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後編

 どうしてあの時、お兄様に何も言えなかったのだろう。エルドが悪い人じゃないことは、私は実際に会って知っている。それなのに……。

 エルドと会ってはいけないと言い渡され、一週間ほど経った。強く言い返せなかった自分にやるせなさを感じる。

 確かにお兄様が言うように、私はエルドのことをよく知らない。でも、それを理由に会いに行くなというのは納得出来ない。エルドの向けてくれる優しさは嘘じゃないわ。

 だったら、やることは一つ。

 お兄様が家にいないのを確認すると、用意してあったバッグを手に部屋をそっと出る。こうなったら実力行使よ。家出してやる。ただ一応、部屋には書き置きを残しておく。

 家出というものをしたことがなかったので、荷物が思ったより多くなってしまった。子供の体ではバッグを引きずる形になってしまい、なかなか先に進まない。そうこうしてと、裏口に回る手前でルーシアに見つかってしまう。

 きょとんとした後、何か言いかけたルーシアを身振りで慌てて止める。

「お願い、ルーシア。お兄様やお母様には黙っていて」

 他の人に気づかれないように小声で話す。するとルーシアは頬に手を当て、考えるように言う。

「そうは言われましても、キース様から言い付かっておりますし……」

「私、納得出来ないの。お兄様が心配するのも分かるけど、だからって……」

「シルフィー様……」

 ルーシアは、考えあぐねているようだった。そんなルーシアに、私はあることを言う。

「アップルパイ」

「はい?」

「私はアンドレーヌのアップルパイを買いに行くの。それと危ないことはしないわ。約束する」

 私は、見え透いた嘘を吐く。私だって、ルーシアがそんなことでだまされるとは思っていない。それが、私の精一杯だった。

 アンドレーヌは街で有名なケーキ屋で、そこのアップルパイは女性に人気が高い。並ぶことを考えても、二時間ほどで帰ってこられるだろう。ルーシアも察しがついたのか、真剣な表情になる。

「一つだけ約束を。アップルパイを買われたら、すぐにお戻り下さい」

「分かったわ」

 つまり、二時間だけは見逃してくれるということ。それまでに絶対に帰って来る、それがルーシアの出した条件だ。

「私、お掃除をしなくてはならないんでした。ああ、忙しい」

 わざとらしく言うと、ルーシアは背を向け行ってしまう。

「ありがとう」

 ルーシアの背中にそっと呟く。バッグはもう必要ないわね。戻している時間はないので、適当な場所に隠しておく。そして、私は今度こそ裏口から外へと出た。


* * *


 こんな時に限って途中の道で事故があり、私は大回りしなけれなならなかった。森の入り口に着いたのはお昼頃で、ルーシアとの約束まであと一時間ほどしかない。焦って走り出そうとした私は、石につまずいて転んでしまう。

