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今度はあなたと共に  作者: 龍狐
第三章 ――伯爵令嬢と公爵令嬢
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16.過去ではなく

 ラミアが捕らえられてから数日後、クレマチス伯爵家の処遇について皇家で話が進んでいることがナイーゼ家にも伝えられた。


 皇太子であるカルロを負傷させた事件にラミアが深く関わっていた以上、その責任が本人だけで済むはずもない。クレマチス伯爵家については爵位を剥奪し、家そのものも取り潰す方向で話が進められているという。

 報告を聞くために執務室に呼ばれていたリリアは、当然の処置だと思いながら話を聞いていたものの、アバンリッシュが最後に付け加えた内容に思わず表情を変えた。



「それと、アナ・クレマチスについても処罰の対象になる」


「娘もですか?」


 思わず聞き返すと、アバンリッシュが頷いた。



「ですが、アナは何もしていないのですよね?」


「ああ。だが今回は皇太子殿下が実際に傷を負っているのだ。クレマチス家の人間である以上、何の処分も受けずに済む話ではない」


「でしたら――」


「リア」


 隣から名前を呼ばれ、リリアはアルテミスへと顔を向けた。母は暫く考えるように目を伏せていたが、やがてアバンリッシュに視線を移す。



「私も、アナまで処罰することには反対よ」


「アルテミス」


「私を殺そうとしたのはラミアでしょう。あの子ではないわ」


 きっぱりと言い切ったアルテミスに、アバンリッシュは何も返さなかった。


 リリアも同じ考えだった。


 一度目の人生でアナが自分にしたことを忘れた訳ではない。ラミアの言葉に唆されたとはいえ、アナ自身の意思でリリアを追い詰めたのだ。

 それでも、それは一度目のアナがしたことで今のアナはまだ何もしていない。過去の記憶まで重ねてしまって、母親が罪を犯したというだけで今の彼女を罰することをリリアは受け入れられなかった。



「どうにか処罰から外すことはできないのでしょうか」


「簡単ではないだろうな」


 アバンリッシュは腕を組み、難しい表情を浮かべた。



「今回の件は皇家も動いている。ナイーゼ家だけで処遇を決められる話ではない」


「では、皇家が認めれば可能なのですか?」


「少なくとも、私たちがここで話しているよりは可能性があるだろう。だが――」


 そこで言葉を止めた父を見て、リリアにもその先は分かった。


 皇家に直接意見できる者など限られている。そして今回の事件には、その皇家の人間であり、実際に巻き込まれた人物がいるのだ。



「殿下は、もうお話しできる状態なのですよね?」


「ああ。まだ安静は必要だが、容体も落ち着いて、昨日から短時間の面会が許可されていると聞いている」


 アルテミスを庇い、代わりに刃を受けてカルロが怪我を負ったのだ。母の命を救ってくれた恩人である以上、リリアとしても一度きちんと顔を見て礼を伝えたいと思っていた。



「でしたら、お見舞いに伺おうと思います。その時に、アナのことも殿下に相談してみてもよろしいでしょうか」


「リアが?」


「はい。お母様を助けていただいたお礼も、まだ直接お伝えできていませんから。それに、殿下の考えも伺っておきたいです」


 アバンリッシュは何か言いたげに眉を寄せ、対するアルテミスはすぐには答えずに心配げにリリアの顔を見つめた。



「リア。殿下と二人で話しても大丈夫?」


 何を心配されているのかリリアには直ぐに分かった。

 先日、母には一度目の人生について話しているのだ。カルロとの間に何があったのかまでは明かさなかったものの、縁談を先延ばしにしていることにも理由があるとアルテミスは察していた。



