「火の番など誰がやっても同じ」と義母に釜を渡された私は、火吹き竹を置いて出ます——郷の飯が炊けなくなりましたわね
【春の寄合・囲炉裏端】代わりの利く嫁
竹の節が、わたくしの指の固いところを一つずつ擦って抜けた。
「火の番など、誰がやっても同じ。若い者にも覚えさせねば、家のためになりませんもの」
お義母様は鷹揚に笑い、二十年物の火吹き竹を弟嫁へ渡した。囲炉裏を囲んだ二十軒も笑う。弟嫁は竹を両手で受け取り、お義母様と目を合わせてから、口元を袖で隠した。
「まあ、こんなものを吹くだけでしたの? わたしにもできますう」
できますとも。竹は息を吹けば風が出る、たいへん素直な代物である。膳が二十四、うち一人は歯がなく、三人は喉が細く、ひと家は油を受けつけず、田境で揉めた二軒は互いの肘が見えぬよう離す——そこまで竹が考えてくれるなら、わたくしも二十年前から座っていたかった。
「登勢さん、聞いているのかい」
「はい。お義母様のあの帯で、膳が十二立ちますわね、と」
「帯?」
「たいそう結構なお話でございます」
お義母様が眉を寄せたので、わたくしは小鍋へ向き直った。帯に使った金を膳へ換算するのは下品、嫁の二十年を竹一本へ換算するのは家の采配。上等な帯には、ずいぶん便利な理屈まで織り込まれているらしい。
小鍋の蓋を指一本ぶんずらし、火から半歩離す。与助爺様の粥は煮立てすぎると糊になり、冷ませば表だけ固まる。八十二歳の喉は釜の都合に合わせて若返ったりしない。まったく融通の利かぬ喉である。だから、こちらが合わせる。
「登勢さんはもう座っていてくださいな。いつまでも釜前を離れられないなんて、お気の毒ですう」
弟嫁は竹を抱いたまま、空いた手でお義母様の袖をつまんだ。二人の肩が小さく揺れ、すぐ近くの者がまた笑った。竹を渡すところは二十の目が見ているのに、小鍋を火から外す指を見る目は一組しかない。
与助爺様だった。
竹でも、お義母様でも、得意げな弟嫁でもなく、わたくしが粥へ塩を落とす指を見ている。耳は遠いくせに、こういう時だけ目が働きすぎる。
「お待たせいたしました」
わたくしが椀を置くと、与助爺様は匙を一度入れ、米粒の崩れ具合を確かめてから口へ運んだ。二口すすり、椀の向こうで短く頷く。
「うむ」
よろしい。二十軒ぶんの笑いより、その一音のほうが腹へ収まりがよい。
皆様の膳には、炊きたてを上座から順に。油を避ける者には煮物を多く、喉の細い者には汁を先に。弟嫁は竹を渡されただけでもう働き終えた顔をして、お義母様の隣で白い飯を頬張っている。役目というものは、手に入れた途端に座ってよいものらしい。二十年間、存じませんでしたわ。
膳が下がる頃、大釜の底には茶碗半分ほどが残った。わたくしは固くなりかけた飯を自分の茶碗へ削り取り、土間の隅へ腰を下ろす。
客には湯気。嫁には冷えた底。
二十年、そこだけは誰にも代わられなかった。
* * *
【三日後・釜前】残る三升
三日後、弟嫁は米を量った。わたくしが使っていた升で、わたくしが水を張っていた高さまで。火吹き竹も同じ角度でくわえた。見たものをそっくりなぞる腕はたいしたものだ。惜しいのは、人間が一人も目に入っていないことだけである。
その日は水番の家から五人が来ず、子の熱で二人が遅れ、朝から喉を腫らした女が一人いた。わたくしなら米を研ぐ前に戸口の履物と女衆の顔を見たが、弟嫁は釜の中だけを覗いた。釜は来ない客の名を教えてくれない。白くて丸くて、嫁に都合のよいほど無口である。
「火が強いかしらあ」
「そのままでいいよ。登勢だって、いつもそのくらい吹いていたもの」
お義母様が後ろから言うと、弟嫁の背がすぐ伸びた。釜の蓋が鳴るたびに二人で頷く。お見事。火加減は少々暴れているが、頷く頃合いだけはぴたりと揃っている。
飯は炊けた。少し硬く、底は焦げ、上は水っぽい。それでも白い。お義母様の採点では、白ければ飯、座敷へ出れば成功、残れば客の腹が悪い。嫁に優しく、米に厳しい採点法だ。
膳が下がり、大釜の蓋を開けた弟嫁の肩が止まった。
