437話_side_Primrose_某所
~"転生令嬢"プリムローズ~
「――――助けてたもっ! 殺されてしまうのじゃあ!」
助けを求める声を聞き、最も速く動いたのはクーベルネさんであった。躁ったり鬱ったりするのに忙しかった双眸が鋭く研ぎ澄まされ、ほんの微かな呼気と共に踏み込んだ彼女は、逃げる少女と擦れ違うようにして背中側に庇いつつ、追う巨漢へと肉薄した。
彼女のあまりの速度にまったく反応出来ていない巨漢は、目を瞬いて素っ頓狂な声を上げる。
「へぁ!?」
「成敗ッ!!」
クーベルネさんは刀を鞘ごと抜き放ち、流れるような動きで巨漢の足元を狙い撃つ。女性としては平均的な体格であるクーベルネさんに対し、相手の男は二メートル近い熊のような巨体である。身長差以上に体積即ち体重差は一目瞭然であり、そんな相手に真正面から打ちかかるなど正気の沙汰ではない。
腕に覚えがなければ、であるが。
低い軌道から相手の脛あたりを掬うように放たれたのは、鞘に納刀されたままの刀による殴打ではない。クーベルネさんはまるで棍棒でも振るうように刀を両手で持ち、身体全体を使って躍動的なフルスイングを行ったのである。体格差を逆手に取り、女体の非力さを補いつつ、柔軟さを十全に活かした、合気の流れを汲む一撃。全速力で突っ込んでくる巨体の慣性を上手に利用し、足元を一点突破で掬い上げることで、何倍もの質量を持つ相手を投げ飛ばしたのだ。
何が何だかわからない顏のまま宙を舞った巨漢は、信じられないくらい綺麗に空中で前転させられ、そして背中から地面にどでんと落ちた。
「ぉぐっ!?」
呻き声を上げる男の鼻先に、添えるように。
いつの間にか抜刀された刀の切っ先が、透けるような銀光を帯びて突き付けられていた。
引き攣ったように喉を鳴らして凝視することしか出来ない男に、クーベルネさんが威風堂々と告げる。
「幼気な少女を脅かすとは不逞輩め! 例えお天道様が許したとしても、このクーベルネが許しません! この世に悪の栄えた例は無いと知れッ!!」
流れるような捕り物劇と、クーベルネさんの時代がかった口上に、周囲の通行人達がどよどよと感嘆の声を上げる。
そんな中、刀を突き付けられた男はというと、両手を挙げて必死の様子で言うのだ。
「待った待ったァ! ちげえって! あのガキが俺の店から果物をパクリやがったんだよ!! 俺はそれを取り返そうとしただけだ!!」
魂の籠った弁明に、一瞬周囲が静まり返る。
なんとも形容し難い静寂の中で、クーベルネさんは、たっぷり数秒経ってから、
「……………………え?」
私の感想を一言で表現するならば、こうだ。
あちゃ~。
◇◇◇
思うに、クーベルネさんという女性はきっと、義に篤くて情にも篤い、真面目で誠実な人間なのだろう。
そんな彼女だから、面倒を見ることになったアズミちゃんという後輩のことを大事に想っていたのだろうし、彼女に降り掛かった悲劇を防ぐことが出来ず、下手人を挙げることすら出来ない現実には忸怩たるものがあったはずだ。
だからこそ、人一倍の強い義憤と信念を以て、脅かされる少女を救わんとして行動したはずなのだ。ここで見ず知らずの少女を救ったことで、クーベルネさんが本当に救いたかったアズミちゃんの何かが変わるわけではない。そんなことはわかっていて、それでも動かずにはいられなかったのだろう。アズミちゃんの件で心を病んでしまう程の後悔に苛まれていた彼女は、もしかしたらここで少女を救って見せることで、ほんの少しずつでも自分自身を赦そうと、無意識的に考えていたのかもしれない。
しかし運命というものは非常に残酷で。
実は救わんとしていた少女のほうが加害者で、大見得切って成敗した悪漢が本当は被害者であったのだ。その事実を突き付けられたクーベルネさんは『スンッ……』と表情を消し、怖いくらいに微動だにしなかった。
「お、おいアンタ……」