「はい。大丈夫です」


「無理をしていない?」


「していません。それに……お母様を助けてくださったことについては、私も殿下にきちんとお礼を言いたいと思っています」


 過去に何があったとしても、今の彼が母の命を救ってくれた恩人であることに変わりはない。むしろ何も言わないままの方が居心地が悪かった。



「そう。リアがそう言うなら、私は止めないわ」


「お母様はご一緒されないのですか?」


 てっきりアルテミスも見舞いへ行くものだと思っていたリリアは意外そうに尋ねる。助けられたのは母であり、本人も改めて礼を伝えたいと言っていたからだ。



「殿下はまだ療養中なのでしょう?あまり大勢で伺うより、今日はリアだけの方がいいと思うわ。それに二人は同い年なのだから、私がいるより話しやすいでしょう?」


「そう、かもしれません」


「アナのことも、リア自身がお願いしたいのでしょう?」


 その言葉にリリアは素直に頷く。アナを処罰から外してほしいと望んでいるのは自分であり、アルテミスに代わりに頼んでもらうよりも自分の考えをカルロに直接伝えるべきだ。



「なら、あなたから話してきなさい。私からは、殿下がもう少し回復されてから改めてお礼に伺うわ」


「分かりました」


「ただ、嫌になったらすぐに帰ってきていいのよ」


 アルテミスが付け加える。



「何があったのかは聞かないわ。話したくなった時でいいって言ったでしょう?でも、だからといって心配までしない訳じゃないのよ」


「お母様......」


 以前ならば、母からこんな言葉を掛けてもらえる日が来るとは思いもしなかった。

 事情を尋ねることも無理に聞き出そうとすることもせず、ただ自分の身を案じてくれている。そのことが嬉しくて、リリアは少し困ったように笑う母へ小さく笑みを返した。





 翌日、案内された部屋へと入ったリリアは、寝台の上にいるカルロを見て思わず足を止めた。

 意識を取り戻したと聞いてはいたものの、当然ながら傷が癒えた訳ではない。上半身を僅かに起こしているとはいえ顔色はまだ悪く、普段の姿と比べれば弱っていることは一目で分かった。



「殿下」


 リリアの姿を認めたカルロの表情が僅かに和らぐ。



「...来てくれたのか」


「はい。もっと早く伺いたかったのですが、殿下の容態が安定するまでは面会できませんでしたので」


「気にする必要はない。それより、君はもう大丈夫なのか?」


「私ですか?」


「あの場には君もいただろう」


 自分の方が重傷を負っているというのに、真っ先にこちらを気遣われたことでリリアは返事に詰まりかける。



「私は大丈夫です。それよりも殿下こそ、お母様を庇ってくださったせいでこのような怪我を……」


「それなら気にしなくていい。間に合ったのだから、それで十分だ」


 あまりにも当然のように言われ、リリアは寝台の傍まで歩み寄りながら小さく頭を下げた。



「本当に、ありがとうございました」


「ああ」


 カルロはそれ以上何も求めず、ただ短く答えるとリリアをじっと見た。



「それで、今日来たのはお見舞いだけが理由ではないのだろう?」


 不意に尋ねられ顔を上げる。心の内を透けて見られているような気がして、、リリアは思わず言葉を漏らした。



「......分かるのですか?」


「何か言いたそうな顔をしている」


 図星だった。そんなに顔に出ていたのかと内心焦りを覚えつつも、小さく頷く。



「クレマチス家の処遇について、昨日お父様から聞きました」


「...そのことか」


「殿下も、既にご存じなのですね」


「ああ」


 カルロの表情から先ほどまでの柔らかさが消えた。



「ラミアについては今後さらに取り調べが行われる。クレマチス家の取り潰しについても覆ることはないだろう」


「アナについても聞きました。アナ・クレマチスも処罰の対象になると」


「ああ」


 カルロの目が僅かに細められる。


 リリアは内心で首を傾げた。今回の件にアナが関わっていないことは既に調べがついているはずだ。それなのに、その名を出した途端、カルロの表情が変わったように見えたのだ。

 以前から感じていた違和感がまた胸の奥に引っ掛かるも、それでも今は本題を続けることにした。



「アナだけでも、処罰の対象から外せないでしょうか」


 カルロは何も答えない。暫く黙り込んだまま、視線を下へと向けていた。



「お母様も同じ意見です。今回の件を起こしたのはラミアであって、アナではありません」


「……簡単にはいかない。皇家まで被害を受けた以上、ラミア一人を処罰して終わりにはできないだろう」


「クレマチス家が取り潰されることについては,何も申し上げるつもりはありません。爵位やこれまでの生活を失うことも仕方がないと思います」


 そこまで伝えた上で、リリアは改めてカルロを見つめた。リリアが止めたいのはクレマチス家への処分ではなく、何も知らなかったアナまでラミアと同じ罪を負わされることだった。



