398話_sideout_結界内_夜半
虹色の輝きが収まった後、その場にはマルグリットの荒い息だけが聞こえていた。凄まじい力でクロスを圧倒した彼女であったが、流石に魔力の消費は如何ともし難いのか、怒涛の攻勢で内在魔力の大部分を使い切ってしまったようだ。蒼い顔をして息を荒げるその症状が、魔力枯渇による不調であるのはケイにもわかる。
ケイはふらつく脚を叱咤してなんとか立ち上がると、恐る恐るクロスの様子を窺ってみた。傍まで近付くのは憚られるので、少し離れた所から様子を窺うと、彼は虹色の巨大斬撃が炸裂した爪痕の真ん中に横たわっていた。遠目に見ても明らかなくらいに死んでいる。というのも、どう見ても首がおかしな方を向いているからだ。あの一撃を浴びたにしてはクロスの身体は原型を留めているように思うが、しかし首を始めとした全身の至る所があらぬ向きに曲がっていて、まるで巨大な手に握り潰されて圧縮されたみたいな有様だった。
おそらく、クロスは自身の結界に潰されたのだ。最後の一撃に対してクロスが展開した結界はそれなりに役目を果たしたらしい。だがマルグリットの攻撃の威力と範囲が大き過ぎたせいで、全方向からの外圧に耐えられなかったクロスの結界は内向きに崩壊して、皮肉なことに遣い手自身を潰したのだろう。
「!――リュウ君は!?」
もしクロスの魔法がリュウを生かしていたのだとすれば、彼が死んだ今、リュウの命が危うい。
ケイが慌ててリュウのほうを見ると、彼は変わらず横たわって血を流していたが、辛うじて息はあるようだ。
すると、マルグリットが息を整えながら言う。
「クロスの力は、結界内で、並列する事象の発現確率を操作してた……」
「ど、どういうことです?」
「結界内では無数の事象が並列していて……基本的には最も確率の高いものが現実になるんだけど、観測者だけはそれをある程度操作できるっぽい。この結界が解ける時に、あたしがリュウさんを観測して確率を操作をすれば……」
「リュウ君の怪我はなくなる……?」
ケイが現実感のない声音で呟くと、マルグリットは「少なくとも致命傷ではなくなる」と少々不安になる返事をくれた。
ここでいう観測者とは、結界の主であるクロスと、同質の力を持っていたマルグリットだ。つまり結界が自然崩壊して消滅する際に、マルグリットがクロスの死を確定すればそれが現実になるし、逆にリュウの致命傷を確定しなければ彼が結界内で致命傷を負ったという事実はなくなる。
おそらくマルグリット自身も理論立てて理解してはいない様子だが、ケイは彼女の説明からそのように理解していた。
ついでに言えば、クロスのその能力によって自分やリュウは本来確定しないはずの低確率事象を見せられてしまい、観測者であるマルグリットにだけはそれが通用していなかったのだ。
この『確定しない並列する事象』というのが、クロスの結界の根幹をなす論理であったことは想像に難くない。
「ケイさん、動けるなら、リュウさんを移動させよう」
「え? あ、はいっ」
「結界が解けたら、大騒ぎになる。その前に離れておかないと……」
それはそうだ、とケイは思い至る。この場に自分達以外の誰の姿もないのはクロスが結界によって隔離しているからで、本来はこの場は多くの人々の往来で賑わう十字路であるはずなのだ。クロスの結界が消滅すれば人々の視線が戻ってくる。ぐにゃぐにゃのクロスは放っておくとしても、その下手人として関与を疑われるのはどう考えても拙い。幸い、術者本人が死んでも予め結界に注がれていた魔力が尽きるまでは魔法が解けることはない。ただ、結界の規模からすれば猶予は然程ないだろう。
今のうちに、リュウを連れて人目のない場所に身を隠す必要がある。
マルグリットは取り落としていた自身の得物であるレイピアを拾うために歩いていき、ケイもそれに倣ってリュウの愛刀を回収する。結界が解けた際に何がどれだけこのまま残るのかわからないが、出来るだけ自分達の痕跡は消しておくべきだ。既に夜も更けた時間帯だろうが、未だ通りを出歩いている人は少なくないだろう。そんなところにいきなりぐにゃぐにゃの死体が現れたら驚くだろうな、とケイは見ず知らずの目撃者達に少々同情する。
その拍子に、なにげなくクロスの死体のほうへと視線を向けて、
「は?」
目が合った。
