394話_sideout_結界内_夜
「ケイさんはゴミじゃないし、死んでなんかないッ!!」
マルグリットの叫びに、クロスは聞き分けのない子供を諫めるような口振りで答えた。
「ええ。ケイという方はゴミではありません。ですが既に亡くなっています」
「死んでない! だってここに、」
「それは違います。かつてケイという女性だっただけの、ただのゴミです」
よいですか、とクロスは理を説くように続ける。
「人を人たらしめるのは肉体ではなく魂です。故にそのゴミは既に人ではないのです」
「呪詛の効果で見た目が魔物っぽくなってるだけでしょ! むしろ、だったら目に見えない魂は人間だってことじゃんか!」
「はい。いいえ、そうではありません。貴女の仰ることは順序が逆なのですよ。呪詛は魂に巣食うもの。何故ならば魔力は肉体ではなく魂に由来するものだからです。つまり、魂が呪詛に侵され、人ではなくなったからこそ外見にもそれが現れているに過ぎないのです」
マルグリットにはクロスの言葉の真偽はわからない。
ここで真偽を証明することなど出来ないし、仮に偽だとしてもクロスがその結論を受け入れることなどあるまい。
「だとしても、だから死んだって言うのは気が早いっていうかッ! それに殺していいわけがない! だって呪詛さえ解けば元に戻るん――」
「戻りません」
穏やかに断ち切られた言葉に、マルグリットは「え?」と目を見開く。
クロスは沈痛気な表情で首を振った。
「呪詛を解いたとて、戻ることはありません。だからこそ、既に死した、と申し上げているのです」
「そんな……! だって、解呪する方法があるって言ったんでしょ? それは嘘だったの!?」
マルグリットが言及しているのは、今朝早くにギルドのカフェテラスでクロス達がダイ・シシドに語った内容である。マルグリットはダイから直接聞いたわけではなく、リュウを経由して又聞きしただけなのだが、少なくともその『解呪』というワードを武器にしてクロス達がダイとの交渉に臨んだという経緯くらいは把握していた。
「シスターラクスがミスタ・シシドに説明した内容ですね? 勿論、彼女は嘘など申しておりません。そして私は今、こう申し上げたのです…………呪詛を解いても、元に戻ることはないと」
「元に戻らないんなら、解呪じゃない!」
「それは流石に横暴というものではありませんか? 少なくとも我々は誠意を尽くしているつもりです。一切の偽りなく交渉の席に着きました。我々は実際にその呪詛の正体を掴んでいますし、抗する手段も有している。解呪することも可能ですし、実績もあるのです。そしてその上で、事実として知っているだけなのですよ。その魂の変容は不可逆である、と」
それこそ、とクロスは肩を竦めた。
「時間でも戻せば、あるいは元に戻るのかもしれませんが」
遠回しに『絶対に不可能だ』と言っているのだと、いくら察しの悪いマルグリットでも理解出来てしまう。
「じゃ、じゃあ……救うっていうのはなんなの? ケイさんを救うって言ったんでしょ……? それで、どうやって救えるってのよ!?」
腕に力が入り過ぎたのか、それとも全身が震えているせいか、マルグリットがクロスに突きつけたレイピアの切っ先は見てわかるほどに揺らいでいた。
呪詛は解ける。しかし魔物同然に変貌してしまった外見は治らない。そこにどんな救いを持ってこようというのか。
なにを持ってくれば救いだなどと宣えるのか。
実のところ、マルグリットはクロスの答えがどういうものか、十中八九わかっていた。それでも問わずには居られなかったのだ。
そしてクロスは揺ぎ無く答えた。
「主の身元に」
これ以上の救いなどない。
これこそが救いである。
そう言わんばかりの信念に満ちた声音であった。
それを世間では『死』と呼ぶのだ。
わけもわからぬ絶望感で、マルグリットの手からレイピアが滑り落ちそうになる。それを間一髪でとどめたのは、レイピアを持たないほうの手に、そっと暖かい掌が重ねられて、マルグリットの手に意志の力が戻ってきたからだ。
暖かさに惹かれて視線を向けると、だいぶ息が落ち着いてきた様子のケイが、後ろから手を伸ばしてマルグリットの手を取っていた。
「ありがとう。大丈夫だよ」
