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【番外編1】宗介と雪の日の想い出

「あんたなんて産まなければ、私の娘は死ななくてすんだ。それだけじゃないわ。父親が死んだのも、みんなみんな、あんたのせいなのよ?」

 目の前には、俺の母方の祖母。

 本当に可哀想と、彼女は言う。

 聞きたくない言葉に、耳をふさごうとすれば、思いっきり眉をひそめて睨まれた。


「自分の罪から逃げるのね卑怯な子。やっぱりあの父親の子だわ」

 父を悪く言われるのは嫌だった。

 だから俺は黙って、祖母の言葉を聞く。

 自分のせいだとそれを受け入れる。


 俺の母親は病弱で、俺を産めば死ぬと言われていたらしい。

 それなのに俺の父が母をさらって、俺を産ませたのだと祖母は言った。

 そのせいで、母は死んだのだと。

 

 父は母を失い、それでも俺を育てようとしてくれた。

 けれど、俺が五歳のときに……交通事故で亡くなってしまった。


 その日、夜起きたら父がいなくて。

 不安になって、家を飛び出した。

 時折、夜に父がコンビニにでかけることを知っていた。

 連れて行ってもらったことが何度かあったから、きっとそこにいるんだと思った。


 コンビニに向かう道の途中。

 夜だというのに人が道にあつまっていて、サイレンの音が鳴っていた。

 何だろうと人ごみをかきわけて行ってみれば、そこには……父が血だらけで倒れていて。

 持っている袋からは、母が好きだったお菓子が転がり落ちていた。


「今度はあんたのせいで、誰が死ぬのかしらね? あんたが大切だと思う人も、あんたを大切に思う人も。みーんな不幸になって、死んでいくの。呪われた子ね、あなた。まるで死神だわ!」


 歪む俺の顔を見て、祖母が笑う。

 本能的に恐怖を感じる、壊れた笑い声。


 しわくちゃの手で俺の頬をなぞる。

 落ちくぼんだ目と視線が合う。

 暗くて深い闇がその瞳の中にはあった。


 骸骨を思わせるがりがりに痩せた、生命力のない体の中で。

 目だけが――異様にぎらぎらと光って怖かった。


「おばあさん! 宗介になんてことをいうんですか!」

 やってきた山吹のおじさん――父の弟で、俺をひきとってくれた男の人が声を荒げる。


「本当のことを言っただけでしょう? 次は、あなたたちが死ぬのよ。この子は疫病神。死神なのよ……ふふっ、あはははは!」

 狂ったように、祖母は笑う。

 俺の母――彼女にとっては愛しい娘を失ってから、おかしくなってしまったのだと山吹のおじさんは言った。


「あんなこと、気にしなくていい。宗介のせいなんかじゃない。あのおばあさんは、頭がおかしくなってるんだ」

 そう山吹のおじさんは言ってくれたけれど。

 祖母の言葉が、呪いのように――俺の頭にはずっと残っていた。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●


 祖母の言葉が正しかったんだと思ったのは、それから二年経った頃。

 父さんも母さんもいなくなって、もうどうしていいかわからなかったくせに、子供っていうのはずぶとい。

 心のよりどころを、いつの間にか俺は見つけて。

 悲しい想いに、四六時中とらわれることはなくなっていた。


 ――あんたを大切にする人は、みんな不幸になって、死んでいくの。

 それでも、やっぱり祖母の言葉どおりになるのが怖くて。

 俺は人を遠ざけるようになり、引き取ってくれた山吹のおじさんたちから距離をとっていた。

 山吹のおじさんたちは悲しい顔をしたけれど、俺を放っておいてくれた。


 けど、アユムはそうじゃなかった。

 山吹のおじさんたちの親友の息子。

 頻繁におじさんたちの家にやってきては、俺に話しかけてくる。


 アユムの両親は仕事が忙しいらしい。

 ほぼといっていいほど、アユムはこの家に入り浸っていた。

 夕飯もおじさんたちの家で食べるし、泊まっていくことも多かった。


 おじさんたちや両親に言われたから、アユムはしかたなく俺と仲よくしようとしてるのかな。

 そんなことを思っていた俺だけれど、それは違うなとすぐに気づいた。

 

