280話_side_Pr_バッヘル領_宿
~"転生令嬢"プリムローズ~
帰り道で猫を拾った。
そう。そろそろ宿に帰ろうかな~なんて思いつつ道を歩いていた時のことなのだ。ふと視界の端に何かが映った気がして見てみると、道端の塀の上にちょこんと座って黄昏ている小さな猫が居たのだ。
なんだかそこはかとなく見覚えのあるとってもキュートな黒猫子猫だったので、私は思わず、
「げっとぉぉぉぉぉっ!!!!」
「み”ゃぁぁぁぁぁっ!!??」
と優しく捕まえて持って帰って来たのである。
なんか凄い声で鳴いた気がするが、気のせいだろう。
私達が滞在している宿は特にペット禁止とかってルールはないし、というかそもそもペットを連れ込む輩なんて居ないっていうか、基本的に愛玩用の動物なんて飼ってるのは貴族とかの上流階級の輩くらいなので、つまるところポピュラーなものではないのでルールの整備自体がされていないわけであるが、それはそれとして見咎められれば面倒なことになりかねないから、従業員に見つからないようにこっそりひっそり部屋に戻ってきたのである。
滞在している部屋に滑り込み、ドアを静かに閉めて、私はやりきった感慨に浸りつつ息を吐く。
「ふぅ……ミッションコンプ」
腕の中の黒猫さんが『いい加減下ろせよ』みたいな目で見上げてくる。かわゆい。
抱き上げた直後は頑張って抵抗していたようだが、アヴァターの膂力に勝てるわけもなく、すぐに大人しくなって諦めの極致みたいな煤けた雰囲気を醸し出していた。噛んだり引っ掻いたり魔法ぶっ放したりはしなかったので、本気で嫌だったわけではないに違いない。きっと照れ屋なのだな。口に出したらそれこそ引っ掻かれそうなので言わないが。
私は部屋の隅のベッドまで歩み寄ると、黒猫さんをシーツの上にそっと下ろした。
そしてベッドサイドにしゃがみ込むと期待に満ちた目で彼女を見つめる。
「…………?」
彼女は困惑したように丸い瞳でこちらを見ていた。かわゆい。
このまま九時間くらい眺めていてもいいのだが、私には一つの目的があった。どうしても、やって欲しいことがあるのだ。
「ねえねえ、あれやってあれ!」
「?」
「ふみふみするやつ!ふみふみっ!」
家猫さんが布団とかクッションとかの上でたまにやってるやつ。前脚を交互にもにもに動かすアレが見たい。
なんなんだろうねアレ。猫好きを萌え殺すためだけにやってるよね。
勿論ちゃんと理由がある行動なのだろうけど、そんなことはどうでもいいのだ。いや実はネガティブな行動なんですよねとかだったら飼い猫の動向には気を付けてあげないとだけど今はそれは置いておいて。
私は今、ドロシー(猫)にふみふみして欲しいだけの存在なのだ。
なんか変態っぽく聞こえるけど別に私を踏んで欲しいわけじゃないがなんなら踏んでくれても一向に構わない。そういう心意気で生きている。
「…………」
黒猫さんはなんとも言えない顔(雰囲気)で私を見ていた。
たぶん言葉が喋れたら「なに言ってんのお前」くらいのことは言っているレベルの呆れ顔だ。だけど私はにこやかに見守り続ける用意がある。何故って今の彼女は所詮黒猫なので、どんな白けた態度を取ってくれようが、かわゆい成分が補給されるだけだから!
ノーダメージ!むしろありがとう!
