766話_side_Miabel_平民学生寮_ミアベル私室
~"主人公"ミアベル~
ピンチとは日常にも潜んでいる。
予期せぬタイミングで唐突に顔を出し、わたしを窮地へと陥れるのだ。
つまり、絶賛大ピンチであった。
今のわたしの状況を説明すると、『バレたら死ぬ』という緊張感の中、必死に息を殺して、扉越しに隣室の気配を窺っているという状態だ。
全裸で。
ね? 激やばでしょ。
どうしてこんなことになってしまったのか、振り返ってみる。
今日は休日ということで、わたしはチームメイトのレオン君とイオさんとともに舞闘会本戦のための練習に精を出していた。充実した時間を過ごし、いい汗をかいて、お昼前には解散となった。
自室に戻ってきたわたしは、お腹もペコペコだったけど、まずは運動着から着替えるついでに部屋のシャワーを浴びることにしたのだ。いい汗をかいたので。
ルームメイトであるヴァニラさんはわたしにまったく興味がないことで有名なので、基本的にわたしがなにをしていてもスルーなんだけど、意思表明はしてくる。具体的には、わたしが汗臭いままでいるとヴァニラさんは無言で引き出しから芳香剤を取り出して机に並べ始めたり、無言で窓を開けて室内の換気をし始めたりする。別になにも言ってこないけど、言葉以外の全身全霊で『おまえ臭いんだけど?』と主張してくるのだ。
普通に口で言われるより傷付く。
まあ、ヴァニラさんの件がなくても、わたしも一応は女子の端くれなので、シャワーで汗を流して身綺麗にしたいという欲求くらいはあるのだ。
だからわたしはシャワーを浴びることにしたのだが、ここで致命的なミスをひとつ。
平民学生寮の部屋は貴族学生寮のそれとは違って、基本的には二人で一部屋だし、広くはない。最低限の規模ながらもシャワーやキッチンもあって、決して悪くはないのだけど、二人で過ごすにはやや手狭という感じだ。殆どのスペースは共用で、完全に個人の空間というのはそれぞれの寝室しかない。
寝室といっても相当狭いので、ほぼベッドがあるだけの空間だ。なので大抵の時間は共用の部屋で過ごすことになるし、勉強机を始めとした諸々の荷物やインテリアもそちらに置かれているのだ。
で、その中には衣装棚も含まれている。
わたしの致命的なやらかしが何かというと、シャワーを浴びた後の着替えを脱衣所に持ち込まなかったことである。だってすぐ隣なのだから、シャワーから出たら隣室に行って棚から直接衣服を取り出して着ればいいだけだもん。実際、わたしもヴァニラさんも普段からそうしていることが多い。
や、まあ大抵は替えの下着くらいは持って行くけど。
ともかく、今日は早くシャワーを浴びたかったし、お腹もペコペコだったから、わたしは横着をして着替えを一切持ち込まずにシャワーを浴びることにしたのだ。
なお、わたしが部屋に戻ってから脱衣所に向かうまで、ヴァニラさんは一切なんの反応もしなかったことを補足しておく。たぶん空気か背景だと思われてる。
そんなこんなでわたしは鼻歌なんぞをふんふんしながら機嫌よくシャワーを浴びていたのだが、そこであることに気付くわけね。
ところで(唐突)、わたしには少しばかり特別な力があって、それは時間魔法というものだ。
これを使える人は自分以外には一人しか知らなくて、それはプリムローズ・フラム・アシュタルテさんである。
時間魔法の遣い手は、どういうわけか自分以外の遣い手の存在を感じ取る能力があるらしくて、それは時間魔法に特有の性質なのか、あるいはわたしとアシュタルテさんだからこそなのかはわからないが、とにかくわたしとアシュタルテさんはお互いの存在を感覚的に察知出来るのだ。
いつでもどこでもわかるってことではないけど、相手が時間魔法を使っていれば結構離れていてもわかるし、魔法を使っていなくても近くに居ればわかる。尤も、この学院は広いから普段の生活であまりそれを意識することはないのだが。
なんで今更こんな説明をするのかというと、つまりわたしがシャワーを浴びている最中にアシュタルテさんが学生寮に入ってくるのを感じ取ったからだ。いきなり現れたように感じたので、たぶん寮の近くに転移してきて、それから普通に正面玄関を潜ったのだろう。アシュタルテさんってわりと平然と転移魔法使うけど、頭おかしいよね(誉め言葉)。
その時点ではわたしは特に慌てていなかった。かなり珍しい事態ではあるけど、普通に平民学生寮になんらかの用事があって訪れただけなのだと思ったからだ。アシュタルテさんは執行部だし、そういう用事があってもおかしくない。
雲行きが怪しくなってきたのは、そのアシュタルテさんの気配がどう考えても一直線にこの部屋に近づいてきたあたりからだ。
え? もしかしてこっちくる?
