補完[闇の巫女-2]
~"黒髪令嬢"イオ~
教団の信徒と思われる四人組を捕らえた後、彼らが黎油に細工をした形跡を確認してみた。ここ以外の保管庫はそもそも踏み入られた形跡もないので、どうやらここが最初だったらしい。黎油に混ぜ物をするにはタンクの蓋を開口しなければならないが、わたくしとアビー様が確認した限りでは最近蓋が開けられた形跡もなかった。
わたくし達が踏み入った際には四人組は黎油の効果を希釈するための薬品を準備していたところだったらしく、間一髪のタイミングで未然に防ぐことが出来たようである。
「とりあえず、一安心でしょうか」
わたくしが呟くと、アビー様も「そのようだの」と仰られた。
四人組が用意していた器具や薬品は然るべきところに引き渡すとして、後は本人達からどれだけの情報を引き出せるかだ。内部の協力者らしい一般人三人はともかく、主犯と思しき男性からは多少は有益な情報が得られるかもしれない。
というわけで現在彼らを別室で尋問中だ。この施設には使用していない保管庫も多くあるので、その内の一室を利用してハイメロート殿に尋問を任せたのである。なお、何故彼に一任したのかというと、わたくしやアビー様では外見で侮られるからである。その点ハイメロート殿は見た目の威厳も充分だし、帯びた魔剣のお陰で威圧感もたっぷりである。
その時間を利用してわたくし達は現場の検分を行って居たのだが、目ぼしいものを確認し終えて手持無沙汰になってしまう。
ハイメロート殿が働いている手前自分だけが暇している状況も後ろめたいのだが、アビー様などは既にタンクの上に腰掛けて煙管をふかしていた。完全に寛ぎモードである。正直に言えばわたくしも歩き詰めで足腰に疲労を感じていたので、彼女に倣って近くのタンクに腰を下ろしてしばし脚を休めることにする。黎油を溜めたタンクは思っていたよりもだいぶ冷たくて、お尻がひんやりして背筋に少しぶるりときた。
「あの、アビー様」
「なんじゃぁ?」
「質問しても宜しいでしょうか」
わたくしの申し出に彼女は「よいぞ」と快諾してくれた。
「アビー様は今回の件をどう見ておられますか?」
「そなたはどう思う?」
試すように瞳を細めて問いを投げ返してきたアビー様に、わたくしは思うところを話してみる。
「少々腑に落ちないものは、あります」
「拍子抜けかの」
「それに近いと思います。ですが、これがわたくしの経験不足に起因する可能性も否めませんので、判断を決めかねております」
わたくしが感じている違和とは、要するに事態が呆気なく片付き過ぎたということだ。わたくしが勝手に気負っていただけという可能性も否めないが、生憎とわたくしにはこういう機会に直面した経験が乏しい。アビー様やハイメロート殿に『大抵はこんなものだ』と言われればすんなりと納得するであろう程度の違和感でしかない。
そのことを素直に告げると、アビー様はわたくしに微笑んで見せた。
「うむ。その答えは是であり非だ。事実として、こういった嫌がらせ行為は珍しくもない。そしてそれは大抵がこんなものだ」
「ではやはり、妙な感じがします」
「まぁの」
何故ならば現在は非常時だ。学院の警備の人間はその大部分がゴーレムの対処に追われ、暗躍する連中にとってはこれ以上ない好機であると言える。無論、ゴーレムは無差別なので教団の人間もその脅威に晒されるには違いないのだが。
その折角の好機に、常と同程度の行動しか起こしていないというのが不自然なのだ。
ちなみに普段は当然学院長自身が動くことなど無く、結界に侵入者を察知すれば警備の人間に知らせるだけで終わらせるようだ。そうでなくても、大部分は結界の効果で捕捉するまでもなく、そもそも警備の人間が正しく仕事をするのだが。
「とは言え、敵を過大評価しても仕方ない。奴等がその程度の行動力であったというだけの話やもしれん」
「そうですね」
その可能性も低くはない。となればハイメロート殿の成果に期待するしかないだろうか。おそらくアビー様は最初からそのつもりでハイメロート殿に尋問を任せたのであろう。ことがあの四人組だけで終わらない可能性を鑑みて。
