360話_side_Rex_ちょっと前_黒い森
~"主人公の幼馴染"レックス~
前線へと駆ける俺に気付いたノエルさんが遠隔で耐熱バフを飛ばしてくれた。サラマンデル種が展開する『熱域操作』の効果範囲に近付くほどに、物理的な圧迫感すら錯覚するほどの尋常ではない熱気が若干ながらも緩和されて、俺は息を吐く。
「有難いことだ、っと!」
途中、行く手を遮る無数の『炎精』を大剣で撫で切りにしながら、只管に前へ。
囮役を務めていたフレデリカ嬢は必然的に誰よりもサラマンデル種の近くで立ち回っていた。故に彼女には耐熱バフの支援も重点的に与えられていたのは言うまでもないことだが、こうして同じ場所に立とうと試みて改めて頭が下がる思いだ。
如何に支援があろうとも、本質的に人間が生きていられる環境ではない。
足元を流れる溶岩を得意の『地隆操作』で強引に掻き分けて突き進む。立ち込める熱気で視界が歪み、周囲の見通しも悪くなってきた。だから明瞭には見えないが、おそらく俺が走り出した時くらいを契機にして、いよいよ状況は急変しつつあった。
ここにきて、炎精の数が更に増加しているのだ。
直感的に理解する。
これは、解けていくサラマンデル種の命の灯なのだ。あるべき姿で滅びることが出来なかった、尊厳を奪われた魔物の断末魔である。彼のサラマンデル種は、なんらかの理由でその存在の最後の一滴まで、搾りかすになるまでも酷使されようとしている。
「くっ、なんて熱だ……!」
息をするだけで肺が焼かれるほどの高温環境。まさしく焦熱の地獄。
元々身に着けていた耐熱装備と、ノエルさんのバフが無ければとっくに行動不能になるどころか、そのまま溶岩の一部と化していただろう。事態の悪化が急過ぎて、退避するきっかけを掴めなかったフレデリカ嬢はこの地獄の中に取り残されてしまった。
ただ、彼女の安否が心配であった。
結果的に言えば、俺があのタイミングで行動を開始したのは間違いではなかった。他の仲間達はフレデリカ嬢を救援しようにも、唐突に増大した炎精の壁に阻まれて近付くことも儘ならない様子だった。炎精そのものが、というよりも、過剰に増え過ぎた奴等が作り出す高温の壁が厄介なのだ。偶然だが、その壁が形成される前に内側に駆け込んだ俺だけが、サラマンデル種に肉薄出来る場所に居る。
裏を返せば退路はない、ということだ。
そうして溶岩と炎精を掻き分けて俺が中心部に辿り着いた時、フレデリカ嬢はサラマンデル種との攻防を続けていた。
フレデリカ嬢は氷属性の魔法使いだ。炎属性の魔物に対してダメージを与えるのが難しい相性であるが、同時に自らを冷却する手段には事欠かない。だからこそ、この高温環境下でも単独で活動し続けることが出来る。恐ろしいことに魔物近傍の地形は殆ど溶岩に沈んでしまっているので、フレデリカ嬢は空中に氷の足場を作り出して、ほぼ瞬間で融解するそれを飛び回って戦い続けている。
その類稀なる技量に感嘆するよりも先に、俺はサラマンデル種の有様を見て瞠目した。
いや、最早あれは『だったもの』だ。
融けている。
そうとしか言いようがない姿だ。陸棲の竜を思わせる威容を誇っていた巨躯は、既に固体ですらなくなりつつある。それこそ湧き立つ溶岩の如く、無数の炎精と化して零れ出しているのだ。
そして、次なる異変が始まる。
囮役に甘んじる意味もなくなったので、積極的に攻勢に出ていたフレデリカ嬢が、氷を足場に跳躍してサラマンデル種の攻撃を躱す。炎をぶちまけながら通り過ぎるそれは、かつてサラマンデル種の頭であった部分なのだろう。溢れ出る炎精と溶岩に塗れて、今となっては辛うじて眸と咢の判別がつくくらいだった。
