第4章 完璧の影 ― 失われた温度 ―
完璧を求める理由は、
いつも誇りだけとは限らない。
夕方のブルームトラベル本社。
外のビル群がオレンジ色に染まり、
会議室のガラスには、燃えるような空が映っていた。
青葉澪はデスクに肘をつき、モニターの光を見つめていた。
静まり返ったフロア。
社員のほとんどはすでに帰宅している。
画面には、アークシステムズの提案資料。
如月柊の言葉が頭から離れなかった。
――壊れない仕組みよりも、壊れても再生できる仕組み。
その一文が、澪の心の奥で静かに反響していた。
だが同時に、別の記憶がよみがえる。
5年前、社内システムの障害で、1人の部下が責任を負わされ退職した。
若かった彼女は、澪の代わりに謝罪会見に立たされた。
そしてその夜、消息を絶った。
――あのとき、私は“再生”を選べなかった。
澪は無意識に胸に手をあてる。
心の奥に、冷たい痛みが走った。
「……完璧でなければ、生き残れないのよ。」
自分に言い聞かせるように呟く。
エタニティの香りが、ほのかに広がった。
それは鎧の香りであり、祈りでもあった。
そのとき、ドアが静かにノックされた。
「青葉さん……失礼します。」
入ってきたのは、成田理沙。
手には紙資料、目の下にはうっすらと疲れの影。
「調査ログ、再確認しました。
不正アクセスの入口は、私のアカウント経由で間違いありません。」
澪は顔を上げた。
「……そう。」
理沙は、唇を噛みしめる。
「申し訳ありません。すべて、私の判断ミスです。」
澪は資料を受け取り、静かにページをめくった。
「あなたは、どうして改ざんを?」
「……青葉さんが、納期に間に合わせろって言ったから。
だから……チェックを一部飛ばしました。」
澪の瞳が、微かに揺れた。
理沙の声は、震えている。
「でも、ほんとは……青葉さんに認めてほしかったんです。
完璧に仕事を仕上げて、“私でもできる”って言いたかった。」
静寂。
夕日の光が2人の間を斜めに照らす。
その光は、まるで崩れかけた氷をゆっくり溶かすようだった。
澪は小さく息を吸い、言葉を探す。
「……完璧を目指すことは、悪くない。
でも、完璧に囚われたら、人は壊れるわ。」
理沙の瞳が潤む。
「青葉さん……?」
「……今回は、私も“見えない穴”を見落とした。
原因を究明して、再発を防ぐ。それだけを考えましょう。」
澪の声は、これまでよりわずかに柔らかかった。
理沙が部屋を出たあと、
澪は一人、窓際に立った。
街の灯が瞬き始める。
完璧を求める世界の中で、
自分だけがまだ“許し”を知らない気がしていた。
その夜、ブルームトラベルとアークシステムズの共同調査チームが正式に立ち上がる。
――冷たい鎧の中で、ほんの少しの“温度”が生まれようとしていた。
許しを知らなかったのではない。
許す勇気を、持てなかっただけ。




