351話_side_Heimeroth_ちょっと前_黒い森
・作者も存在を忘れてた首輪の話をするよ!
~"魔剣"ハイメロート~
「こりゃ酷ぇ……台無しじゃねえか」
ぼやくのは全身煤塗れのヴァイオラである。斥候のためというよりは、味方の爆撃から逃れるために必死で走り回ったのであろう。汗と土と煤でコーティングされた出で立ちには普段の伊達っぷりの面影すらない。そんなヴァイオラの隣で顔を擦っているヴェルメリオは更に酷い。同じ役目を担っていたのだから当たり前だが、一応は見てくれを繕おうと努力した形跡が窺えるヴァイオラとは異なり、犬のほうはその辺全く以て無頓着なので汚れるに任せた姿である。常ならば甲斐甲斐しく犬の汚れを拭ってやるエクスプロードも、これは手の施しようがないと早々に匙を投げた。
「お疲れ様でした。ヴァイオラさん。良い働きでしたよ」
にっこりと微笑んだカデンツァの労いに、ヴァイオラは力無く「そらどーも」と返す。
現在はギルドへの帰路である。もう幾許もすれば夜が明けるであろう時間帯。人間並みの休息が必要な者はこの後は宿に戻って休眠を取り、それが不要な俺やヴェルメリオはこのまま活動を続ける。森が閉じている時間帯は、俺は諜報班に協力して調査を行うことが多い。ヴェルメリオはローズおよび他の隊員への伝令のためにここを離れる予定だ。
「ヘイわんこ、帰りにひとっ風呂浴びてくか」
「あい」
流石にその有様で宿に戻るわけにはいかないので、当然のヴァイオラの提案にヴェルメリオが頷く。
ロイエンタールという街は近隣の火山地帯に由来する温泉街でもあるので、至る所に公共の浴場や温泉がある。そして黒い森から出てきた討伐者が今のヴァイオラ達のような有様になっているのは然程珍しくもないことなので、それを見越した営業をしている施設も少なくない。
温泉というよりは、それを利用した洗浄施設といった風情だ。元々は鉱夫のために営業していた場所も多いのだろう。
「ちょっと待ちなさい。まさか一緒に入るつもりですか?」
眦を吊り上げてツッコミを入れるカデンツァに、ヴァイオラは肩を竦める。
「わんこは独りで風呂入れねえからな。な?」
「あい……」
まあ討伐者向けの施設なんて男女ごっちゃの場所も珍しくないし、そうでなくてもヴェルメリオの外見年齢ならば普通に男性用の浴場に入場可能だろう。ちなみに如何なわんこでも自分の身体を洗うことくらいは出来るのだろうが、燃え盛る炎の様と評される見事な長髪を洗うのは他人の手を借りなくてはどうしようもないようだ。自らの手に余るほどに頭髪を伸ばす意味とは、と疑問を抱く話ではあるが、ヴェルメリオが髪を伸ばす理由とは一から十までローズのためだ。つまりローズがヴェルメリオの髪を褒めてくれるから、というそれだけの理由である。
ならば普段は誰がヴェルメリオの髪を洗っているのかというと、大抵はエクスプロードである。なのでカデンツァがエクスプロードに視線を向けると、彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。
「あぅ……私は、公共のお風呂はちょっと」
「あ……そうですよね。ごめんなさい」
配慮が足りなかったと謝るカデンツァに、エクスプロードのほうが恐縮したように頭を下げる。
エクスプロードという少女はいつどこにおいても防寒具で全身を固めた装いを譲らない。外出する時は言わずもがなで、クランハウスの自室に居るときですらそうなのだ。彼女が身軽になるのはヴェルメリオかローズのみと一緒に居るときだけである。
病的なまでに着込むことに拘る理由は彼女の有する特異な技能にある。
その名が示す通り、あるいは先程までの活動でも存分に発揮されていたことであるが、エクスプロードという少女は爆破のスペシャリストだ。爆薬のプロではなく、存在が爆破そのものに特化している。
彼女の異能とは『直接触れたあらゆるモノを爆発物に変容させる魔法』である。
有機物、無機物を問わず、生物でも非生物でも問答無用で、彼女が直に触れ、その魔力を通した物体は任意に起爆することが出来る。エクスプロードはその能力を基本的には制御下に置いているが、魔法というものが思考だけで完結するものである以上、不慮の暴発を完全に防ぐことは出来ない。彼女が自分自身の肉体を起爆することがないのは生物としての無意識のリミッターの作用によるものであり、その延長線上で彼女自身が身に纏った衣服もまた起爆の対象から外れているらしい。
間違っても不用意に他人に触れてしまうことがないように。そうして彼女は病的なまでに肌を隠すのである。