「まあ……どうして、こんなに」
白い飯が、釜の中ほどまで残っている。わたくしはしゃもじを差し入れ、目で深さを測った。
三升。
おむすびなら六十。梅を入れれば六十の腹が喜び、固くして捨てれば六十の恨みが残る。三升のお残しとは豪気ですわ。歯と喉を数えずに飯だけ数えると、こうなるのですね。
「今日は皆の食が細かったんだよ」
お義母様は二十軒が帰った戸口へ向かって言い、弟嫁の肩を撫でた。弟嫁は一度釜を見て、すぐ肩をすくめる。
「初めてですもの。足りないより、よろしいですわよねえ」
「そうとも。若い者がせっかく炊いたんだ。登勢、残りは明日の雑炊にでもしておおき」
若い者が炊いた飯を、古い者が始末する。釜には年功まであるらしい。
「承知いたしました」
言いたいことは六十個あったが、口へは一つも入れなかった。冷えないうちに女衆へ包み、残りは笊へ薄く広げる。弟嫁は煤のついた指を眺め、お義母様は「よく働いた」とその指を褒めた。
わたくしの腹には、包み損ねた端の一個が入った。まだ少し温かかったので、今日は上等である。上等の基準が床下まで下がっている気もするが、掘ればまだ下がありそうだから考えない。
* * *
【七日後・与助爺の家】消される手間
七日後の寄合では、飯より先に二軒の膳が冷えた。
田境で揉めた二軒を、弟嫁が同じ長机へ並べたのだ。前の寄合で空いた場所へ、端から詰めただけだという。たしかに膳は美しく揃っている。片方の男が箸を伏せ、もう片方の女が椀を押したところまで左右対称。見栄えだけなら満点を差し上げたい。
「昔のことなんて、もうよろしいでしょう? 代わりのお役目くらい、わたしにだって務まりますう」
弟嫁はわたくしへ笑い、お義母様もそれを咎めなかった。反撃してこない嫁へ向ける時だけ、弟嫁の語尾はよく伸びる。長机を挟んだ男が立つと、その語尾が半分になった。
「席を替えてくれ」
「せ、せっかく並べましたのに」
「なら、帰る」
一軒が戸口へ向かい、もう一軒も逆側から出た。次の集まりにも来ない、と片方が言い置く。二軒ぶんの膳には、汁の膜も崩れぬまま残った。
「いつまでも角を立てるほうが悪いんだよ」
お義母様は空いた膳へ言った。弟嫁はまた肩をすくめる。二軒が欠ければ次はそのぶん減らせばよい、という顔である。人の角を米の増減だけで扱えるなら、郷の寄合は米蔵で開けばよい。人間を呼ぶから面倒なのだ。
翌朝、わたくしは自分の小銭を数えた。餅二包み。これで昼餉三日ぶんが消える。人の角を丸めるには餅、嫁の空腹を丸めるには水。なんとも公平で美しい世の中ですこと!
二軒の戸口へ、同じ数の餅を届けた。婚家からとは言わない。言えばお義母様の気遣いになり、弟嫁の手柄になり、次の餅もわたくしの財布から出る。手柄というものは、銭を出さない者ほど大きく包みたがる。
「昨日は、お口に入るものをご用意できませんでしたので」
一軒目は戸を細く開けたまま包みを受け取り、二軒目はしばらく包みを見た。どちらも謝罪はしなかったが、次は席が離れているなら顔を出すと答えた。十分だ。仲直りまで餅二包みで買おうなど、そこまで安い郷ではない。
帰りに与助爺様の家へ寄ると、老人はわたくしの空の財布と空の手を交互に見た。見なくてよいところだけ、じつによく見える。
「餅を二軒へ届けてまいりました。これで次はお見えになるそうですわ。もっとも、お義母様には頼まれておりませんし、弟嫁には顔を潰したと叱られましょうし、わたくしの昼餉は水でございます。二包みの餅が、二軒の角と嫁一人の腹をまとめて引き受けたのです。餅とは婚家の誰より働き者ですわね」
与助爺様は椀の粥をすすり、わたくしの腹のあたりを見た。
「また、お前が食わねえのか」
短い。こちらが膳三枚ぶんぼやいたのに、返ってきたのは匙一杯にもならない。
けれど、あの二軒だけでなく、わたくしの腹まで数えた者がいた。それで昼の水が、少しだけ喉を通りやすくなった。
* * *
【その夜・土間】自分で役目を降りる
