60話_side_Io_学生区_屋上
~"黒髪令嬢"イオ~
「酷い状況ですね」
思ったよりも大惨事。それがわたくしの素直な感想だった。
不審なゴーレムどもはどうやら、魔力を糧に同種を複製する能力を有しているらしく、人を襲い魔力を奪い急速に勢力を拡大していた。わたくしとハイメロート殿が紆余曲折を経て商業地区の一角に辿り着いた頃には、ひと気のないゴーストタウンじみた街路をゴーレムが徘徊する末期の様相を呈していた。
学生達の若々しい活気で賑わっていた常の姿が見る影もない。
ハイメロート殿と協力して片っ端からゴーレムを駆逐しつつ、わたくしは憂慮していた。
「果たして……収拾がつくのでしょうか?」
思わず零れた呟きに、ハイメロート殿が答える。
「ゴーレムそのものは遠からず駆逐されるだろう」
「そう思われますか?」
「ここまで被害が拡大したのは単に不意を打たれたから、というだけのことだ」
非戦闘員が密集する学生区を初手で狙い撃たれ、収奪した魔力を糧に一気に個体数を増強された。そして襲われた人々の救援と避難のために多くの人員を割かなくてはならなくなったために、ゴーレムの駆逐が後手に回っているだけのこと。
要は戦略的に奇襲を受けたため、立て直しに時間が掛かっているのだ。
この魔法学院はある意味、王国内で最も戦力的には充実した場所なのだ。王国中の魔法使いが集結している学府であると同時に、隣接する黒い森からの魔物の侵攻に対処するために常駐する戦力も精強だ。ゴーレムの脅威はその物量と再生能力であるが、個体そのものは基本的には一年生のわたくしでも対処できる程度の戦闘力しか有さない。まれに強力な個体が存在することもあり、そういうのはわたくし単身の手には余ることもあったが、それでもプロの戦闘者であるハイメロート殿の前では然したる脅威でもないらしい。
つまるところ、正しく迎撃態勢が整いさえすれば、ゴーレムの増殖速度を上回るペースで駆逐するのは難しくない。
となれば、わたくし達が考えるべきは別のことだ。
「ヴェルメリオさんの痕跡は見当たりませんか?」
「今のところは大人しくしているようだな」
ハイメロート殿曰く、ヴェルメリオさんが動けばすぐにわかるとのこと。
わたくし達の目的はもともと、お困りのプリムローズ様をお助けすること。
彼女の子飼いであるヴェルメリオさんは幼い感性を有した少女であるらしく、プリムローズ様をまるで母のように慕う素直な人物だそうな。彼女はハイメロート殿の監督の元、アシュタルテ侯爵領で己の職務に従事していたらしいのだが、母と慕うプリムローズ様が王都の学院に通い始めて触れ合う機会がなくなり、愛に飢えてとうとう自分から会いに単身王都に、ひいては学院にまでやってきてしまったというのがここまでの経緯だ。
問題は、奇跡的な運の悪さで、よりによって同時にこのゴーレム騒動が勃発してしまったことだ。
本件が偶発的な事故なのか、あるいは人為的に引き起こされたものなのかは定かでない。人災だとして内部犯の仕業か、あるいは外部犯の仕業か。そもそも不法侵入しているヴェルメリオさんの存在が露見するのがまずよろしくないのだが、最悪のケースはこの騒動を引き起こした実行犯、ないし共犯者として槍玉に挙げられることだ。
この時期に子飼いを秘密裏に侵入させていたプリムローズ様こそが、ゴーレムを解き放った張本人であると疑いが掛けられること。
事態がどこに落ち着くのかは今の時点では予測困難だけど、状況次第ではプリムローズ様が窮地に立たされる可能性は決して否定できない。
幸か不幸か現在の学院内は学生区を中心に極度の混乱状態だ。
ヴェルメリオさんを確保さえできれば、どさくさ紛れに彼女の存在を隠ぺいすることは難しくない。逆に、彼女が学院側の人員――常駐騎士や警備、教員やあるいは執行部などに身柄を押さえられるのだけは阻止しなくてはならない。
ヴェルメリオさん自身もそれなり以上に強烈な戦闘者らしいのでそう易々と捕らわれるようなことはないだろうが、生憎と幼く素直なので好意的に保護されると疑いなく従ってしまう可能性が否めない。
ヴェルメリオさんの所在がわからない以上、彼女の存在が露見する前にゴーレム騒動そのものを終息させられればベストだったが、それは難しいとわかった。