「それでも、アナ自身まで罪人として罰する必要があるのでしょうか」


「.......アナ・クレマチスはラミアの娘だ」


「それは、アナ自身が罪を犯した理由にはなりません」


 カルロは何も言い返さなかったが納得した様子もなく、むしろアナを処罰から外すことに強い抵抗を感じているようだった。


 彼がクレマチス家への厳しい処分を求めることなら理解できる。実際に被害を被ったのだから、ラミアやその家に思うところがあって当然だった。

 けれど、アナは今回の件に何も関わっていないのだ。カルロもそれは知っている筈なのに、先ほど名前を出した時から妙にアナ個人に拘っているようにリリアには見えた。



「殿下。まだ何もしていない今のアナまで罰するのですか?」


 その瞬間カルロの表情が僅かに変わる。ほんの一瞬のことだったが、リリアはその変化を見逃さなかった。



「殿下?」


「いや、何でもない」


 カルロは僅かに目を伏せた。



「君は、あの者を助けたいのか?」


「助けたいというより、していない罪で罰するのは違うと思っています」


「......例えこの先何をするか分からなくても?」


 妙な聞き方だった。まるで彼は、今のアナではなく別の彼女を見ているように思えてならない。



「それは、アナに限ったことではありません。誰だって、この先何をするかなんて分からないでしょう?」


「......ああ」


「まだ起きてもいないことを理由に人を罰することは、私にはできません」


 カルロは何かを考えるように黙り込み、暫くしてから小さく息を吐いた。



「分かった。皇家には私から話す」


「よろしいのですか?」


「ああ。ただし、クレマチス家そのものへの処分は変えられない。爵位を失うことも避けられないだろう」


「それで構いません。アナ自身が罪人として扱われなければ」


「なら、その方向で話を進めよう」


「ありがとうございます、殿下」


「礼を言われるようなことではない。君と夫人がそこまで望んでいるのなら、私もこれ以上反対するつもりはない」


 カルロの体調を考えればこれ以上長居するべきではないだろう。そう考えて立ち上がり、扉へ向かう前にもう一度だけ寝台の方を振り返った。



「では、失礼します。どうかお大事になさってください」


「ああ。来てくれてありがとう」


 部屋を出た後もリリアの胸には小さな違和感が残っていた。目的は果たせたものの、カルロがアナに見せた反応は、単にクレマチス家の人間だから警戒しているというだけでは説明しきれないように思えたのだ。

 以前から感じていた違和感もある。まだ本人に確かめたわけではなく、確信までは持てない。それでも、これまでの全てを偶然で片付けることは難しくなっていた。





 それから数日後、クレマチス伯爵家の処分が正式に決まった。


 伯爵家は取り潰され、爵位と領地を失うことになった一方、アナについては今回の事件に直接関与していなかったことに加え、被害を受けたナイーゼ家とカルロからも処罰に反対する意見が出たことで、罪人として扱われることは免れた。

 もっとも、これまで通り伯爵令嬢として暮らせる訳ではなく、家を失ったアナは身分を失い、今後は皇家の監督下にある孤児院へと預けられることになった。



「リリア様」


 移される日を前に、リリアは一度だけアナと会うことにしていたのだ。部屋に入ると、椅子に座っていたアナが顔を上げる。


 リリアの記憶の中のアナとは異なり、随分と小さく見えた。豪華な服も装飾品もなく、簡素な服を身につけた姿は伯爵令嬢というより年相応の少女にしか見えない。



「体調はどうですか?」


「大丈夫です」


 そう答えたものの、表情は硬いままだった。


 当然なのだろう。母親は捕らえられ、家も身分も失い、これまで暮らしていた場所からも離れなければならない。何も知らされていなかったアナにとっては、僅かな間に自分の世界そのものが変わってしまったようなものだ。


