さえも言えずに、ここを去らねばならないのか?

 シヴィルは深いため息をついた。

 シヴィルが切ない思いを噛み締めていると、少し離れたところから、衛兵の体の隙間越しに、じっと自分を見つめている少女の視線に気づいた。少女は彼と目が合うと、何か言いたそうに口を動かしたが、言葉にはなっていなかったように思う。

「行きましょう、ゴーティス様!」

 周囲をはばかりながら、衛兵たちは彼を追い立てる。

 アドレーにもらった上掛けは地面に落ちていた。アドレーは人々と談笑していて、シヴィルが去らなければならない状況にまだ気づいていない。

 少女が兄の手に引かれ、連れていかれる姿を自分に重ねながら、シヴィルは意を決して一歩を踏み出した。どうあがこうと、シヴィルが庶民の生活を送ることはないのだ。

 シヴィルは後ろ髪引かれる思いで、アドレーの姿を脳裏から解き放った。


 貴族らしい大人の男たちに連れられ、寂しそうにその場を去る少年を振り返り、兄は少し同情した。

 あれだけの剣の腕だ、たぶん、どこかの良家の子どもなのだろう。

 妹の手をしっかりと握りしめ、兄ローリーは家族の待つ宿屋へと急いだ。

読了、ありがとうございました!

感想などいただけましたら、とっても励みになります。もしよかったら、お気軽にコメントください。


本編の第二部も、そろそろ更新を再開する予定です。(09/5/4現在)

今回のお話に出てきたアドレーも、第二部後半で出演すると思います。

どんな再会になるか……それは、今後のお楽しみということで♪

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