などとわたしが思う間もなく、部屋の呼び鈴が鳴って、ヴァニラさんが対応に出たのがわかった。この時、わたしはシャワーを止めるのも忘れて棒立ちのまま心臓バックバクである。
で、そのままアシュタルテさんが室内に入ってきたからもう大変だ。
ちょっとヴァニラさんなに普通に部屋にあげてるんですかぁ!?と内心で絶叫したのは言うまでもないが、普通に考えて侯爵令嬢を追い返せるわけがない。というかむしろ内心で叫びたいのはヴァニラさんのほうだったと思う。
ここまでくればもうわかるよね?
わたしが大ピンチの理由が。
そう、つまり。
アシュタルテさんの前に出ていくための服がない。
だってわたしの着替えが入った衣装棚は、まさにアシュタルテさんが居る部屋に置いてあるのだから。一応、シャワーを浴びる前に着ていた服は脱衣所に残っているけど、汗臭いそれを着てアシュタルテさんの前に立つのは裸とどちらがマシかわからないというレベルである。
とりあえずシャワーを止めて、身体を拭いたはいいものの、脱衣所から続く隣室に居るアシュタルテさんが一向に立ち去ってくれる気配がない。どう考えてもわたしに用事があって訪ねてきたのだろうから当たり前だけど。
わたしの装備は、身体を拭くために使ったバスタオル。以上おわり。
もうおしまいだよぉ。
しかもこのバスタオル、絶妙に面積が小さい。身体に巻けば隠すことは出来るけど、動けば見える。そんな感じ。ぜんぶ貧乏が悪いんです。ヴァニラさんが持ち込んだバスタオル(大きい)もそこにあるけど、流石にそれを勝手に使うほど恥知らずではない。
かくなる上は、こっそりヴァニラさんにお願いして服を取ってもらうしかない。
わたしは脱衣所の扉をそぉ~っと少しずつ開ける。するとくぐもっていた二人の会話が聞き取れるようになった。
「あの、こういうときどうすればいいのか全然わからないんですけど……安物のお茶でも出したほうがいいんでしょうか……?」
ああ、わかるよヴァニラさん。いきなり貴族の人が来たらそうなるよね。
客に茶の一つも出さないのかと怒られる気もするし、さりとて安物を出したらそれはそれで侮辱しているのかと怒られそうな気もする。だからといって安物しかないと素直に白状すると『何故用意していないのか』と理不尽にキレる人も居るから信じられない。貴族ってめんどくさい。
答えるアシュタルテさんの声が聞こえる。
「歓迎する気があるなら出せばいいのでは?」
「そ、それは」
「ああ、別に含むところはないぞ。言葉通りの意味だ。文句を言う輩は何をしても言うから、慮るだけ無駄だ。自分の都合で決めればよろしい」
めんどくさくない貴族代表のアシュタルテさんは流石に言うことが違うね!
そんな彼女の助言を的確に理解した結果、ちゃんとお茶を出さないヴァニラさんも流石である。
ていうかちょっと待って、わたし今すごいことに気付いてしまった。
アシュタルテさんの目的というのはたぶんわたし関係の用事だろうから、わたしがシャワーを終えて出てくるのを待ってるのだと思うけど、椅子に座って待っているのだ。
わたしが普段使っている、勉強机の椅子に座っているのだ!