なれば、わたくし達の役割はヴェルメリオさんがもし動いた時に、即座に確保と火消しに動くべく備えることだ。
ついでに、ハイメロート殿が率先してゴーレムを駆逐して回り、学院の人員の救助に尽力すれば、もしもの場合にはプリムローズ様に有利に働くことだろう。無論、わたくしも協力は惜しまない。
ちなみに、本当にこの件の首謀者がプリムローズ様である可能性というのも存在するのは前述の通りだが、少なくともわたくしはその可能性を微塵も考慮していない。わたくし自身がプリムローズ様をお慕いしているからという極めて個人的な理由もあるが、それ以上に、貴族社会におけるアシュタルテ侯爵家の立ち位置というものを良く理解しているが故に。
昔、フレンネル家の当主である父上に、アシュタルテ家について訊いてみたことがある。言うまでもなく、憧れのプリムローズ様のご生家について知りたかったが故のことである。
父上は公平で誠実な人柄らしく、彼の家の悪評も含めて知る限りを教えてくれた。
その中で、特別印象に残っている遣り取りがあった。
『あの家の者は個人的にはまったく信用に値しない。だが、王国の貴族として信頼は出来るのだよ』
『?』
『アシュタルテとは、北の帝国と我が国を隔てる現象のようなものだ。彼らには野心という概念が欠落している。故に王国の政治に関心もなく、帝国に寝返る心配もない。ただ只管に、自らの領土を侵す『敵』を排撃し続けるだけの現象だ』
『王国のために戦っているのではないのですか?』
『結果的にそうなっているだけだ。彼らがたまたま王国に所属していたから、そうなっているだけのことなのだよ』
我がフレンネル家と同じく四大貴族の一角に数えられるアシュタルテ家。
フレンネル家が王家との友情により固い信頼関係を築いているのに対して、アシュタルテ家は王家への無関心によって固い信頼関係を築いているのだ。王国の黎明期を知る旧い一族の間には共通認識がある。アシュタルテが権力を握るために裏切るとか、謀をするとか、そういうのは心配するだけ無駄だと。
何故なら、彼らはそんなことには間違いなく微塵も興味がないから。
そしてその共通認識を持たない他の貴族間では、アシュタルテは王家を軽んじて好き勝手にやっている無礼者の外道一族という認識でしかないので、貴族社会では蛇蝎の如く嫌われているわけであるが。
そのアシュタルテに対して王家を筆頭に旧い一族は言外の黙認と信頼を示すものだから、他の貴族には余計に面白くないのだろう。四大貴族という称号は建国の立役者であることを示す誉れ高きものだが、長い時を経た現代に至っては一種の既得権益と化しているのは否めない。これを廃止しようと試みる新興貴族の声は根強い。
そうであるが故に、一度アシュタルテが隙を晒せば周囲の貴族は鬼の首を取ったかのように責め立てるであろう。ヴェルメリオさんが実際に手引きをした証拠など必要ないのだ。疑わしきを罰するだけなのだから。
マズいのは、もしそうなった場合にアシュタルテ侯爵家がどういう行動に出るかということ。
ことがプリムローズ様だけを切り捨てて収まるならば、侯爵家は迷わずそうするだろう。
だが、他の貴族がそれで収まらずに侯爵家そのものを排除しようなどと企めば、間違いなくあの家にとって王国は『敵』となる。そうなれば後は、領土を侵す『敵』を排撃するだけの現象であるアシュタルテ侯爵家が正しく作動し始めるだけだ。
わたくしは傍らのハイメロート殿を一瞥する。
アシュタルテに名を連ねる者とはいえど、女性であり末の子供でしかないプリムローズ様が有する私兵ですら、このレベルの戦闘者が率いているのだ。あの家そのものが保有する戦力の全容がどれほどのものになるのかなど、正直想像もつかない。
客観的に言えるのは、あの帝国を相手に百年以上も独力で国境線を維持し続けているアシュタルテ侯爵家の力量が、尋常のものではないということだ。近年では帝国が送り込んで来る工作員との諜報戦、情報戦、そして古くは侵略軍との会戦。それら全て完膚なきまでに蹴り飛ばすだけの能力を保有しているということであり、直接的な戦闘人員のみならず、それをバックアップする組織体系の層の厚さを窺わせる。
