27話_side_Cl_貴族学生寮_プリムローズ私室
~"御傍付"クラリス~
その日の夕刻。寮にて。
そろそろ日が暮れようかという時分で、窓の外に夜の帳が降りようとしている。
私が用意した軽食を食べ終えたお嬢様は「さて」と呟く。
「何故、寮の私の部屋にミアベル・アトリーのぱんつが干してあるのかは訊かないぞ」
「本体は持って帰ってきていないので、セーフかと」
洗濯した衣服は一応目立たない場所で干してあるのだけど、目敏く見つかってしまったようだ。
ちゃんと綺麗になったし、ほつれなんかは修繕したし、久々にメイドらしいことが出来て満足である。
少し、不思議なことなのだが。
私がミアベルさんと知り合ったのは偶然のことで、勿論、あの日空腹の彼女に出会うまでは存在すら知らなかったのだけど。でもお嬢様はそれ以前からミアベルさんのことを認識していた節があるのだ。
同級生だからかな、とも思ったが私の知る限りお嬢様とミアベルさんの接点はないし、ミアベルさんのほうも私の主のことは名前と姿くらいは知っているけど会話したこともないと言っているし。
だというのに、お嬢様の態度の節々から窺えるのは、お嬢様はミアベルさんの人となりをかなりの精度で把握しておられるようで。
今日の出来事にしたって、自分の寮でいつのまにか彼女の衣服が洗濯されていても、お嬢様は然したる反応を示されない。それは興味がないという風ではなく、言うなれば『あの子ならばそういうこともあるか』くらいの納得だと思うのだ。
というか、そもそも。こっそり干してある制服や、可愛らしいピンクのショーツがミアベルさんの物であると見た目で判断できる要素は何もないはずなのだ。私が彼女に食事を与えていることはご存じなので、そこから推測はできるだろうが。お嬢様は『訊かない』と仰いながらも、その実、訊くまでもなくミアベルさんに身に起こった事態を知っておられるかのようだった。
尤も、お嬢様が何かを見通したような深い知啓を示されるのは今に始まったことではないが。
「では、フォノンへの説明は任せるぞ」
「はい」
今日は、ついにお嬢様が『魔王復活阻止』のために行動を開始される日だ。
フォノンは現在外に遣いに出しているため不在だ。
お嬢様はこれより学院付近の黒い森に赴き、独自の作戦行動に入られる。私はそれが魔物との戦闘であると聞いているが、フォノンにそれを説明するつもりはない。
あの子は、とても良い子だ。
元気で、優しくて、素直な女の子。
だけど、あの子は素直過ぎる。
知ることで危険を伴う情報ならば、敢えて伝えないほうが良いこともある。なので、フォノンにはお嬢様は魔法の練習のために外出しているのだと説明することにしている。これは、もしお嬢様の不在中に訪ねてこられた方が居た場合の、対外的な理由でもある。
貴族においては、影の努力というものは秘匿するのが美徳とされるから、お嬢様が魔法の鍛錬をこっそり行っているのだとしても不思議なことではないのだ。魔物相手に魔法の練習をしてくるのだと拡大解釈すれば、嘘ではないのだし。
窓際へと向かって歩を進めるお嬢様の身体が、白い光に包まれる。
輝くシルエットが形を変え、細くたおやかな手足が伸び、輪郭が扇情的な丸みを帯びる。
最後に、燐光を帯びる白い翼が一つ空気を撃つと、そこには一つの幻想的な人型が存在していた。
転神と呼ばれる高等技能を使用した、お嬢様のもう一つのお姿。
白き衣を纏った戦天使。
金色の円環を頭上に戴き、光そのものが形を持った雄々しい翼を奮わせる。
透き通るような白い肌をしっとりと包み込む薄手の装束は、肉感も顕わなのに決して下品には見えない絶妙な均衡を持っている。
神が手掛けた芸術品の如き、幻想的な美貌。
伏せられていた瞳がゆっくりと上げられ、その瑠璃の瞳が私の姿を映し出す。
「お美しいです……お嬢様」
思わず、私が感嘆の言葉を零すと、お嬢様は苦笑して「大袈裟だなぁもう」と返された。