おっかなびっくりな様子の巨漢改め露天商さんに声を掛けられてようやく、彼女は刀を鞘へと納めた。その静かな所作には何故か妙な迫力があって、周囲の誰もが思わず目で追った。異様な静寂に包まれた場で、クーベルネさんは言う。
「腹を切ります」
は、と何人かの声が重なり、止めるどころか理解する猶予すら与えることなく、クーベルネさんはその場に正座すると大胆に上衣をはだけてしまう。よく引き締まった白いお腹と、やや小振りなバストを包むインナーを惜しげもなく曝け出し、彼女は腰の帯に差していた短刀をすらりと抜き放つ。
「おさらば!」
「うぅわあああっ!? だめですだめですぅ!!」
「うおお落ち着け姉ちゃん!? 普通に謝ってくれりゃあ充分だからなぁ!?」
間一髪で飛び掛かったケイさんと、被害者であるはずの露天商さんに押さえつけられて、クーベルネさんはじたばたと抵抗しながら「死にたーい! 死にたーいッ!!」と聞くに堪えない叫び声をあげている。往生際が良いのか悪いのかこれもうわかんねえな。
遅れて駆け付けたヴァイオラとリュウくんまで動員してなんとかクーベルネさんを鎮圧する。死ぬために全力全開の彼女はある意味ストッパーがぶっ壊れているので、大の男が三人がかりに魔物系の少女までもが揃いも揃って疲労困憊の様相だった。止めるためには最早手段を選んではいられない、とヴァイオラの魔法で簀巻きにされて猿轡まで噛まされたクーベルネさんは、しかしもう抵抗する気はないようで大人しく倒れ伏している。それはそれで今度はいきなり大人しくなり過ぎてて怖いんだよなぁ。
「ぜえ、はあ……ったく、今日は厄日かよ」
色々な意味で可哀そうな露天商さんが疲れたようにぼやき、そしてハッとなる。
「ああ!? てかあのガキどこ行きやがった!!」
そういえば、と思い出したようにケイさん達や周囲の野次馬があたりを見回す。クーベルネさんの暴挙が衝撃的過ぎたせいで全員の注意がそちらに集まってしまい、そもそもの元凶とも言える少女の姿を見失っていたのだ。
「あそこですっ!」
と、ケイさんが指差した先には確かにあの少女の姿があって、いつの間に移動していたのか、随分と離れた道の先で今まさに立ち去ろうとしているところであった。考えるまでもなく、騒動を囮にしてまんまと逃げおおせる魂胆なのだろう。
小柄な少女はおそらくまだ十にも満たないような年頃で、華奢過ぎる身体には薄汚れた襤褸を纏い、ざんばらに伸び放題の頭髪は元の色彩すらも判然としない程に薄汚れていた。素肌も垢や汚れ塗れで、どこからどう見ても浮浪児といった風体なのだ。その両腕に大事に抱え込んでいるものは、おそらく男性の店から盗んだという果物であろう。
完全に逃げおおせる前に気付かれたことを悟った少女は遠くから振り返り、そして薄汚れた顔面ににんまりと小癪な笑みを見せたのだ。
「きゃっきゃ! ばーかばーかっ! 今更気付いてももう遅いのじゃっ」
少女の迫真の演技にまんまと騙されて露天商さんの脚止めをしてしまったクーベルネさん達をあからさまに馬鹿にした表情と態度で見下した彼女は、意気揚々と踵を返して逃走しようとして、
「あばよーなのじゃ! きゃっきゃっへぷ!」
振り返った瞬間に眼前に立っていた人物のお腹に顔を埋める羽目になった。
まあ、私なんだけども。
「はぁいおチビちゃん」
「…………あれぇ?」
「気は済んだかな?」
逃げられないように細い肩を片手でがっしりホールドしつつ見下ろすと、少女は引き攣った顔で私のほうを見上げてきた。汚れ切った肢体の中で唯一色鮮やかな蒼い瞳が私の姿を映しだす。
私にぶつかった拍子に彼女の腕から転がり落ちたまあるい三つの果実を、地面に落ちる前に風魔法で絡めとり、もう片方の手の人差し指でバスケットボールよろしくくるくると旋回させてみる。なんとか三兄弟ではないが、三段重ねである。
少女は私に掴まれたまま振り返り、こちらに向けて走ってくる面々を見遣る。先頭を走るのは言うまでもなく怒り心頭な露天商さんであり、ヴァイオラだけは倒れ伏す簀巻きクーベルネさんの監視のために先程の場所に留まっている。