 アユムは俺と純粋に仲よくなりたいというオーラを出していて。

 少し俺が話すだけで、嬉しそうにする。

 気づけばいつもアユムがそばにいて、俺は笑えるようになっていた。


「おじさんたちは優しいけど、そうじゃなくて……ボク、ずっと一緒にいてくれる奴がほしかったんだ」

 両親が仕事で忙しいことを、何とも思ってないふりをしていたけれど、本当はアユムも寂しかったらしい。

 ある日、ふいにそんなことをアユムが言ってきた。


「ねぇ、宗介。ボクと親友になってよ」

「シンユウ?」

 聞き返せば、そうだよとアユムは言う。

「特別な、一番大切な友達のことを親友って言うんだ。ボクの中で、宗介がそうなんだけど……」

 もごもごと照れたような顔を、アユムはする。


「ボクを宗介の一番の友達にしてほしい……ダメ?」

 ちょっぴり答えを怖がるように、アユムは言う。

 ダメなわけがない。

 すでに俺の中でもアユムが一番で。アユムもそう思ってくれているのが、とても嬉しかった。

 うんと頷こうとして。


 ――あんたを大切にする人は、みんな不幸になって、死んでいくの。

 頭の中に、祖母の声がよぎった。


 あったかくなった心に、冷たい水を注がれたような気分になった。

 俺を大切だと思ってしまったら、アユムも不幸になってしまう。

 そのことに気づいて、怖くなった。


「……ごめん」

 俺の言葉にアユムは目を大きく見開いていた。

 きっと俺が頷いてくれるんじゃないかと、思っていてくれたんだろう。

 その表情に胸が痛くなった。


「宗介は、ボクを親友にするのは嫌……なの?」

「違うよ。俺もアユムと親友になりたい。俺の一番もアユムだから」

 愕然としてるアユムに、そうじゃないよとわかってほしくて、懸命に話しかける。


「なら」

「でも、ダメだんだよ……。アユムを不幸にしたくないから」


 アユムと親友になりたい。

 でもそれじゃ、アユムが不幸になる。

 絶対にそんなのは嫌だ。

 納得いかない顔をしてるアユムに、俺は理由を話した。


「難しいことはわかんないけど……宗介はボクをちゃんと親友だと思っててくれて、ボクを不幸にしたくないから親友にはなれないってこと?」

「うん」

 頷けば、アユムはそれはおかしいと言った。


「宗介が親友になってくれないほうが、ボクは不幸だよ。だって今泣きそうだもん。ボクを不幸にしたくないなら、親友になってよ」

 ふくれっつらで、目に涙を溜めながらアユムが言う。


「でも……」

「宗介は、ボクを不幸にしたいの?」

「そんなわけない!」

 勢いよく言えばアユムがぎゅっと手を握ってきた。


「じゃあ親友になってくれるんだよね」

「いやそれは」

「宗介はボクと親友になりたいの、なりたくないの?」

 答えをわかってるくせに、アユムが俺に尋ねてくる。

 手を差し伸べて、その手を取ってよと視線で訴えてくる。


「なりたい……」

「じゃあ決まり。これからボクたちは親友ね! 宗介が困ったときにはボクが助けるし、ボクが困ったときには宗介が助ける。楽しい時も苦しい時もいっしょだよ! だって、誰よりも強い絆を持った、親友だからね!」

 そう言って、アユムは嬉しそうに笑う。

 それって結婚式の誓いみたいだな、と頭の隅で思った。

 迷いなく、でもちょっと強引に俺の手を引いてくる。


 嬉しかった。

 俺はアユムの優しさに甘えた。

 

 けど、それは間違いだった。

 それから数日後、アユムは事故にあった。

 熱を出して寝込んだ俺が、寝ぼけて父を捜して外に飛び出して。

 車にひかれそうになったところを助けようとして、アユムは大けがを負ってしまった。

 

 祖母の言うとおりだった。

 アユムと仲よくなんて、親友になんてなっちゃいけなかった。

 俺はどうなってもいいから、アユムは助けてと神様に祈った。

 その甲斐あってか、アユムは奇跡的に助かったけれど……記憶喪失になってしまった。


 記憶がなくなった。

 俺のことをアユムは、もう覚えてない。

 それならもう、こんな目にアユムが遭うことはない。

 それでいいはずなのに、苦しくて悲しくて涙が出た。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●


 記憶喪失になったアユムが、俺に会いたがってるらしい。

 会うのが怖くて家を出た。

 

 アユムに忘れられているのが怖い。

 こんな俺を、きっと親友と言ってくれるのはアユムだけだったのに。

 アユムはもう俺を忘れてしまった。

 大切な親友をこれ以上不幸にしたくなかったら、それでいいと思うべきなのに、それじゃ嫌だと思ってる自分が……嫌いでしかたなかった。

 俺はいつだって、自分のことばかりだ。


 教会の外から、窓越しに神様の像に祈る。

 これ以上誰も俺のせいで不幸になりませんように――なんて、ことをただ懸命に願う。

 

