素敵なおうち・後編
入浴後の強制ボディマッサージに悲鳴を上げて逃げまくったターフェは、悲鳴を上げている内に限界を越えてしまい、糸が切れた様に倒れ込んだ。仕様もない事である、最低限以下の睡眠で今まで職務をこなしていたのだ。ぐうぐう眠りこけるターフェを是幸いと綺麗に整え上げた侍女達は、その完全に力の抜けた身体を客室のベッドに横たえて下さった。
「……」
お陰様で、目覚めたターフェには此処が何処だかまたしてもわからない。
「やっちゃったー……今何時っていうか何日なのー……」
「未だ日は変わっておりません。あれから数時間程、只今夕方でございます」
「ありがとーおおお?」
探して彷徨う掌に、柔らかに件の眼鏡が載せられる。眼鏡を掛けながら見遣ると、其処には兎の侍女が控えていた。
「お、おはようございますっ!」
「よくお休みでいらっしゃられましたね。お加減は如何でしょうか?」
「大丈夫です! 随分すっきりしました!」
「宜しゅうございました! 旦那様もお帰り遊ばされまして、夕食を御一緒に如何かとの事でございます」
この御屋敷の旦那様といえばサザの筈である。ターフェは大仰に首を縦に振って「是非!」と了承の意を表した。何せ焼け出された我が身を受け入れてくれたのはサザなのであるから、きちんと礼を言わねばなるまい。シャワーもベッドも、全てサザの――、
「うっわあ!」
ベッドから抜け出し掛けた途端ターフェの上げた奇声に、扉の向こうで夕食に与る旨を伝えていたと思わしい侍女が大急ぎで戻って来る。「如何なさいましてっ?」と跳ねる彼女に、ターフェは素直に口を開いた。
「寝間着スケスケ!」
寝転けたターフェを着替えさせたのはわかるが、よりにもよって何でこんなにシースルーなのかわからない。出るとこ出てないし本人の残念感満載過ぎて、ターフェはあわあわと布団に潜り直してしまう。
「こちらが人間の中では流行りのタイプと……」
「私透けない方が好きでしてね! あと楽な方が好きでしてね!」
「はい、畏まりました!」
早速その様に、先ずは夕食の為にお着替えを致しましょう!
元気な侍女はさくさくとターフェの布団を剥がすと、羞恥に逃げを打つ身体を他の手伝いの侍女達と共に押さえ付けて着替えさせ、髪を整えてくれた。といっても髪はふんわりブローされた程度で髪飾りを付けるだけ、化粧は殆どなく紅を差したくらいだ。
「おお、楽? いいのかな?」
「宜しいんですのよ! 獣人は鼻が利きますから、人工的な香りは好きませんの」
羽根箒で柔らかに肩を撫でられ、立ち上がった姿はふわっふわで綺麗なお嬢様だ。
「うーわー、完璧な詐偽だー! 眼鏡が残念だけど完璧だー!」
「お素敵ですわあ。眼鏡は外せます?」
「外せるけど先導ないと転けちゃうかもー! わー完璧だー!」
「可憐ですわあ。では先導致しますので眼鏡はこちらに」
(うむ、侍女さんというのは一種の訓練されたアゲアゲ隊だな)
こりゃあワナにいいネタが出来たのかも知れない、そう薄ぼんやり思いながらターフェは全身鏡の前でくるくると回った。ペールイエローの薄いドレスは空気を孕んでほんわりと靡く。眼鏡を外した視界なので、輪郭がぼんやりしていて何だか更に夢の様だ。
「かんわいいいい……」
いつでも自分どうでもいい女と称されるターフェではあるが、可愛い物はそりゃあ好きである。只、そちらへの欲求が然して高くないだけの話だ。
にこにこと笑むターフェをにこにこと先導し、侍女達は極々自然にその花の様な姿を会食室へと連れ出した。
件の会食室は庭先に面してあり、開け放った其処からは美しい花々が見渡せる。夕食の席、方々で灯した灯りが薄暗い庭に栄え、ターフェは足を踏み入れた瞬間に「うわあ!」と喜色満面で走り寄った。
「凄く綺麗ー……」
「気に入って戴けただろうか」
「勿論! て、サザ!」
ターフェの後ろにはいつの間にかサザが居た。いつの間にか、というより実は元から居たのだが、ターフェは彼を一目も見ずに庭先に突進したのである。
「お帰りなさい!」
「ああ。ゆっくり休めただろうか」
「勿論です、本当に有難う! とても助かりました!」