あらぬ方向に曲がった首を持ち上げて、クロスがケイのほうを見ている。その顔面の半分ほどは皮膚がべろりと削げ落ち、しかしそこから覗いている大部分は赤い血肉ではなく金属の光沢だ。
ケイが固まっている間に、クロスは難儀そうに片腕を持ち上げる。ぐにゃぐにゃの腕を苦労しながら翳した先には、背を向けて歩くマルグリットの姿があった。
「ッ避けて!!」
咄嗟だった。
確証もなく、直感に従ってケイが叫んだそれが、マルグリットの命を救った。
クロスの腕の先から放たれた弾丸のようなものが、マルグリットの右肩の辺りを貫通して抜ける。ケイの叫びに反応して身を翻していなければ、心臓を貫かれていた位置だった。
鮮血が溢れる傷口を押さえて身構えるマルグリットと、身が竦んでしまって動けないケイの視線の先で、クロスは立ち上がろうとしたようだった。だが彼の身体はどこもかしこもバラバラで、真面に立つことは出来ず、半分頽れるようにその場に蹲るのがやっとだった。
「いやはや……スキンが台無しだ」
クロスはその状態で普通に言葉を発した。信じられないことに、見た目からは想像も出来ない平静極まる声音であった。
「これ程までに傷付けられたのは初めてですよ」
「冗談でしょ……そこいらの魔物よりよっぽどバケモノ染みてんな」
「それこそご冗談を。義体技術は歴とした人類の英知の結晶。魔物と同列に語るなど有るまじきことです。この技術によってどれだけの人々が救われてきたと思っているのですか」
悍ましい、とケイは感じた。
義体という技術自体は知っているし、否定するつもりなどない。
だがクロスの有様はどう考えてもそんな領域の話ではない。彼の顔面の下から現れた金属の髑髏が義体であると言うならば、彼は自身の頭部すらを義体化しているということだ。あれだけ折れ曲がりながらも平然としているあたり、おそらく全身がそうなのだろう。
ケイは思わず自らを掻き抱いた。恐ろしかったのだ。何故ならば、クロスのあの有様こそが、彼がケイに施そうとしていた所業の結果に他ならないと理解してしまったからだ。
マルグリットの瞳に先程の虹色の輝きは既にない。険しい顔でクロスを睨む彼女は、魔力の大部分を使い切ってしまったのだ。致命傷を免れたとはいえ右肩に被弾したせいで剣を振るうことも出来ず、そもそも彼女の拳は結界を叩き続けたせいでボロボロなので、実体の剣を真面に握ることも出来ないだろう。
自分がやるしかない。ケイは自らを鼓舞する。
クロスが怪物のように立ち上がったからなんだというのだ。満身創痍には違いないのだから、マルグリットを攻撃した仕込み武器にだけ注意すればケイでも制圧は可能かもしれない。魔力が枯渇しかけているのはクロスとてきっと同じはずだ。だとすれば、リュウを惑わせた時のように偽りの事象を見せることは出来ないはずだ。
「形態記憶武器……レストレーション・アームズという物をご存じですか?」
不意に、クロスがそんなことを言う。
聞いたこともない言葉だが、そんなのにかかずらっている場合ではない。
「私が振るっていた武器がそれなのですが、予め記憶させておいた複数の形態を任意に使い分けることができる、黎明機関謹製の武装なのですよ」
それがなんだ、と思いながらもケイが刀を握ってクロスに接近しようとすると、
「つまり……レストレーションです」
クロスの宣言と共に現れた変化は劇的であった。
メチャクチャに砕け折れていた彼の身体が、奇妙な金属音と気色悪い湿った音を立てて元通りの骨格を取り戻していくのだ。思わず足を止めたケイは愕然と悟る。全身を義体化しているクロスは、その義体を武器形態の一つとしてレストレーション・アームズとやらに記憶させていたのだ。スペアなのかはわからないが、複数の義体製骨格を。そして破壊された義体を、別の健在な義体に交換したのである。
「さて。ふむ……まあ、多少見苦しいのは仕方ありませんね」
ほんの数秒で、クロスは嘘みたいにすっくと立ち上がる。骨格が元通りになっても傷付いた外観まで治るわけではないので、衣服の損傷や剥がれた外皮はそのままだ。戦場で損壊した死体がそのまま動いているかのような不気味な姿であった。
クロスは無造作に、しかし滑らかに片腕を持ち上げると、再びマルグリットに向けて翳して見せた。それが何を意味しているのかは明らかであったが、傷付き消耗したマルグリットは咄嗟に躱すことが出来なかった。