少女は悟ったような顔で再度私のほうを見上げ、にへらと笑った。
「……乱暴しないでくれると嬉しいぞ?」
「それは貴女の心掛け次第かしら」
「やだーーーーーーー!! はなせぇ! はなすのじゃーー!! 死にたくないーい! 死にたくなーい!!」
途端に大暴れし始めた少女だが、そんなので逃がすほど私の拘束は甘くない。なにせこちとらアヴァターである。馬力が違うのだよ馬力が。
というかその生への渇望と利己心をほんの一欠片でいいからクーベルネさんに分けてあげて欲しい。
先程の演技とは違って、今度はおそらくガチで周囲に救いを求めた少女は、そのタイミングでちょうど近くまでやってきたケイさんの姿を目に留めた。
「お? おおっ! そちは彗華ではないか! そんなものを着けておるからわからんかったぞっ!」
「え?」
ケイさんが目を丸くし、隣のリュウくんは警戒するように目を細めた。普段はケイとだけ名乗っている彼女が本当はケイカという名前であることは私も知っているが、もしやこの浮浪児とケイさんが知り合いなのかと思えば、呼ばれたケイさんのほうにはまるで心当たりがなさそうだ。
もう一つ、私が気になったのは、もしかしてこの子、今ケイさんが装備してる『認識誘導』をレジストしたのか?
「同郷の誼で妾を助けてたも! この牛乳女が妾をぶつのじゃぁ!!」
誰がウシチチか。ていうか、
「まだぶってないでしょ」
「ほれ! まだって言った! ぶつ気じゃ! 幼気な妾をぶつ気じゃぞこやつぅ!!」
まあ次にウシチチって言ったらガツンといく程度にはイラっとしてるけども。
そんなことを言い合っていると、不意にケイさんが「あっ!!」と声を上げた。視線が集中する中で、彼女は信じられないものを見るような目で、わなわなと少女を指差した。
「も、もしかして……『緑后』?」
「なんだって?」
呟いたのはリュウくんだったが、私も内心でまったく同じ反応をした。
この果物窃盗犯の浮浪児が、東方の地に君臨していた『緑后』とやらだと?
そんな馬鹿な。そもそも緑后とやらはベルフェルテの別名であったはずだ。そう私に説明したのは他でもないケイさんである。しかし、だからこそケイさんがこの少女を緑后と呼んだ事実を軽視出来ないのも確か。
無意識に力が緩んだ私の拘束を抜け出した少女が、ぴょんと跳ねるように躍り出る。
そして彼女は、威風堂々と傲岸不遜に名乗りを上げた。
「『緑后』とは世を忍ぶ仮の姿! しかしてその正体は、人呼んで『光の巫女』! 原初の聖女にして救世主! ルシア・ウルリッヒ・エーテルライトとは妾のことよぉ!!」
「え、ええええええっ!?」
決めポーズを添えた迫真の名乗りに、香ばしいリアクションを示してくれたのはケイさんただ一人であった。
それ以外の全員――私を筆頭にリュウくんも露天商さんも見物の野次馬も、例外なく白けた顔をしている。
「えぅ!? なんで皆さん、そんな薄味な反応なんですかっ!?」
「いやぁ、だってねぇ」
「この子今、結構すごいこと言ってましたよ! ねえ? あれ私がおかしいんですかぁ!?」
いや、仮にこの少女が本当にそういう存在で本当のことを言っているのだとしてもだよ。
見た目完全に小汚い浮浪児が、しかも果物をパクって逃げたとかいう情けない犯行の現行犯で、いきなりそんなカミングアウトされても普通に反応出来んわ。
図らずも純真なリアクションをしてしまったケイさん一人だけが、まるで空気読めてないヤツみたいな浮き方をしてしまっていた。
「ケイ、おまえはそのままでいいんだ」
「えぅっ、なんでリュウ君そんな優しい顔するの?」
「ケイさん、貴女はなにも悪くないわ。大丈夫」
「えぅっ! なんでスレイさんそんな綺麗な目で見るんですかぁ!?」
「なんか妾のせいですまん。もうちょっと雰囲気考えるべきだったのじゃ」
「えぅっ!? なんで貴女に謝られてるの!? え、なんで私が憐れみたいな空気にぃっ!?!?」