「大丈夫!?」

 どうやら近くに人がいたらいしい。豊かな赤毛を一つにくくった女性が、心配そうに近寄って来る。

「傷は大したことなさそうね。ちょっと待って」

 そう言うと、女性はハンカチを取り出してすりむいた膝に巻く。

「そんな、汚れてしまいます」

 慌てて止めれば、女性は手早く手当てを終える。

「遠慮しない。女の子なんだから、そのままってわけにもいかないでしょ?」

「ありがとうございます」

 とてもきれいなハンカチなのに。お礼を言えば、女性は意味ありげに笑う。

「ねえ、お腹空いてない?」

「え? はい……」

 意表をつかれ、私は素直に答えてしまう。

「ちょうどよかった。私、これから食事をしようと思っていたの。一緒にどう?」

 そう言うと、手に持っていたバスケットをかかげて見せる。

「でも……」

 断ろうとした時、お腹が空腹を訴えて鳴く。ここ最近ろくに食事をしてなかったけど、何で今なの! 恥ずかしさから、顔が真っ赤になるのが分かる。

「正直でよろしい。この先に広場があるからそこで食べましょう。ああ、言い遅れたけど、私はアメリア」

「ルーシアです……」

 ルーシアの名をかたったのは、深く考えない上での発言だった。ルーシアと名乗ることに、私は慣れていたのかもしれない。

 もう、どうにでもなれ。そんな思いで、アメリアさんに着いて行くことにした。


 森から離れ、街の広場までやってくる。噴水に腰かけ、アメリアさんがバスケットを開けば、中にはおいしそうなサンドウィッチが入っていた。

「どうぞ召し上がれ」

「いただきます」

 ハムとスクランブルエッグ、レタスの挟まったサンドウィッチを手に取り口に運ぶ。マスタードのほのかな辛味がアクセントとなって、それはとてもおいしかった。

「おいしいです」

「よかった。それ自信作なのよ」

 アメリアさんもサンドウィッチを手に取り、大きな口でかぶりつく。バスケットには二人で分けても十分な量があった。もしかして、誰か他の人と食べるつもりだったのではと疑問が浮かぶ。そうだとしたら、悪いことをしてしまった。

 お茶をついでくれたアメリアさんをうかがえば、満足そうに笑っている。

「お腹いっぱい。ルーシアちゃんが一緒に食べてくれてよかった」

「あの、もしかして他の方と一緒に食べるつもりだったんじゃないですか?」

「まあ、最初はそのつもりだったんだけど。会いに行くか迷って、止めようと思っていたところだったの。だから気にしないで」

 アメリアさんの表情を見る限り、嘘は言ってなさそうだ。その言葉に私はどこか安心する。

「そうですか。ありがとうございました」

「ううん、こっちこそ。一人じゃ食べ切れなかったし。ところで家出中みたいだけど、お家の人とケンカでもしたの?」

「……はい」

 はっきりと言い当てられ、私は隠すことなく頷く。アメリアさんは、やっぱりとこぼす。お腹を空かせた子供が一人で森の近くにいたら、家出を心配されても無理はないか。

「私も、よく家族とケンカしたな。その度に、幼馴染の家に行ってぐちを聞いてもらったり」

 アメリアさんが、懐かしむように笑う。だがその笑顔は、どこか悲しげに見えた。

「あの……」

「何でケンカしたか知らないけど、自分の思ってることはちゃんと伝えなきゃだめよ。言わなくても伝わるなんて、そんなことないんだから」

「アメリアさん?」

「さあ、もう帰りなさい。お家の人も心配してるわ。一人で帰りづらかったら、一緒に着いて行ってあげるから」

 いたずらっぽく笑った顔は、無邪気で愛らしかった。

「大丈夫です。一人でちゃんと帰ります」

「そう、ならここでお別れね。私、しばらくこの街にいるの。また会えるといいわね」

「はい、ありがとうございました」

 笑顔で手を振り、アメリアさんと別れる。ルーシアとの約束もあるし、このまま家に帰ることにした。アメリアさんと話したことで、私の中で一つの決心がつく。私はもう一度、お兄様ときちんと話さなければいけない。


* * *


「お兄様、お話があります」

 家に帰って来たお兄様に、そう切り出す。リビングには、私とお兄様しかいない。逃げ出しそうになる弱気な自分を押しとどめる。

「あの男のことなら、もう話すことはない」

 そう言うお兄様の表情は冷たかった。話を打ち切られる前に、私は次の言葉を言う。

「私は、今日エルドに会いに行こうとしました」

「シルフィー!」

 想像してい通り、お兄様は怒りを露にする。だけど、私も逃げない。

「でも、その行動は間違いでした。心配をかけて、自分勝手な行動を取ることの浅はかさを分かっていなかった」

「そうだ、お前のした行動は子供と同じだ」

「ええ、そうね。だから、お兄様ときちんと話したいと思ったの。私は子供じゃないから」

 その言葉に、お兄様の眉がわずかに動く。私は、大きく息を吸って気持ちを落ち着ける。

「私、エルドについて何も知らないわ」

「やっと分かってくれたか」

「だから、知りたいの」

 そう、エルドのことがもっと知りたい。もっと話したい。それのどこがいけないと言うの?

