422話_side_Militear_『剣の誓い』クランハウス
~"もう一人の転生者"ミリティア~
あれが噂の『天使様』か……。
クランハウス裏手の運動場の一角にて、私は初めて目にした彼女の姿を遠目に観察していた。
二十代半ばほどに見える妙齢の女性で、典型的な西方系の美形という趣だ。類稀なる美貌の持ち主であるというのはリタから耳タコほども聞かされていたことだが、最早信者と言っても過言でもないくらいのリタの熱の入れようなので、多分に大袈裟に言っているだけだろうとも高を括っていたが、こうして直に見てみると成程といった印象だ。
装いは珍しくもない討伐者スタイルだ。大きく胸元を開けたシャツに、脚線美を見せ付けるようなホットパンツ。軽装極まるその上に、踏破性を重視したゴツいロングブーツと、おそらく耐火装備と思われる厚手の外套を羽織っている。特に目を惹くのは首元を彩る真紅のスカーフで、さらけ出された豊満な胸元に視線を集めるのに一役買っているようだ。
一目見てわかる、自らの容姿の持つ力を理解していて、最大限に利用するための装いだった。確固たる自覚と自信がなければとても真似出来ないことで、体格云々を抜きにしても私には逆立ちしたって出来そうにない。
イザベルさんと連れだって現れた彼女は、にこやかな笑みを崩すことなく、陽性の空気を愛嬌と共に振り撒いている。
私が視線を悟られない程度にさり気なく観察を続けていると、イザベルさんと『天使様』はセラフィーナと合流し、彼女を連れてクランハウスの中へと入っていった。
入れ替わりでクランハウスから第二グループリーダーのサマンサさんが出てきて、どうやら先程までのミアベルVSルークの危険な空中模擬戦に思うところがあった様子の彼女は、当事者のミアベルとルークを地面に正座させて説教をかまし始めた。狩人の眼光などと揶揄されるサマンサさんの目力は本当に凄まじいので、彼女に睨まれると冗談抜きで大抵の人間は動けなくなる。当然ミアベル達も例に漏れず、神妙な顔で項垂れて昏々と反省をさせられていた。
これは長くなるぞ、と他人事のように思っていると、レックスが何気なく私の隣まで寄ってきた。
「スレイ・ハイゼンさんというらしいぞ」
「らしいわね」
「見覚え、聞き覚えは?」
「ない」
あんな人物は私の知る限り原作に登場していないし、その名前に聞き覚えもない。
尤も、あの姿はアヴァターだろうから外見はあくまでも参考程度にしかならないし、その名前もどうやら偽名くさいのでやっぱり参考程度にしかならない。
私にとって彼女という人物の印象とは、一言で言えば『リタ絶対救うマン』である。
そもそも原作では学院前期が始まった初期も初期の頃に魔物に殺されてしまうマルグリット・ル・ベリエという少女の運命を、現場に直接介入して捻じ曲げたのが彼女だ。それを皮切りに、次は同じく前期に発生したゴーレム騒動において致命傷を負ったリタを治癒して救い、それによって魔力暴走を起こしていたミアベルをも間接的に救っている。更には大型種の『フォートロード』が学院を目指して侵攻した際の迎撃戦においては、第三勢力として参戦した彼女は学院側の戦力を援護して戦い、魔物の戦略魔法から多くの味方を守ったのだとか。ここでもやっぱりリタの命を救っている。そしてつい先日、教会と東方人の諍いに巻き込まれた――というか自分から首を突っ込んだリタは黎明機関の修道士と戦うことになったのだが、その最終局面に介入した『天使様』は修道士を打倒し、窮地のリタを救っている。
……そりゃあ、リタがあれだけ熱狂的なシンパになるのも頷けるってもんだ。
助けすぎでしょ。てかリタ死にかけすぎ。
「生身の人間と全く見分けがつかなかったが、あれでアヴァターなのか」
レックスが顎に手をやって唸るように呟くので、私は相槌を打つ。
「完全に人型のアヴァターというのはわりと珍しい部類だと思うのだけど、それならプリセットの装備を解除して普通の衣服を身に纏えば、アヴァターに見えなくてもおかしくはない……はず」
最後自信なさげになってしまったのは、とはいえ私自身が実際のアヴァターというのをそれほど見たことがないからだ。回数ではなく、人数ね。リゼルのアヴァターだったら腐るほど見てるし。
アヴァターを纏う者というのは即ち魔法使いのハイエンドである『転神』という技法の遣い手であるということだ。転神を使うことが出来る魔法使いは凡そ百人に一人程度と言われている。そもそも魔法使いという人種が希少なので、その中でも更に一握りというと選ばれた者感が強くなるが、これって例えれば、今年のエンディミオンの一年生の人数がだいたい三百人くらいだから、一学年に三人くらいは転神を使えるという計算になるだろう。三学年なら九人だ。あくまで統計的な平均値なので、世代によって上振れたり下振れたりはするだろう。ついでに言うと、転神を使えるようになる年齢というのも個人差がある。生まれつき使えるという人も居れば、ある日突然目覚める人も居る。ただ、大部分は魔法というものに対する理解度に応じて発現するとされるので、大抵は遅くとも十代のうちに発現するし、そこで使えるようにならなければ以降は望み薄ということになっている。