相手の変容を警戒してか、充分に余裕を持って回避したフレデリカ嬢であったが、彼女が攻勢に転じようとした瞬間に、躱したはずの魔物の頭部がぼこりと奇妙に波打つ。
「なに――」
腕だった。
魔物の頭部のシルエットが完全に崩れ、その一部が内側から食い破られたように伸びた。
それは流動する溶岩と炎で形成された、腕のようなものだった。手指があるわけではなく、不格好な爪のようなものが不均一に並んだ、子供の落書きのような腕であった。
あまりにも予想外の光景に、一瞬だけ反応が遅れたフレデリカ嬢は、その炎腕の一振りを避け損なった。
それでも咄嗟に直撃を避けたのは流石と言えるだろう。炎腕はフレデリカ嬢の右足を僅かに掠るだけにとどまった。
ただし、この状況でその掠り傷は致命傷に等しい。
物質的な腕ではない。燃え盛る炎なのだ。
掠っただけでも熱傷を負うのは免れない。耐熱魔法による防御があるからその程度で済んでいるだけで、それが無ければそもそも掠るどころか接近しただけで発火している程の熱量だ。
悪いことに、機動力の要である足をやられたフレデリカ嬢は、体勢を立て直すことが出来ずに落下し始める。彼女の眼下に地面はなく、ただ溶岩の海が広がっているだけであった。
「間に合え……ッ!」
俺は自身の魔法で岩塊を投射しながら、それらを足場に殆ど岩と一緒に吹っ飛ぶようにして彼女の落下地点に滑り込んだ。
間一髪で、彼女が溶岩に没する直前にその身体を抱き留めることに成功する。
図らずも同日に二回も俺の腕に収まる羽目になったフレデリカ嬢は、しかしそのことに反応を示すよりも先に、俺の背後を指差した。
無論、わかっている。
俺はそのために此処に来たんだ――――!
「『大地の脈動』ッ!!」
彼女を抱いたまま、振り向きざまに片腕で大剣を振り抜く。宣言と共に行使する魔法は地属性上級魔法。今の俺では実戦レベルで使用するのが難しい魔法であったが、マギアドライブの補助がある状態ならばその限りではない。
俺の剣閃に乗って、先程過剰に投射し溶岩へと沈もうとしていた岩塊群が一斉に湧き立ち、土石の津波となって放たれる。
その一撃はまさに俺達を噛み砕かんと迫っていた魔物の頭部――流動する溶岩に侵されて半分以上が異形の腕に変じているので最早頭部と呼んでいいのかも定かではないが、とにかくそれを真正面から弾き返した。
上級を使ってこの程度の威力しか出ないのか、と俺は歯噛みする。
地属性魔法使いの泣き所なのだが、地面がない場所だと出来ることが極端に減るのだ。今のようにセルフで生み出した地盤を基に魔法を使うことは出来るが、勿論二重の消耗で効率は最悪である。
「フレデリカさん、足は…………ダメそうですね」
「そうかもー」
彼女の右足は膝から下が大きく焼け爛れていた。応急処置にしても無理矢理な方法で、氷魔法で傷口ごと凍結させているような状態だ。戦うことはおろか、自力で立つことも出来まい。
フレデリカ嬢は汗で髪が張り付いた顔に、苦渋を押し殺したような無理な笑みを浮かべて、俺の顔を見上げた。
「ごめんねー、私が退き際を誤ったせいで貴方を死地に巻き込んじゃった」
「俺が勝手に来たんですよ」
「うんー……、でも、逃げていいからね」
なにを言い出すのか、と俺が驚いてフレデリカ嬢を見ると、彼女は間延びした口調とは裏腹に切実な表情をしていた。
「助けに来てくれたのは、とても嬉しい。でも貴方一人なら生き残れるなら、貴方は生きるべきだよー。それを責めることはできないし、私も責めたりしないから。それが討伐者というものだから……」
彼女はこう言うのだ。
もう動くことが出来ない自分は助からないから、自分を囮にしてでも逃げろと。
つまり、俺の行動は無駄だった。救援は間に合わず失敗したのだと。