勿論、この部屋に来客用の椅子なんていう贅沢品はないから、わたし達が普段使っている椅子に座るしかないのはわかるのだけど、何故よりによってその椅子を選んだのか。そんなことをされてしまったら、明日からわたしは自分の椅子に座るたびに『ああこの椅子にアシュタルテさんも座ってたんだなぁ……』としみじみ思い出してにやにやする自信しかない。
わたしとアシュタルテさんが同じ椅子を使った。これもう奇跡なのでは。てかアシュタルテさんちっちゃい。足が床に届いてない可愛い。なのに姿勢が綺麗すぎて生まれとか育ちの違いを感じる。なんかもうわたしの椅子なんかに座らせちゃってすいませんほんとに嬉しい。
とか考えてるわたしの気持ち悪過ぎる気配を感じたのか、ヴァニラさんがわたしに気付いて猛然と寄ってきた。なおわたしは脱衣所の扉を半分だけ開けて顔だけ覗かせた状態である。
「ちょっとアトリー、早く代わって! 私にあんなのの相手させないでよっ!?」
と、小声で怒鳴る器用なヴァニラさん。彼女にかかればアシュタルテさんも『あんなの』扱いで本当に流石すぎる。
しかしながら、そうしたいのは山々なんだけど。
「こんな格好でアシュタルテさんの前に出れないよぅ。おねがいヴァニラさんっ、着替えを取ってきてくれませんか……?」
「はぁ? ああもう……」
ヴァニラさんは一瞬だけクソでも見るような顔になったけど、一刻も早くこの状況から脱したかったのか、わたしの服を取ってくる気になってくれたみたいだ。
みたいなんだけど、
「なんだアトリー、貴様服がないのか」
「「!?」」
わたし達が話している間にアシュタルテさんは椅子から離れ、何故かわたしの服が入っている棚の前に立っているではないか。
彼女はいつもの偽悪的な笑みを浮かべて、
「そうならそうと早く言え。私が適当に見繕ってやろう。どれどれ……」
なんて言いながらアシュタルテさんが躊躇なくわたしの衣服を物色しようとするものだから、わたしは大慌てで制止のために飛び出していた。わたしの持っている服なんて基本的に安物でしかも着古したやつばかりなのだから、とてもではないが彼女に見せられるようなものではない。
余談だけど今日のアシュタルテさんは何故かとってもオシャレなジャージを着ている。わたしでも知ってるブランドのロゴが入ってるし、本人が美しすぎるせいでジャージ姿も反則的に可愛い。ところで実はわたしの衣装棚にもジャージは入っている。でも頼むから比較しないでほしい色々な意味で。
恥ずかしすぎてわたしが死ぬ。
「わ、わ、わ、だめですだめです!」
でまあ、そんな急な動きをしたら当然、
はらり。
「「「あ。」」」
落ちるタオル。
固まるわたし。
「ふむ」
アシュタルテさんはまじまじと私の身体を眺めて、
「いいものを見た」
「ひにゃあああああああああああああっ!?」
私は過去最速で脱衣所に逆戻りするのだった。
◇◇◇
籠城である。
徹底抗戦の構えだ。
わたしは脱衣所内に立て籠もっていた。
絶対に外に出れない。アシュタルテさんの顔を見れる自信がない。彼女に見られた恥ずかしさと、(たぶん)褒めてもらった嬉しさで情緒がバグってどうにかなりそうだ。
と、脱衣所の扉越しにアシュタルテさんの呆れ声が聞こえてくる。
「いや貴様、一緒の風呂に入っておいて今更だろう」
「や! それとこれとは! はなしが違いますっ!」
あの時はスメラギちゃんも居たし、なによりアシュタルテさんも裸だった。
今は違う。
どれくらい違うのかというと、お風呂に入るときに服を脱ぐのと、往来のど真ん中で服を脱ぐのくらい違う。主に精神的な抵抗感が違う。お風呂で裸になることを恥ずかしがる人はそんなに居ないけど、道で裸になることを恥ずかしがらない人はそんなに居ないはずだ。
それから、諦めたのかヤケクソになったのか、だいぶ投げやりなヴァニラさんの声も聞こえた。
「ねえアトリー、もうダルいから早く出てきて。むしろ出てって」
「でませんしでませぇん!」
そもそも出ていきたくても出ていけないのだ。
だってわたしの窮状は何も解決していないどころか、バスタオルは外に落としてきたのでより悪化したとすら言える。正真正銘、すっぽんぽんである。
こうなったらもう、もう一回シャワーを浴びてやる。
アシュタルテさんが諦めて帰るまでシャワるしかない。
指の皮膚がふやけてふにゃふにゃになっても構うものかぁ!
わたしがあまりにも固い決意をしていると、
「ところでアトリー。画期的なことをひとつ教えてやろう」
と、アシュタルテさんが言うので、わたしは思わず耳を傾けた。
「『転神』すれば衣服は再構築されるゾ」
「あっ」