クロスの腕から甲高い金属音と共に放たれた弾丸が、マルグリットの右の腿を抉る。
「ぅあっ!?」
堪らず膝をついた彼女に、クロスは靴を鳴らして歩み寄り、その途中で更に一発を放ち、それはマルグリットの左の上腕を撃ち抜いた。
情けないことに、その時になってようやく我に返ったケイが彼を阻止しようと駆け出すと、クロスは見もせずに結界を展開して行く手を遮った。ケイが今の全力で刀を突き立ててもびくともしない結界は僅かに虹色の輝きを帯びていて、結界越しに見えるクロスの瞳もまた、微かだが虹色の輝きが燈っている。先程までの攻防に比べれば遥かに弱い力だが、それでもケイにとっては絶望的なまでの障害となって立ちはだかっていた。
「もう一度だけ訊きますが、私と共に来るつもりはありませんか?」
蹲るマルグリットの眼前に遂に至ったクロスが、義体に仕込まれた銃口を彼女の額に突き付けながら穏やかに問う。
マルグリットは緩慢な動作で視線を上げるが、魔力枯渇の不調に加えて、血を流し過ぎたせいか既に意識も朦朧としている様子だった。それでも彼女は、負けん気を口に出してみせた。
「死んでも、や」
「残念です……では、最期に言い残すことはありますか?」
意趣返しのような台詞だが、きっとクロスはただの善意で問うているだけなのだ。
するとマルグリットは、ゆるゆると首を動かすと、結界に阻まれて近付けないケイのほうを見る。
そして言うのだ。
「ケイさん……ごめんね」
その言葉に、ケイは崩れ落ちる。
謝るのは自分のほうだ。すべてケイのせいだった。自分が彼女を巻き込んだのだ。
遺言を聞き届けたことで満足したのか、クロスは小さく祈りの言葉を捧げ、そしてその腕から弾丸を放った。金属音と共に炸裂したそれは、マルグリットの無防備な額へと吸い込まれ――
「そうはいかんざきぃッ!」
――ることはなく、狙いを大きく外してあらぬ方向へと飛んで行った。
凄まじい速度で飛び込んできた『何か』が、クロスの頭を真正面から蹴り飛ばしたからである。
金色の風が吹いた。
その眩さに目を細めたケイは、一拍遅れて、それが金の魔力で創られた羽根が無数に舞い散る絶景であると気付く。
一人の女性であった。
マルグリットを守るように、彼女に背を見せてふわりと滞空している。討伐者らしい装いをした美しい人物であったが、容姿などよりも目を惹くのは、その背に雄々しく羽ばたく金色の翼と、頭上から淡い光を降らせる金色の円環だ。
この世のものではないかのように、荘厳で、神聖だった。
神というものに対する信頼をすっかり失っていたケイにすら自然と跪かせるような、ただただ侵し難い、神々しいまでの威があった。
「アンジュ、様……?」
呆然と呟くマルグリットに、アンジュと呼ばれた女性は肩越しの苦笑を向けた。
「貴女さぁ、なんでいっつも死に掛けてるの?」
「夢じゃ、ない……?」
「夢で逢いたければ、眠りなさい。あとやっといてあげるから」
まるで状況にそぐわない、緊張感のない台詞であったが、アンジュの言葉にマルグリットは心底から安堵したような淡い笑みを浮かべて、その場に倒れた。座り込んで眺めていることしか出来ないケイは、自分を阻むためにクロスが展開していた結界がいつの間にか消えていることに気付く。
クロスが死んだか気を失ったのかというとそんなことはなく、彼は蹴り飛ばされて傍の建物の壁をぶち抜いて姿を消していたが、すぐに瓦礫を弾き飛ばしながら出てきた。
「私としたことが、貴女方への警戒が疎かになっていましたか」
「そうみたいね。この子が頑張ったおかげかな?」
貴女方、という表現から察するに、どうやらアンジュは一人で現れたわけではなさそうだった。おそらく結界内に侵入した彼女等の存在をクロスは把握していて、この場に辿り着けないように能力で妨害していたのだろうが、マルグリットとの攻防でそれに割けるリソースがなくなった結果として介入を許してしまったのだ。
アンジュは宙に浮かんだまま肩を竦める。
「ま、私にとっては遅かれ早かれって話なんだけどね」
「貴女がどこの誰でも構いませんが、……ただ、その姿は許されない」
ケイは教会の教えには詳しくないが、その概念だけは知っていた。
アンジュの姿はまさしく『天使』なのだ。ケイでも知っている一般的な教養レベルの認識によると、天使とは主が遣わした代行者であり、類稀な美貌を有する若い男女の姿をしていて、背には光の翼を有し、頭上の円環にはあまねく闇を退ける光を湛えているのだという。
