468話_sideout_熱戦-3
突如として降り注いだ碧い光に警戒を強めた時にはもう遅かった。
気付けば、セラフィーナの隣にはランディーの姿しかなく、他のパーティーメンバーはどこにも居ない。同じような黒い森の景色であるが、直前まで居た場所とは微妙に違う風景。
どうやら皆が居なくなったというよりは、セラフィーナ達が別の場所に跳ばされてしまったようだ。あるいは、他の面子も皆バラバラに移動させられているのかもしれないが。
「ランディー」
「おう。わかってら」
当たり前のように返事をしてくれるランディーが隣に居てよかったとセラフィーナは思う。これで自分一人投げ出されていたらきっとパニックに陥っていたし、パーティーの誰かが居てくれたとしても、ランディー以外だったらセラフィーナはここまで落ち着いていられなかっただろう。
この事態を齎した原因を探し求める必要はなかった。
いつの間にか姿を消していた仲間達と入れ替わるように、いつの間にか少し離れた前方に立っている者が居たからだ。
若い女である。クラシカルな意匠のメイド服に身を包んだ、背の高い美しい女だった。作り物めいた白い肌に、鉄錆色の頭髪。洗練された佇まいが、いっそ清々しい程にこの場に似合っていない。
魔物が跋扈する危険地帯に現れた非日常的な彼女は、正しく尋常の存在ではなかった。長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳は色彩が反転したもので、頭の上には一見してヘッドドレスの飾りのようにも見える二本のねじくれた角が生えている。
「スコール……!」
魔物メイドのスコール。またの名を『スコルピオンロード』。セラフィーナとランディーにとってはちょっとした因縁の相手でもある。
睨みつけるセラフィーナ達の反応に気を良くしたように、スコールは酷薄な笑みを浮かべて慇懃に礼をした。
「お久しゅうございますおまえら。お元気そうでなにより」
「……皆と逸れたのは、あんたが何かしたから?」
それ以外に考えられないわけだが、一応セラフィーナが訊いてみると、スコールは頷く。
「スコールが、というよりは御館様のお力でございます。おまえらは御館様の結界に足を踏み入れたのです」
「んで? 結界で俺達を分断してそれぞれ潰すって?」
「左様でございます」
「随分とビビりな戦法じゃねえか。前にボコられたから怖気付いてんのか?」
挑発気味に言いつつも、ランディーは油断なく剣を構えてセラフィーナの半歩前に出た。セラフィーナもまた、いつでも魔法を唱えられる態勢を整えつつ、スコールの様子を注視する。
スコールはランディーの物言いに片方の眉を持ち上げた。
「ビビってませんが? スコールは勤勉な魔物なので、ちゃんと人間のおまえらの性質を学んでいます。おまえらは群れると強くなる系の動物なので、分断からの各個撃破を図るのが効果的であることは確定的に明らかすぎて自分の頭脳の冴えが怖い今日この頃でございます」
「後半なに言ってるかわからん」
「仕方ないのでもう一度だけ申し上げます。スコールはビビっておりません」
「一番大事なとこそこ……?」
しかも前半だしそれ。
相変わらずなんとも間の抜ける会話を繰り広げてくれるスコールであるが、セラフィーナもランディーも現状が非常にまずいことはわかっていた。二人はバッヘル領の戦いで一度はスコールを打倒しているし、彼女が現れたら再度叩き潰してやると息巻いてはみせたものの、現実的にはそれが非常に難しいことなどわかり切っているのだ。
あの時は、クロード達を始めとしてイザベルやマクダレーナなどとの連戦を経て、スコールが疲弊していたからこそ、そこにセラフィーナの特異な魔法による初見殺しで畳み掛けて、それでようやくスコールを倒すことが出来ただけなのだ。こうしてスコールが万全のコンディションで待ち構えているところに引き摺り出された時点で、セラフィーナ達にとっては相当に厳しい戦いになる。
だけど、最悪ではない。
何故なら、セラフィーナの隣にはランディーが居るからだ。
「どうせ分断するなら俺とセラを引き離せばよかったのによ。そしたらセラはともかく俺なんてただの雑魚だぜ」
ランディーは自嘲気味にそう言うが、それを言ったらセラフィーナだって似たようなものだと思っていた。結局セラフィーナはランディーが居なければ心を奮い立たせることが出来ないだろうから、どうあがいても引き離された時点で二人ともお終いなのである。
不敵に笑っているスコールが敢えてその手を使わなかった理由は、なんとなくだがわかる。
「リベンジ……ってことね」