まるで人間味のない完璧な美貌が、一つ表情を得るだけで血が通ったように、何倍にも魅力的に見える。
「思ったよりも見られるアヴァターだったのは良かったけど……うーん、これはこれでなぁ」
その場にふわりと浮かんだまま、くるくると踊るようにご自身の身体を検分しながら、
「この服とかもうちょっとどうにかなんないかなぁー……形まるわかりで恥ずかしいし……浮いてないよね?」
「辛うじて」
「意外としっかり支えてはくれるんだけど」
大変お美しいのだが、確かに、殿方の前に出るには少々勇気がいるお姿かもしれない。
主に、いたずらに魅了しかねないという意味で。
そんなお嬢様のお姿を見つつ、私は改めて確信を抱く。
あのアヴァターのお姿。
あれこそがお嬢様の本当のお姿なのだ。
だって、数年前から殆ど体型が成長されていないお嬢様にとって、あのような成熟した肢体は本来未知のものであるはずなのだ。
あのように、手慣れた様子でバストの位置やすわりを確認できるはずがない。
なのに、今のお嬢様はあの成熟した肢体が当然であるかのように自然に振舞っておられる。
だとすれば普段の令嬢らしいお嬢様こそが世を忍ぶ仮のお姿で、アヴァターの時の気さくな態度こそが、本来のお嬢様なのであろう。
「どうかなクラリスちゃん。これなら私だってバレない、よね?」
「そうですね。お姿は元より、振舞いがまるで異なりますので、まず大丈夫かと」
「うんうん。クラリスちゃんがそう言うなら、安心だね!」
そのふんわりと力の抜けた笑みが、何故かミアベルさんの姿を想起させた。
やっぱり、本質的には意外と似ている方々なのかもしれない。
「お嬢様は、普段は敢えてあのように振舞われているのですか?」
「半ば無意識だけどね。こっちが素なのは、確かかな」
「やはり、そうなのですね」
お嬢様は大変朝に弱く、私が毎朝お世話をさせていただく際には、大抵夢うつつの状態である。その時だけは無意識の演技が途切れてしまうのか、寝ぼけ眼のお嬢様に『くらりすちゃん』と呼ばれることは少なくない。
だから、きっとそれがお嬢様の飾らないお姿なのだと薄々察してはいた。
思えば、昔から年齢不相応な聡明さを示されていたお嬢様に、私は時折、自分よりも年上の女性と相対しているかのような奇妙な感覚を覚えることがあった。それは決して嫌な感覚ではなく、言うなれば包容感であり、温かく見守るような眼差しであったように思う。
なにも、錯覚などではなかったのだ。
そしてあの日、寮の浴室でお嬢様が抱えておられた秘密の一端を知り。
このアヴァターのお姿を拝見したことで、歯車が噛み合ったように、私は理解を得た。
お嬢様は、魔王という未曽有の危機の再来を防ぐために、天が遣わしたお方なのだと。
お嬢様の肉体が一向に成長なされないのも、尋常ならざる魔法技能を有するのも、誰も知らないはずの魔王の再来を予期しているのも。
全ては、お嬢様の正体が、天より遣わされた聖なる存在であるからに違いない!
そのお嬢様が私などに無上の信頼を下さったと言うことは、私に望まれる役割があると言うことだ。
これは、現代に蘇った神話の1ページに他ならない。
故に、なんの力も持たず、ただ御傍に侍ることを許された私の役割とは、新たな神話の綴り手となること。
プリムローズ様という天使の戦いを支え、見守り続けることだ。
お嬢様が魔を制し、役目を終えるその日まで。
「それじゃ、行ってくるね」
「お気を付けて」
まるで気負った様子もなく、ひらひらと手を振って、お嬢様は虚空でふわりと一回転した。
私が瞬きした時には、既にそこには誰も居らず、室内には私が一人で佇んでいるだけであった。
聖なる痕跡を示すように、空に解けて消える光の羽毛を見詰めながら、私は祈る。
「無事のお帰りを、お待ちしております」
これから何度でも。そして、いつまでも。
2021/5 細部の描写を修正。