どこからどう見ても、天使そのものである。
「天使を信じるくせに、天使の姿をしたものを天使と認めないのはなんなのかしらね?」
「それが冒涜だからです」
「てか、貴方のそのビジュアルのほうが余程冒涜的で許されざると私は思うけど」
蹴り飛ばされた際に更に外観を損傷したクロスの姿は、どう言葉を繕ってもバケモノとしか言いようがない。内部の義体を隠していた外皮は半分ほどが削げ落ち、生身と金属の毒々しいコントラストを描き出している。
ケイとしてはアンジュの言葉に全面的に同意だ。
むしろ、あのクロスを目にして少しも動揺したところがないアンジュの豪胆さが凄いと思った。まるで、そんな醜悪は見慣れていると言わんばかりに、微塵も引いたような素振りがないのである。
「悔い改めよ!!」
怒りがクロスに活力を与えたのか、彼の瞳が虹色の輝きを放つ。
翳した手の先に居るのは当然アンジュだ。
視えない攻撃が来る、とケイは悟った。リュウの腕を切断したアレだ。アンジュの正体はわからないが、状況的にも心情的にも味方に違いないと思ったケイは彼女に注意喚起をしようとして、しかしそれよりも早くアンジュが呟く。
「先制反撃、『改竄』」
次の瞬間、腕が飛んだ。
アンジュの、ではなくケイのでもなく、クロスの腕だ。
彼がアンジュに向けて翳していた腕が、なんの脈絡もなく上膊から切断されて宙を舞ったのである。中身の大部分が義体なので出血は殆どなく、肉塊ではあり得ない重苦しい音と共に地面へと落ちる。
クロスは更に反抗し、もう片方の腕を翳し、
「『改竄』」
その腕もまた同じ命運を辿った。
ケイは勿論、きっとクロスにも何が起きているのかさっぱりわからなかったに違いない。瞬く間に両腕を失ってしまったクロスは、それでも険しい顔でアンジュを睨みながら闘志を滾らせていた。
例え両腕がなくなったとしても、クロスにとっては重大な損傷ではないのだ。何故なら彼には義体を交換するという手が残されているからだ。
クロスは口を開いて何かを言おうとして、
「『改竄』」
今度はその右足を斬り飛ばされてバランスを崩す。
そのまま倒れそうになるクロスは、それすらも許されなかった。
「『改竄』」
左足が飛ぶ。
四肢の全てを失ったクロスは、衝撃に泳いだみたいに束の間だけ宙に浮き、
「座標指定、『拘束』」
四方から飛来した不可視の刃のようなものに全身を刺し貫かれて、虚空に磔にされた。
不可視の刃はそれ自体が白く煙るような冷気を発していて、見えない輪郭を朧気に浮かび上がらせていた。ケイがこれまでに見たことも聞いたこともないような、複雑なディテールを有する長大な刃が七本、深々とクロスの全身に突き立っている。
ピシピシと、微かな音がする。
刃が突き立った箇所を起点として、白い冷気がクロスの身体を侵食し、尋常でない速度で凍結させていくのだ。
「あ、あが、ああ」
義体が機能不全でも起こしたように、壮絶な表情で呻き声を上げるだけのクロスに、アンジュはなんの感慨も伺えない表情を向けていた。
恐ろしいのは、結局アンジュはここまで指一本すら動かしていないということだ。
だが、そんなことが些事に思えてしまうほどに、ケイは彼女の瞳こそがなによりも恐ろしいと感じた。
夜明け前の空を思わせる、澄んだ瑠璃色の瞳だった。
美しいのに、あるいは美し過ぎるからか、あまりにも冷たい。
彼女はその視線のまま、不釣り合いなまでに軽やかな口調で、口を開いた。
「アレの同僚っていうから、どんなバケモノかと思えば」
ふっ、とその艶やかな唇が笑む。
「なんだゴミか」
その評価をクロス本人が聞けたかはわからない。
その時には彼は既に余すところなく全身が凍結して、物言わぬ氷像と化してしまっていたからだ。
アホみたいに口を開けたまま眺めているだけのケイには目もくれず、アンジュは翼と円環を消して地面に降り立つと、徐に背後に振り返って声を掛ける。
「りーだー! 終わったよー」
その呼び声でケイは初めて気付いたのだが、いつの間にかアンジュの後ろに歩み寄ってきている別の人影があった。
軍人染みた装いの上に白いサーコートを纏った長身の男である。
「ご苦労。ところでその修道士が弱っていたのは彼女の働きによるところが大きいと俺は思うのだが」