「……教団の信徒はどこにでも居る、と仰いましたね」
「言ったのぅ」
「そこまで、彼らは社会に浸透しているのでしょうか……?」
確かに、教会の信徒と同規模だとすればその表現は大袈裟でもなんでもない。それこそ、わたくしの知り合いだけを見ても教会の信徒は少なからず居る。敬虔さは人によりけりだが、教会の教えは人々の生活に深く根付いていると言っていいだろう。
だが、仮にそれと同等の規模で教団がのさばっているというのであれば、それは脅威だ。質問の体を取りながらも、わたくし個人は『それはない』と結論している。であればアビー様の発言の根拠はなんだろうか、と気になったのだ。
「そうさな。どこにでも居る、は少々語弊のある表現であったな」
「では?」
「正確に言うならば、どこに居てもおかしくない、だ」
即ち、誰が教団の信徒であってもおかしくない、ということだ。
もしかしたら千人に一人かもしれないし、あるいはわたくし以外の全員がそうかもしれない。
「正直に申し上げれば、わたくしには理解できません」
「うん?」
「一体、いかなる経験があれば、魔王を信仰し魔物に利することを第一義とする精神性を確立するに至るのでしょうか」
例えばそれが非日常的な経験の賜物であれば理解は出来る。魔物に襲われた恐怖の反動であるとか、あるいは魔物の魔法によって一種の洗脳状態にあるとか。だが、流石にそんな経験を有する人物がどこにいてもおかしくないとは思えない。それに、根本的なことを言えばそもそも魔王の記録は碌に残って居ないので、人々が魔王の姿を思い描くことすら出来ないはずなのだ。ただし、それは教会の信仰対象である主の存在も同じことなので、そういうものだと言われればそれまでだが。
思い悩むわたくしの視線は下がり、自然と俯きがちになっていく。
その横でアビー様は片手の煙管を一服し、ゆっくりと息を吐きながら保管庫の天井を茫洋と見上げた。
「それは……そなたの心臓に、何故鼓動を刻むのかと問うのと同じことよ」
思わず視線を向けたわたくしを見ることなく、アビー様は言葉を続けた。
「フレンネルの。そなた、魔物とはなんなのか、と考えたことがあるか?」
「それは、一般的に言われる意味でなく?」
「彼奴等はどこから来たのか。いつから存在しているのか。何故あのような生態なのか……」
学術的に答えるならば、それは全て『不明』である。アビー様の問いに表面的に答えるのであれば、魔物は魔界から来たし、最初に確認されたのは記録が残って居ないくらい昔だし、人間を捕食するのは魔力を糧に生きているからだ。アビー様が問うているのはそんな一般的な見解ではなく、魔物という存在の根幹についてだ。
わたくしとてそれを考えたことがないとは言わないが、明らかにしようと思ったことはない。不明であると知って、そうなのかと納得した。なのでアビー様の問いに答えるとすれば『考えたことはない』が答えだろう。
わたくしが首を横に振ると、アビー様はそれを横目で見遣った。
「小生の個人的な見解だが」
「はい」
「魔物とは、一種の『摂理』である」
「せつり、ですか」
予想だにしないワードに、若干面食らう。
少なくとも、アビー様の表現は魔物に対して否定的なニュアンスではなかった。
「映し鏡の虚像。地面に落ちた影。人類にとってのそういうものが魔物である。人が人であるが故に抱えずには居られない業である」
「仰る意味が、よく」
「なに、難しい話ではない。繁栄の次には必ず滅びがあるということだ。永遠に繁栄し続けるものなど存在せず、人間もその例には漏れぬのだ」
鏡を見れば己の姿が映るように、日が差せば地面に影が伸びるように、繁栄の時代がいつかは必ず衰退の時代に遷ろうように。つまりアビー様はこう仰っている。人間が存在すれば必ず魔物もそこに在るのだと。
それこそが、この世の摂理である、と。
「人間が魔法を手にしてどれだけの時を経たのだろうか。きっと今のこの世界の姿は、いつかの時代に初めて魔法を手にした誰かの想像の埒外であろうな。人間の営みにおける変遷と発展は、そのまま魔法という万能の力の歴史であると言い換えてもよい」