ここで死ぬことも覚悟の上だと。討伐者とはそういう生業で、覚悟はとうの昔に済ませているのだと。
「…………ふむ」
なるほど。
「わかった」
俺がそう言うと、フレデリカ嬢は安堵と寂しさが混ざったような表情で、ホッと息を吐いた。
自身がここで焼け死ぬことよりも、それに俺を巻き込むことこそを厭うたのだろう。その高潔さに人が集うのも頷ける話だ。
彼女の思想と言い分は理解した。なので、俺も誠実に説明することにしよう。まずは、
「貴女は一つ、勘違いをしている」
「え?」
「俺はわけあってライセンスを取得して活動しているが、別に討伐者を生業にするつもりはない」
ドロドロと流動しながら立ち上がりつつある魔物の残骸を見据えながら、俺は言葉を紡ぐ。
不謹慎ながら、少しだけ笑えてくるのはどうしたことだろう。だって周囲を見てみろ。もう溶岩の海の上に浮かんだ小島に居るみたいな状況だ。別世界に転生して驚きの感情も看板だと思っていたが、中々どうして飽きさせてくれない。
きっと、生き残れたら一生ものの語り草になることだろう。
「俺はね、騎士を志しているんですよ」
「き、し?」
きょとんとまんまるになった碧眼に、苦笑を禁じ得ない。祖母譲りの凛とした顔も、一転して優しげで柔和な顏も、どちらも大人びた印象の強かったフレデリカ嬢であるが、こういう無防備な顔をされるとやはり年若い少女なのだと実感する。
そこでそんな顔をするから、俺には退くという選択肢がなくなるのだ。
自覚するところだが、俺という人間はそういうのに滅法弱い。
「そして騎士という人種はね、そういういじらしいことを言われると、俄然やる気が湧いてきてしまうんだな」
そうだろう、と声に出さずに片腕の相棒に問い掛ける。まだ付き合いの浅い相棒だが、大剣に埋め込まれたマギアドライブは俺の想いを推すように大きく脈を打って駆動し始める。
俺もやる気。相棒もやる気。戦わない道理はない。
シリウス氏が到着するまででいいのだ。それまでフレデリカ嬢を守ることが出来ればいい。俺はここで魔力を出し尽くしてもいい。後のことは偉大な英雄伯と、そして頼りになる『主人公』に任せるさ。
「婦女子の一人も守れずに、なにが騎士かッ!!」
自らを奮い立たせるための咆哮を合図にして、魔物が押し寄せる。殆ど形態を失いつつあるサラマンデル種は、周囲の溶岩と混然一体となってうねり上がり、どこからどこまでが魔物の認識圏なのかも見当がつかない。
これはもう、全周が敵だと思ったほうがいい。
第一波、無数の炎精が形作る獄炎の津波。
視界一杯の炎を見据えて、俺は片脚で地面を強く打つ。『地隆操作』の効力によって、俺の前方の一部だけが砂礫となって隆起し、俺はそれを両断するように真横一文字に大剣を振り抜いた。
「爆ぜろッ!『榴砂旋風』ッ!!」
俺の剣閃を基点として放たれるのは、扇状に広がる砂礫の弾幕だ。
たかが砂粒と侮ってはいけない。高圧高速で投射されればなんだって凶器だ。この魔法は射程距離こそ短いが、投射角の広さとごく近距離での破壊力は折り紙付きである。
雪崩れ込む炎精の群れを砂礫の弾幕が真っ向から迎え撃ち、そして炎を散々に吹き散らして通り抜けた。続けて襲い来る第二派、三派の炎精津波を同じように迎撃する。ただでさえ重量のある大剣を用いて、更には反動の強い魔法を連続で、しかも片腕で放つのは中々に辛いものがある。しかし剣を握らない腕には守るべき者を抱えているのだから、無理でもなんでも片腕でやるしかない。ロイド氏謹製のインナーハーネス頼りである。
炎精の次に迫るのは流動する溶岩と化した魔物本体だろう。