では何故ヴェルメリオとローズだけが例外なのかというと、エクスプロードの異能が通用しない相手だからだ。ヴェルメリオが特別というわけではなく、エクスプロードの異能はアヴァターの認識圏には通用しないというだけの話であり、故に常に転神状態を維持しているヴェルメリオは絶対に安全なので触れ合うことが出来る。ローズに関しては『何故か通じない』ということになっているが、おそらくはローズが有している、より強大な異能のせいだろうと俺は考えている。俺の魔剣の衝動すらを封じ込めたローズの時間魔法が、エクスプロードの異能が齎す強制的な変容を拒んでいるのだ。
尤も、俺もつい最近ヴァイオラに聞いて知ったことだが、ローズは実のところ転神を使えるらしいので、そういう意味でもエクスプロードの異能が通じない相手ではある。
「ではヴェルメリオ、せめて私と一緒に入りましょう」
男であるヴァイオラには任せておけぬと提案したカデンツァであったが、ヴェルメリオの返答はにべもない。
「や!」
「がーん……な、なんでです?」
「かでんたへたくそ」
「ががーん……い、色男さんよりも?」
「ん。ばいおらよりへたくそ」
無慈悲な犬に女としてのプライドをへし折られてカデンツァがショックを受けている。
男であるヴァイオラよりも髪を洗うのが下手糞であると言われたのである。というか、ヴェルメリオがそう言うということは、既にヴァイオラと共に入浴して髪を洗ってもらった経験があると白状しているわけであるが、生憎と意気消沈するカデンツァは気付いていないらしい。
落ち込みようが不憫に思えたのか、ヴァイオラが慰めるように助言じみたことを言う。
「カデンツァは力籠めすぎなんだよ。わんこが『はげるかとおもった』って言ってたぜ」
「それは、相当だな」
俺は思わず口を挟んでしまう。重ねて言うが犬は常に転神しているのだ。アヴァターの頭髪を引っこ抜くほどの剛力となれば、常人ならば頭皮ごと分離させられるのではなかろうか。なおカデンツァがヴェルメリオを風呂に入れたのは過去に一回だけらしいが、その一回で徹底的に懲りたヴェルメリオは、以降入浴の時間が近づくとそれとなくカデンツァから逃げていたようだ。基本的には犬はエクスプロードと共に入浴しているので、カデンツァ自身はまさかそんな風に避けられているとは露ほども思っていなかったという顛末であった。
「自分の髪を洗うみたいにやればいいじゃねえか」
「やってるつもりでしたー……がっくし」
カデンツァもヴェルメリオほどではないが中々にボリュームのある長髪を持っているのだ。それを毎日自分の手で洗っているのだから、何故同じように出来ないのかと誰もが疑問に思うところであるが、やはり勝手が違うということなのだろう。
これに関してはカデンツァが不器用であるという事情も多分にあるのだろうが、それ以前の問題として、彼女は常人よりも肉体的なパラメータが相当に高いという点を考慮しなくてはならない。それは筋力を始めとして、耐久力や敏捷性など、あらゆるステータスが、である。
カデンツァは所謂『強化人間』というやつなのだ。
帝国で行われていた、術理的なアプローチから人間の肉体を拡張し一段上のステージに至る、というコンセプトの研究成果の一つ。強力な兵隊を量産するための国家プロジェクトの試験体として、作られ、そして廃棄されたのが彼女だ。
帝国が熱心に研究を進めている分野として、転神の軍事利用というものがある。帝国は逸脱した固有戦力というものを忌み嫌うので、彼等のアプローチは常に、突出したそれを如何に普遍的な技術へと落とし込むか、に尽きる。粗悪なマギアドライブを量産し、兵隊に配備することで平均値の底上げを図ったように、ゆくゆくは個々の兵隊がアヴァター並みの能力を発揮するのが遠大な理想なのだろう。つまりはアヴァターの量産化。その研究の犠牲者がヴェルメリオであり、カデンツァであるということだった。
なおヴェルメリオは『先天的にアヴァターを付与する研究』の試験体であり、カデンツァは『後天的にアヴァター相当の能力を付与する研究』の試験体だ。どちらにも共通しているのは人道などという言葉とは無縁の研究だということか。
俺達『ヴァイスヤークト』には、そういう出自の人間が多く居る。というか、大部分はそうであると言ったほうが正しい。
ローズの私兵として帝国軍と争っている俺達だが、実のところ部隊員の殆ど全てが元帝国民である。ヴェルメリオのような生まれながらの実験体は厳密には帝国の市民権を持っていたわけではなかろうが、帝国で育ち、王国へと送り込まれたという点では変わらない。
エクスプロードもそうだ。彼女は元々はごく普通の帝国民であったという。ごく普通の家庭に生まれた彼女は、しかし普通ではない異能を持っていた。彼女の異能が目覚めたのは四歳の時で、いつも通りに触れあっただけの実の姉を起爆してしまったのが最初であった。姉は爆散して即死し、姉を爆破した彼女を恐れた両親によって帝国軍へと売られた。あとは絵に描いたような転落人生であり、特異な技能を軍事転用しようとする帝国軍の研究者にモルモット扱いされ、隅々までデータを取られて取られ尽くした後に、本人は最早利用価値ナシとの烙印を押されて自爆兵器として廃棄されたのである。