埒が明かないと思ったのか、それともどうでもよくなったのか、黒猫さんは投げ遣りな感じでシーツをふみふみしてくれた。
小さな黒い脚を一心不乱に動かす姿が、あまりにもキュートである。よく見るとふみふみのリズムに合わせて尻尾がふりふり揺れているのがポイント高し。
「はぁ……至福」
このまま十一時間くらい眺めていたいところだったが、黒猫さんはすぐ(当社比)にふみふみをやめてしまうと、再び私の顔を眺めた。
もういいだろおい、とでも言いたげな視線を受けて、私は笑みを返した。
「わがまま言ってごめんね。叶えてくれてありがとう」
私がそう言って立ち上がり一歩後ろに退くと、黒猫さんはぴょんとベッドから飛び降り、その空中で魔力を輝かせて変身魔法を解除した。
音もなく着地したリスティは、軽く衣服を手直ししつつ憮然とした調子で口を開く。
「このくらい、別に構いませんが。次からは料金をいただきますよ」
「あ。頼めば次もやってくれるんだ」
「有料で。しかも暴利です」
仮に激安だったとしても、お金払ってやってもらう気はないけども。
「私、変身魔法は使えないんだけど、実際どうなの?やっぱ猫の習性に引き摺られたりするの?」
具体的には、黒猫モードの時は猫じゃらしに反応したりするんですか。
普段のリスティが若干猫っぽいのは変身している時の影響だったりするんですか!
「変身魔法の構成次第ですが、基本的には、敢えてある程度は猫に寄せていますよ」
「へぇー。やっぱそれって、擬態のために?」
「ええ。猫じゃらしに翻弄されているようでは話になりませんが、まったく無反応というのも不自然でしょう?」
リスティのように擬態のために変身魔法を使うならば、一定の真実味は必要だ。逆に、用途によってはまったく動物に寄せる必要がないこともあるのだろう。場合によりけりということか。
「で、なんであんな場所で黒猫してたのよ?」
「ええ。実はですね――」
事情を訊いてみると、街でたまたまクロードくんパーティーを目撃したリスティは、彼等に探りを入れるために黒猫モードで盗み聞きをしていたらしい。
大筋で実のある話は聞けなかったけれど、最後の最後にクロードくんが気になる言葉を残した。リスティが猫のまま黄昏ていたのはそのせいだったらしい。正確には黄昏ていたわけではなくて考え事してただけみたいだけど。
「『教義』ねぇ……ま、普通は日常会話で使う言葉ではないかな?」
「人によるかと」
教義と聞いて一番に思い浮かぶのは、当然最大規模の宗教である『教会』の教義だろう。無論それ以外にも無数の宗教が存在しているが、この王国近辺では教会の威光が強過ぎてそれ以外は十把一絡げ感が否めない。一強過ぎて対抗馬すら存在しないのだ。
だがしかし、強いて。
強いて対抗勢力を挙げるとすれば、それが『教団』である。
教団は魔王を信仰する影の宗教なので、公に存在感を示すことが出来ないアンダーグラウンドの勢力であるが、その規模は教会にも引けを取らないと実しやかに言われている。
教会における教義とは、例えば『誓句』なんかも一種の教義であるのだろうが、信徒でない私は詳しくは理解していない。というのも、教会の中でも色々な派閥とか宗派ってのがやっぱり存在していて、教義って宗派によって微妙に違ったりもするみたいなんだよね。大元のベースは当たり前に同じなのだろうけど、解釈次第で真逆の方向を向いたりすることがあるのは歴史が証明している。
話を戻すと、リスティが聞いた通りにクロードくんが何らかの教義に従って行動しているのだとすると、彼は、あるいは彼等は何らかの教えに帰依しているということになる。それ自体は珍しくもない。私の同級生とかを見ても教会の信徒なんて腐るほど居るし、一見してわからない人が実は信徒でしたなんてことはいくらでもあり得ることだ。なお私の実家は無宗教である。アシュタルテ侯爵家の優雅な人々が神様を信じるわけがないので。
「リスティは教会の信徒?」
「そうですよ」
「黎明機関とは決別したんでしょ?でも信徒のままなんだ?」
「ええ。組織という意味での『教会』を信じる心は微塵も残っていませんが、主への信仰心はなくなったりしませんよ」
そういうものかね。信仰って。
