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時は少し遡り、葛の葉庵に蜘蛛の妖達が現れる少し前。私は滝に忍ばせていた紙人形の式神が妖気を感知したのを確認し、その妖気の主が居る場所へと向かって走っていた。
必ず滝に接触してくると考えて彼女をマークしていたが・・・思ったより早かったな。
反応があった場所に近付いた所で、周囲の人間達の動きが止まったのが目に入る。
晴支の“避人隔世”・・・敵が動き始めた様だな。
私は立ち止まり、警戒を強めながらゆっくりと辺りを見廻してみる。右前方の少し離れた人混みの中に、感知したものと同じ妖気を感じ取り、私は人混みの方に目を向ける。すると、着物に身を包んだ1人の少女が集団の合間から此方を見つめていることに気が付いた。少女は私と目が合うと、くるりと私に背を向け、ゆっくりと歩き出す。
「待てっ!!」
少女を追いかけようと足を踏み出した直後、白い煙が辺り一帯を覆う。そして白い煙は少女の姿と気配を包み隠してしまう。
この煙・・・蜃の蜃気楼か。
煙に寄って感覚が狂わされる。そこに追い打ちを掛ける様に、土蜘蛛や子蜘蛛の大群が私の周囲をぐるりと囲む。私は蜘蛛達の動きを警戒しつつ破魔の力を己の体に集中させる。そして蜘蛛達が私に向かって一斉に襲い掛かると同時に破魔の力を勢い良く解き放つ。破魔の光は蜘蛛達を滅し、白い煙も綺麗に晴らしていく。少女の居た方向にサッと目を向けるが、少女の姿は見当たらない。彼女の居た場所に急いで駆けて行くと、そこには紅い紐で縛られた白い花が残されていた。気配を捜してみるが、周囲にそれらしい気配は感じられない。
「逃げられたか・・・。」
残された花をまじまじと見つめ小さく呟いた声は、沈黙した街の中に消えていく。
まぁ、妖の事件に関わっていれば、孰れ再び見えることになるだろう。それより・・・
「そろそろ出て来たらどうだ、白虎?」
私は後ろに振り返り、左奥の建物の陰に向かって話し掛ける。すると、にっこりと満面の笑みを浮かべながらひょこっと白虎が顔を出す。胡散臭いことこの上ない。
「アハハ。こんな所で会うなんて奇遇ですネ、貴人。」
白虎は此方の様子を窺う様に上目遣いで話し掛けてくる。
「私の跡をずっとつけていただろう?」
私がにやりと笑って指摘すると、白虎は「おや。」とわざとらしく口許を手で隠す。
「ばれちゃってましたカ。貴人が何かコソコソと企んでいる様だったのデ、面白そうだと思って尾行させてもらいましタ♪」
傍に寄って来て楽しそうに語る白虎。ちらりと私を見つめる目が、悪戯っぽくキラリと光る。
「動きを感付かれるとは・・・私もまだまだだな。」
眉尻を下げ苦笑する私に、白虎はフッと微笑んだ後、真剣な面持ちで此方を見つめる。
「それで・・・何か手掛かりは掴んだんですカ?」
問い掛ける白虎の声から、彼の緊迫と静かな闘志が伝わってくる。
「・・・これが残されていた。」
私は手に持っていた花を白虎に手渡した。白虎は花を受け取ると、花に括られていた紅い紐にそっと触れる。
「この紐・・・時雨がいつも身に着けていた髪紐ですネ。それにこの植物は、鋸草。花言葉ハ・・・」
「“戦い”だ。」
2人を包む空気がピリピリと鋭いものに変化する。
「ハハ・・・どうやら彼方さんは殺る気満々の様ですネ。」
敵への闘志を滾らせ、無意識に瞳が細く、鋭く尖る白虎。
「あぁ。私達に宣戦布告とは・・・良い度胸だ。」
私の声が冷たく、低く響き渡る。
「どうしまス、貴人?」
私の目を真っ直ぐ見つめ、白虎は不敵な笑みを浮かべる。
「奴らが再び我々に牙を剥くと言うなら、迎え撃つまでだ。容赦はしない。」
鋸草に鋭い眼差しを向け静かに語る私に、白虎は「そうですネ。」と小さく頷く。
・・・もう二度と、大切な者達を傷付けさせはしない。手下諸共完全に潰す。確実に・・・奴の息の根を止める。
「店に戻るぞ、白虎。」
「エエ。」
私は白虎を連れて、来た道をゆっくりと引き返す。白虎が手に持つ鋸草が、ふわりと風に揺れるのがちらりと目に入る。
首を洗って待っていろ。貴様のふざけた計画ごと全てぶち壊してやる。
私は力強く前を見据えると、歩を進めるスピードを少し速めた。