きっとアシュタルテ家の存在を面白く思わず、追い落とすことしか考えていない貴族連中は、北の要である彼の家を失うことが王国に何をもたらすのか考えてすらいないのだろう。
アシュタルテの力を正しく理解していないが故に、彼らが帝国を抑えていることがどれほどのことなのかわかっていないのだ。
「フレンネル。ゴーレムの密度が高い地区に移動すべきと考えるが」
「そうですね……」
商業地区を一望できる小高い建物の屋根の上に立ち、遠くを見回してゴーレムの分布を観察する。
ゴーレムが多い場所というのは基本的には人が多い場所か、あるいは高魔力保持者がいる場所だ。戦闘の痕跡と思われる魔法の輝きが閃く場所を見つける。位置と方角から考えて、一つは大学区。技研を始めとした研究施設が立ち並ぶ区画だ。あそこには魔法使いに限らず、高い魔力を秘めた魔法具や実験設備が多くあるらしいので、ゴーレムにとっては垂涎の餌場だろう。
もう一つが学生区の端に所在する学生寮が立ち並ぶ区画。学生寮に居る人間は大部分が学生――つまり魔法使いなわけで、これもまたゴーレムにとっては良い餌場だ。
「…………妙ですね」
「どうした?」
ゴーレムの発生源はおそらく大学区だ。それは初期の分布傾向から見てほぼ間違いない。
そこから一部のゴーレムが研究施設を襲うために残り、放射状に増殖したゴーレムが学生区と学究区に移動したと思われる。となれば現在学生寮に群がっているゴーレムは大学区から流れてきた勢力だろう。
同じように商業地区に流れてきたゴーレムが学生寮のそれと同等の勢力だったと仮定した場合、こちらだけが早く片付くのはおかしいのだ。むしろ、圧倒的に非戦闘者の多い商業地区こそが泥沼となっていなければおかしい。
商業地区では学院の警備員が中心となって、避難した人々をバリケードに匿って防衛線を構築しているが、そこへの圧力が弱過ぎるように思うのだ。無論、決して楽観できるほどの弱兵であるわけではないし、現在も小競り合いは続いているようだが。
まるで、商業地区だけゴーレムの戦力の中核をなす主力がごっそり抜け落ちたかのような違和感だった。
「というわけなのですが、どう思われますか?」
「ふむ……」
顎に手を当ててハイメロート殿が考える横でわたくしも思考を巡らしていると、不意に後ろからカランコロンと音がした。
この国の多くの人々にとってはまるで馴染みの無い、わたくしにとってはそれなりに馴染みのある下駄の足音だった。
「それはな、極上の餌がゴーレムを誘引して逃げ回っておるからだ」
「!!」
咄嗟にわたくしは振り向こうとして、ここが足場の悪い傾斜した屋根の上であることを失念していてバランスを崩し、傍らのハイメロート殿に支えられた。ハイメロート殿が平然としているのでとりあえず緊急事態ではないと判断したわたくしは、呼吸を整えてから姿勢を正し、改めて背後の人物へと向き直った。
予想通りに下駄を履いた、小柄な女性だった。プリムローズ様ほどではないが、彼女を彷彿とさせるような、際立って可憐な体躯に似合わぬ老練な雰囲気を漂わせる少女だ。紫がかった雅な光沢の銀髪を膝ほどまで伸ばし、深い宵の如き濃紫の瞳。
その身に纏うのは、東方の術士が纏うような黒い道士服であった。間違ってもこの国内では見かけない衣装であり、東方の系譜を汲むフレンネル家のわたくしだから知っていただけの、ある種奇抜な装いである。頭の上に乗っけた小洒落た帽子の色も例に漏れず黒だ。
少女は可憐なかんばせに薄い笑みを浮かべ、片手に持った高級そうな煙管から煙をくゆらせている。ほんのりと甘いような、今までに嗅いだことのない匂いのする煙だが、決して不快ではなかった。
いつの間に背後に立たれていたのかわからなかった。唐突な登場の仕方もまたプリムローズ様を思わせる。
見た目の年齢は同年代くらいに思えるが、雰囲気はまるでそうは思えない。
「おう。驚かせたか。すまなんだ」
微笑ましいものを見るようにわたくしを見詰めてそう言った少女は、それからハイメロート殿へと視線を移す。
「懐かしい顔を見掛けたのでな。つい声を掛けてしまったのだ」
「?……初対面だと思うが」
「うむ。小生は記憶力にはちと自信がある。対面するのは間違いなく初めてだの」
ハイメロート殿は小さく「まさか……」と呟くが、それ以上は何も言わなかった。