静かに囁くように告げたケイの表情が、本当に平気そうに見えてマルグリットはきょとんとしてしまった。
結局のところ当事者ではないマルグリットがこれほどまでにショックを受ける内容だったというのに、当の本人はまるで堪えていない様子だった。それからケイは僅かに声を低くして、
「イカレポンチの演説を真面に聞いてはだめ」
「あっはい」
意外と口が悪い! などとマルグリットが慄いていると、ケイは小さく舌を出して茶目っ気を見せた。
平気そうに見える彼女が本当に平気なわけがないし、ショックを受けていないはずもない。だけど敢えて平気を演じるのはマルグリットを慰めるため以外の理由が見つからない。
守りたい相手に気遣われている体たらくに、マルグリットは心根をぶった叩かれたような衝撃を受けた。
こんなではいけない。姉や父に怒られてしまう。
ケイはマルグリットの手を借りて億劫そうに立ち上がると、静かな瞳でクロスを見据えて口を開く。
「貴方は嘘を吐いていないかもしれない。でも、本当のことも言ってない」
「いいえ。私は本当のことを言っています。全てを語っては、おりませんが」
あっさりと事実上の肯定をしたクロスに、マルグリットは困惑してケイを見る。
「どういうこと……?」
◇◇◇
ケイは少し前のことを思い出す。
ケイが覚悟を決めてクロスを打倒せんとし、そして狙いを外して無様に自爆した先の出来事だ。あの時クロスは確かに言った。
大して期待はしていなかったが、やはりゴミだったか、と。
それは裏を返せば、彼はケイになんらかの期待をしていたということだ。それは即ち、彼にとってケイが『ゴミ』以外の何かである可能性が存在したということではないだろうか。
別にケイとしてはクロスの狙いがなんだとしても知ったことではないと思っていた。彼が嘘を言っていようがそうでなかろうが、ケイの呪詛を解く手段を持っていようがいまいが、彼に進退を委ねる気など更々ないからだ。寺院にシスタードルチェが押し入ってきた件だけでも信用を失わせるに十分であったが、その背景を考えれば更に不信感は募る。
いつも通りの時間に戻って来なかったダイと、彼を迎えに出たリュウの不在を狙って襲撃してきたドルチェ。そこから察せられるのは、クロス達はダイを口先で丸め込もうとして失敗したからこそ、実力行使に出てきたということだ。ダイと交渉を行ったことは今しがたのマルグリットとの問答でクロス自身が認めていたことだ。
口で言って聞かなかったから暴力で。そんな相手をどうして信用する気が起きようか。
だからケイにとってはイカレポンチの御高説なんて最早聞くに値しない雑音に等しいのだが、それでも会話を試みるのは勿論時間稼ぎのためだ。
正直に言えばマルグリットが何故ここに居るのかケイにはわからないのだが、ケイを助けに来てくれたのだということくらいはわかる。つまりクロスの結界は絶対ではなく、救援は期待出来るということだ。それにしてはクロスが少しも慌てていないのが不気味ではあるが、そもそも常人とはちょっと感性が違いそうな男なのでそんなものかもしれない。
マルグリットには悪いが、彼女が直接対決でクロスを打倒出来るとは思えなかった。ケイはクロスの実力もマルグリットの実力も詳しくは知らないが、年齢や立場を考えればクロスがマルグリットよりも弱いとはとても思えないし、それは当人達も理解しているのだろう。クロスは悠然とした態度を崩さないし、マルグリットは緊張した面持ちを崩さない。
故に、ケイは誰かが助けに来てくれるまで時間を稼ぎたい。
ケイ自身が助かりたいからではない。赤の他人であるケイのために死地に飛び込んできてしまった勇敢な少女を助けたいからだ。クロスを討つために呪詛による魔物化を利用してしまったことで、ケイは自身が助かる術が既にないことを察していた。クロスがなにを言うまでもなく、どうせ死は避け得ないのだ。つまり、呪詛に呑まれて完全に自分が消える前に、予てより決めていた通りに自刃するという意味で、だ。
だけれど、諦める前にちょっとだけ頑張ってみようと思ったのは、マルグリットのおかげだ。
せめて彼女を生かして返さねばならない。
「言ってないことってなによ! あんた一体なにが目的なの!?」