話を戻して、『天使様』のアヴァターについてだが、
「アヴァターが美女の姿をしているっていう人間は、どういう人間だと思う?」
私が問うと、レックスは考えながら答える。
「転神のアヴァターというのは魔法使い本人のアイデンティティの具現であるとされるのが一般的だな」
「ええ。でもそれって『そうだろう』って権威が言っているだけで、実際定かじゃないわよね」
「そもそもデータのサンプル数が少ないからな」
それを踏まえた上で、とレックスは続ける。
「本質的に美しい女性である。あるいは、転神前からそういう顔をしている。そんなところか」
「どっちだと思う?」
「わからん。心根が聖人じみた人間だから、アヴァターも美しい外見を有する……という可能性を否定したくはないが、まあ現実的に考えればそんな人間はそうそう居るまい。というか俺個人の見解としては、人が人である限り、そんな存在は現れないと思っている」
「色々な宗教に喧嘩売るような発言ね」
「だから俺は無宗教なんだ」
悪びれもせずに言って、レックスはお得意の肩を竦めるポーズを見せた。
魔法使いのアヴァターが、術者本人と縁深い姿をしているという通説は否定するつもりもない。それはおそらく事実だろうと思う。ただ、例外が無いとは誰にも言い切れないというだけで。
別に『天使様』がそうであると言っているわけでもなくて、単に可能性を見落とさないために言っただけだ。もう一つ、これは事実の話になるが、アヴァターの外見は術者の意思で選んだり変えたり出来るものではなく、本質的に自然と決まるものなのだ。
私自身が知っている転神遣いを例に考えてみると、まずリゼルだ。彼女のアヴァターは鳥獣の特徴を有する竜の姿をしている。これはおそらく彼女自身の『願望』の現れであると思う。鳥のように空を駆け、竜のように強くありたいという願い。リゼルという女の子がハートアート家に拾われる以前の、決して真面とは言えない出自に由来する根源的な願望だろう。
それから、例えば騎士ローゼンハインだ。『王国最大の騎士』『火竜伯爵』と数々の異名を有する彼の御仁のアヴァターは有名だ。小山のような巨体を有する異形で、まるで火山が意思を持って歩いているかの如き苛烈さと威容を誇るのだとか。これは私の想像でしかないが、たぶん騎士としての『使命感』の現れがそのアヴァターなのだ。王国を外敵から守護する最強の砦にして、火竜の如く侵攻する最強の槌でもある。かくあるべしと自身に使命を課した結果の姿だ。
あるいは、原作主人公のミアベル・アトリーはどうだろうか。彼女のアヴァターは外見的には生身と殆ど変わらなかった。違いは装束の意匠と、生身の時はショートだった頭髪が長く伸びることくらいだったと思う。これは主人公ミアベルの『克己心』の現れであった。言い換えれば彼女の特性である『くそつよメンタル』の具現。どんな状態にあろうとも自分は自分、だから転神しても肉体的に大きな変化はなく、しかし多くの仲間や周囲の人々から受け取った絆や力も無碍にはせず、全てをその身に纏う。特に影響が大きかったのは、原作ではシスターレイチェルとユフィ先輩の二人だっただろう。原作主人公のアヴァターは確かにその二者の趣が濃く表れているデザインだった。
では、同じく原作のプリムローズの場合はというと、
「敢えてなのか、原作者はなにも明言していなくて、読者の想像に任せる部分が多かったけど、プリムローズのアヴァターは『自意識』の現れであるという説が有力だった」
「確か、原作の彼女のアヴァターは媚態的な女悪魔の姿、だったか?」
その通り。ドエロいやつ。
ゲスロリなどと呼ばれた彼女の矮躯は、本人が認めようが認めまいが間違いなくアイデンティティーと言える特徴だっただろう。だというのにアヴァターのデザインがそれを真っ向から否定するものであったのは、それだけ彼女の自己認識が強かったからだ。
つまり、彼女は自らをそういうものであると認識していたのだ。
世界の正義である主人公と相対する巨悪として自身を規定し、そしてそれ故に彼女にとっての『悪』の姿を取った。そして女悪魔のアヴァターが美しい外見をしていることには合理性がある。何故って、自分は誰よりも美しいという傲慢は紛れもない悪徳であるからだ。
まあ、結論を言えば、結論など出ないということだ。
だって自分自身の本質すらもわからないのに、他人の本質なんてわかるわけがない。アヴァターというのはむしろ、本来誰にもわからないはずの人間の本質を映す鏡でもあるのかもしれないとすら思う。
「レックスが考えてること、当てましょうか?」
「うん?」
傍らの彼を少し得意げに見遣り、私はその内心を予想して口に出す。
「『天使様』の正体がプリムローズかも、って思ってるんでしょ」
「ということは、ミリティアさんもそう思ったのか?」
「思ったこともあるけど、幸いにもと言うべきか、それはとりあえず否定されてそう」