物理的な強度を殆ど有さない炎精だから『榴砂旋風』で一方的に蹂躙出来たが、高温かつ粘性を有する液状の溶岩が相手ではいくら砂礫をぶつけたところで焼け石に水というか砂だ。それに景気よく砂礫を使ったせいで足元の地面もだいぶ小さくなってしまった。先程投射した岩塊に今こうして立っているように、俺のような地属性魔法使いはその気になれば魔法で地面を作り出せる。勿論無から有を作っているわけではなくて、魔力を対価として術理的オブジェクトを形成し、それが下位法則の物理法則上では物質となって現れるだけだ。
つまり魔力を消費するのだが、悲しいことに俺の保有魔力は普通よりも少し多い程度でしかない。
「『崩山撃』!」
虚空より現出させた巨岩を眼前へと落とす。炎の飛沫を上げて落下した巨岩は俺達とサラマンデル種の間を隔て、防壁となって溶岩の奔流を遮ってくれた。そのまま新たな足場となった巨岩へと飛び移ると、俺達が今の今まで足場にしていた小島は紙一重のタイミングで崩壊して溶岩の一部となってしまった。
なんとか一度は凌いだ。が、こんな巨岩はそう何度も落とせはしない。というか出来てもあと一回が限度だろう。
俺が本領を発揮するにはやはり地面が必要だ。
溶岩の海に浮かぶ岩塊ではなく、確かな大地が。
しかし視界に映るのは見渡す限りの炎である。実際のところ地面はあるはずなのだ。溶岩の下に。見えていないだけで。あることがわかっていても、俺の認識圏は溶岩の下までは及ばないのだ。所詮魔物が生み出した即席の海だ。水深(?)も知れたものだとは思う。だが認識圏の影響範囲は物理法則下の距離ではなく、その名称の示す通りに術者の認識こそが支配する。見えない、わからない、確かでない、ということの悪影響は非常に大きい。
「地面があれば、戦える?」
傷のせいか、だいぶ顔色が悪いフレデリカ嬢が呟くように問い掛ける。
「少なくとも、今よりは」
俺は答えた。
考えなかったわけではない。
フレデリカ嬢は氷属性の遣い手なのだから、彼女は地面を作ることが出来るのだ。
冷えて固まった溶岩とは、即ち岩盤である。
だが問題は、どう見ても限界まで疲労しているフレデリカ嬢に、果たしてその余力があるのかということ。そうでなくとも、彼女は足に重傷を負っている。苦痛は容易く思考を乱し、魔法の構成を妨げるだろう。
「じゃあ、私が地面を作るね」
「……出来ますか?」
無理をして欲しくない、などと言うつもりはない。ここは無理をする状況だ。
だが現実的に出来ないことならばやめておくべきだ。
俺の問いに、フレデリカ嬢は気丈に笑って見せた。
「誰に訊いてるのかなー? 騎士くん的には黙って守られる子が好みかもしれないけど、ごめんねー。討伐者の女は跳ねっ返りばかりなんだよ」
守られっぱなしは性に合わないということか。
強がり以外の何者でもないが、この状況でそれを笑顔で宣える精神力は賞賛に値する。
「ただ、そしたら私は他になにもできなくなる。貴方のために地面を作ることしか」
だから、と彼女は俺の手に触れる。
最早握力も殆どないのか、握るというよりはただ重ねられた掌は、微かに痙攣していた。身体を動かす余力すらない彼女には、自衛の手段は魔法しかない。そしてそのなけなしのリソースを、俺の補助のために使い切ると言っているのだ。
「だから、ちゃんと私を守ってね」
俺は笑みが零れるのを堪えられなかった。
「真逆のことを言っていますよ」
「あ、あれ? そっかな? おかしいなー」
しかし、こと俺に対してはどちらも正解過ぎる。
いや、俺でなくともこれは。
「貴女は、男心をくすぐるのが実に上手だな」
「ぁえ、そんなこと初めて言われたよ」
なんとも大した殺し文句ではないか。
つまり彼女は、俺に全幅の信頼をくれたに等しい。
騎士だとか、討伐者だとか以前に、これで奮い立たなければ男ではない。
「やってくれ。俺が必ず貴女を守る」
この剣に誓って。