その夜、お義母様に土間へ呼ばれた。
「二軒へ餅を持っていったそうだね。頼みもしないことをして、弟嫁の顔を潰す気かい」
「次の寄合には、お見えになるそうでございます」
「それが差し出口だと言っているんだよ。火の番を譲った者が、いつまでも人の座へ手を出すものではない」
弟嫁はお義母様の背後で火吹き竹を磨いていた。わたくしと目が合うと、竹を膝へ置き、姑の肩越しに口元を上げる。
「姉様には、もう関わりのないことでしょう? わたしが任されたのですもの」
餅代はわたくしの手銭。戻る二軒は婚家の面目。潰れた顔だけは弟嫁のもの。いつもならそこまで一息で勘定し、ついでにお義母様の髪油を粥十椀へ換算したはずだった。
わたくしは弟嫁の膝にある竹を見た。
煤の染みた節。細いひび。握るたび、右の親指へ当たる小さな窪み。
数が、止まった。
「左様でございます」
弟嫁の膝から竹を取り、両手で持った。指が勝手にいつもの場所へ収まる。二十年前は硬くなかった掌が、いつからこの節の形になったのかは覚えていない。
「でしたら、わたくしの竹はもう要りませんわね」
釜の前へ置いた。竹が土間を打ち、乾いた音が一つだけ響いた。
「わたくしはこの一本を、二十年、わたくしの役目だと思うて握っておりました」
火を守れば、朝の飯が炊ける。人を見て膳を並べれば、次の寄合にも同じ顔が来る。そうしていれば、いつかこの土間を、嫁入り先ではなく自分の家と思える気がしていた。
気がしていただけだった。
「もう、わたくしの役目ではございませんでしょう。弟嫁さんがおいでですもの。火も膳も、お任せいたします」
「急に何を言い出すんだい。明日の朝餉はどうする」
「任された方がお炊きになりますわ」
「わたし、できますう」
弟嫁がすぐ答えた。その声に、お義母様も頷く。止める者はいなかった。
わたくしは風呂敷を一つ持った。着物二枚と、小銭のなくなった財布。二十年を持ち出すには、ずいぶん軽い荷だった。
土間口へ手をかけた時、背後でお義母様が竹を拾う音がした。振り返らなかった。隠しもしない、折りもしない。役目は釜前に置いた。家と思いたかった願いも、その隣へ置いてきた。
* * *
【十日後・講元の家】見ていた者の一言
十日後、わたくしは借りた笊を返しに講元様の家へ寄った。婚家のことを訴えるつもりはない。訴えて戻されるくらいなら、水を昼餉にしたほうがまだ腹持ちがよい。
縁側へ笊を置いたところで、杖の音がした。与助爺様が、蓋をした椀を抱えて入ってくる。わたくしを見ると眉を上げたが、それ以上は何も言わず、講元様の前へ椀を置いた。
「あの人の粥じゃねえと、わしは食えん」
「登勢さんのかい」
「そうだ」
講元様が蓋を取ると、粥は表だけ冷え、匙の跡もない。与助爺様は、登勢の粥には粒の芯がなかった、毎回自分だけ小鍋だった、と見たものだけを言った。
「餅も、登勢だ。あの二軒へ一包みずつ。自分の銭で買った」
「誰から聞いた」
「登勢だ。空の財布も見た。二軒の返事も、登勢から聞いた」
それだけ言うと、与助爺様は口を閉じた。わたくしが何を我慢したかも、婚家でどう扱われたかも足さない。椀と餅と、空いた二軒。見た事実だけが縁側へ並んだ。
講元様はわたくしを見た。
「違うところはあるかい」
「ございません」
「餅代を家から返してもらったかい」
「いいえ」
講元様は膝の上の手を一度握った。
「三十年前、わたしも、手を出すなと言われて本当に出さなかったことがある」
それ以上は語らなかった。湯飲みを与助爺様の前へ置き、婚家へ人をやることもしない。
「次の寄合は、そのまま任せる」
「教えに行かせるおつもりですか」
「いいや。人を替えても同じだと言った家が、同じにできるところを見せる番だよ」
講元様の声は平らだった。わたくしは笊から手を離す。抗議も頼み事もしていないのに、初めて、わたくしの言葉ではなく仕事の跡が縁側へ座っていた。
与助爺様は湯を一口飲み、空の椀へ蓋を戻した。
「腹が減った」
「粥を作れというお顔ですわね」