「知らないなら、これから知っていけばいいじゃない。ろくに知ることもしないで決めつけるなんて、そんなの傲慢だわ!」

「それが、お前の答えか」

 お兄様は、淡々と言う。私は、お兄様の目をしっかりと見据えて答える。

「お兄様が何と言おうと、私はこれからもエルドに会いに行くわ」

「……分かった」

 長く感じられた沈黙を破ったのは、お兄様のそんな言葉だった。

「お兄様?」

「もう、無理に止めはしない。その代わり、何かあったら直ぐに言うんだぞ」

 大きく息を吐いて、お兄様の表情が少し柔らかくなる。分かってもらえたの? 信じられなくて見つめれば、お兄様がわずかに微笑む。それを見て、私は体の力が抜けるのを感じる。

「……ありがとう。お兄様」

「その男に伝言を頼めるか」

「ええ」

「妹を泣かせたら、この国にいられないようにしてやる」

 私に言われたわけではないのに、そのきれいな笑みに背筋が凍る。お兄様なら本当にやりかねなくて怖い。

「分かりました。エルドに伝えます」

 そう返せば、お兄様が満足そうに頷く。何はともあれ、これでまたエルドに会いに行ける。その事実が、私の中を喜びで満たしていった。


* * *


 エルドの家のドアをノックすると珍しく返事があった。

「いらっしゃい。どうした?」

「驚いた。エルドが気づくなんて……」

 もしかして、初めてのことではないだろうか。驚きを素直に口にすれば、エルドは苦笑いする。

「ちょうど休憩してたんだ」

 テーブルの上を見れば、それを示すようにお茶の入ったカップが置かれていた。

「じゃあ、食事を作るわね。また食べてないんでしょ?」

 私が台所へ向かおうとすると、制止する声がかかる。

「いや、今日はもう食べた」

「えっ、そうなの?」

 私は思わず目を丸くする。エルドが食事をすませてるなんて、正直信じられない。どこか具合でも悪いのかしら? エルドをじっと見つめれば、困ったように笑う。

「俺だって、いつも食事をしないわけじゃないさ。それに、ルーシアに頼りっぱなしというわけにもいかないしな」

 その言葉を少し寂しく感じる。いや、エルドが健康に気をつけてくれるなら、それでいいじゃない。

「最近顔を見なかったが、どうしてたんだ?」

 エルドが入れてくれたお茶を飲んでいると、そう問われる。その言葉に、私は口ごもってしまう。エルドに会いに行く許可をもらい、直ぐにでも会いに行こうと思っていた。だが、いざエルドのことを知ろうと思うと、何を話していいか分からなくなったのだ。そんなことを考えている内に、一週間以上経ってしまった。

「まあ、言いたくないこともあるだろうしな。無理に答えなくてもいい」

「迷っていたの」

 エルドに隠し事はしたくない。そう思い、話す決心をする。

「お兄様に、素性が分からないエルドのところに行くのは止めろと言われて。でも私は、エルドとまた会いたかった。だから、もっと知りたいと思ったのよ」

 膝の上で組んだ両手に力が入る。私、緊張しているのかしら。

「お兄様にそのことを伝えたら、会いに行くことを許してくれたわ。ねえ、エルド。私にあなたのことをもっと教えてくれない?」

 上手く伝えられたかしら。エルドをじっと見つめれば、何か考えるように黙り込む。

「初めて会った時、クルトの話をしたのを覚えてるか?」

「ええ。あの時は、つい興奮して話しすぎてしまったわ」

 今でも鮮明に思い出せる。森で迷子になった私に、エルドが声をかけてくれた。絵描きだと言うエルドに興味を持ち聞けば、クルトの名を出したのだ。

「あの時も言ったが、クルトは俺にとって特別な画家なんだ」

 エルドが懐かしむように語り出すのを、私は黙って耳を傾ける。

「ルーシアもクルトを好きなようだが、いつの日かの思い出という絵は知っているか?」

「いいえ、知らないわ」

「まあ、クルトの初期の作品だし知らなくても無理はない。クルトが大切な人と出かけた日の思い出を絵にした作品で、まだ王都に来る前に偶然に見んだ。衝撃的だったよ」

 エルドはそこで言葉を切って、カップに口をつける。一息つくと、ゆっくりとまた口を開く。

「その当時は絵に詳しくなかったが、とても魅力的だと感じた。その絵は淡く瑞々しい思い出を見事に描いていて、とても引き込まれたんだ。しばらくその場を動けなかったのを覚えている」