この辺の価値観が私に今一備わっていないのは、実家の侯爵家の影響も少なくないだろうけど、根本的には前世の日本人的感性の影響が大なんだろうな。
ともかくそういう価値観の世界なので、自らが信じる宗教の教義に従って行動をしている人物が居ることは別にいいのだ。そんなに大それた話でもない。主の導きに従って、朝は日の出とともに起き、日が暮れたら床に就く。休日は家族と共に過ごし、週に一度は教会堂で主への祈りを捧げる――とか、そんな程度の内容でも宗派によっては立派な教義である。
尤も、逆に『異端者を見付けたら両眼を抉って殺すこと』みたいな過激極まる教義がないとは言わないが。
「見た目で思想がわからないのが厄介なところよね」
「そうですね。それがわかれば昔の私も苦労はしなかったでしょう」
シスターレイチェルみたいにどう考えてもガチガチの信徒であることが明白な人も居れば、リスティが持っているレストレーション・アームズの十字架みたいに、よく見れば宗教所縁の品を身に着けているから信徒であるとわかる人も居るし、例えばユーフォリアちゃんみたいに見た目からはまったく判断出来ないが礼拝などの習慣的な行動で判断出来る人も居る。
勿論、他人からはまったく判断出来る要素がないけど実は信徒である、ということもある。
リスティがなにを憂慮しているのかはわかる。要はクロードくん達が教団の手の者ではないかと疑っているのだろう。私達の目的である『宵の霊薬』は教団の特産品である可能性が高いので、教団員を捕捉することは私達の目的達成に向けて着実な前進になる。
「リスティは教団の教義を知ってる?」
「大まかには。ですが、教義はあくまで思想の立脚点でしかありません。それに従って行動に移した結果が万人に共通するとは限らない」
「でも、最終的には魔物に利する行動をとるのよね?」
「見てわかるような真似をやらかしてくれれば話は早いですが、」
「だったら当の昔に教団は絶滅してますよってか」
私は実のところ、リスティほど積極的にクロードくん達を疑ってはいない。
誰が教団の信徒であってもおかしくないので、クロードくんがそうである可能性は否定出来ない。しかし宗教を信じている人間そのものが珍しくない
のだから、教団とはまったく関係ない宗教の信徒である可能性だって否定出来ない。
もっと言えば、仮に彼が教団の信徒だったとしても、只の信徒には用はないのだ。私達が捕捉したいのは教団員だ。教会に言い換えて例示するとすれば只の信徒であるユーフォリアちゃんを捕えても意味がなくて、組織に属しているシスターレイチェルを捕捉しなければならないのだ。
「彼等が実力者だからこそ怪しいっていうのは、あるかもね」
『宵の霊薬』が魔物を強化するものだとして、それを魔物に与えるためには当然ながら魔物と相対するだけの能力が必要だ。便宜上『霊薬』と呼称してはいるが実態が不明なので確かなことは言えないが、半端な実力では魔物に薬を与える前に自分が引き裂かれるオチになるのは想像に難くない。命と引き換えに魔物を強化するという暴挙(殉教?)に及ぶ可能性を全く否定出来ないのが宗教のアレなところであるが、少なくともこれまで他所で確認された疑わしき事象において、魔物の強化と討伐者の不審死の相関は確認されていない。
黒い森に入るためには討伐者のライセンスカードが必要となる以上、魔物に『宵の霊薬』を与えて暗躍している者がもし居るとすれば、それは相応の実力を有する討伐者である可能性が高いのだ。
「個人的には、教団の信徒なのに魔物をばっさばっさ斬り倒してええんかい!ってツッコミもなくはないけど」
「それもまた、教義によるでしょうね。魔王の被造物である魔物を信仰対象に含める派閥もあれば、飽くまでも信仰対象は魔王だけと定めている派閥もあるでしょう」
「そもそも討伐者をやっている理由が信仰のためかもしれないものね」
「教団の信徒にとって黒い森とは聖地への入り口に他なりませんから。そこに入るために討伐者になるというのは至って自然な発想です」
言うまでもないが、聖地とは『魔界』のことだ。
考えてみれば、侯爵家の特務部隊である『ヴァイスヤークト』のフロントクランなんてものが実在しているのだから、教団のフロントクランが実在していてもおかしくない。っていうか絶対に実在する。ないわけがないのだ。