マルグリットが問い掛けたからなのか、あるいはこれも誠意ある対応とやらの一環なのか、その疑問に対してクロスはすんなりと答えた。
「私の最終的な目的という意味でしたら、それは『聖女の復活』になります」
「は? 聖女?」
マルグリットが目を丸くする横で、ケイは内心で首を傾げる。
「あの、聖女とは?」
その言葉が意味するところをそもそも知らなかったケイは、何故マルグリットがそこまで素っ頓狂な顔をしているのかわからない。なので小声でマルグリットに尋ねると、彼女は自信なさげな調子で口を開く。
「えっと、なんか教会の偉い女の人よ。『光の巫女』とかって呼ばれてる、なんかすごい人」
「ず、随分とふわっとした説明ですね」
「ちなみに当代の聖女ってわりとおばあちゃんだったと思うけど、まだ生きてる」
となると、クロスは先代かそれ以前の聖女とやらを復活させようとしているのか。
そもそも聖女って世襲なのかなんなのか、と謎が深まるケイを見かねたわけではなかろうが、クロスが口を挟む。
「貴女の仰る聖女は役職としてのものですね。私が申し上げているのは、そもそも聖女という役職が生まれる起源となった存在、一番最初の聖女のことです。これは役職ではなく、どちらかというと概念上の存在。東方の流儀で表現するならば、現人神に等しいものです」
「あらひとがみ?」
と、今度はマルグリットが首を傾げたので、ケイが説明する。
「人として生まれた神。もしくは人ながらにして神に至ったもの」
「あー、なんとなくわかった。勇者みたいなもんか」
「尤も、我々の教義において唯一尊い存在は主のみなので、現人神という概念は存在しません。我々で言うところのそれは天使です。言うなれば、聖女とは『人ながらにして、最も天使に近付いた存在』でしょう」
滑らかに言葉を並べながら、クロスは修道服の懐に手を入れて一冊の書物を取り出した。寺院でドルチェを待つ傍らに広げていたあのバイブルらしきものだった。クロスはこちらに向けて表題が見えるようにそれを掲げ持ってみせる。彼我の距離はそれなりに離れていて、案の定マルグリットは目を細めて難儀しても表題の文字は小さ過ぎて読み取れないようだったが、魔物相当の視力を得ているケイは難なく読み取ることが出来た。
「ヤタの福音書……?」
「聖典ですよ。この書の……ここに、」
クロスは勢いよくぱららとページを捲ると、あるところでぴたりと止めた。何度も何度も同じ個所を繰り返し読んだのだろう。書物に開き癖がついてしまっているようだった。
「『聖女は死して、遺骸は焼かれ灰となった。然るのち聖女は蘇り、天の使いとなる』……魔の者を討ち滅ぼし、世界に真の救いを齎すためには、主の恩寵を広く知らしめるための四人の天使の存在が不可欠と言われています。その一人が、この聖女なのですよ」
「御伽噺だろ?」
呆れたような顔でマルグリットが言うが、ケイも同感だった。
どこにでもあるありふれた伝承の類だ。
つまりクロスはそのありふれた伝承を信じ込み、聖女の蘇りとやらを助けるために行動しているということだろうか。
クロスは書物を閉じて大事そうに懐に仕舞うと、それからケイ達のほうを見据えて、真っすぐに告げる。
「いいえ、史実です。何故ならば聖女は実在したからです」
何故そんなに自信満々なのかはわからないが、ケイとしては『だから?』としか言いようがない。別に聖女が実在したことを否定するつもりはないし、それが先程クロスが言った『最初の聖女』なのだろうが、仮にその人物がリアルだったからとて、まつわる伝承がリアルである証明にはならない。
ケイ達の反応の鈍さを不思議そうに見遣ったクロスは、聞いてもいない補足説明を口にする。
「勇者パーティーをご存じですか?」
「は? え、そりゃ知ってるけど」
いきなりの質問にマルグリットは面食らったようだが、勇者パーティーといえばケイでも知っていることなので、王国人のマルグリットが知らないはずはない。
それこそ先程の現人神の件ではないが、単なる字面通りの意味ではなく、勇者という概念を表す場合、それは一人の個人を指す言葉となる。
即ち、三百年前に『宵の魔王』を討伐した勇者その人である。
そしてその勇者が率いた五人の仲間が一般に勇者パーティーと呼ばれる者達で、確かこのリヒティナリア王国出身の人物も居たはずだ。