 エルドの言うことはよく分かる。以前、私も同じように感じたことがあった。言葉では言い表せない、まさに衝撃的で引き込まれそうになる感覚。それからだ、私が絵に興味を持つようになったのは。

「そして俺も、大切な思いを絵で人に伝えられたらと思うようになったんだ。それから必死で絵の勉強をして、それからはこの前話た通りだ」

 話し終えたエルドの顔は、晴れ晴れとしていた。

「いつか伝わったらいいわね」

「ああ、そうだな」

 その言葉を聞いて、エルドが自分の気持ちを伝えたいのは、彼の家族なのだろうと思う。

 きっと伝わる。エルドの絵なら。そう心の中で呟いて少しだけ微笑むと、エルドも目を細くして笑った。

「そうだわ。お兄様から伝言があったの」

「何だ?」

「妹を泣かせたら、この国にいられないようにしてやる。だそうよ」

「肝に銘じておく」

 背筋を伸ばして真剣な表情で言うから、私は少しおかしくて笑う。お兄様、この人は真摯な心を持った人よ。

「ねえ、エルド。もっと聞かせて。どんなことでもいいわ」

 エルドに微笑みかければ、それに応えるようにまた話だす。それから、二人でお茶を飲みながら、のんびりと会話を楽しんだ。


* * *


 その日はエルドに会いに行くのに、アンドレーヌのベリーパイを買う。家を出てからずっと、私はどこかそわそわしていた。エルドのことを知りたい、そう思って話したあの日から、今まではなかった緊張が生まれたようだった。

 それでもエルドの家が近づくと、嬉しさも込み上げてくる。今日はどんなことを話そうかしら。お茶の時間に合わせて来たので、もう食事は食べているだろう。もし食べてなかったら、何か作ってあげなくちゃ。

 しかし、エルドの家が見えて来ると、いつもと違うことに気がつく。誰か人が立っているのだ。エルド自身、来客は私以外ほとんどないと言っていた。相手は女性のようで、中に入ろうとはせずうつむいている。どうしたのかしら? 声をかけようとした時、顔を上げた女性と目が合う。

「アメリアさん、どうしてここに?」

 それは泣きそうな顔をしたアメリアさんだった。アメリアさんは驚いた表情をした後、悲しそうに顔を歪ませる。

「あなただったのね」

「え?」

 アメリアさんの呟きの意味が分からず、私は首をかしげる。

「彼は、エルドは帰って来ないわ。待ってても無駄よ」

「どういうことですか?」

 エルドが帰って来ないとはどういうことだろうか。そもそも、アメリアさんはエルドとどういう関係なの? 疑問が次々と浮かび何から聞いていいか考えていると、アメリアさんが先に口を開く。

「ねえ、ルーシアちゃん。あなた、エルドの絵を見た?」

「え、はい。一度見せてもらったことが」

「どんな絵だった?」

「えっと、バラが咲き誇る庭園を手入れする庭師の絵でした」

「そう……」

「あの、エルドが帰って来ないってどういうことですか? それに、アメリアさんも何かあったんじゃ……」

 何でそんなことを聞くのか気にはなったが、今はそれより先に知らなければならないことがある。家からは人の気配が感じられない。アメリアさんの言っていることが本当なら、エルドはどこへ行ってしまったの?