「顔で分かるなら早くしろ」
短い。しかも図々しい。
けれど釜を借りてよいか講元様へ尋ねると、すぐに小鍋が出てきた。わたくしは竹ではなく薪を一本動かし、与助爺様の一膳だけを炊いた。
* * *
【翌月の寄合】失われた座
翌月の寄合で、弟嫁は前と同じ升で米を量った。お義母様は二十軒の名を指で数え、来られぬ家がないかまで聞いて回ったらしい。前回より二つ賢くなった。残る十九ほどを誰が教えるのかは存じませんが。
飯は白く炊けた。どの膳にも同じ固さ、同じ量で盛られた。若い者も年寄りも、歯のある者もない者も、平等。平等という名の大雑把は、見栄えだけならたいそう立派である。
与助爺様の前にも、普通の飯が置かれた。
「柔らかめに炊きましたの。よく噛めば食べられますう」
「歯がねえ」
弟嫁の伸びた語尾が、ぷつりと切れた。与助爺様は箸を取らず、椀を前へ押した。
田境で揉めた二軒は、また隣り合わせだった。一方が膳を持って端へ移ろうとすると、弟嫁が座順を崩さないでくれと言った。お義母様も「大人なのだから」と重ねる。
二軒は立った。今度は言い争いさえせず、並んで戸口を出た。二人ぶんではない。二軒ぶんの膳が、そのまま空いた。
春に笑った二十軒が、空席と与助爺様の椀を見比べた。誰も口を開かない。あの時と同じ顔ぶれなのに、笑いだけがどこにも見当たらなかった。
食事が終わり、大釜の蓋が開いた。弟嫁の手から、しゃもじが釜の縁へ落ちる。
三升。
前と同じだけ、白い飯が残っていた。
「どうしてですの。人数は聞きましたし、米も前と同じで……姉様は、いつも何をなさっていたの?」
裁定を聞くため、女衆の末席に呼ばれていたわたくしは立たなかった。弟嫁が今さら「姉様」と呼んだが、呼び名一つで三升が消えるなら、釜へ百回でも唱えればよい。
「登勢、後でこれは始末しておくれ」
お義母様の命令だけは、春から一粒も炊き変わっていない。
「わたくしは当番ではございませんので」
「この家の嫁だろう。こんな時くらい手を貸すのが——」
講元様が、膝の前へ当番帳を置いた。
「炊けぬのではない。人を見ずに炊いたのだ」
声を荒げず、与助爺様の椀、二軒分の空席、三升の飯へ順に目を向ける。弟嫁はお義母様の後ろへ半歩下がった。わたくしに向けていた時より、その肩はひと回り小さい。
「粥を別にしたのも、二軒を離したのも、欠けた家へ声をかけたのも、登勢さんだった。餅まで自分の銭で届けさせておいて、家の働きとして受け取ったのは誰だい」
お義母様は帯の前で両手を組んだ。
「それは登勢が勝手にしたことでございます。嫁として家のためを思えばこそ——」
「では、その勝手がない膳を、今いただいたわけだ」
講元様は当番帳を開き、婚家の印へ墨を引いた。細い一本が、紙の上で家の名を横切る。
「次から、寄合の当番を外れていただく」
「お待ちください。うちは本家筋にも近く、昔から郷の膳を任されて——」
「だから任せ続ける理由にはならないよ」
墨はもう乾き始めている。弟嫁が袖を引いても、お義母様は振り払わなかった。
——登勢さえ戻せば、家の格も膳も元へ戻る。
お義母様の目が、釜ではなくわたくしへ移った。二十年ぶんの手間を見つけた目なのか、失った当番を取り戻す道具を見つけた目なのか、同じ顔では見分けがつかない。
与助爺様が、手をつけていない椀を押し返した。
「家の名は食えん」
二十軒は俯いた。春に笑った口ほど、きつく結ばれている。笑い声は消えても、笑った事実まで消えるわけではない。帳面へ書かれぬ勘定も、腹の底には残る。
わたくしは大釜を見た。おむすび六十個ぶん。けれど手は出さない。
あらまあ。今度こそ、炊いた方がお召し上がりになればよろしいのだわ。わたくしの腹は、他人の見栄まで入るほど大きくございませんもの。
* * *
【秋・郷の膳】自分の名で立つ
秋には、頼み事が婚家ではなく、わたくしのところへ来るようになった。
「母の飯だけ柔らかくしてほしい」
「うちは塩を薄く」
「あの二軒は、柱を一本挟んでくれ」