私やレックスと同じく前世の記憶を有する転生者であるプリムローズの中の人が、善性の存在――つまりいい人であるというのは認めざるを得ないところである。なんというか、行動の節々からね。
この時点で、彼女のアヴァターはもう原作とは違う可能性があるし、逆に同じ可能性もある。
要は彼女の自己認識というアイデンティティーが前世の記憶にあれば、アヴァターは前世の容姿をしているかもしれないし、自分はプリムローズであるという確固たる自意識があれば原作通りの姿をしている可能性もあるのだ。
「俺の予想は、彼女は『転神前からあの顔だった』ならぬ『転生前からあの顔だった』という説だな」
「元からあの顔だったという点はあってる」
「というと?」
「単純に、彼女の素顔を知ってる人が居るのよ」
つまるところがここまでの議論は一切意味がないのであった。
誰かというと、先程彼女と一緒に立ち去っていったセラフィーナだ。
「セラフィーナさんがリタと話していたのだけど、どうも彼女、アヴァターでない『天使様』と実際に会ったことがあるみたいね」
「それはそれは。マルグリット嬢が羨ましがる姿が目に浮かぶな」
「うん。ちょっとドン引きするくらいの反応してたわ」
セラフィーナの話では、『天使様』の中身はどちらかというと東方系の容姿を有する女性だったらしい。といっても面立ち自体はアヴァターのそれと殆ど変わらないと言っていたから、もしかすると混血の人種とかなのかも。
身近なところで言うとイオがまさしくその系譜なのだけど、つまり東方系のルーツを持っている西方人ということだ。
「セラフィーナさんが敢えてそこで嘘を言う理由もないだろうから、たぶん本当のことだと思うのだけど」
「だが伝聞には違いない。俺としては確証が欲しいところだ」
「そうね」
何故私達がこうも彼女の正体を気にするのかというと、勿論味方になって欲しいからだ。
彼女が凄まじく強力な魔法使いであることはこれまでの実績が物語っているし、自らが危険な前線に立ってリタを始めとした多くの人を救ってきた行動には素直に敬意を抱く。
そして彼女の軌跡だけを見れば、私と同じ理念で行動している可能性は決して低くはないはずなのだ。つまり、よりよい結末を求めるために行動しているという説。ハッピーエンド厨でも原作死にキャラ救済路線でもメアリー・スーでもなんでもいい。同じ方向を向いてさえいれば。
切実な事情として、私達には戦力が足りない。
今のままではミアベルを勝たせるとか以前に、圧倒的戦力差によってプリムローズ陣営に轢き潰されかねないのだ。だってたぶん、ミアベルを除いた私達全員が束になって掛かったところで、マリア様一人に一蹴されるのが目に見えているから。なんてったって続編における原作最強キャラだ。そのマリア様が明確にプリムローズの側についている以上、プリムローズを倒すにしろ説得するにしろ、少なくとも拮抗状態に持ち込める戦力がなければ話にならない。
「……どうするつもりだ?」
「そりゃあ、喋ってみるしかないでしょ」
慎重に問い掛けてきたレックスに、敢えて軽く応じる。
彼女がどこの誰でなにを思って行動しているとしても、とりあえず真意は知りたい。その上で協力出来るなら一番だ。
レックスは難しい顔をしているが、最早この役目は私が担うしかないのだ。レックスの当初の想定では、彼が見せ札となって振舞い、私という転生者の存在を秘匿する方針だった。しかし私が花告祭の独断専行でプリムローズと接触してしまったので、否応なく役割は逆転したのだ。
と、私はついでに思い出す。そういえばあの時、プリムローズは……
「ねえレックス。プレゼンってしたことある?」
「は? あ、ああ。まあそれなりに」
「今度やりかた教えてよ」
「はぁ……?」
流石に今から教えを乞うたところで付け焼刃にも程があるので、まあ今回のところは。
「当たって砕けるとしますか……!」
「カッコつけて言うことじゃないぞ」
◇◇◇
夕暮れ時。
クランハウスのエントランスで私は一人待っていた。
落ちる陽が窓から差し込み、視界を黄昏色に染め上げ、私の影が長く伸びる。受付係の女性は来客がなければ裏で事務仕事をしているので、図らずもこの場には私が一人きりだ。
エントランスの天井に設置された年季もののシーリングファンが、西日を鈍く反射して輝いている。くるくる回る反射光に踊る影法師に、私はミラーボールを思い出して、それが少しだけおかしくて、微かに笑った。
待ち人は、内から来たる。
見送りなのかイザベルさんを伴って出てきた彼女に、私は相対するように、ともすれば立ちはだかるように立ち位置を変える。一緒に居たはずのセラフィーナの姿は見えず、イザベルさんは西日の眩さに目を眇めながらも、待ち構えていた私の存在を訝しんだようだった。
もしかすると、彼女の側からは私の顔は逆光になって見えないかもしれないけど、だから私からは彼女の顔が良く見えた。
私は静かに、口を開く。
「少し、お時間いただけますか」
そう、言うと。
夕陽の中の彼女は、まるで予定調和と言わんばかりに涼やかな笑みを浮かべた。