ぺこりと頭を垂れて御礼をし、満面の笑みでターフェはサザを見上げた。サザはいつもの官服を着替えていたが、それでも一目でそれとわかる仕立てのよい服を着込んでいる。矯めつ眇めつし、ターフェはほうと溜息を吐いた。
「サザのいつもの仕事着じゃないの、初めて見ました」
「私も、ターフェの仕事着でないところは初めて見た。とても可愛らしく、似合っている」
「うふふ、そうでしょうそうでしょう、ドレス可愛いでしょう」
「うむ、ドレスではなくてだな」
「ほらほらふんわりー」
上機嫌のターフェがくるりと回る。その愛らしさにサザは思わず顔面を押さえ一拍、静かにテーブルへと誘った。
夕食はターフェの為にかコースには至らぬ簡単な物だった。というのも、幾度かの昼食で『食べる事は好きだが量はいかない』というターフェの少食っぷりを知ったサザの手配である事は明白だったが、正直そんなこたぁターフェには関係ない。ターフェにとって食事とはパンとスープが在れば充分であって、其処に一品でもおかずが付けば奮発物だしデザートがあったら豪華過ぎる。それもこれも実家での生活の賜物で、お陰で給金も程よく貯まって仕送りも思うより出来ているのだ。
「美味しいです!」
お肉のソースをパンで拭ってにっこりするターフェの向かい、サザの皿の肉の量は凄まじい。流石元来肉食種である。
メインのみの夕餉を終え食後のお茶を戴いていると、サザが徐に口を開いた。
「下宿の事は、残念だった」
「あ、いえいえ、仕様のない事です。お金は銀行に預けてありますし、ともかく次の下宿を探さないと」
元々古い所でしたしいい機会ですと付け加え、ターフェは紅茶のカップを見つめる。さて本当に、これからの生活を如何にすべきか。一先ず新しい下宿を探さねばならないが、その間の事もあるし服も下着も身に着けていた物だけしか残っていないのだ。因みに今履いている下着は借り物である。調節出来るとか紐パン素晴らしいな!
ぬんぬんと下宿先から紐パンへとターフェの意識が移っている事などいざ知らず、サザは当然の様に告げた。
「探さずともよいのではないだろうか」
「え、住むとこないですけど?」
「あるではないか。此処に住めばいい」
部屋数はあるし、面倒を見る侍女も揃っている。何の問題があるだろうかとサザは言う。此処にワナが居たのならばひっそりと「未婚の男女である事が問題でしょうか!」と言ったかも知れないがそれはそれ、現実的にはサザとターフェと、彼等を見守る使用人が居るばかりだ。
「あー、でもでも、こんな立派な御屋敷の下宿代なんか払えませんしー!」
「そんなものは必要ない。が、そうだな、稀にで構わないからターフェの手料理が食べたいと思う」
「手料理ですか?」
「昼を約束しても、時間が合わない事があるだろう? だからこの屋敷に住んでもらえれば、もっと多くの時間が作れると思うのだが」
クラバットを撫で擦るもふもふの手が忙しない。その様で、ターフェは彼が仕様のない押し付けの善意でも裏のある突き放した悪意でもない事を充分に感じ取った。
サザは本当に、ターフェの負担にならない様にと一歩引いて、それでも可能性を示してくれている。
「……うふふ」
にっこりと笑い、ターフェは紅茶に口を付けた。軽やかな嫌味のない香りは庭先の大輪の花からであろう。ターフェは自然に在る花が好きだから、こうして開け放してくれたのだろうか。
「サザ」
ターフェはサザの押し付けぬ好意を有難いと常々思っている。彼は己の権力振り翳さない。あるものをあるがままに上も下もなく扱う。だからこそ――。
「毎日、いっぱい一緒に御飯を食べて、いっぱいお話しましょうね。どうぞ宜しくお願い致します」
にっこり言うと、サザは一瞬ピンと張った尻尾をばふんばふんと二三振り回す。ターフェはその様が可愛らしく、益々頬を弛ませたのだった。
***
「若奥様という事で宜しゅうございますか?」
「違います」
「え?」
「レディ・ティティは若奥様ではありません。お客人として扱いなさい」
「畏まりました……お客人ですね?」
「そうです。――その内恋仲になって奥様になられるかも知れないお客人です」
「――恋仲でもないのですか!」
「未だ違うそうです……」
凸凹の二人がそれぞれ脳内お花畑でお茶をしている横、使用人達が頭を抱えて話す内容が戴けぬ事など、余人が知る由もない。