魔法を手にしたことにより人間はより壮健に、より活発に、より自由に生きることが出来るようになった。
不治であった病を退けるようになり、致死であった傷を癒せるようになり、怯えてやり過ごすしかなかった天災にすら立ち向かう力を得た。身一つで猛獣を凌駕し、遠く離れた人物と会話し、自然を操り、支配する。
「人間は進化し続ける。進化せずには居られない生き物よ。今この瞬間に無理である事柄が、果たして五年後にはどれだけ無理のままで居られるかな?」
人間は魔法を使って種としての領域を広げ続けるであろう。峻厳な山々を踏破し、極寒の地で平穏を築き、濁流を堰き止め、海中で生きるようになる。ありとあらゆるものを都合よく加工し、『人の世』という世界を想像のままに創造するようになる。
「誰もが自在に空を駆けるようになるのは百年後か?あるいは十年後か?小生は一年後にその時代が来ても驚かんぞ。なにせ既に片脚は掛けておる」
なにも魔法使いに限った話ではない。魔法という技術が、魔力というエネルギーがインフラを形成し、社会を熟成させ、普遍的で強制的な種の進化へと導く。
そして誰もが競い合うように、奪い合うようにリソースを確保し、技術が躍進し、暮らしは豊かに、より安全に、万能な時代が訪れ、
「最後は行き付くところまで行ってしまうのであろう」
「行き付くところ……それはつまり」
「リソースの枯渇」
魔力の枯渇。
魔力とは無限の湧水ではない。使えば使った分だけ減るのだ。分母が莫大なおかげで現時点では目に見える影響が出ていないだけで、人類という種そのものが消費する魔力量がこのまま増え続けていけば、いつか必ず枯渇するときが訪れる。
そのことは、現在でも既に警鐘を鳴らしている識者が居ないわけではないのだ。
だが、遥か遠い未来に訪れるかもしれない危機と、今目の前にある果実を比べた時、人間は果実を頬張らずには居られない。きっと取り返しがつかなくなるその時まで、果実を貪り続けるのであろう。リソースの枯渇が目に見え始めたら、その時の人間が対処するだろうと、未来の誰かに無責任に放り投げる。そうして放り投げられた責任を受け取った誰かは、またその未来へとそれを投げる。
その連鎖を止める者は居ない。ただ一つの存在を除いて。即ち、
「もしも、魔物が居なければ、の話だがの」
わたくしにも少しずつ理解が出来た。
要するに魔物とは反作用だ。人類の絶対的敵性存在。人間が魔法を手にして躍進すればするほど、それを止めようとする作用が発生する。意のままに世界そのものを食い尽くそうとする人類に対して、そうはさせるものかと訴えかけている自然の摂理が魔物の脅威であるのだ。
少なくともアビー様はそう考えている。王国最高峰の魔法教育機関の長が、そう考えているのだ。
そしてそう考えた時、果たして魔王とは。
魔物というのが、世界を保とうとする摂理の具現であるというならば、それを統べる存在である魔王とは世界の代行者に他ならない。それが魔王だとすれば、教会の語る『主』と一体どこが違うのか。
「フレンネルの。覚えておくがいい」
アビー様はわたくしに諭すような視線を向けて言う。
「人は自らの意志で信仰を選ぶのではない」
信仰とは、そうではないのだと。
「何故教団の連中が魔王を信仰するのかと問うたな。その機微が理解できんと言うたな」
「はい……言いました」
「そんなものは、彼奴等自身にだってわかっておらぬのだろうよ」
茫漠とした未来に横たわる大いなる絶望が、人という種が自ずから導く袋小路が、きっとそれを知らずとも許せないだけなのだ。誰にだって善意と悪意が同居しているように、人間という種にも相反する側面があって、同じ方向を向いている者達を一つ所に集めて教会とか教団とか呼んでいるに過ぎないのだ。
それは世界そのものについても言えることであって。
世界に相反する二面性が内包されているとして、その片方が人間であるとするならば。
「さて。果たして世界にとって正しいのは人間か、魔物か。どちらであろうな」
誰にともなく紡がれたアビー様の問いに、わたくしは答える言葉を持たなかった。