リーダーなる男が示すのは倒れ伏したマルグリットである。
アンジュは頷く。
「そうね」
「……良いとこ取りをした挙句にイキり散らすのは相当に情けないと思うが、そこのところは」
「イキれる時にイキっとかないと勿体ないでしょうが。ダサいのは認める」
「…………まあ貴女がそれでいいなら、俺は構わんが」
緊張感の欠片もない遣り取りを交わす彼等は結局何者なのか。
マルグリットの反応から顔見知りではあるようだが、ケイにとっては得体の知れない救援者でしかない。
「あ、あのっ!」
だが、だとしてもまごついている場合ではないのだ。
マルグリットが倒れてしまった今、本当にリュウの命が危ういのだ。もしこのままクロスの結界が消滅すればリュウの致命傷が確定した事象となってしまう。というより、クロスとマルグリットが共に倒れた以上、それは最早避けられないのだ。
だとすれば、真っ当な手段で彼の命を繋ぐしかない。
声を発したケイのほうにアンジュと男が同時に向き直り、そしてケイは言葉に詰まる。考えなしに呼び掛けてしまった後で、自分の容姿が魔物と化していることを今更思い出したのだ。
「あ、あの……」
「この女性が?」
「ええ。修道士のターゲットだった東方人ね」
ケイの憂慮を他所に、小声で言葉を交わすアンジュ達はケイの容姿のことも、更にはケイがクロスに狙われていたという経緯すらも把握している様子だった。その落ち着いた雰囲気に希望を見たケイはリュウの救命を願った。
対するアンジュはケイの言葉を聞くのもそこそこに、明後日の方向へと顔を向けて言葉を投げる。
「ヴァイオラー! その人どう? 助かる?」
どれほど周りが見なくなっていたのか、ケイはまたしても気付かなかった自分に驚く。
いつの間にかリュウの傍に新たな人物が居て、しゃがみ込んで彼の容態を見ているようだ。冗談みたいな赤一色のコートが矢鱈と目を惹く男だった。彼はアンジュに向けて軽く手を振ってみせた。
「大丈夫。死にはしないってさ」
「ほ、ほんとですかっ!?」
「うん。てか貴女、他人の心配してる場合じゃないでしょソレ」
アンジュはケイの呪詛のことを言っているのだろうが、その言葉にケイは口元を緩めて首を振った。
いいのだ。それはもう。
リュウもマルグリットも生きていてくれるならば、後はもうケイが自身の始末をつけるだけだ。ずるずると生きてしまったケイの未練が、この事態を招いたのだ。もっと早く決断して、自らにケジメをつけていれば、クロスに目を付けられることもなく、友人達が傷付くこともなかったのに。
ケイのその表情を見たアンジュは、その美貌を彩っていた笑みを消して、何かを言い掛けた。
だが、それよりも先に、微かな魔力の動きと共にアンジュと傍らの男、そしてリュウのところに居るヴァイオラなる男が一斉に反応した。
「コール?」
呟き、アンジュ達が耳元に手を当てると通信用と思しき魔法が展開する。
ケイの視覚はほぼ魔物と同等になっているので、見ただけでそれが通信魔法であると理解出来るし、音ではなく魔力の動きによって内容を伝達するそれは通常の手段では聞き取れないはずが、ケイにとってはむしろ意識せずとも良く聞き取れてしまう。
通信相手は太い声音の男性であるようだった。
『件の修道士は片付きましたかな?』
「ああ。無力化した。そちらの首尾はどうだ」
リーダーの男が代表して通信相手に応じるのを、ケイは空気を読んで黙っている振りをしながら耳を傾けていた。もしかすると、聞こえているのがわかっていて見逃してくれているだけかもしれなかったが。
『……隠蔽用の結界で修道士の結界を上書きする準備は整っておるのですが、』
「なにか問題があるのか?」
クロスが氷漬けになっているので、彼が構築した結界は籠められた魔力が切れた瞬間に崩壊する。そうなると結界内の者達は外に放り出されることになるので、それを防ぐためにアンジュ達の仲間が結界を引き継ぐ算段を立てていたのだろう。クロスのそれと同じ結界を維持するわけではなく、単なる封鎖用の結界で上書きするだけだ。
しかし、と通信の相手は慎重な口調で続ける。
『結界が揺らぎません』
「なに? というと、つまり」
訝しむ面々に、通信は低い声で告げた。
『ええ。既に、今まさに、別の誰かが結界を上書きしておるのですなぁ』