「一つ教えてあげる。彼には、大切な女性がいるわ」

 声が出てこなかった。大切な女性? その言葉に、胸の奥が痺れるようにうずく。

 そんな私を見て、アメリアさんは微笑む。

「じゃあ、私はこれで」

 去って行くアメリアさんに何も声をかけられず、追いかけることも出来ず、私はただその場に立ちつくした。


* * *


 それから家の前でエルドを待ってみたが、帰って来ることはなかった。

 アメリアさんとエルドはどんな関係なのだろうか? エルドはどこに行ってしまったの? 家に帰って来てから、私はそのことばかり考えていた。考えても、考えても答えは出ない。胸の奥に異物があるかのように、もやもやとする。

 私、どうしちゃたんだろう……。かれこれ半月ほど部屋に閉じこもっている。その間、エルドの家を訪ねもしたが、やはり帰って来た気配はなかった。街の画商でもエルドが来てないかた尋ねたり、出来る限りのことはしたがエルドの行方は分からない。私は食事も喉を通らず、夜もあまり眠れない日が続いていた。

「シルフィー様、ルーシアです」

 夕食の時間が過ぎた頃、部屋にルーシアがやって来る。誰かと話して気を紛らわせたかったので返事をした。

「どうぞ」

「失礼します」

 リンゴを持って来たルーシアに椅子を進める。サイドテーブルに、リンゴの乗ったお盆を置きルーシアが聞く。

「シルフィー様、何も口にしないのも体に毒ですよ。蜜がたっぷり入って、甘くておいしいリンゴを持ってきたんです。召し上がりませんか?」

 いつもと変わらぬ笑顔で言うルーシアに、少しだけ安心する。

「そうね。もらおうかしら」

「じゃあ、ウサギにしますね!」

「ルーシア、私子供じゃないんだから」

「今のシルフィー様は、子供に見えますよ」

「確かにそうね」

 そんな他愛もない話をして、少しだけ笑みが出る。きれいにウサギの形にむかれたリンゴを口に運ぶ。甘い汁が口に広がり、しゃきしゃきとした歯ざわりが心地よい。

「おいしい」

「よかったです。いくらでもむくので、たくさん召し上がってくださいね」

「ルーシア、一人じゃこんなに食べきれないわよ」

 お皿に溢れんばかりに載る赤いウサギを見て慌てて言えば、ルーシアは笑顔を見せる。

「シルフィー様は最近ほとんど何も口にしていないのですから、これくらい召し上がらないと」

「分かったわ。これからは、ちゃんと食事を取る。だから、ルーシアも食べるのを手伝ってくれない?」

「はい。では、いただきます」

 ルーシアもリンゴを口に運び、笑顔になる。二人でリンゴを食べると、何だか心が少し晴れてきた。

「隣国の姫様は、呪いのかかったリンゴを召し上がって眠りについたそうですね」

 突然、ルーシアがそんなことを言う。そう言えば、そんな話も聞いたような気がする。

「運命の相手の口付けで呪いが解けた……そうだったわよね」

「でも実は、仕組まれていたことなんだそうですよ」

「仕組まれていた?」

「姫様には恋人がいらっしゃたんです。ただ小国の第四王子という立場から、姫様につり合わないと結婚を反対されていました。そこでお二人は、一計を案じました。呪いを利用して、結婚を認めさせようとしたんです」