実際の実力がどうあれ、バッヘルではセラフィーナ達が勝利したのは覆らない事実。むしろ、本来の実力で劣るはずの相手に敗れたのが納得いかないからこそ、スコールは敢えてセラフィーナとランディーを一緒くたに相手取り、その上で諸共に叩き潰すことで雪辱を果たすつもりなのだ。そうに違いない。
「いえ別に」
「ちがうの!?」
「スコールは味には拘りますが勝ち方には拘らないので、普通におまえらを分断して片方から捻り潰してもう片方の前で頭からバリバリ食ってやろうと思っていましたけど、なんかおまえらの結びつきが強くて御館様の結界をもってしても分断できなかっただけです」
口振りこそ惚けたものであったが、そう語るスコールの目には純然たる本音しかなくて、混じりけのない猟奇的な悪意を叩き付けられたセラフィーナの喉がひくりと小さく鳴る。
それが聞こえたのか、ランディーが呟くように言う。
「怖いか?」
セラフィーナは頷いた。スコールを警戒しているランディーはこちらを見てはいなかったが、彼との繋がりは視覚などに頼らずともセラフィーナの心境を伝えてくれる。
「俺も怖え。正直ビビってる」
弱気なことを言うランディーにセラフィーナが思わず視線を向けると、彼はそれを狙っていたように、ニヤリと口元に笑みを浮かべてみせた。
「でもあの時の『マンティス種』よりは、怖くねえ」
「っ…………そう、だね」
あの時。セラフィーナとランディーが運命に出会った日。
バッヘル領の黒い森に現れたマンティス種に襲われ、為す術もなく死にかけ、そしてスメラギに救われた日のことだ。
勿論、あのマンティス種と目の前のスコールを比べれば、スコールのほうが圧倒的に強大な魔物であることだろう。だけど、セラフィーナ達はあの日のセラフィーナ達とは違うのだ。
今の自分達には戦うための力があって、戦うための動機がある。素敵なことに、仲間も居る。
あの日には、何も無くて、代わりに絶望だけだった。
それを思えば、今のなんと恵まれたことか。
絶望出来ない理由が、こんなにもある。
「……やるぜ、セラ」
「うん……やろう、ランディー!」
◇◇◇
「いや、大したもんだ。驚いたぜ」
目の前に現れた二人の少年少女に、フェンリスは本心からの称賛を告げた。
フェンリスの左眼は魔眼になっていて、普段は術理的な意味のある紋様で封印を施しているのだが、今この瞬間は封印が解かれて碧い瞳が露になっている。魔眼の力を応用した強力な結界魔法は若い討伐者パーティーを為すすべなく分断し孤立させるはずであったが、二つも例外が出てしまった。
スコールが相手をしているほうの二人はまあいい。あのセラフィーナという少女は成りたてだが正真正銘の『昇格者』なので、原理的に魔眼に抗う力を持っていたとしても不思議ではない。
故にフェンリスが驚いたのはそちらではなく、今まさに眼前に現れた少年にである。
紺色の髪をした、翡翠色の瞳。その面立ちにフェンリスは既視感を覚えずにはいられない。つい先日戦った相手である英雄伯の面影が色濃く見える。考えるまでもなく、彼の息子のルークであろう。ここで邂逅すること自体は予測された出来事であるが、驚くべきはそのルークがフェンリスの仕掛けた結界の攻勢に真っ向から挑みかかってきたことだ。
結界魔法に対する純粋な技量と、あとは類稀な反応速度で以てフェンリスの不意打ちにインターセプトしたのだ。そして最も近くに居た少女だけでも分断されることを防いで見せた。これは適性の問題でもあるが、この歳でこれだけの技量を有するのは驚嘆に値すると言っていいだろう。
ルークは傍らの少女――リタと確かめ合うように呼び合うと、それから揃ってフェンリスに向き直って得物を構えた。ルークの大剣とリタのレイピア。銀光を放つ切っ先を向けられて、フェンリスは笑みを深めた。
腐っても魔公である自分を前にして、少しも怯んだところを見せない。仲間といきなり逸れて不安に思わないはずがないだろうに、それを無理矢理に呑み込んで、真っすぐに立っている。
なんとも将来が楽しみな奴等だとフェンリスは思った。
「……ミリティア達はどこだ?」
低い声で問い掛けるルークに、フェンリスは素直に応じた。
「知らねぇ」
「……知りたければ力尽くってか」
「いやいや。それもいいが、そうじゃねえ」
本当に知らないのだ、フェンリスは。
厳密には、であるが。
確かに彼の言うミリティアなる少女を連れ去ったのは自分達であるが、もう用件は済んでしまった。そもそも彼女とそのメイドを拘束する気もなければしてもいないし、なんなら怪我の治療すら施した。用済みになった彼女等がどこに行こうがフェンリスは関知しないし、つまり今あの少女等がどこに居るのかは本当に知らない。