「まあ、調査して損があるわけじゃないから、そっちはプロのリスティに任せるわ」
「わかりました。では姉さんは引き続きスメラギさんの件を」
「了解。たぶん、遅くてもそろそろわんこがイオちゃんとこに着いてるはずだけど……」
早ければもうこちらに向かっているかもな、と考えていると私の魔力が特異な反応を捉える。
「ん?」
「どうしました?」
「いや、マーカーが起きたみたい」
噂をすれば、とでも言えば良いのか、ヴェルメリオが転移魔法のマーカーを起動したのを感じ取ったのである。それを端的に告げると、リスティは形容し難いものを見る目になった。
「ということは、フレンネル領のマーカーを感じ取ったのですか?姉さんはどこまで人間をやめれば気が済むんですか」
「だって私人間じゃないし、今」
転移魔法のマーカーというのは上位層である魔法界を介して伝達される情報であるので、実空間ほどに距離の影響を受けない。とはいえ勿論限度はあって、それは基本的に術者の出力に依存する。要は魔力的に高出力である程に遠くまで情報を送り出せて、遠くからの情報を受け取れるという至極当然の原理である。普通はそれを魔法具の補助なんかの外付けのサポートで補うのであるが、今回の場合はマーカーの送信者であるヴェルメリオも受信者である私も双方が転神状態なので、そもそも人間の限界以上の出力を発揮出来る。だからここからフレンネル領を直接に繋げたとしてもそれほどおかしい話ではない。
「一応つっこんでおきますけど、そもそも姉さんのアヴァターの性能がおかしいんですからね」
「そんなことないっしょ。普通っしょ」
「…………それで、どういうことなんですか。緊急事態ですか」
予定にない行動ではあるが、緊急性は低いというのが私の予想である。
例えば予期せぬ窮地にヴェルメリオが陥ったからといって、あの子が私に助けを求めることはまずない。あの子はあれでも特務部隊の一員で最古参の猛者でもあるので、そこらの隠密よりも余程覚悟が決まっている。
故に、ヴェルメリオが敢えて私を呼んだということは、彼女はそれが私の利になると判断したということだ。ヴェルメリオは論理的に考えることが得意ではないが、動物的な感性に依って立つ直感的な判断力は信頼に値する。
「というわけで、ちょっと行ってくるわ」
私は転移魔法のモデルを脳内に起こしつつ、アヴァターの能力を一部解放して久し振りの光翼と光輪を展開した。装束まで展開すると今着ている服が負けて消し飛ぶので、そこは控えつつ。
すると、何故かリスティがこちらを見て絶句していることに気付く。
「あれ、どしたん」
「なにそれ」
「なにって、あれ?見せたことなかったっけ?」
記憶を思い起こすも、そう言えば彼女にこのアヴァターを見せたのはローゼンハイン邸でのアレが初めてで、その時には既にスレイの姿をしていたので、実は本来の姿を見せたことがなかった。
出力機関である光翼の推力で浮かびつつ、久し振りの感覚を慣らすために幾度か羽ばたく。
舞い散る光の羽を呆然と眺めながら、リスティは「天使じゃん……」と素で呟いていた。その彼女らしからぬ無防備な姿に、私は嫌な記憶を思い出して顔を顰めた。
「お願いだから、いきなり斬りかかってきたりしないでよ」
「は?」
「天使の姿を騙るなど許すまじ!とかってどこぞの狂信者に斬られたことがあってね」
リスティは古巣と袂を別っているので大丈夫だと思っていたが、信仰心は褪せていないと先程聞いたばかりだしなぁ。
私が若干警戒しながら言うと、リスティは事情をなんとなく察したのか、一転して嫌そうな顔になった。
「お前のような天使が居てたまるか」
「全く以てその通りなんだけど、なんか腹立つのはなんでかしら」
いいんだけど!別にいいんだけどね!
気を取り直したリスティが剥がれていた仮面を被り直して、こほんと咳払い。
「ではベルさんのほうはこちらで適当に誤魔化しておきます」
「よろしく。なるべく早く戻るわ」
「帰り道はどうするんです?私にマーカーをやれとは言わないでくださいよ?」
「なんとかするわ」
最悪、時間止めて飛んで帰ってくればいいだけだし。てかたぶんそうなるし。
お気をつけて、と見送るリスティの姿を視界に収め、私は魔法を発動してヴェルメリオの元に転移した。