聞く限り、この少女はハイメロート殿のことを一方的に知っている関係らしいが、それよりも。
「あの、わたくしフレンネル家のイオと申します。貴女は……」
「おう。オドの娘だな。知っておるぞ。母親似でよかったのう」
「は、はあ……」
ちなみにオドとはわたくしの父の名である。父上はかなりの強面で、率直に言えば貴族の当主よりもヤクザ者の頭領と言ったほうが似合う容姿である。そしてわたくしが母上に似ていて良かったというのはわたくし自身を含めて一族全員がそう思っている。
気安く父上の名を語るこの少女の正体をなんとなく察しながらも、確信までには至らない。
「小生のことは、そうだな。気軽にアビーと呼んでくれてよいぞ」
「ではアビー様。先ほどのお話ですが」
「おう。今年の新入生に面白いのが居ったろう。なんでも練術場の空を花畑に変えたとか」
「アトリーさん……!」
平民階級の特待生であるミアベル・アトリーという少女。
基本的に、魔法資質の強さと保有魔力の大きさはほぼイコールだ。となればあれほどの魔法資質を示したアトリーさんの保有魔力は尋常の魔法使いの百倍でもきかない。ということは、ゴーレムにとってはアトリーさん一人の存在が、魔法使いが百人規模で集まった学生寮と同等の美味しい獲物に見えるのだ。
察するに、たまたま商業地区にいたアトリーさんは、避難する人々からゴーレムを引き離すために敢えて囮になったのだ。わたくしは彼女とは然程交流はないのだが、ミリティアさんという共通の友人が居るので、彼女経由でそれなりに人となりは把握しているつもりだ。
そして、わたくしの知る限りではアトリーさんは英雄的行動を厭わない高潔な人物である。
「彼女は今どこに」
「学究区の外側に向かっておるようだな。思うに、人が居ないほうを目指しておるのだろう」
「救援を……!」
「まあまて」
アトリーさんの身を案じて焦るわたくしとは対照的に、アビー様は悠長に煙管をふかしてから、会話を続けた。
「あちらは放っておいても構わんだろう。万一があっても、アシュタルテの小娘がどうとでもするだろうよ」
さらりと出てきたプリムローズ様の名前にハイメロート殿が小さく反応した。
「それよりそなたら。ちと小生を手伝ってはくれんか?」
「お手伝い、ですか?」
「おう。どうやら、どさくさに紛れて良からぬことを企む輩が入り込んでおるようでな。ゴミ掃除をせねばならん」
タイムリーな話題に、わたくしはドキリとする。
動揺を隠しきれないわたくしをやはり微笑ましく見遣りながら、アビー様はいたずらっぽくハイメロート殿に言う。
「良からぬことを企んでおらぬ輩も、入り込んでおるようだがの?」
「……俺は正規の手続きを踏んでここに居るが」
「そういうことにしておいてやろう」
「ゴミ掃除如きに貴女が直々に動くのか?」
「緊急事態だからの。小生だけが働かぬわけにもいくまい。あの小娘風に言うのであれば、『猫の手も借りたい』わけだ」
してどうする?とアビー様は再度問い掛けてくる。
今彼女が遠回しに言及したのは、おそらくヴェルメリオさんのことだろう。つまりはアビー様はヴェルメリオさんの存在を見なかったことにしてやる代わりに、わたくし達に手を貸せと仰っているのだ。
彼女の正体がわたくしの予想通りならば、驚くほどのことでもない――……かもしれない。
ハイメロート殿を見ると、彼は諦めたように嘆息した。
「いいだろう。好きに使うといい。俺はな」
ハイメロート殿のこともプリムローズ様のことも、なによりヴェルメリオさんのこともお見通しらしいアビー様に逆らうだけ無駄と判断したのだろう。聞く限りでは、彼女はヴェルメリオさんが今回の事態を引き起こしたとは考えていないようだし。
「フレンネルのはどうする?そなたは本来ならばまだ守られる立場だ」
「いえ、ご迷惑でなければ、わたくしにもお手伝いさせて下さい」
そう言うと、アビー様は「その意気や好し」と朗らかに笑った。
わたくしの実力では正しく彼らのおまけ程度にしかならないだろうが、プリムローズ様のことを思えばほんの少しでもアビー様の役に立っておくべきだ。
何故なら、もしもの時、プリムローズ様の潔白を証言してもらうのに彼女以上の適任は居ないはずだからだ。
「では、手早く済ませるとしよう」
・2021/8 細部の描写を修正。