「リヒティナリア人の貴女にとっては『剣聖』ダンクーガが馴染み深いでしょう。同様に、我らの本拠である教国からも一人、勇者の供を務めた人物が居るのです。それこそが『光の巫女』……初代聖女ルシアなのですよ」
ああそうだった、とケイは聖女云々よりもむしろ剣聖のほうに得心してしまった。ダンクーガといえば現在の英雄伯家であり、先日マルグリットと共に寺院を訪れていたルークという少年こそがその末裔だったではないか。
ちなみに勇者本人の出自に関する情報は既に失われているとされ定かではないが、供を務めた五人の仲間はいずれもこのリヒティナリア王国近傍の国家の出身者である。何故この西方の国々に勇者パーティーのルーツが集中しているのかというと、単に三百年前の戦争で最も熾烈な戦区となったのがこの西方諸国であるからだ。それは総大将である『宵の魔王』本人が直接侵攻に乗り出していたから、と言われている。
魔物勢力は全世界に同時侵攻していたので、ケイの故郷である東方の国々も当然無関係ではなかったはずだが、東方諸国にしてみれば西方で勇者が頑張ってくれて気付いたら魔王が死んでた、みたいな顛末であったことだろう。
などとケイが知識を浚っていると、クロスが話を進める。
「ヤタの福音書それ自体は聖女ルシアが生まれるよりも遥か昔に執筆されたものですので、当然書内にルシアの名前は出てきません。しかし、ただ聖女とだけ表現されたその人物がルシアのことを指しているのは明白です。何故ならば、過去そして現在に至るまで、ルシア以上の偉業を成し遂げた女性は存在していないからです」
クロスの言葉は論理の飛躍と言いたいところだが、一概に言い切れない部分もある。
何故なら人類が史上為した最も偉大な功績とは何かと問われて『魔王討伐』であると答える者は少なくないだろうし、となれば勇者本人の性別が定かでない以上、現状で判明している勇者パーティー唯一の女性である聖女ルシアこそが人類史上最も偉大な女性であるという言にも説得力があるのだ。
「ところで、もしそうだとすれば福音書の記述は妙だと思いませんか?」
したり顔でクロスが問うてくるが、勿論マルグリットもケイも無反応だ。
敢えてクロスの問いを無視したかったというよりは、彼の言っている『記述』がなんのことかピンと来ていないのだ。先程クロスが読み上げた一説のことなのだろうが、ただ一度耳で聞いただけの文章の詳細など覚えていない。
クロスは出来の悪い生徒を見る教師のような顔で嘆息した。
「聖女ルシアの死因が、一切語られていないのですよ」
「いやそんな、全文読んでる前提みたいな感じで話されても」
「普通に病とかでは?」
「はい。いいえ、それはありません。教国では基本的に死者を焼きませんから。浄化の魔法で清め、美しい姿のまま棺に納めるのが我々の流儀です。しかし、これには例外があるのです」
クロスを喋らせておけばとりあえず時間が稼げるので展開に文句はないのだが、これはこれで中々忍耐力が要るなとケイは思った。
クロスにしてみればこれも宣教、即ち職務の一環なのかもしれないが、ケイにとっては苦痛でしかない。
王国民のマルグリットはそれなりに身近なトピックに感じられるのか、ケイよりは耳を傾ける姿勢を見せている。呆れ気味ではあるが。
「その例外というのが、他殺された場合です。他者によって殺害された者の遺体は、尊厳を取り戻すために燃やします。傷を刻まれた身体では主の身元に行けませんからね。つまり聖女の遺骸が焼かれたということは、彼女は何者かに殺害されたことを意味します」
「勇者のお仲間でしょ? そんなの誰が殺せるってのさ」
「まさしくそこですよ。勇者に次ぐほどの強大な力を有していた聖女ルシアを殺害せしめたのは一体誰なのか」
説法の際の癖なのかノウハウなのか、クロスはそこでたっぷりと意味深な間を置いた。
偉大なる聖女を殺害せしめたのは一体何者であったのか、それを聞く者に考えさせるための間の置き方である。
そしてクロスは神妙な面持ちを一転して、空気を入れ替えるように軽い調子で口を開いた。
「ここで一旦、ベルフェルテについての話をしましょう」
いやそれもう答え言ったじゃん。
とケイはツッコミを堪えるのに苦労した。