最古参の俺は当然エクスプロードが加わった当時のことも、敵として相対した彼女の様子も覚えている。
一言で言えば、壊れていた。
肉体的にも精神的にもボロボロで、再起不能と断じざるを得ない有様だった。殺すしかないというよりは、殺してやるべきだというのが相応しい姿であった。
「って、あら?ということはもしかしてヴェルメリオ、既に色男さんと共に入浴したことが……?」
「というか、私がお仕事で居ない時は基本的にヴァイオラちゃんにお願いしてましたよぅ」
「なん、ですって……?」
遅蒔きながら事実に気付いてしまったカデンツァに、エクスプロードが更に衝撃の事実を叩きつけている。笑顔で。
大抵はエクスプロードが不在にしている場合よりも犬が不在にしている時のほうが多いので、ヴァイオラが犬を風呂に入れた回数は言うほど多くはなかろう。討伐者クランの運用が軌道に乗ってからはヴァイオラのほうがその関係で不在にすることも多い。しかし、なにせ二人ともが俺に次ぐレベルの古参組なので付き合いだけは長いのだ。それなりには機会もあったことだろう。
ちなみにエクスプロードが加わる前は別の女性隊員が専らヴェルメリオの面倒を見ていたのだが、古参の彼女はとうの昔に戦死しており、カデンツァとの面識はない。
笑顔で談笑するエクスプロードを見ていると、とてもあの時の壊れた少女と同一人物とは思えない。
彼女を直したのはローズだ。
ローズが何を思ってエクスプロードを直して味方に引き入れたのかはわからない。利用価値があると判断したのかもしれないし、ローズ自身の過去の境遇に重ねて同情したのかもしれない。
そしてローズによって生かされてしまったエクスプロードがそのことをどう思っているのかもわからない。新たな人生をもらって感謝しているのか、あるいは素直に死なせてくれなかったことを恨んでいるのか。
いずれにせよ、俺のような魔剣風情が想像するには過ぎたことである。
俺は自身の首にはめられたチョーカーを指でなぞる。俺だけではなく、ヴァイオラも、エクスプロードも、カデンツァも、ヴェルメリオも、全員が同じ意匠のチョーカーを装着している。
全ての隊員に例外なく与えられている『首輪』と呼ばれる魔法具である。
裏切りを防止するために、ローズが与えた枷だ。
俺達は決して仲良し集団ではない。
任に背けばこの首輪は容赦なく着用者の息の根を止めるだろう。そしてそれが任であれば、俺達は今こうして笑顔を交わしている相手ですら手に掛けるだろう。そうしなければ自分の首輪が締まるのだから。
皆それぞれに、理由があってこの首輪をはめている。
俺やヴァイオラのように納得づくで自分からはめた者も居る。
ヴェルメリオのようにローズへの信奉心から疑問なくはめた者も居る。
エクスプロードのように他に生きられる場所が無くて仕方なくはめた者も居る。
そしてカデンツァのように、暴力で組み伏せられて無理矢理にはめられた者も居るのだ。
アシュタルテ侯爵家が擁する他の特務部隊に比べれば、ローズの麾下は非常に温い環境であると言える。少なくとも他の部隊では、このように隊員同士が笑顔で談笑することなど夢のまた夢だろう。
ローズは侯爵家本体から俺達を切り離し、完全に自らの私兵としたことで守っているのだと言えるかもしれない。なにせ部隊員の大半は、ここ以外に行く当てもなく、それが許された立場でもない。カデンツァなどは、仮に首輪がなかったとすればすぐにでも姿を晦ませたことだろう。脱走することを厭わなかっただろう。だが実際には自分から首輪を外そうとしないのは、今は彼女自身がよくわかっているからだ。
自分が今、この首輪によって生かされているのだと。
どれほど認め難くとも、それが冷酷な事実でしかないのだと。
ローズが俺達に強いるのは常に二者択一。
服従か、死か。
彼女は裏切り者を決して許さない。
過去に脱走を試みたものは少なからず居る。
どれだけそれらが同情に値する境遇であったとしても、一度首輪をはめたのであれば、ローズは決して足抜けを許さない。そして実際に許さなかった。
俺達には思想の自由があり、行動の自由すらある。
だが裏切ることだけは許されない。
カデンツァが裏切ることは無いだろう。
彼女は賢いからだ。
理解している。
俺達はローズの私兵であるからこそ生きることを許されていて、そして侯爵家がローズのおもちゃを取り上げないのは、彼女がおもちゃを正しく運用出来ているからだ。
取り上げられたおもちゃの行く先が、もっと大事に使ってくれる人の元であれば良い。
しかしそれを言うならば、こんな物騒なおもちゃをこれほど大事にしてくれるローズこそが稀有だろう。
そして大抵の人は、手に余るおもちゃなど欲しがらない。自分の手を噛むおもちゃを欲しがるはずがない。
要らないと言われたおもちゃはどうなるか。
……捨てられ、埋め立てられるのが関の山だ。