尤も、まだメイドの傷が治り切っていないので『幽家』に留まっている可能性はある。あそこには今はサヤしか居ないので、ある意味で安全だ。サヤ本人はミリティア達にとっては非常に危険な存在だが、害意があるわけではないので自分から絡みに行かなければいいだけなのだ。
要するに、フェンリスはミリティア達が未だに『幽家』に居ようが、とっとと逃げ出してどこへなりとも消えていようがどうでもいいし、知る術もないのである。
とはいえ、別に懇切丁寧に教えてやる必要もないかとフェンリスは思い直し、あとの反応は肩を竦めるにとどめておいた。
「さて。それじゃあ…………闘るか?」
片手に闇の炎を燈してバスタードソードを取り出したフェンリスに、ルークとリタも得物に魔力を纏わせる。バチバチと蒼く帯電するルークと、瞳を仄かな虹色に輝かせるリタに、フェンリスは一応訊くだけ訊いておくことにする。
「俺はお前さんの親父に勝ったぜ。それでも挑むか?」
「……確かに俺は親父の足元にも及ばねえし、たぶんアンタよりもずっと弱い」
素直に未熟さを認めて、それからルークは意味ありげに傍らの少女を一瞥した。
「でも、リタが居るからな。俺は負けねえ」
「愛の力でパワーアップでもするか?」
「おう! それにやっぱ、未来の嫁さんにはいいとこ見せねえとな!」
威勢よく言い切ったルークの啖呵は中々にフェンリス好みだし、気持ちの良いやつだと思いもしたが、それはそれとしてフェンリスはガントレットに包まれた片手でチョイチョイと指をさす。主にルークの隣のあたりを。
「ん?」
「いや、お前さんの彼女、めっちゃ茹ってるけど大丈夫か?」
「へ? って赤ぁ!?」
ぷしゅうと湯気を挙げて顔を覆っているリタに、慌てて弁明なのかなんなのかよくわからないことを告げて照れ隠しにぶん殴られているルークという、微笑ましいが犬も食わない痴話喧嘩を見せられてフェンリスは嘆息し、
「まあ、急ぐわけでもねえし、いいけどよ」
とりあえず、彼女の冷却が終わるまでは待ってやることにした。
◇◇◇
「こ、これは……とっても不味いのでは」
ノエルは慄いていた。
目の前には、非常に目のやり場に困る格好をした有翼のメイドが一人。
「うむ! ハーティの相手はおまえということだな!」
「お、お手柔らかにぃ……」
「そうか一人か。それは心細かろう! だが安心するといい! 百獣の王は子兎を狩る時でも全力を尽くすものだ。ハーティももちろん、全力でおまえを倒すからな! 残念なく散るがいいっ!!」
「なんて嬉しくない誠心!?」
よし逃げよう。
ノエルの判断は早かった。
無理ムリ。私そういうのじゃないので。こんな見るからに体育会系の空飛ぶ筋肉の相手なんて冗談じゃあない。
「ッ……!」
脱兎の如く駆け出したノエルに、ハーティは面白そうに「おっ?」と声を上げた。
「それもまた一つの決断であるな! よろしい! だがこのハーティから逃げ切れるとは思わないことだっ」
今ここに、命懸けの鬼ごっこが幕を開ける――――!
◇◇◇
溶岩流ばかりが目立つこの森にも、普通の川が流れていないわけではない。
岩肌の間を勢いよく流れる水は中々の流量で、ざぶざぶと音を立てて飛沫を宙に舞わせていた。元々は巨岩の隙間を縫うように水の流れがあったのだろうが、長い年月をかけて岩が侵食され削られ、川幅が広がり、細く長く切り立ったような奇妙な岩場が乱立する不思議な景観を創り出している。
その只中の、一際高く伸びた岩の上に少女が居た。
少し離れた場所の、少し離れた岩の上に立ったミアベルが見上げると、少女は静かに口を開く。
「『死霊術』はね、元来、水場との相性がいいんだって」
流れる水の音にまったく埋もれることがない、綺麗な声だ。
「そうなんだ。知らなかった」
「うん。私も、おかあさんからの受け売りで、試したことはないんだ」
少女はミアベルのほうを見なかった。岩の上に立って、舞い上がる飛沫のきらめきを浴びながら、静かに空を見ていた。川の上には木々もないから、夜の空がよく見える。冷たい月が、よく映える。
「それに、ここの魔物は水を嫌う種が多いから、水場には近寄らない。こっちの理由のほうが大きいかな」
「理由?」
ミアベルが小首を傾げると、少女は「うん」と呟く。
「誰にも邪魔されたくなかったんだ」
「……そっか」
少女の言葉は意味深で、大いに言葉足らずだった。
しかしミアベルにはその言わんとするところがよくわかった。
何故ならば、自分も同じ気持ちだったからだ。
そこで初めて、少女が空から視線を外してミアベルを見た。月光と水面の反射に照らされて、少しだけ青みを帯びて見える艶やかな黒髪と、その中でも鮮烈さを微塵も失っていない赤い瞳。
彼女が振り向いた拍子に、その独特な衣装の裾にあしらわれた鈴飾りがしゃらりと澄んだ音を響かせた。
少女は言う。
「やあ。ミアベル」
――キミを待っていた。




