303話_side_Primrose_黒い森 / 魔界
~"転生令嬢"プリムローズ~
地面にがつんと突き立てた漆黒のバスタードソードに背を預け、フェンリスがやる気なさげに言う。
「一応訊いてみるが、ここはお互いにことを荒立てねえ……って選択肢はあるか?」
「殺す気で斬りかかってきた貴様に言われてもなぁ」
私が鼻で嗤ってやると、彼は「だわな」と溜息を吐いた。
「俺としては昇格者とやりあう意味はねえし、無駄に疲れたくねえんだが」
「私としては貴様の知識に興味があるので、是が非でも喋らせたい」
フェンリス個人がそうなのか、あるいは魔物という種族がそうなのかは知らないが、どうも彼は少しばかり口が軽いところがありそうだ。なのであわよくば情報を引き出せないかという期待がある。
最終的には戦端を開くのだとしても、フェンリスの言葉ではないが無駄に疲れたくないので、穏便に喋ってくれるならそれに越したことはない。
と思ったのだが、私の目論見はフェンリスの小さなお目付け役に阻まれてしまった。
「フェンリス。駄目です。勝手に喋ったらおかあさんが怒ります」
「サヤが怒る姿は逆に見てみてえな」
「私も見たい……じゃなくて」
私の隣で油断なく耳を傾けていたシィナが小さく「サヤ、と言いましたね」と囁いた。
ついいつもの調子で喋ってしまった、とでも言わんばかりのスメラギが「しまった……」と項垂れる。
「フェンリス。アナタのせいでおかあさんの個人情報が漏洩してしまいました」
「いいじゃねえか名前くらい」
なんとも気の抜ける奴等だ。
ここまであからさまに口を滑らせてくれると、条件反射で偽報を疑ってしまう。情報戦的な意味で。
「その調子で『有格者』とやらがなんなのかも教えてくれると助かるのだが」
「ん?ああ、そうかアンタ等は知らねえのか」
そう言ったフェンリスを遮るように、スメラギが固い声音で彼の名を呼ぶ。
フェンリスは飄々と肩を竦めた。
「ウチのお姫様のお許しが出ねえ。これは教えられねえことみたいだな」
「そうか。では致し方ないな」
諦める?いやいや。
無理矢理にでも喋ってもらおう、と私は背に『ChU2W』を展開する。
時間操作はフェンリスの左眼に秘められたカウンタースペルらしきもので無効化されたが、今まで会話をしながら自身に対して行っていた実験である程度の確証は得た。フェンリスの力が及ぶのはあくまでも彼に影響の及ぶ事象に対してのみである可能性が高い。私が私自身に対して行う時間遡行には彼の左眼は反応しなかった。
つまり、自分以外の時間を停滞すると無効化されるが、自分自身の時間を戻す分には問題ないということだ。となれば、時間停滞によるゼロ時間詠唱やなんちゃって空間転移こそ封じられたが、チート遡行による不死身の肉体と実質無限の魔力は健在であるということ。
無論、『転魔』状態のアヴァターも十全に稼働している。
故に私はある程度の勝算というか、少なくとも戦闘を行える算段があって臨戦態勢を取ったわけだが、相対するフェンリスはそんな私の状態を知ったような風で口を開く。
「今の俺には昇格者のアンタを滅ぼし切るほどの力はねえだろうが……かといって楽に勝たせてやるほど腑抜けてもいねえ」
彼はバスタードソードを片手で引き抜くと、軽々と振り回してその切っ先を私へと向ける。
そしてそのままついと動かして、私の横に居るシィナとリスティへと。
「言っとくがよ、俺とアンタがガチでやれば、生半なことにはならねえ。俺とアンタは生き残るかもしれんが、アンタの仲間は間違いなく死ぬぜ」
そう言われると、例えば二人をこの場から逃がして私だけがフェンリスと戦うという選択肢が考えられるが、それを許してくれるとは思えない。
フェンリス達の目的がセラフィーナちゃんにあるとすれば、彼等は私達を野放しにしたくはないはずだ。この場を脱した私達がセラフィーナちゃんのほうに向かうという事態をこそ避けたいはずだ。
一番最初にフェンリスが零した『スコール』という名前が彼の配下か協力者を意味するとすれば、おそらく現在進行形でセラフィーナちゃんのほうにちょっかいを掛けているのがソイツだ。
つまり、フェンリスは私達をこの場に縛り付けておきたいのだ。そのスコールとやらがクロードくんパーティーを打破してセラフィーナちゃんを確保するまで。
ただし、可能ならば私との戦闘を回避したいと思っているのも本心だろう。理由はわからないがフェンリスにとって『昇格者』とやらの私と戦う意義は薄いようなので、この場で私と戦っても徒労しか得られないのだろう。
ここで勘違いしてはいけないのは、フェンリスはなにも私の実力を恐れて戦闘を回避しようとしているのではないということ。