「それは初耳だわ」

 ルーシアは、どこからそんなことを聞くのかしら。それとも、私がうといだけ? 疑問を感じれば、メイド仲間から色々と噂が入って来るのですと笑う。

「王子様のキスで呪いが解けたからには、認めざる得ませんからね」

「魔女の呪いを利用するだんて、大胆というか何と言うか」

「ロマンチックですよね。それほどまでに惹かれあってたのでしょう」

「惹かれあってた……」

 フォークを持つ手が、わずかに揺れた。何かしら、とても大切なことが分かりそうな気がする。

「シルフィー様も、そんなお相手がいらっしゃるのでしょう?」

「え?」

「違うのですか? 惹かれてる方がいらして、どのように想い伝えようか悩んでいるのかと」

「惹かれてる……私が?」

 その言葉を口にした瞬間、エルドの顔が頭に浮かぶ。え? 嘘でしょ? でも、もしかして……。

 意識した途端、顔が赤くなるのが分かる。先ほどまで感じていた、胸の違和感もなくなってすっきりとしている。

「シルフィー様?」

「ルーシア、ごめんなさい。ちょっと一人にしてもらえるかしら」

「はい、かしこまりました」

 エルドが好き。そう自覚してしまえば、全てがすっきりする。胸のどきどきが止まらない。体がふわふわして、幸せな気持ち。

 でも、エルドが私を好きになってくれるはずがない。だって、エルドからしたら私はまだ子供。本当の私を知らないのだから。それに、アメリアさんはエルドには大切な女性がいると言っていた。

それでも、私は……。


* * *


 翌日、私はいつもより早く目が覚めた。それまでの体のだるさはなくなり、気分はすがすがしい。ベッドから抜け出しカーテンを開けると、まだ外は薄暗いが雲は出ていなかった。

 髪をくしですき、桃色のワンピースに身を包む。これは、エルドに初めて会った時に着ていた服だ。姿見の前で何度もおかしなところがないか、念入りにチェックをする。それでも、朝食まで時間が余ってしまい、庭に出て散歩をすることにした。

 朝霧に包まれた庭は、夜明けの気配を感じさせる。この想いが通じなくても、せめて側にいたい。エルドに会いに行く、そして想いを伝えよう。そう、昨日決心した。

 胸は高鳴って落ち着かないし、体はじっとしていられない。それでも、不思議と嫌ではなかった。

 エルドに会いたい。そう、何度思っただろう。最初は怪しい人、そう思っていた。それから、どこかほっとけなくなって。会って話をする度に、エルドに惹かれていった。気づいたら、こんなにも好きになっていた。その想いに気づいたのは、昨晩のことなんだけどね。

「エルド、あなたに会いたい」

 小さく口の中で言葉を転がしてみる。思ったよりそれは、私の心を締め付けた。

 ねえ、あなたは本当の私を見てくれる?


 朝食の席に着くと、お母様とルーシアがいた。お兄様は昨日から泊り込みで仕事をしているので、まだ帰って来てないのだそうだ。久方ぶりに部屋から出て来た私に、ルーシアはとても喜んでくれた。お母様は、いつもと同じように微笑む。

「おはよう、シルフィー。よく眠れた?」

「おはようございます。はい、こんなに気分がいいのは久しぶりだわ」

 タイミングよく、ルーシアが食事を運んで来る。

「さあ、たくさん召し上がって下さい。今日は、シルフィー様の好きな物をご用意したしました」

「ありがとう」

 目の前に置かれた食事の量は、とても朝食とは言いがたかった。しかし、みなの心遣いが嬉しくて顔がほころぶ。

「では、いただたきましょう」

「いただきます」

 それから和やかな雰囲気で朝食を食べ終えた。お兄様に会えなかったのは残念だけど、帰って来たらちゃんと話すつもりだ。

 支度を終え家を出ようとする私を、お母様が呼び止める。

「シルフィー、待ちなさい」

「お母様。私、行かなくちゃ」

 覚悟を伝えるように、お母様を見つめる。いつも笑ってるお母様の表情は真剣だった。

「行っても、また傷つくだけかもしれないわ」

「分かっています。それでも、会いたいんです」

 どんな結果になっても、伝えたい。もう、偽りたくない。お母様が、ふと表情を和らげる。

「なら、覚悟しておきなさいね」

「はい」

「行ってらっしゃい。シルフィー」

「行ってきます、お母様」

 私はお母様に見送られ家を出た。


 森の中を走って、エルドに会いに行く。あんなに身なりを気にして整えたのに、そんなことを気にする余裕はなくなっていた。早く走れない子供の姿のなが悔やまれるが、一秒も無駄にしたくない。すぐに息が上がるが、必死に進む。途中何度も転びそうになって、やっとエルドの家が見えてきた。

 呼吸を落ち着ける間も取らず、ドアをノックするが返事はない。窓から家の中を覗くが、室内は暗く人の気配はなかった。私は、その場に脱力して座り込む。

 アメリアさんが、エルドは帰って来ないと言っていたのを思い出す。あれは、もうこの家に帰って来ないということだったのだろうか? もう、会えないの? 