二十軒は一度に群れず、一軒ずつ来て、一軒ずつ頭を下げた。春の笑いを詫びる者もいたが、わたくしは詫びを米代の代わりには受け取らなかった。言葉を何升集めても釜は満ちない。餅代も薪代も手間賃も、今度は先にきっちりいただく。腹は正直、帳面はもっと正直である。
本家筋からも膳を頼まれた。講元様は「登勢さんへ頼む」とわたくしの名を出し、必要な人数と銭を先方へ告げてくれた。嫁だから働くのではない。頼まれ、引き受け、働いたぶんを受け取る。たったそれだけの仕組みが、婚家の土間よりよほど広く息をさせてくれた。
寄合の朝、わたくしは女衆を三手に分けた。遅れる家を聞く者、膳を運ぶ者、釜を見る者。与助爺様の粥は小鍋、喉の細い者の汁は薄め、油を避ける膳には焼き物を置かない。田境で揉めた二軒の間には柱一本と、大人二人ぶん。
膳は二十六。お義母様の帯なら二本と少々。いけない、また換算してしまった。けれど今度の勘定は、誰かの見栄ではなく、わたくしの仕事を動かしている。数えるほど人が食べ、数えたぶんだけ銭が残る。なんと健全! 帳面へ頬ずりしたいほどである。煤がつくのでいたしませんが。
最後の膳を出し終えると、講元様が女衆を呼んだ。土間の隅ではなく、囲炉裏を囲んだ車座に、わたくしの席が一つ空いている。
「登勢さん、飯がなくなるよ」
「今、参りますわ。働かせた本人より先に食べ始めるとは、皆様ずいぶんお育ちがよろしいこと」
「冷やして食べたいのかい」
「滅相もございません!」
茶碗には、炊きたての飯が山盛りによそわれていた。客へ配り終えた底ではない。最初から、わたくしのぶんとして取ってあった一膳。白い湯気が鼻先へ上がり、米の甘い匂いが喉まで滑り込む。これはいけない。挨拶より先に箸が動きそう。品格と食欲が一騎打ちを始めている。食欲が圧勝ですわ!
わたくしが座ろうとした時、門の外で草履が止まった。
お義母様だった。後ろには弟嫁がいる。お義母様は、煤の染みた古い火吹き竹を両手で持っていた。
「登勢」
春に二十軒へ聞かせた鷹揚な声ではない。講元様へものを頼む時の、細い声だった。
「戻っておくれ。弟嫁ひとりでは家の膳が回らない。本家への顔も立たなくなった。あんたがまた火の番をすれば、前のように——」
お義母様が竹を差し出した。両手で。春にはわたくしの指から抜き、弟嫁へ片手で渡したものを、今は落とさぬよう節まで握っている。
わたくしは竹を見下ろした。親指の当たる窪みも、節のひびも覚えている。握れば、きっと掌へ収まる。
手は伸ばさなかった。
「二十年も務めた役目でしょう。家へ返って、その竹を受け取っておくれ」
「誰がやっても同じ」
お義母様の両手の上で、竹がわずかに傾いた。
弟嫁は顔を伏せたまま、「姉様」と一度だけ呼んだ。わたくしは返事をしなかった。腕も、銭も、役目も、もうあの家へよそう一膳ではない。
「飯が冷めるぞ」
与助爺様が、わたくしの空いた席を杖で叩いた。
「まあ! 人が二十年へ別れを告げておりますのに、少しくらい待てませんの?」
「飯は待たん」
「それは仰る通りでございます」
門前の二人を残し、わたくしは湯気の立つ輪へ戻った。講元様が茶碗を押し、女衆が詰めて一人ぶんの場所を空ける。与助爺様の粥も、まだ白い湯気を上げていた。
自分の名を呼ばれて座り、自分のための茶碗を両手で持つ。熱が掌へ移り、最初の一口が舌の上でほどけた。
「これですわ。飯は湯気が命ですのよ。冷えた飯は二十年で人を辞めさせますの」
「しゃべると冷める」
「与助爺様は、わたくしの晴れの一膳にまでお小言ですのね」
返事はない。もう粥をすすっている。
わたくしも負けずに二口目を頬張った。湯気の向こうに、わたくしの席があった。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
「悪くなかったな」と思われたら、★や感想を残していってもらえると、とても励みになります。
作者ページには他の短編も並んでいます。よろしければどうぞ。