 なら、俺がいなくなればいい。

 簡単なことだったのに、その時の俺は幼くて。

 自分でこの世界から消えるという選択肢が頭にはなく、誰かの不幸の代わりになって自分が消えたいと思うばっかりだった。


「宗介くん?」

 ふいにアユムの声がして、振り返る。

「危ない!」

 二階の窓から落ちる俺を、アユムが受け止めた。

 雪があったとはいえ、かなりの無茶だった。


「いたた……怪我ない?」

「それはこっちの台詞だよ、馬鹿!」

 助けられてよかったと言うように、アユムが笑いかけてくる。

 記憶を失ってるはずなのに、俺の知ってるアユムとそう変わらないように見えた。


「怪我は? どこか痛くない? なんでアユムはいつも俺なんかを助けようとするの?」

「別に事故は宗介く……宗介のせいじゃないと思う。それに、みんな不幸になんてなってないよ」

 怪我を確認する俺に、アユムがそんなことを言った。

 しゃべり方が、俺の知っているアユムと少し違う。

 ちょっと丁寧で、大人びてると思った。


「でも、俺がいなかったら、アユムは事故に会わなかった。本当の母さんだって俺を生まなければ死ななかったし、本当の父さんだって俺がいなければ、交通事故で死んだりしなかったんだ」

 アユムは大切な人をあんなふうに失ったことがないから、そんなことが言える。

 目の前で血を流すアユムが、父と重なる。

 鮮明に頭の中に映像が蘇ってくるみたいで、気分が悪くなった。


「だから、もう俺に関わらないで。アユムを不幸にしたくないから」

「それはできないよ」

 間髪入れずに、アユムはそういった。


「どうして。俺のこと、忘れちゃってるんでしょ。なら、簡単だよ」

「忘れてないこともちゃんとある」

 目の前のアユムは、強い力を持った瞳で俺を見てた。

 まっすぐな目に、隠そうとしてる弱い自分を見透かされている気がした。


「ボクと宗介が親友だってことだ!」

 胸を張って、アユムは言いきった。

 俺とアユムが親友になったことは、まだ誰にも言ってなかった。

 ぽかんとしていたら、手を握られる。


「それに、ボクは宗介が側にいるよりも、いない方が不幸になるんだよ。絶対に」

 アユムは断言する。

 それは間違いないことだというように、自信たっぷりに。


「宗介はボクを不幸にしたくないんだよね。なら、ボクと一緒にいなくちゃいけない。そうだろ?」

 むちゃくちゃなことを、記憶を失う前と同じことを、アユムは言う。

 そんなアユムがおかしくて。

 記憶を失ってもアユムはアユムなんだなって、嬉しくなった。

 

「な、なんだよ。なんでいきなり笑うんだよ!」

「いやだって。アユムはアユムなんだなって思って」

 笑いが止まらなくて、うじうじと悩んでいたのがバカみたいに思えた。


「前に俺が似たようなこと言ったとき、アユム全く同じことを言ってた。覚えてないのに、また同じこというんだね」

 いつだってアユムは、俺の悩みを吹き飛ばしてくれる。

 簡単に飛び越えてしまう。


「わかればいいんだよ。ほら、行こう。父さんたちが待ってる」

 手をアユムが差し出してくる。

 この手をとったら、またアユムが不幸になるかもしれないという思いと、俺が手を取らないと不幸になるというアユムの言葉がせめぎ合う。


 どっちをとっても、不幸になる可能性があるとするなら。

 アユムと一緒にいられる方を取るに決まっていた。

 けど悩む。

 そうしていたら、強引に手を掴まれた。

 その手が、ほんの少し小さくなった気がして。


「行こうってば」

「……アユム、手がちょっと小さくなった?」

 動こうとしない俺を促すアユムに尋ねれば、何故かギクリとしたように目を見開いた。


「気のせいだよ。ずっと病院にいたから縮んだのかも」

「そうかな。でも、声も若干高い気がする」

 久々に会うからなのかもしれない。

 そう考えて、アユムと会うの久々なんだよなと、しみじみ思う。

 思っていたよりも元気そうでよかったと、顔を見ながら考えていたら、強引に手を引いてアユムが走り出した。


「いいから行こう!」

「そんなに強く引っ張らなくても、ちゃんと行くから!」


 ――やっぱり、俺はアユムがいないとダメみたいだ。

 迎えにきてくれたことが嬉しくて、それだけで幸せな気持ちになった。

 アユムがいない日々は、苦しくて苦しくてしかたなかった。

 この雪に埋め尽くされた白い景色のように、なにもかも色をなくして、すべてが冷たく凍りついたように感じていた。

 なのに……アユムが側にいるだけで、この景色が特別なものに思える。


 きっとこの日を、俺は忘れない。

 たとえアユムにとって、なんてことのない日常の一ページでも。

 特別なものとして、いつまでも覚えているんだろう。


 きっと、この先何度も思い返す。

 白い雪を見るたびに、幸せな気持ちになれる。

 ――そんな、優しい思い出として。

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