 涙が流れそうになった時、背後から声がする。

「ルーシア?」

「エルド……」

「おい、何があった? 服も髪も乱れてるし、とにかく中に……」

 私は嬉しさと、愛おしさで胸がいっぱいになる。そんな私とは対照的に、エルドは動揺しているようだ。

「おかしいかしら?」

「よく意味が分からないが、おかしいところはどこもないぞ」

 私はあえて、ゆっくりと問う。エルドは、首をかしげながらも答えてくれた。

 その言葉で、心が温かくなる。こんなみっともない姿でも、おかしくないと言ってくれる。見た目で人を判断せずに、心を見てくれる人。会いたかった。やっと会えた。

 その心が私を少し大胆にするようだ。ふと、ある考えが浮かぶ。自分で思いついたことだが、おかしくてくすりと笑う。彼はどんな顔をするかしら。

「ねえ、エルド」

 手招きをして、屈むように示す。エルドは怪訝そうにしながらも、その体を屈めて私と視線を合わせてくれた。また寝癖がついてる。ひげだって整えてないし。でも、そんなところも全部

「好きよ」

 頬に手を添えて、キスをする。

 届かなくたっていい。でも、ちゃんと伝えなければ。覚悟して、そんな思いを込めて微笑む。

 エルドにキスをすると、目眩がする。立っていられない強い感覚に、私はその場に座り込む。しばらくして目眩が治まると、違和感を感じた。

 視界が違う。前よりも、視線が高くなったような。自分の体を見ると、手足が大きくなっている。慌てて立ち上がると、呪いにかけられる前に戻ったようだった。

「元に戻ってる……。エルド!」

 エルドの名前を呼ぶと、目の前に黒髪の青年が立っていた。髪は整えられ、無精ひげも生えていない。何より、二十代半ばほどに見える。

「エルド……?」

「ああ、そうだ」

 目の前の青年、エルドはしかっりと頷く。

「エルドも呪いが……? でも呪いが解けたということは、エルドって変態だったの!?」

「何でそうなるんだ!」

「だって、エルドも私のことが、その、好きなんでしょ? あんな子供を好きになるなんて、変態としか……」

「待て、誤解だ。そんな不審者を見るような目を向けるな」

 慌てて弁明しようとするエルドは、見ていて少しだけおかしかった。


* * *


「聞きたいことはあるだろうが、まずは見てほしい物があるんだ」

 エルドに家の中に通され、座りなれたイスに腰を下ろす。エルドはそう言うと、奥の部屋から一枚の絵を持って来た。

「これって……私?」

 エルドが見せたのは、森の中にたたずむ一人の女性が描かれた絵。柔らかな木漏れ日の下で、幸せそうに微笑んでいる。見ているこちらも、思わず微笑んでしまいそうな絵だった。

 そしてその女性は、呪いにかけられる前の私だった。もちろん、私は呪いにかけられる前にエルドに会ったことはない。それどころか、森に入ったことすらないのだ。

「約束しただろ?」

 その言葉で、出会った頃のことが思い出される。エルドに私の絵を描いてとお願いしたことがあった。

「約束、覚えててくれたのね。でも、何でこの姿を?」

 驚く私に、エルドは呪いにかけられた経緯を話す。

「俺には幼馴染がいるんだ。性別は違うが気も合って、故郷ではよく一緒にいたな。俺は、あいつのことを分かってるつもりでいたが、何も分かってなかった。故郷を離れてこの森で絵を描く日々が続いたある日、幼馴染が訪ねて来たんだ。あいつは、アメリアは俺のことが好きだと言って側にいさせてほしいと願った。でも俺はその気持ちに応えられなかったよ」