「これから孤児院へ行くと聞きました」


「はい」


「怖いですか?」


 アナは少し迷ったあと、小さく頷いた。


「知らない人ばかりだから……」


「そうですね」


「お母様には、もう会えないのですか?」


 リリアは直ぐには答えられなかった。


 ラミアが犯した罪を考えれば、これまでのように母娘として暮らせる日はもう戻ってこない。幼いアナにそれをどう伝えるべきか迷ったものの、何れ分かることを曖昧な言葉で誤魔化すこともしたくなかった。



「……はい。もう、お母様と会うことはできません」


「そう、ですか」


 アナは俯くと、それ以上何も尋ねず膝の上で重ねた手をぎゅっと握った。片方の手がもう一方を強く掴んでいて指先が白くなっている。

 母親と二度と会えないと告げられたのだから無理もない。そう思って見ていると、アナは自分でも気付いたのか、ゆっくりと指の力を抜いた。



「リリア様」


 考え込んでいたリリアが顔を上げると、アナは先ほどから何度も迷っていたことをようやく口にするように、恐る恐るこちらを見ていた。



「私のこと、嫌いですか?」


「どうしてそう思うのですか?」


「お母様が、リリア様のお母様に酷いことをしたって聞きました。だから、私のことも嫌いなのかなって」


 アナの顔には不安そうな表情が浮かんでいた。


 一度目の人生で受けた仕打ちを忘れたわけではないし、あの頃のアナを好きだったかと問われれば、答えは間違いなく否だろう。それでも、その感情を何も知らない今のアナへ向けるのは違う。



「今の貴女を嫌う理由はありません」


「本当ですか?」


「はい。お母様がしたことは、お母様のしたことです。貴女まで同じことをしたわけではないでしょう?」


「……よかった」


 安堵したように笑ったアナだったが、膝の上に戻された手は再び強く握られていた。



「これから孤児院へ行けば、今までとは生活も大きく変わると思います。知らない人ばかりの場所で暮らすのですから不安になることもあるでしょう」


「はい」


「でも、これから貴女がどう生きていくのかまで、お母様が決めるわけではありません。これからのことは貴女自身が決めていけばいいのです」


 幼いアナが今の言葉をどこまで理解できたのかは分からない。それでも、彼女は何も言わずにリリアをじっと見つめた後、もう一度小さく頷いた。



「分かりました」


 やがて迎えの時間が来たことを告げられると、アナは椅子から立ち上がった。扉へと向かいかけたところで一度だけ足を止め、振り返る。



「リリア様」


「はい」


「......ありがとうございました」


 何に対する礼なのか、リリアは尋ねなかった。ただ、小さく笑みを返し、迎えに来た者と共に部屋を出ていくアナを最後まで見送る。


 扉が閉じてからもリリアは暫くその場に立ち尽くしていた。

 一度目の人生では、アルテミスが亡くなった後ラミアがアナと共にナイーゼ家へとやってきた。しかし今回はアルテミスが生きていて、ラミアは捕らえられアナもナイーゼ家には来ることなく別の道を歩き始めることになるのだ。



―――もう、一度目と同じ未来にはならない。


 そう思った時、リリアはふとカルロのことを思い出した。


 今の彼は一度目の人生で知っていたカルロとは違う。それはもう、ずっと前から気付いていた。婚姻の話が持ち上がった時にもそう感じていたし、今回、母を庇って自ら傷を負った彼の行動を見ても、その思いは変わらなかった。

 それでも、いつか一度目と同じ未来へ戻ってしまうのではないかという不安だけは、どうしても捨てられずにいたのだ。けれど、まだ起きてもいないことを理由に罰することはできないと、つい先ほどカルロに言ったのは自分自身だった。


 過去の記憶を忘れることはできない。それでも一度目のカルロだけを見て、今の彼から目を逸らし続けるのも違う気がしたのである。


 すぐに信じることはできなくても、これからは今のカルロが何をするのかを自分の目で見ていこう。リリアは初めて、そう思った。

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