彼の悠然とした振舞いを見れば明らかだ。
間違いなく、彼は私に負けるとは微塵も思っていない。まあ、勝てる確信もなさそうではあるが。
だから結局、彼が戦闘を避けたいのは『面倒だから』でしかない。戦えばまあ勝てるだろうけど、勝ったところで苦労の分だけのリターンがないからやる気が出ない――それだけのことなのだ。
故に先の言葉もシィナとリスティの身を案じて言っているわけではなく、私を脅しているだけだ。
――戦うというのなら受けて立つが、その時は仲間二人の命は捨てる覚悟で掛かってこい。
あるいは、
――戦うでもなく逃げるでもなく、大人しくこの場に三人で突っ立っているつもりならそれでもいい。
と、そう告げているのだ。
しかしながら、私達の答えなど言うまでもなく決まっている。
「わたくしにはわたくし個人の、剣を取るに足る理由がございます」
シィナは静かに半身を切り、腰に添えた太刀の柄に片手を掛けた。
彼女にはフレンネル家としての使命があるのだ。討伐対象である『サヤ・スメラギ・フレンネル』へと繋がる明確な手掛かりが目の前にある以上、例え私が戦うなと言ったところで、彼女は一人でもやるだろう。
そしてその反対側では、音もなく双銃を構えるリスティが言葉少なに告げる。
「死ぬことも含めて私の仕事だよ」
こっちもこっちでブレがない。
私のサポート役を請け負っている以上、私が戦う気になっているならば共に戦う。それだけのことなのだと。
尤も、リスティの場合は私が『逃げろ』と言えばそれに従うだろうが。
まるで退く気のない様子を見せられたフェンリスは、仏頂面になって剣を持っていないほうの手でガシガシと頭を掻いた。
「そうかよ……ったく、これだから覚悟完了してる連中は」
彼のその所作の中に若干の苦味のようなものを感じ、私はふと思った。
フェンリスはこちら側の二人のことだけを言及したが、それは当然向こう側のスメラギにも言えることだ。私とフェンリスの戦闘にシィナとリスティを以てしても耐えられないというのが事実だとすれば、スメラギもまた然りであるはずだ。
そしてこれも同じく、例えフェンリスが戦闘に先駆けてスメラギを安全な場に逃がそうとしたところで、今度は私達がそれを許さない。
もしかすると。
フェンリスが戦闘を避けようとした本当の理由は、スメラギを守ろうとしたのかもしれないな、と私はそんな気がした。
ともすれば、彼が喋ることに積極的だったのも、決して口が軽いというだけではなく――、
「……?」
私がフェンリスの背後に居るスメラギへと一瞥をくれると、彼女は何故か明後日の方向を眺めていた。
心ここにあらず、という程ではないが、少なくとも私達以外のなにかに気を取られている。
私の怪訝な視線を追ったフェンリスが肩越しにスメラギを見遣り、やはり怪訝そうに眉を顰める。
「チビラギ?おい、どうした」
呼び掛けられたスメラギは普通にその声に反応してフェンリスへと向き直る。そして一度ゆっくりと瞬きをすると、
「ごめんなさいフェンリス。無駄足が確定してしまいました」
「ああ?」
「対象が『昇格』しました」
スメラギがそう言うと、フェンリスは「マジか……」と呟いて天を仰いだ。
彼等がセラフィーナちゃんのことを話しているのはわかるし、察するにセラフィーナちゃん側でなんらかの変化があったのだろうが、スメラギはいつの間に、どうやってそれを察したのか。私が昇格者とやらであると看破したように、それを識別するための特別な技能でも身に着けているのか。
「となると、本当にここでやりあう理由は消えたな」
「はい」
「っし!ずらかるか」
「はい」
勝手に話を進めて勝手に撤収しようとしているフェンリス達に、私はこれ見よがしに『ChU2W』を照準する。
「逃がすと思うか?」
「……まあそうだろう、なッ!」
フェンリスが横薙ぎに振り抜いたバスタードソードの軌跡から迸った黒い炎が彼我の視界を遮るベールと化す。
「『先行追尾』――射撃!!」
その程度の目晦ましで私の狙いを逃れられると思わないことだ。
浮遊する七基の端末は、その全てが私の拡張された感覚そのものだ。
黒いベールをぶち抜く金色の砲火が、撤退しようと動き掛けたフェンリス達の進路を阻む。続けざまに発射される後続の砲火は、フェンリスが纏っている闇のマントに防がれてしまった。不定形に伸展して攻撃を弾くあのメカニズムは、おそらくマリアのアヴァターと同系統の魔法モデルだ。
私の攻撃を隠れ蓑にしてフェンリスに肉薄するのはシィナである。
「ご覚悟っ!!」
魔力逆巻く豪速の抜刀術。