「アメリアさんが、エルドの幼馴染……」

 じゃあ初めて知り合った時、アメリアさんはエルドに会いに行こうとしていたんだ。

「ルーシアは、アメリアと知り合いらしいな。話は戻るが、アメリアにそんな風に見られないと伝えると、指輪をはめられたんだ」

「もしかして」

「そうだ。その指輪には呪いがかかっていて、俺はたちまち歳をとった。驚く俺に、アメリアがキスをしたんだ」

 私も人のことを言えないが、アメリアさんも大胆と言うか何と言うか。

「俺は頭が回らなかった。ずっと、兄妹のように思っていたアメリアにキスをされた事実に、気持ちが追いつかなかったんだ。それから、アメリアに呪いを解くように言ったが、運命の相手とキスしないといけないと告げられてな」

 きっとアメリアさんは、自分がエルドのことをどれだけ思っているか伝えたかったのだろう。自分なら、呪いが解けると信じて。

「それから、呪いをかけた魔女のことを聞いて会いに行ったが……。結果は知っての通りだ。何でも、依頼者の承諾がないと解けないと言われてな。解くにしても違約金が発生するからと提示された金額は、俺には払えない額だった。そこで、運命の相手を探してはどうかと勧められたよ。そこで俺はルーシア、いやシルフィーのことを知ったんだ」

「私のことを知っていたの?」

 告げられた事実に驚き、エルドに問いかける。

「最初は、俺と同じように自分の意思でなく呪いをかけられたと聞いて、親近感がわいたんだ。その日は、簡単なプロフィールだけ聞いて帰ったよ。森でシルフィーと会ったのは偶然だ。話してみたら、気が合って楽しくなって。気がついたら惹かれていた」

 エルドは、視線をそらすことなく話続ける。その真摯な様子に、私も応えたいと思う。

「シルフィーのことを知っていて、黙っていたことは謝る。だが、本当のことを言っても信じてもらえないと思ったし、何よりシルフィーに先入観なしに俺を見てほしかったかたんだ」

「じゃあ、エルドは最初から私のことを知っていたのね」

 少しすねたように言えば、エルドがすまなそうに眉を下げる。

「それは悪かった。だが、シルフィーの本当の姿を知らなかったのは本当だ」

「え? だって、その絵は……」

「これは、シルフィーの姿を想像して描いたんだ。合ってたみたいだな」

 そう言ってエルドは、愛おしそうに絵を見やる。エルドの中の私は、こんなに輝いていたのね。そう思うと、少し恥ずかしくなってくる。

「本当は一番にシルフィーに見せたかったんだが……」

「先に誰かに見せたの?」

「ああ、半月ほど前アメリアが訪ねて来てな。やっぱり好きだと言われた。まだ運命の相手が見つかってないなら、自分のことを見てほしいと。それで、アメリアにこの絵を見せたんだ。この人が、俺の大切な女性だと」

 半月ほど前と言えば、エルドの家の前でアメリアさんと会った頃だろう。それで、アメリアさんはあんなことを言ったのか。

「話すタイミングを逃したのもあった。それに売れない画家という立場もあって、なかなかシルフィーに言い出せなかったんだ。だが、好きな気持ちに変わりはない」

 エルドの視線に今まではなかった熱を感じて、私は顔が赤くなるのが分かる。

「けじめをつけるために、実家の両親にも会いに行っていたんだ。まだ目が出ないが頑張っていくこと、時たま実家にも顔を出すことを伝えて、少しはしこりがなくなった。覚悟は出来ている」

 私は言葉に出来なくて、微笑んで見せる。

「シルフィー、好きだ」

「……不意打ちは卑怯よ」

 きっと今私は、リンゴみいたいに真っ赤な顔をしてるだろう。顔をそらすと、エルドがいたずらっぽく聞く。

「嫌か?」

「嫌じゃない……」

 二人で微笑み合ってキスをする。

 運命の相手なんて、信じてなかったけど。この恋は信じられる。

 エルドと出会えのは、運命なのか必然だったのか。それは最後まで分からなかったけど。

 でも、魔女の呪いも悪くはないかな。

 あなたも、恋に魔女の呪いはいかが?


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