一筋の閃光と化した一撃は、フェンリスが片手で保持した漆黒の大剣とぶつかり合い、眩い火花を散らした。予想出来ることであったが、魔物であるフェンリスの膂力は人間の限界を軽く凌駕しているようで、シィナは端から力比べの選択肢を捨てて、むしろフレンネルの剣士の本領発揮とばかりに速度で畳み掛ける一気呵成の戦法に出ていた。
そこに飛来する、小さな二つの光。
「『いたずらな銃精』」
リスティの得意魔法――互いに惹き合い、そして反発する性質を有する曲射する弾丸。
閃光の速度で弧を描き、ぶつかり合って複雑怪奇に軌道を変じながら、防御も遮蔽物も擦り抜けて対象を撃ち抜く射撃魔法。熟練の技量と感覚がなければ意図した方向に飛ばすだけでも難しいという超高難度の変態魔法である。
しかし、正しく使えばその弾道を初見で見切るのはまず不可能だ。
シィナの攻撃を捌きながらもしっかりと弾丸に反応していたフェンリスは、闇のマントから腕を伸ばしてそれを防がんと試みたが、ヒットする直前で横から飛来したもう一つの弾丸と反発して急激に軌道を変じたそれが、防御を素通りしてフェンリスの顎に直撃した。
「おぐっ!?」
人間なら頭が吹っ飛ぶだけの威力はあるが、案の定フェンリスは少々口角から血を垂らしただけで大したダメージではなさそうだ。舌か唇でも噛んだのだろう。
そのフェンリスを援護するように、スメラギが魔法を唱える。
「連弾、『綺う星歌』」
彼女の周囲に等間隔に浮遊する六つの光弾が、回転と共に連続で放たれる。
重低音の投射音から、衝撃力に特化した魔法であると判断し、それぞれに狙われた私とリスティは回避を選択する。その一瞬の猶予でシィナの太刀を強く弾いて間合いを開いたフェンリスの、その左眼を封じる刺青が空に解け消える。
解放された碧い魔眼の圧力が、術理的な威力を伴う上位の攻撃として――
「うくく、そうはいかんなぁ?」
私が意図的に発動した時間停滞魔法が、フェンリスの魔眼に打ち消される。
敢えて食い付かせるために、美味しい美味しい餌を眼前にぶら下げてやったのだ。
「『待て』ができんとは、躾のなっていないワンちゃんだ」
「チッ、うざってぇなおい!」
忌々し気に舌打ちしたフェンリスは、両目を開いた状態のままに再びシィナの攻撃に晒される。
彼の左眼がカウンターに特化した能力であるならば、私が外向けに時間魔法を使わなければいいだけの話なので無視しても問題ない。だが、十中八九それは本質ではないとも思っていた。
要するに、碧い魔眼の本領は別にあって、カウンタースペルとしても使える、というだけのこと。だとすれば、フェンリスがそれを攻撃に用いてきたとした時、逆に私がカウンターを仕掛けることが出来る。私の時間魔法を封じるために魔眼を消費せざるを得ない状況を作り出すのだ。フェンリスが左目を閉じれば私の魔法を妨げるものはなくなり、シィナとリスティも止まってしまうが、当然フェンリスとスメラギも止まるのでほぼ勝ち確の状況が作れる。だから彼は魔眼を開いて私の魔法を無効化し続けるしかないのだ。
そもそも頭数でこちらが勝っているのだから、状況は私達に有利なように思えるが……。
「結局、コイツに頼る羽目になったか」
そう呟いて、フェンリスが片手に何かを取り出した。
だろうな、と私は思った。あれがなにかは知らないが、隠し玉がないはずがないと考えていたからだ。何故って、私とガチでやりあっても勝てる自信があると宣った彼の能力が、こんな程度であるわけがないからだ。
フェンリスはその隠し玉を片手に握っているらしいが、ものが小さ過ぎて掌に隠れてしまっている。
彼がそれを口に咥えたので、ようやく正体が見えた。
きらりと光を反射する、透明な容器のようなモノ。
「アンプル……?」
あれは、まさか。
「『宵の霊薬』か――ッ!?」
液体を収めたアンプルごと噛み砕いて摂取したフェンリスの、その身を構成する魔力が爆発的に増大する。
闇色の暴風に押し飛ばされたシィナが、なんとか空中で体勢を立て直そうともがいているのがチラリと見えた。吹き荒ぶ圧倒的な黒い奔流が渦を巻き、近くの水原を巻き上げ、地を砕き、大気を戦慄かせる。
フェンリスの大剣に収束する魔力が巻き上げた全てを併呑しながら黒々と轟き叫び、まるでブラックホールだ。
黒が、世界を拉ぐ――!
その中心に、あの、碧い輝きが見えた。
「あばよ」
軽く言い捨て、フェンリスが振り抜いた漆黒が、絶望的な断絶となって私達を襲う。
もはや規模と威力が破格過ぎて、斬撃の範疇など遥かに超えてしまっている。
災厄である。
無慈悲に通り過ぎる破壊という概念。
――ああ、死んだな。
私は悟った。
きっとリスティ達も同じように感じていることだろう。
となれば、一つしか手はない。
「『先制反撃』――改竄」




